日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2020年10月号

Profile

佐藤 健一氏

税理士法人JPコンサルタンツ
代表税理士 不動産鑑定士 行政書士

1973年2月生まれ、千葉県松戸市出身。中央大学商学部会計学科卒業。大学3年から税理士をめざし、卒業後は会計事務所に勤務。1997年、税理士試験合格。1998年、税理士登録。同年に勤務先を退職し、不動産鑑定士の受験勉強をスタート。1999年、不動産鑑定士2次試験合格。税理士・不動産鑑定士事務所勤務を経て、2003年、不動産鑑定士登録し、佐藤税理士・不動産鑑定士事務所を開設。2006年、行政書士登録。2014年、JPコンサルタンツグループに参画し、税理士法人JPコンサルタンツ役員税理士就任。2019年、税理士法人JPコンサルタンツ代表社員就任。

個人事務所から大型税理士法人に参画。
ツートップの一翼を担い、資産税と事務所運営に取り組む。

 千葉県松戸市にあるJPコンサルタンツは、松戸市にある著名な事務所2つが合併してできた大型の税理士法人だ。総勢70名のグループの強みは、資産税部門と医療・一般法人部門の2本柱があること。代表社員として資産税部門を率い、グループ運営に手腕を発揮しているのが税理士・不動産鑑定士・行政書士の佐藤健一氏だ。もともと個人事務所として独立開業していた佐藤氏に、複数資格の取得をめざした理由、税理士法人参画のきっかけ、今後の方向性についてうかがった。

職業一覧から税理士を発見

 千葉県松戸市。江戸川にかかる葛飾橋を渡れば東京都に入る隣街である。昭和30年代までは、東京の台所として農家が畑を耕し、新鮮な野菜や作物を都内に供給していた。そして今は、その都市近郊農家が、世代交代によって専業農家ではなくサラリーマンとして働きながらマンションやアパート経営による不動産所得を得る時代になった。給与所得のほかに不動産所得があれば、誰しも節税を考える。その節税対策や資産税コンサルティングの受け皿となっているのが税理士法人JPコンサルタンツだ。代表社員の佐藤健一氏は現在47歳。税理士と不動産鑑定士(以下、鑑定士)、行政書士を持つトリプルライセンス保持者として、地元・松戸市で資産税対策に心血を注ぐ。

「東京都品川区で生まれて、幼稚園入園前に松戸市に引っ越しているので、育ちは松戸、仕事もずっと地元・松戸です」
 柔和な表情でそう話し始めた佐藤氏は、中学・高校時代はサッカーのクラブチームに所属していた。
「中学・高校時代はとてもまじめにサッカーをやっていました。まだJリーグが誕生する前でしたから、サッカーといえば、お正月に決勝が行われる全国高等学校サッカー選手権大会が人気でしたね」

 そんなサッカー少年だった高校1年のとき、クラスで「将来何になりたいか」というアンケート用紙が配られた。
「高校生が将来何になりたいかと聞かれて、サラリーマンになりたいとは書きませんよね。クラス中の生徒が、教室の後ろに置いてあった職業一覧の本を見ながら、何になろうか考えたのです。そしてそのとき私が書いた職業が税理士でした。なぜ税理士と書いたのか、よく覚えていないのですが、きっと数字が好きだからという程度の感覚だったのだと思います(笑)」

 それが税理士をめざすきっかけとなって、「中央大学で会計学を学ぼう」と中央大学商学部会計学科に進学を決めた。
 入学してみると、周囲には親が税理士や公認会計士で、家業を継ぐために税理士・会計士をめざすのだという友人がたくさんいた。
「友人の家に遊びに行くとそこが会計事務所で、税理士のお父さんがいる。そんな環境でした。友人は親が税理士ですから、税理士試験に合格することが至上命令です。そして私も、友人がめざすなら自分も税理士になろうと、自然に考えるようになりました」

