日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2023年4月号

脇坂 誠也(わきさか せいや)氏
Profile

脇坂 誠也氏

脇坂税務会計事務所
税理士 行政書士 中小企業診断士

1966年、東京都目黒区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。新卒で半年間の企業勤務を経て、25歳で青年海外協力隊に参加しコートジボワールに赴任。2年後、帰国して28歳から簿記をスタート。その後税理士をめざし、32歳で税理士試験合格、税理士登録。その後NPOの会計税務に関わり、事務所の柱とする。

役職:認定NPO法人NPO会計税務専門家ネットワーク理事長、一般社団法人レガシーギフト協会理事、NPO法人会計基準策定委員会副委員長(2009年3月〜2010年7月)、公益財団法人さわやか福祉財団監事、東日本大震災支援全国ネットワーク監事 他

会計基準の制度設計から関われるNPOの仕事は、
ダイナミックでとてもおもしろく魅力的です。

 NPO法人(特定非営利活動法人、以下NPO)が節目を迎えている。1998年に特定非営利法人活動促進法が施行されて約25年。四半世紀で認証法人数は5万を超えた。日常生活に直接関わりがなくても、東日本大震災の被災地復興支援や、内戦から逃れた難民キャンプでの国際人道支援で、必ず目にするのはNPOの活躍だ。脇坂税務会計事務所の代表を務める脇坂誠也氏は、NPOを専門とする税理士。まだスキームが確立されていないNPOの会計基準を整備し、普及することで「人の役に立ちたい」と考えている。脇坂氏はなぜNPOに関わろうと思ったのか。税理士となりNPO支援に携わるまでの経緯、そして現在の活動を追った。

25歳で青年海外協力隊に参加

 生まれも育ちも東京都目黒区。「地元が大好きだから、開業するなら地元でやりたかった」という脇坂氏の事務所と自宅は、目黒にある。

 「幼い頃の光景がおぼろげながら記憶にありますね。おそらく父は自宅で開業したのでしょう」と話すように、脇坂氏の父は税理士で、脇坂氏が物心つくころには税理士として開業していた。その父は4年前に亡くなっている。身近に税理士の存在があったことで税理士への道に進んだのかと思いきや、「税理士になりなさい」と言われたことは、子どもの頃から一度もないという。

「高校ではオーケストラ、大学ではブラスバンドに打ち込みました。応援部だったので、よく野球大会の応援に行っていましたね。もちろん当時は簿記のボの字も知らなかったし、資格取得を考えたこともありませんでした。就職に際しては、以前から海外に行きたいという思いがあったので、海外事業をしている会社を希望して、採用されました。配属は海外事業部の営業職。上司にはとてもかわいがっていただいたのですが、自分がここで経験を積んで、何十年後かにそのポストについて活躍しているイメージがまったく湧かなかったんですよね。結局、自分に会社勤めは向かないと思い、半年で退職しました」

 海外に行きたい、人の役に立ちたい……。そんな2つの思いが強かった25歳の脇坂氏が次のステップとして選んだのは、青年海外協力隊の活動だった。

コートジボワールで迎えた人生の転機

 派遣先は西アフリカのコートジボワール。コートジボワールへの日本からの派遣は初めてで、脇坂氏ともう1人が協力隊第1号となった。

 青年海外協力隊は職種別採用。技術系の職種は多いが、経済学部だった脇坂氏はできることが少ない。何かないかと探した結果、コートジボワール交通安全局で交通事故調査をする仕事を見つけ応募した。

「アフリカには車なんて走っていないと思われがちですが、そんなことはなくて。舗装されていないガタガタ道を日本の中古車が山ほど走っているんです。悪路だし、照明もないし、ものすごいスピードで走るから交通事故が非常に多い。その交通事故を減らすため、統計を取る仕事に2年間携わりました。
 当時はバブル経済の絶頂期で日本の景気が一番よかったときです。そんな情勢に影響を受け、『日本人ならアフリカに行くだけで役に立つんじゃないか』という大きな勘違いをしていました。ろくに現地の言葉も喋れないまま派遣された25歳の若者が、役に立てるのかというと、やはり難しいですよね。人の役に立つには、それ相応の『力』が必要なんだと痛感しました」

 そんな挫折感を抱きながらコートジボワールで働いた脇坂氏。ただ派遣期間の2年間に「これだけは」と決意していたことがある。それは「とにかく帰るまでに、一生の仕事を決めること」だった。

 コートジボワールに行って1年ほど経ったときだった。交通事故の資料作成のため、コートジボワール人の同僚とともに1週間で全土を回っていた脇坂氏。データを集めて手集計をしていると、「交通事故」という1つの事象を切り口にして、コートジボワールという国が自分なりに見えてきたのである。

