特集 「一般OL」から司法書士へ
〜資格がもたらしてくれた新しい人生〜

音島 恭子氏
Profile

音島 恭子氏

音島司法書士事務所 代表
司法書士

音島 恭子(おとしま きょうこ)氏
1973年、大阪府生まれ。神戸山手短期大学・芸術科卒業後、不動産会社の事務職、保険代理店の事務・営業職を経て、2004年、31歳より司法書士の資格取得をめざすとともに、権藤健一法律事務所(現、権藤・黒田・岸野法律事務所)に勤務。2008年、4度目の司法書士試験に合格。同年、司法書士法人に就職し、東京勤務となる。2011年に結婚・出産。2014年、司法書士法人を退職。2016年、音島司法書士事務所を開業し現在に至る。

 短大を卒業し、一般事務職として働いた後、31歳で司法書士をめざした音島恭子さん。思い立ったら行動は早く、弁護士事務所の事務職に転職を決め、勤めながら勉強に励んで司法書士試験に合格。資格取得後は大手司法書士法人に就職を果たし、その後大阪から東京へと勤務地も移しました。結婚・出産、6年間の法人勤務を経たのちに独立開業。自身で道を切り開くとともに、人との出会いを大切にしてステップアップを実現してきた音島さんの実体験と今後の夢について、お話をお聞きしました。

テレビドラマをきっかけに法律家に憧れ31歳から司法書士の勉強をスタート

──まず、音島先生が司法書士をめざすようになったきっかけを教えてください。

音島 たまたま見た『ビギナー』(2003年10月~12月までフジテレビ系列で放送)というテレビドラマがきっかけでしたね。平凡な元OL、元暴走族、リストラされかけて第二の人生を歩もうとする元会社員、子育てを終えた主婦など、エリートではない人が弁護士になるために司法研修所でがんばっているというストーリーだったのですが、そのドラマを見て、自分もがんばれば法律家になれるんじゃないか、と。
 私はそのとき31歳。さっそく司法試験講座がある受験指導校を訪ねたのですが、「4年制の大学を卒業し、さらに法科大学院を修了していないと司法試験を受験する資格がない。今から弁護士になるのは大変ですよ」と言われて。でも、「法律に関わる仕事は、他に司法書士という仕事もありますよ」と教えてもらったので、司法書士をめざすことにしました。

──テレビドラマに触発されて31歳から司法書士をめざされたということですが、それ以前はどのようなお仕事をされていたのですか

音島 高校生の頃はファッションに興味があったので、そういう仕事にかかわりたいと思って芸術科のある短期大学に進みました。少しでもセンスがよくなれば、という思いで進学したのですが、入学してすぐに、アートやファッションの世界は自分には向いていないと感じました。広く浅く、いろんな勉強をさせてもらえる学校でしたが、結局、この分野を仕事にするのは無理だなと見切りをつけ、卒業後は一般OLとして不動産会社に就職しました。
 不動産会社で5年間働いたのですが、その職場では、女性は結婚したら辞めるというのが暗黙のルールのようになっていて、将来に希望がもてませんでした。そこで、女性従業員が多くて保険の代理店業務をやっている部署がある建設会社のグループ会社に転職。最初は保険代理事務を、やがて営業事務もやるようになり、6年間ほど勤めました。このまま保険の仕事を続けようと思っていたのですが、会社の合併があり、会社そのものの存続が危ぶまれるようになりました。尊敬する先輩もどんどん辞めていき、今後どうしたらいいんだろう、と悩んでいたときにたまたま見たのが、弁護士の卵が主人公のドラマ『ビギナー』だったというわけです。登場人物がエリートだけではないところに惹かれ、心を動かされたのだと思います。受験指導校を訪ねて、実際に弁護士をめざすことは難しいとわかりましたが、司法書士になるという新たな目標をもつことができました。
 不動産会社に勤めていたときは、司法書士の方が会社に来ることもあったのですが、その頃は「なんか、えらい人が来はる」くらいの認識しかもっていませんでした。当時の私は登記簿も読めなかったですし、お茶を出して掃除をして、あとは朝、電話をして物件が売れたかどうか確認するというのが仕事でしたから。実際のところ、弁護士と司法書士の違いもよくわかっていなかったですね。