 佐藤氏が本格的に税理士をめざして勉強を始めたのは、大学2年の秋。大学内で実施されていた税理士講座に参加して、簿記論と財務諸表論から学習をスタートした。3年のときの受験初年度で簿記論と財務諸表論に合格、4年で法人税法に合格して大学を卒業。卒業後は千葉県市川市の会計事務所に就職し、働きながら残り2科目の合格をめざした。

 勤務した事務所の所長は「国税三法以外は認めない」という方針だったので、事務所の先輩たちもみな法人税法・所得税法・相続税法の合格をめざしていた。佐藤氏も勤務3年目の1997年に所得税法と相続税法に合格し、見事国税三法を制覇。翌年に税理士としての第一歩を踏み出した。「今思えば、それが当たり前に思える環境でよかったと思います」と、当時を振り返る。

不動産鑑定士との衝撃的な出会い

 税理士としてスタート地点に立った佐藤氏だが、そのまま税理士街道まっしぐら、とはいかなかった。税理士試験に合格した翌年の4月に事務所を退所し、鑑定士試験の勉強に入ったのである。なぜ会計事務所をやめてまで鑑定士をめざしたのだろうか。

「勤めていた会計事務所では法人顧問を60件ほど担当し、それなりの実務経験を積んでいました。お客様に喜んでいただけるということにはとてもやりがいを感じていましたが、個人的には資産税を中心に取り組みたいという思いもあり、そんなときに鑑定士と出会ったのです」
 迷いがわいてきたときに出会ったのが不動産鑑定の自由度と説得力だったというのだ。

「あるとき、税務申告で土地売却にあたり非課税規定の適用を受けたいという依頼がありました。その方の債務超過状態を証明する必要がありましたので、鑑定士の方に不動産の鑑定評価をお願いしたのです。
 税理士試験の相続税法には、財産評価という不動産を評価するためのきちんとした体系があります。私は相続税法に1度落ちて2度受験した、つまりそれだけ勉強をしてきたのだから、不動産評価についてはしっかり理解しているつもりだったのです。
 ところがその鑑定士の方がとったやり方は、収益還元法という、相続税法の世界ではまったく使わない算出法でした。私は『こんなことができたら、もっと違う仕事の進め方ができるのではないか』と感動して、すっかり鑑定士の魅力に取りつかれてしまったのです」

 当時25歳だった佐藤氏。独立するなら30歳位がちょうどいいと考えていた。開業まで5年、その間に鑑定士の資格を取って世界を広げたい。そこで4月に会計事務所をやめ、鑑定士の受験勉強を開始。そして翌年8月の鑑定士2次試験に見事合格したのである。
 こうして税理士だけでなく鑑定士の資格をも取得した佐藤氏は、税務プラス鑑定評価のスキルを培い、資産税に強い専門家としての深みを増すことになった。

資産税特化型事務所として独立開業

 鑑定士受験のために会計事務所をやめ、税理士のキャリアを一時的に中断するという決断をした佐藤氏。だが税理士のキャリアが中断することに対して不安に思うことはなかったという。鑑定士2次試験合格後は、新宿にある税理士・不動産鑑定士事務所に入所して税務と鑑定評価の両面から実務経験を積み、そこで鑑定評価や税務申告だけでなく、税理士と鑑定士の融合部分を勉強できた。
 「所長も税理士になってから鑑定士資格を取得していたので、まさに私がやりたい領域の先人でした。先輩としてめざすべきキャリアパスを示してくれました」と感謝を込めて話している。
 そして2003年に鑑定士登録を行うと、佐藤氏は30歳で独立開業に踏み切った。

 佐藤氏は税務と不動産鑑定評価のシナジーを活かした資産税特化型事務所を標榜した。税理士・不動産鑑定士事務所の看板を出したのは、幼い頃から親しんできた松戸市。市川市の会計事務所時代の先輩は次々と独立し、法人顧問をメインとする会計事務所を開いて活躍していたので、法人顧問は先輩に任せ、相続・資産税の依頼に対しては自分が受け皿になれればと考えた。
「独立した当初、先輩たちからお祝い案件として鑑定評価の依頼が相次ぎ、いいスタートを切ることができました。とてもありがたかったです」