「コートジボワールは部族社会で、地域ごとに北はイスラム教、南はキリスト教と、宗教も違う。貧富の差が激しくて、住んでいるエリアによって階層が分かれ、移民も非常に多い国です。交通事故という1つの事象でも、地域ごとに分析していくと、本を読んだり、ただ街を歩いたりするだけではわからないようなことがわかってきました。『これはおもしろいぞ!』と思ったんです」

 データを収集し、一定のルールに従って集計し、そこから意味のある結果を導き出す。あるときふと「もしかして、これは簿記に近いのかも」と思いついた。それまで簿記のボの字も、貸方・借方も知らなかった脇坂氏が、初めて簿記を意識したのはこのときだった。データを集計して、人の役に立ちたい。簿記を使って人の役に立てる仕事は何だろうか――。あれこれ考えていく中で「そうだ、税理士だ!」とひらめいた。

 「人生に転機があるとしたら、まさにその瞬間でした」と、脇坂氏は話す。ただし当時は簿記について何か知識があったわけではない。それに、簿記が自分に向いていそうだと思って勉強しようと思っても、コートジボワールに日本語の簿記の本などない。脇坂氏は「簿記って何だ、簿記って何だ…」と呪文のように唱え続けながら、27歳で青年海外協力隊の派遣期間を終えた。

「帰国が決まり、ニューヨークに住んでいる姉のところに2週間ほど滞在してから帰ることになりました。そのときたまたま姉が住んでいる近くの日本人向けの書店で、沼田嘉穂先生の『簿記入門』という本を見つけたんです。もし簿記がつまらなかったら、また別の道を考えないといけない…。恐る恐る本を開きましたが、『これはおもしろい!自分の一生の仕事にできる!』と確信できたんです」

 脇坂氏は帰国後すぐに日商簿記検定3級・2級を取得したが、それを知った父からは、「なんで簿記の勉強なんてしているんだ」と反対された。個人事務所開業時の苦労があったのか、子どもには安定した生活を送ってほしいという思いがあったようだ。脇坂氏は父の説得にかかったが、自分にも迷いがあった。

「当時の私は28歳。同級生の結婚式に呼ばれる機会も多くありました。もし28歳から税理士試験の勉強をスタートして、3~4年かかれば30歳を過ぎても税理士試験受験生という状態になってしまう。『やはりそれはしんどいかな』と思って、一般企業に就職したんです。でも勤めてはみたものの、やっぱり会社勤めは向いていなくてたった2ヵ月で退職。このときに『もう税理士になるしか道はない』と覚悟を決めました。それで、父に頼み込んで事務所に入所し、会計業界に入りました」

 父の事務所に勤めながら、夜は税理士試験の勉強。父と「3年で合格する」と約束を交わして試験に臨んだ。結局3年での取得はかなわなかったが、4年目で無事5科目に合格。税理士登録を果たした。脇坂氏が32歳のときのことだった。

NPOの会計税務との出会い

 晴れて税理士となった脇坂氏は、会計事務所の運営に力を注いだ。地元が大好きで、目黒の顧問先を思う気持ちがとても強かったので、「もっと目黒のお客様を増やしたい」と、様々な活動に参加した。目黒区の簿記講座の講師をしたり、異業種交流会に参加したりして人脈を広げていくと、顧問先はそれなりに増えていった。

 しかし、こうして地元密着が事務所の1つの方向性となっていく一方、脇坂氏は葛藤を感じ始めていた。

「28歳で勉強を始めて32歳で税理士。普通は父親が税理士なら、大学時代から勉強を始めて社会人になったと同時にどこかで修行をして、そのあと独り立ちするなり事務所を承継します。私の場合、そういう王道ルートに比べるとかなり寄り道しているんです。それだけ寄り道して32歳で税理士になったのに、やっていることは他の税理士の方々と何も変わりません。25歳から青年海外協力隊に行って大変な思いをしたのに、『じゃあ、あの2年間はなんだったんだろう』と思い始めたんです」

 どのような方向性の税理士をめざすのか。決め切れず悩む中、苦境を打ち破ったのがNPOとの出会いだった。

 脇坂氏が税理士資格を取得した1998年、ちょうどその年に特定非営利法人活動促進法(NPO法)が施行された。税理士としてめざす方向性に葛藤を抱く中で、NPO法の説明会が三軒茶屋であると聞いて、国際協力などの支援事業に関心があった脇坂氏は参加してみた。その後すぐにアクションを起こすことはなかったが、それから3~4年後に脇坂氏を動かす出会いがあった。インターネット上でNPOを支援する税理士ネットワーク(NPO会計税務専門家ネットワーク)だ。縁を感じた脇坂氏は、早速コンタクトを取ってみた。すると、なんと事務局長は青年海外協力隊OBで、ソロモン諸島に派遣されたことがある税理士だったのだ。