弁護士事務所で働きながら勉強35歳で司法書士試験に合格

──司法書士をめざすことを決めてからは、どのような方法で勉強をしたのですか。

音島 資格取得に向けて受験指導校に通うとともに、弁護士事務所に事務として就職しました。法律を学ぶのであれば、まず弁護士事務所で働くのが一番、と思ってのことでしたが、テレビを見て憧れた弁護士の世界が覗けるかもという期待感もありましたね(笑)。
 2003年の春に受講の申し込みをして、2004年の7月に行われる司法書士試験に向けて勉強を始めました。日中は弁護士事務所に勤めて、夕方6時半から始まる講義を受けるという毎日。週3回講義があり、講義のない日は自習室で過去問を解くなどして、4時間近く勉強をしました。仕事が休みの日も自習室で朝から終日勉強していましたね。
 最初の年は、法律知識ゼロから1年で合格をめざすコースを受講しました。でも、講義を聞いているときは理解できているつもりだったのですが、答練(本試験に向けての答案練習会・模試)では全然問題に歯が立たなくて……。受講当初はなんとなく、1年後くらいには、受験できる力がついているのかなと思っていたのですが、甘かったですね。
 2年目になっても、記述式の書式問題はまったくダメでした。択一式の問題は暗記さえすれば解けるのですが、記述式は自分で登記申請書の書式を組み立てていかなければならないので、答練でもまったく点数がとれなかったです。例えば、不動産登記の申請書を作るにしても、いろいろ順番があって、何から始めたらよいかわからない。試験では、わざと迷わせるように問われるので、どの登記から始めたらいいのかわかりにくくて、1つ間違えたら芋づる式に全部間違えてしまう。
 それを克服できたのは、書式をパズルのように解いていく方法を知ることができたからです。以前はどこから手をつけていいかわからなかった書式問題が、この方法を知ってからは、書式を組み立てることができるようになり、問題が解けるようになりました。自分に合った解き方を見つけることは大切なことだと思いましたね。
 この頃になると、答練の他は重要だと思われる講座だけを受けて、あとは自習室でひたすら過去問を解くようにしていましたね。大阪の校舎に通っていたのですが、時々全国的に有名なカリスマ講師の講座があり、その先生の講義を受けると、テンションが上がりがんばろうと思いました。でも、2年目の試験の結果も、芳しいものではありませんでした。

──勉強を続けるモチベーションは、どのように保ったのですか。あきらめそうになったりしなかったのでしょうか。

音島 やめようと思ったことはなかったですよ。親が授業料を払ってくれた大学とは違って、司法書士試験のための勉強は自分で働いたお金でやりくりしていたので「絶対、元とらなあかん!」って思ってましたから。大阪人ですから、お金にはシビアなんです(笑)。親は「普通にお勤めして、早く結婚して」と思っていたようですが、何も言わず静観してくれていました。
 2年目の試験に落ちたとき、当時勤めていた法律事務所の先生が勉強の仕方をアドバイスしてくれました。「民法、憲法、会社法など、条文を全部読んで、それを全部書き写しなさい。無駄やと思うかもしれへんけど、騙されたと思って、やってみ」って。言われた通りに2~3ヵ月間、ずっと条文を書き写していたら、条文の何条がどこにあるかが、ふわ~っと頭に入ってきたんです。「前項の」、「前条の」という言葉が出てきて疑問に思った箇所は、戻って調べたりしていたところ、なぜこの条文が作られているのかなどの流れもわかるようになり、ちゃんと理由があってこの順番なのね、と理解できるようになりました。

──司法書士の試験には4年目で合格されたそうですね。

音島 3年目の試験は、自分でも合格できたと思ったのですが、結果的には不合格でした。そうしたら勤めていた弁護士事務所の先生が「今は受かる時期だから仕事をやめて勉強に専念しなさい」と、またアドバイスしてくださって。そんなわけで2008年の3月には勤めていた弁護士事務所をやめて、試験前の3ヵ月間は毎日12時間くらい、集中して勉強に専念することができました。
 仕事をやめても安心して勉強できるように、失業保険などが速やかに受給できるように配慮してくださったりと、とてもよくしていただき、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。合格したときは、真っ先に電話して、泣きながら報告したことは、今でもよく覚えています。