 やりたいのは、相続・贈与・譲渡所得などの資産税に特化した案件。このスタンスを貫くための勉強も引き続き行った。鑑定士2次試験に合格した2年後、相続についての知識を深めるために講座を受けて、税法・民法・金融・不動産・測量など横断的に学ぶことにしたのである。
「当時の相続は、税務は税理士、法律は司法書士と弁護士、不動産評価は鑑定士というように完全に縦割りで、相続全般に横ぐしを刺すような分野はありませんでした。だから相続全体がよく見えなかったのです。その講座は、相続専門の税理士やその他士業の先生から話を聴けるだけでなく、参加したことでネットワークを広げられた大変有意義なものでした。受講生の中で私が一番若かったので講師の先生にもかわいがってもらい、独立の連絡をしたら『じゃあうちにおいでよ』と、一緒に仕事をさせていただく機会もありました」

 開業から順調に資産税に特化してきた佐藤氏は、税理士・鑑定士の垣根を越えて、相続に伴う土地の評価、相続税申告、相続税コンサルティングの領域へと活躍の幅を広げていった。

相続・医療に特化したJPコンサルタンツ

 松戸市での開業から5年後、佐藤氏は法人顧問をメインとする税理士や司法書士、不動産コンサルタントと共に共同事務所形式でオフィスを運営していた。
「お互いの得意分野を活かしながら共同事務所を運営していく、大変効果的なやり方でした」
 今でも共同事務所時代の仲間としばしば会って飲んだり、お互いに仕事を依頼し合ったりすることがあるという。

 さらに個人事務所の開業から10年余。2014年4月、佐藤氏は当時60人規模だった税理士法人JPコンサルタンツに個人事務所を経営統合するかたちで参画し、社員税理士になるという大きな決断を下した。

 JPコンサルタンツは、松戸市の医療特化型会計事務所と資産税特化型会計事務所が2012年10月に経営統合して誕生した。前者は税理士・待山克典氏が率いる会計事務所並びに医療コンサルティング会社である株式会社待山会計コンサルティング。後者は、税理士・小林登氏が率いる税理士法人トゥモロー・ジャパン並びにコンサルティング会社である株式会社トゥモロージャパン・コンサルティングである。
 経営統合により誕生した税理士法人JPコンサルタンツと株式会社JPコンサルタンツに加え、今日ではJPフィナンシャル(保険代理店)、JP不動産鑑定、社労士事務所JPコンサルタンツ、行政書士事務所JPコンサルタンツが名を連ねて、JPコンサルタンツグループとなっている。業務はもちろん資産税分野と医療・法人分野の2本柱がメインとなる。

 現在、会長を務める待山氏は、合併の経緯について次のように話している。
「待山会計事務所は私の父の代からの事務所で、51年の歴史があります。もともとは中小法人の顧問が中心でしたが、私は医療に特化する戦略を採り、ちょうど全国的な医師不足の状況下、医師の新規開業が急増しているタイミングと重なり事務所を成長させてきました。しかし、また時代は変わります。単に業種特化や税目特化だけでは生き残れないのではないかと考え、組織の強化、そしてさらなる成長をめざして、小林氏の事務所と経営統合する選択をしました」