「青年海外協力隊でNPOをやっている税理士と聞いて、『お!』となりました。彼は税理士を取得したあとに青年海外協力隊に行き、その後アメリカの会計事務所に在籍した経験があったんです。自分と似た境遇の人を見つけて、そんな人がいるなら自分も参加してみたいなと。そこからNPOの会計と税務に関わるようになりました」

「青年海外協力隊」と「税理士資格」両方活かせる道を見つける

 NPO会計税務専門家ネットワークは、NPO法ができて5年後に発足した団体。NPO法人会計基準協議会の代表団体の1つとして、多くの専門委員や事務局活動によってNPOの会計基準策定に協力している。そもそもNPO自体がこれまでなかった非営利法人なので、会計の形式や内容がバラバラで活動実態が掴みにくく、税務の解釈も税務署によって異なることもあった。認定のための基準もわかりにくいので、認定NPOも増えないといった課題が山積していた。そこで、よくわからないなりに皆でネットワークを組み、情報交換してやっていこうという趣旨に賛同した専門家が集まったのだ。

「私は、そうした『皆で一緒に協力してやっていこう』といった活動が大好きなんです(笑)。力を合わせながら、NPOという未知の領域を切り開いていくのはおもしろかったですね。
 こうしてNPO会計税務専門家ネットワークの活動で、『青年海外協力隊の経験』と『税理士の資格』をリンクさせることができました。過去の経験は無駄じゃなかった。これまで苦労してきた自分の人生が報われたように思いましたね。そう思ったら何か力が湧いてきて、どんどん活動にのめり込むようになりました」

 こうして自分の道、進むべき未来が見えてきた脇坂氏。地元の顧問先が支えてくれた事務所がNPOに関わるようになって、新規顧客の8割以上をNPOが占めるようになった。現在、事務所は脇坂氏の他に、税理士資格者のスタッフ2名、女性スタッフ1名の4名で運営されている。

「それでも今までのお客様に、『もうNPO専門なので契約しません』とは絶対言いません。お客様の中には、私が子どものときからの顧問先もいます。今までのご縁に感謝して、引き続きおつき合いしています。ある意味、私を育ててくれたお客様ですから。自分がお世話になった方に恩返しをしながらずっと続けていける。これも税理士の大きな魅力だと思いますね」

 NPO専門の税理士という道を進みながらも、これまでお世話になってきたお客様も大切にしていく。自分なりの税理士像ができて、事務所の方向性も明確になった。

寄付系NPOの税務会計でスペシャリストに

 NPOには多様な法人がある。最も多いのが介護福祉、障害者福祉、児童福祉といった福祉系のNPOだ。他にも教育系NPOなど様々ある中で、脇坂氏が関わっているのは特に寄付系NPOが多いという。

「寄付系は基本的に法人税の申告がありません。消費税もほとんどないので、顧問税理士がいないケースが多いんです。でも規模が大きかったり、申告する必要があったりすると、やはり税務の問題が出てきます。そのときに誰かに相談したいという要望を受けて関与するというケースが、最近とても増えています」

 脇坂氏が寄付系NPOに関わるようになったのには、理由がある。

「基本申告業務のいらない寄付系NPOは、そもそも税理士の顧問先にはなりません。私が携わり始めた理由は、ずばり『寄付に関する会計税務を専門にやっている人が誰もいなかった』からです。もともと寄付金控除などの優遇措置を受けるには、認定NPOにならなければいけません。認定NPOは数が少ない上に、当時は、租税特別措置法に位置付けられていたため、税理士でなければ指導ができませんでした(2011年度改正でNPO法に移行)。でも指導したところで儲からないので、やっている税理士は誰もいなかったのです。『誰もやらないなら自分がやろう』と、そこから寄付系NPOの税務会計が私の専門になりました。最近では一般社団法人や公益法人も見ています。
 アメリカは寄付文化がすごいじゃないですか。日本はというと、寄付文化がほとんどないと言っていいほど。アメリカの税制優遇の団体数に比べて日本は千分の1程度しかありません。税制優遇措置を受けられる団体をもっと増やさないと、日本の寄付文化は活性化しない。だからこれからそういう法人を増やしていくことがミッションだと思っています。私たちのビジョンとしては、NPOの会計税務とその周辺の情報や知識や経験値を上げて、それを蓄積し、体系立てて発信していくこと。『NPOの会計税務のインテリジェンスバンク』をめざしています」