──このときの体験をふまえ、これから司法書士の勉強をする方にアドバイスするとしたら、どんなことですか。

音島 私の体験から言えることは、まず条文を読んだほうがいい、ということ。それに、自分に合う解き方を見つける、ということですね。受験指導校で得た試験などに関する細かな情報もプラスになりました。

司法書士法人で6年間勤めた後、結婚・出産を経て独立開業へ

──試験合格後、司法書士としての仕事はどのようにスタートしましたか。

音島 筆記試験の合格後は口述試験があるのですが、その試験会場の近くで、司法書士事務所の就職説明会のチラシが配られていたんです。その説明会に参加して、社会保険などが完備されている比較的大手の司法書士法人にエントリーし、就職しました。
 私が司法書士試験に合格した2008年はリーマン・ショックが起きた年で、若くして合格しても就職できない人が多くいました。同期の中には司法過疎地域(身近に弁護士や司法書士がいないなど、法律サービスへのアクセスが容易でない地域)に行った人も。私も内定をもらえたのは1つだけでした。
 司法書士の仕事の醍醐味は、いずれ自分で開業してこそ、と周りから聞いていたのですが、私は35歳で試験に合格したので、早く経験を積まなければと感じていました。大手なら有資格者数もクライアント数も多いので、早くたくさんの経験が積めるのではないかと思い、この法人を選びました。大阪の法人だったのですが、東京事務所もあったので、行けるものなら行ってみたいとも思っていました。
 法人に入ってから3ヵ月間ほど大阪で研修を受けたあと、希望通りに東京事務所で働くことになりました。

──生まれてからずっと過ごしてきた大阪を離れて、東京で仕事をするのは大きな決断ではありませんでしたか。

音島 東京勤務の希望を出していましたが、そんなに簡単に行けるとは思っていなかったので、自分の希望が受け入れられたのはうれしかったですね。実際に東京に来て感じたことは、とにかく広いな、大きいなぁ、って。
 主にリート(REIT、不動産投資信託)の案件をやっていたのですが、クライアントは信託銀行や大手商社が中心。地方の案件でも決済は東京、ということが多く、ものごとを決定するのは東京が中心なんだ、と改めて実感しました。
 扱う額もすごく大きくて、案件の大きさに萎縮していると「そんなおどおどしてたらアカンやろう」って、よく怒られましたね。この法人で働いた6年間は、とても忙しくて厳しいものでしたが、いい経験をさせてもらったと思っています。最初に厳しいところを体験すると、あとが楽に感じられるというメリットもありますね(笑)。

──6年間勤められた司法書士法人をやめられたのは、どんな理由からだったのですか?

音島 司法書士として勤務して3年目に結婚、出産。妊娠中は出産ギリギリまで仕事をして、約1年間の育児休暇をとって、仕事に復帰しました。出産前は仕事でどんなに遅くなっても平気だったんですが、出産後は保育園のお迎えがあるので、5時半には退社しなければなりません。でも、リートの仕事は夕方に案件が来たりすることも多く、みんな8時、9時まで仕事をするのが普通なんです。しかも月末になるとすごく忙しくなる。
 復帰後も時短勤務の制度などは利用せず、フルタイムで仕事をしていたのですが、それでも、自分だけ早く帰るのが申し訳なくて……。それに子どもが熱を出したりすると、すぐにお迎えに行かなくてはなりません。そうなると仕事のアポイントがあっても、自分は行けなくなってしまう。そういうことが続いたことが理由ですね。
 誰かが戦力外になると、その分のシワ寄せが他の人に及びます。私が5時半で帰ることに文句を言う人は誰もいませんでしたが、同じ人数なら、もっとバリバリできる他の人が入ったほうがいいのではないかと思うようになりました。そこで、復帰後2年間働きましたが、会社をやめることにしました。
 私が勤めていた法人は、女性の司法書士資格者は私が初めてで、もちろん育児休業明けの勤務というのも初めてのケース。法人側も私の扱いに困惑しているという印象でした。サポート体制が確立していない中で勤め続けるより、独立して自分でやったほうがいいと決断したんです。
 今考えると、勤務当時は常にイライラしていましたね。子どもにとっても、お母さんがいつも焦ってイライラしているより、ニコニコしているほうがいいに決まっていますよね。