 小林氏は東京国税局に勤務し、管内の税務署を歴任してきた税務署OB。縁あって1996年に松戸市で資産税業務(相続・贈与・譲渡所得など)に特化した会計事務所を開業し、2005年に税理士法人トゥモロー・ジャパンに改組していた。
 2012年10月に経営統合して誕生したJPコンサルタンツグループでは、医療・法人分野は待山氏、資産税分野は小林氏が率いていた。その後、60歳になった小林氏は65歳での引退を考え始めた。そのためには後継者が必要と考え、白羽の矢が立ったのが佐藤氏だった。小林氏の動向を見ていた待山氏も現場からの引退を決意。2019年、小林氏の引退に合わせて待山氏は会長となり、税理士法人の代表社員に佐藤氏が、株式会社の代表取締役に税理士の竹田桂介氏が就任。グループを佐藤氏と竹田氏のツートップで率いていくことになったのだ。
 この竹田氏は2002年に税理士試験に合格し、2005年にJPコンサルタンツの前身となる税理士法人トゥモロー・ジャパンに入社。資産税分野を中心に法人分野でも実力を蓄えてきた。

 千葉県税理士会松戸支部支部長を務め、現在松戸商工会議所で副会頭を務めている待山氏は現在64歳。まだまだ第一線を走っていけそうに見える。
「私が取り組んだ業種特化の時代はおそらく私の代で終わりです。これからはIoTやAIの時代。そこで、潔くきっぱりと世代交代しようと決めました」

 40代の2人への世代交代。待山氏と小林氏が築き上げてきた礎は、佐藤氏と竹田氏へとバトンが渡されたのである。

個人事務所を統合して税理士法人に参画

 個人事務所から、大型税理士法人への参画。どんな思いで佐藤氏はその決断をしたのだろうか。
「独立したときは大勢の先輩から声をかけていただき、仕事もいただいて順調にスタートできました。30歳で独立して10年余、共同事務所では各人の個性や特徴を活かして楽しく仕事をしてきました。
 独立したときから、仕事はいろいろな縁でできていると感じていました。今でもそう思っています。JPコンサルタンツへの参画も、おつき合いがある小林先生に声をかけていただいたから。これもひとつの縁だと思ったのです」

 小林氏とは、地元・松戸市で開催されている資産税勉強会に参加した際に知り合った。ともに資産税を専門とする者同士、研鑽を重ね、ときには佐藤氏が相談を持ちかけることもあったという。
 2012年にJPコンサルタンツが誕生し、合併後も相続税分野を司ってきた小林氏から、「自分の後をみてほしい」と頼まれたことに縁を感じ、佐藤氏はJPコンサルタンツへの参画を決意した。

 参画後は社員税理士として資産税部門で小林氏の隣にデスクを並べ、5年間、一緒に資産税案件に応えてきた。
 歴史ある事務所には、これまで事務所を支えてきたベテランスタッフが大勢いる。共同事務所を運営してきたとはいえ、佐藤氏にとっては年齢もキャリアも上のスタッフの存在は大きな環境の変化だったに違いないが、それも佐藤氏によればプラス要素なのだという。
「私が入った時点で資産税と医療に強い事務所として知名度があり、ベテランスタッフはみなそれぞれのやり方を確立していました。これまでに培ってきた深い税務の知識や経験、ノウハウを駆使して、例えば財産の評価ひとつとっても、独自の見解を持っている。この経験やノウハウをもっと活用すべきだと思い、意見交換をしながら案件を進めるようにしました。税理士・鑑定士として確立してきた自身のスタイルをごり押しするよりも、ベテランスタッフのやり方を尊重しながら、いろいろな考え方がある中でお客様にとってベストなものを選ぶことができる、理想的な環境がここにはありました」

 かつて初めて鑑定士に出会ったとき、不動産評価に対してまったく違うアプローチを知り、新鮮な感動を持って鑑定士をめざした。そんな佐藤氏だからこそ、自身のスタイルに固執せずに、ベテランの意見を広く取り入れられるのだろう。この柔軟でポジティブな思考と懐の広さが、事務所をうまく運営していける秘訣なのかもしれない。

 現在のJPコンサルタンツのスタッフは70名。うち資産税部門が30名、法人部門が40名(医療法人、一般法人、各20名)となっている。資産税部門の相続税申告数は年間約100件、法人顧問は450件で、うち医療関係が200件となっている。有資格者は税理士が資産税部門5名、法人部門4名の計9名、鑑定士は佐藤氏1名、行政書士は佐藤氏を含めて2名、社会保険労務士2名、その他グループ全体ではCFP®やAFP、宅地建物取引士を数えればかなりの人数に上る。