 NPOの会計税務の一方で、脇坂会計事務所の2代目として父の代からの顧問先を大切に。さらに地元目黒の顧問先を増やしつつ、青年海外協力隊のつながりも大切にした事務所をめざしていく。こうして方向性が確固となっていった。

中小企業診断士受験で学んだ「人の上に立つ」こと

 税理士となって3年後に、脇坂氏は中小企業診断士試験に合格している。当時、時間的余裕があったので、税理士の仕事に近く、おもしろそうなイメージがあった中小企業診断士(以下、診断士)の講座に通うことにしたのだ。そこは講師が一方的に教えるのではなく、30人いるクラスで生徒同士が教え合うというユニークな方法を取り入れていた。生徒には有名企業の課長クラスもいる中で、35歳の脇坂氏は年齢的には真ん中。実際に講義が始まると、財務会計の科目を苦手とする人が多いことを知った。

「もちろん私は財務会計が一番得意。それが自信になった私は、クラスのリーダーを決めるときに立候補しました。それが多くの人の上に立つ、生まれて初めての経験でした。それからは財務会計を教えながらクラスを盛り上げて、結果的に私も含め、生徒30人のうち10人以上が診断士1次試験に合格しました。先生も『こんなに合格者が出たのは初めてだ』と驚いていましたね。
 診断士試験に合格できたことはもちろんうれしかったのですが、それ以上に人の上に立つ成功体験をしたことは大きな財産になりました。ここで学んだのは、やはり人を率いるには力が必要で、私は『財務会計が強い』という力があったからこそ、それを成しえることができたということでした。自分が持っている力を周囲の人に提供して利用してもらい、みんなで結果を出したい。それは、青年海外協力隊での活動に通じるものがあるなと思いました」

 診断士試験の勉強で得た経験は、青年海外協力隊の経験とともに、今も脇坂氏の原動力となっている。

継続に必要なのは「辻褄を合わせること」

 NPOの会計税務に関わるようになってからの脇坂氏は、NPO法人会計基準策定委員会副委員長(2009年3月~2010年7月)、認定NPO法人NPO会計税務専門家ネットワーク理事長、一般社団法人全国レガシーギフト協会理事、公益社団法人さわやか福祉財団監事、東日本大震災支援全国ネットワーク監事と役職を歴任している。
「NPO会計税務専門家ネットワークのメンバーを中心に、NPO法人会計基準に制度設計から関わっています。NPO自体、昔からある業界ではないのでしくみや制度がガチガチに固まっていません。大変だし、お金にはなりませんが、自分たちの意見も通りやすいのでおもしろいです。私はNPOの現場の声を集めて会計基準の下書きを作る立場なので、現場の声を吸い上げ、できる限り基準に反映できるように提言活動を行っています。こうした活動を通じて、少しでも非営利活動が活発になることを願っています。
 会計事務所として顧問先と関わるのも魅力の1つですが、こうした制度設計から関われるダイナミックな仕事はとてもおもしろいし魅力的です。税理士をめざしている方でNPOの会計税務に興味と関心がある方がいらっしゃれば、一緒にやっていただけたらうれしいですね」

 以前、本連載の『日本の司法書士』(2022年12月号)に登場いただいた司法書士・三浦美樹氏は、「世の中の役に立ちたい一心」で遺贈寄付に関わることになった。自分のクライアント獲得のためではなく、遺贈寄付という文化を日本でもっと広げていこうという思いで活動している。

「私も三浦先生と同じです。ボランティア活動をたくさんやっているけれども、そこからの直接的な見返りはありません。それでも私なりにメリットを感じていて、辻褄は合っているんです。NPOの活動をやっているからこそ最新情報も手に入るし、それをお客様に還元することもできる。お客様も私がそうした活動をしているのを知っているから、私に依頼してくれる。一つひとつで辻褄を合わせようと思うと、こうした非営利の活動は心が折れてしまうかもしれません。でも、トータルで見れば、結果としてこの活動のおかげで良いお客様に巡り会えてストレスなく仕事ができている。これが『辻褄が合う』ということだと思います。自分の中で納得できるかどうかが大事ですね」

 NPOに興味を持って始めても、続かずやめてしまう人の姿もたくさん見てきたという脇坂氏。

「一つひとつの活動はボランティアでいいけれど、食べていかなくてはいけませんので、事務所全体として整合性がつくことが大切です。職員や家族を犠牲にして活動しても続きません。私は職員に支えてもらい、家族に応援してもらいながら、この活動を続けています」