めざすのは「お客様の人生の相談役」

 JPコンサルタンツのお客様は、地元の金融機関や関連士業、不動産会社や保険会社からの紹介で増えてきた。資産税分野の顧客は松戸市を中心に東京・埼玉・茨城・神奈川と首都圏全域に広がる。そんな中で地元・松戸市で一番多いお客様が都市近郊農家だ。
「都市近郊農家といっても、今では賃貸アパートやマンションの不動産経営をされている方がほとんどです。世代交代が進み、専業農家でやっているところはほとんどありません。今の時代、職業の選択肢がたくさんある中で、農業を選ぶ人が少なくなっているのです。かつて畑がほとんどだった地域も、宅地が増えてくると、畑の土が風で飛んでくるから迷惑といった声が出るようにもなり、周囲の住環境によって、非常に農家をやりにくくなっている現状もあります」
 佐藤氏自身、幼少期は雑木林でカブトムシをよく採っていた想い出がある。その場所が今ではすっかり住宅地になり戸建てで埋め尽くされている風景を見ると、時代の変遷を感じるという。

 1992年の改正生産緑地法により指定された生産緑地(農業の継続を条件に、固定資産税・相続税などの税務上のメリットを受けることのできる農地)の多くは2022年でその期限を迎える。税制の優遇がなくなれば、農業を継続し農地として維持することが困難になるケースも出てくる。その後、農地をどうしたらいいかという相談もかなり多いという。
「個別のご相談やセミナーで、相続が始まる前の資産シミュレーションをしますが、生産緑地法を適用していたらどうなるのか、期限が来たらどうなるのか、そのときに売ったらどれくらいの値段と税金になるのかという相談が多いですね」

 また、都市近郊農家の資産税の相談は、2次相続にまで関わることが多い。
「例えば10年後の配偶者の相続、もっと長いスパンでは20年、30年後に『父のときにお世話になったので、今回もよろしくお願いします』というケースもあります。相続が発生するのは20〜30年に1回のことなので、資産税分野のお客様とは長いおつき合いになります。  20年、30年が経って相続が発生したときに、私やうちのスタッフを思い出してもらえるように、今がんばることが私たちのやりがいのひとつです。
 相続が発生して、どの税理士に頼もうかと考えるとき、2番目、3番目にやっと思い浮かべてもらう程度では依頼は来ません。トップでなければダメなんです。だからこそ、一番最初に思い浮かぶ存在になりたい。必要なのは私たちをトップで選んでもらうための差別化です」

 その差別化とは具体的にはどのようなものなのだろうか。
「税法に則って節税ができることは税理士として当たり前で、プラスアルファで何ができるのかが大切です。カッコいい言い方をすると、お客様とご家族の人生に関わる部分に貢献できるかどうか。今後、おそらく税金計算や適用できる法律の選択なら、AIには勝てなくなるでしょう。ただ、そこで勝負をする気はありません。私たちが与えた条件をもとにAIがはじき出した答えを土台にして、では実際にどうすればいいのかについて提案する、人生の相談役になることをめざしています」

 JPコンサルタンツとして、今後取り組んでいくのはどのような分野になるのだろうか。
「待山からも言われていますが、経済産業省の政策を見ていると、国が中小企業をどういう方向に持っていこうとしているかがよくわかります。中でも事業承継は法整備も含め、国が先頭に立って推し進めています。その事業承継支援、関連するM&A支援を強化していくことで、これからの社会が求めていることにもっと応えていけるのではないかと考えています。事業承継は、資産税だけでなく法人の知識やノウハウも必要になりますから、事務所の総合力を発揮できる分野になっていくと思います」

スタッフとその家族の幸福を追求

 70名のスタッフを抱えるJPコンサルタンツでは、定期採用は行っておらず、欠員や業務量に対応する中途採用を行っている。採用にあたっては、経験の有無にはこだわっていないという。
「やる気があれば、税理士試験の科目合格もしていなくていいと思っています。入所したら先輩がきちんと指導しますから、それを吸収してくれる素直さがあれば充分。あとはお客様とのコミュニケーションが取れれば大丈夫です」

 定着率の高さもJPコンサルタンツの強みのひとつのようだ。
「まだまだ不十分なところはありますが、かなり柔軟にスタッフの声を吸い上げるように配慮していますので、ある程度は働きやすい職場環境を実現できていると思います。それに指導してくれる先輩が優しいから、やめずに長くいてもらえる。長くいてもらえれば、それなりにスキルが身につきますから、1年後、3年後、5年後と着実にしっかりした税務の仕事ができるように成長していきます」

 居心地のよさが離職率を低くし、スキルの高い人材が育っていく。その理想的な職場環境を裏付ける事務所のビジョンがある。
 『スタッフ・その家族の幸福を追求し、人類・社会の進歩発展に貢献する』というものだ。
「この理念は、私が参画する以前に定められたものですが、大好きですね。この理念を実現するために何をするのかを考えていきたいです。スタッフの幸福を追求するという幸福の実現の手法は、お客様に対しても同じです。そこでまた喜ばれてお客様とも長いおつき合いをしていきたい。選択に迷ったときはここに立ち返って、すべての行動指針の軸にしています。ここはブレたくないところです」

 法人部門を司る竹田氏も、この理念をもとに現在取り組んでいることがある。それはRPA(Robotic Process Automation)の導入だ。目的は生産性を上げ、スタッフの労働時間を削減し、ベストなワーク・ライフ・バランスを実現すること。あくまで「スタッフありき」の事務所なのである。

人間性を磨き、視野の広さを身につける

 前身の待山会計事務所創業から数えると51年の歴史ある事務所なので、自ずとスタッフの平均年齢は高く、43歳の竹田氏がちょうど平均年齢だという。そんな中で、自分より年上のベテランスタッフのスキルを活かしながら、若手も育てていく環境の存在がJPコンサルタンツの最大の強みではないだろうか。それはひとえに、ツートップの佐藤氏と竹田氏の人柄に拠るところが大きい。

 JPコンサルタンツでも、新型コロナウイルスの影響を受け、在宅勤務と業務のオンライン化への移行を進めることになったという。
 「あとから振り返って、『あの時は大変だったけど、事務所の運営や経営を考えたら、いい機会だったね』と言えるようになっていたい」と、佐藤氏は前向きに話す。

 受験生にも、前向きな姿勢で資格取得をめざしてほしいとメッセージをくれた。
「受験で学んだことは基礎にはなりますが、実務で使うのはまた別物。合格の先にも学ぶべきことがたくさんありますから、ぜひ先輩からいろいろなことを学んでください。試験合格は大切ですが、そこをゴールにせず、その先を考えてください」

 竹田氏からもアドバイスをいただいた。
「私にとって受験勉強は非常に大変でしたが、あの苦労があったからこそ今もがんばれるのではないかと思います。社会に出ると、特に人間性が一番大事です。試験勉強だけでなく、人間性も磨いていただければうれしいですね」

 税理士試験で受験科目に相続税法を選択すれば、不動産の評価を勉強する。しかし、土地はどれひとつとして同じものはない。相続にまつわる不動産案件に関しては、税理士だけでなく鑑定士、司法書士、不動産業者、経営コンサルタントなど、さまざまな専門家の意見を聞いて実行することが理想的といえるだろう。この姿勢は他の業務においても重要だ。
 資格を取得した暁には、この視野の広さを身につけてほしいと、佐藤氏はエールを贈っている。


[『TACNEWS』日本の会計人|2020年10月号]

・事務所

千葉県松戸市本町7-10
ちばぎん松戸ビル8F・9F

Tel:047-367-3232

URL: http://jpcg.co.jp/