55歳で始めたYouTube

 脇坂氏は2020年3月からYouTubeで『NPO会計道/税理士 脇坂誠也』というチャンネルを開設し、情報発信するようになった。

「チャンネル登録者数はまだ6,000名程度ですが、動画をきっかけに多くの相談をいただきますね。ただ、今より大幅にお客様を増やすとなると、人を雇わなければ手が回りません。お客様が急に増えて職員に負担をかけたり、私の首が回らなくなったりするのは嫌なので、そこはバランスを考えながらやっています」

 55歳からYouTubeを始めたのには理由がある。20年近くNPOの活動をしてきたこと、そして税理士としての職業人生が半分まできたという思いがあったからだ。

「サラリーマンであればそろそろ定年退職の話が出てくる年齢です。体力が落ちていけば今まで通りの仕事量はこなせなくなるかもしれないし、突然死んでしまうこともあるかもしれない。そんなことを考えていたら、今までの活動を何か形に残しておきたいと思うようになったんです。YouTubeの利点は、依頼や問い合わせの段階で、相手の方がすでに私のことを知っていたり、ファンだったりすること。YouTube経由の場合、私に依頼したいと、決め打ちで連絡をいただくケースがほとんどです。これは商売上、圧倒的に有利なんですよね。
 集客方法に関しては、他にも紹介サイトに載せてもらうという方法もあります。ただ、そこに集まってくる人たちは、いろいろなWebサイトを見て比較しながら税理士を探している人が多いです。そうなると、だいたい料金が最後の決め手になってしまうんですよね。私も1回だけ試してみましたが、向かないなと思いました」

税理士の魅力は、死ぬまで現役続行できること

 税理士の魅力の1つは、基本的に上下関係がなく、税理士同士が対等に話せることだと脇坂氏は言う。
 脇坂氏の父は85歳まで、現役で勤めてきた。その歳まで仕事ができるのも、魅力だという。

「32歳で税理士になって現在24年目、年齢の56歳にあと24年足すと80歳。父の歳まではあと30年ぐらいあるんですよね。まだ税理士の本質に全然達せていないし、勉強しなければいけないことが山のようにあります。私は特定の分野を深掘りしてきたのですが、少し限界を感じています。税理士としての王道の部分はあまりやってこなかった自覚があるので、逆にそこをもっと勉強してみたいんです。それで今、早稲田大学の租税の訴訟補佐人講座に通っています。特定の分野を深掘りすることは、他の人が知らないような知識も得られていいのですが、一方で専門外の領域になると基本的な知識が不十分になってしまうこともあります。今後はそうした部分を勉強したいです。やることはまだ山ほどありますね。
 もう1つやりたいことは、海外調査です。公益財団法人公益法人協会が海外の小規模NPOなどの会計について調査研究するのに同行して、3年前にイギリス、2022年はアメリカに行ってきました。海外のことになるとやっぱり疼くんですよね(笑)。青年海外協力隊の当時から変わらず、海外の知らないことを知ってみたいという思いが根っこにあるのだと思います。実現できるかはわかりませんが、青年海外協力隊で行ったコートジボワールはフランス語圏だったので、フランス語でもう1回仕事ができないかと思っています。2年間ではありましたが、フランス語を喋ったり、文章を読んだりしていたので、下地はあります。フランスの非営利法人の会計税務がどうなっているのかを追求したいという夢があるんです」

 日本では税理士がNPOに関与するのは特殊なケースというイメージが強いが、アメリカを含めて海外では普通のことだという。そうしたまったく違う世界の会計や税務、法制度に触れて、それを日本の制度に取り入れたいというのが脇坂氏の願いだ。

「といっても、私は英語がまったくできません。顧問先に税務顧問としてしっかり支援をしていきたいし、税務会計の制度設計や海外制度を調査して日本の制度に落とし込むこともしたい。そうしたことができたらとてもおもしろいと思いませんか。受験生の中に英語が堪能で、海外NPOの会計制度に興味ある方がいれば、ぜひ一緒にやってほしいです。それを受験生に伝えたいですね」

 脇坂氏は事務所の方針に、「大切なことを、目先の損得を考えずに、精一杯取り組んでいくこと、そこに当事務所の存在することの意義がある」と書いている。そこには葛藤の末に辿り着いた人生哲学がある。

 脇坂氏の精神とその活動に、興味を持って賛同する読者がいることを期待したい。


[『TACNEWS』日本の会計人|2023年4月号]

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