──勤務をやめて、ライフスタイルは大きく変わりましたか。

音島 勤務をやめたとき子どもは3歳。1年間くらいはのんびりしようと思いました。子どもとゆっくり一緒に居られるのがうれしかったですね。とはいいつつも、友達のところでアルバイト的な感じで仕事の手伝いをしました。勤務当時はリート中心のニッチな登記ばかり扱っていたので、独立開業にあたって他の業務も知っておきたかったのです。複数の友達のところでアルバイトをしながら、家の売買、ローンの借り換え、相続などにまつわる個人案件の登記を中心にお手伝いをしました。
 会社勤務のときは、朝は保育園が開くと同時に娘を預けて、夕方は閉園ギリギリの時間にお迎えという毎日でしたが、会社を辞めてからは、ゆっくりめの時間に保育園に預けて、早くお迎えに行くという感じ。友達のところでの仕事なので、時間にも自由度がありました。それにアルバイトとはいえ仕事は続けたので、保育園はそのまま継続することができました。
 また、仕事面では個人の方が家を買うときの決済に立ち会う場合が多く、みんな幸せそうで和気あいあいとした雰囲気。自分まで幸せな気分になれることが多かったのがよかったです。

独立開業後1年間は仕事獲得に苦戦するも士業の交流会などで得た人脈で好転

──独立開業はスムーズでしたか。

音島 アルバイトで友達のところを1年ほど手伝ったあと、いよいよ独立開業に向けて始動しました。事務所は、運よく知り合いの会社の一画をお借りすることができ、敷金や礼金なしでスタートすることができました。それでも電話やパソコン、システムの購入、ホームページ製作など100万円くらいの資金は必要だったと思います。
 ただ、仕事を獲得するのは簡単ではありませんでした。最初は近所の不動産会社や金融機関を全部回ったのですがまったくダメで、近くの税理士事務所に手紙を出したりもしました。でも訪問営業も手紙も効果なしで、1年くらいはどうやったら仕事が取れるのか、わからなかったですね。
 その後、士業の交流会や異業種ビジネスの交流会など、さまざまな交流会に顔を出し、名刺交換をするようにしました。士業の交流会では、税理士、弁護士、行政書士の先生方など、案件をお持ちの方と出会うことができました。人間関係が広がるにつれて仕事を回していただける機会も増え、仕事のやり方まで勉強させてもらえるようになりました。現在は事務所を置いているビルの上に金融機関があるので、そこからもローンの借り換え案件などの仕事をいただいています。
 女性士業の交流会などにも参加しました。そこで仲良くなった方とは、営業の仕方を教えてもらったり、子育て中の仕事の悩みを相談し合ったりしています。

独立開業で仕事もプライベートも充実将来に向けてのビジョンも描ける

──独立してよかったと思うことは、どんなことでしょうか。

音島 なんといっても、自分の裁量で時間のやりくりができることですね。家族の団らんの時間もたっぷり取れますし、今は小学校のPTAの役員もやっています。
 PTAの役員は子どもが低学年のうちにやったほうが楽だという話を聞き、働いているママ友さん何人かと一緒に「今のうちにやっちゃおう」と相談してやることにしました。みんなでやれば、誰かが抜けてもフォローし合えるので心強いですよ。それでも月に2回は時間を取られます。勤務していたら、絶対無理でしたね。
 案件によっては、土日でも仕事をします。特に相続の案件などでは、ご家族全員が集まれる週末に立ち合いを希望されるケースが少なくありません。でも、出かけたとしても2~3時間で済むことですし、夫が子どもを見てくれるので、逆に出かけやすかったりします。夫が協力的なので助かっていますね。
 ママ士業のネットワークもあり、出産される方の仕事を、産前産後の期間まるまるお引き受けしたり、悩みを話し合ったりと、持ちつ持たれつのネットワークもできています。独立開業したからこそ、こうした関係も構築できたのだと思います。

──司法書士の仕事には、どのようなやりがいを感じていますか。今後の方向性などがありましたら教えてください。

音島 現在は、事業承継に詳しい司法書士の先生に勉強させていただいています。この先生は、司法書士は手続きだけでなく、もっと人の話を聞いてあげることが必要、という考えの持ち主なんです。お客様が話しやすい雰囲気を作って、その方が本当に困っていることは何かということを、会話の中から聞き出すことが大切だというのです。
 その先生がなさっていることは、中小企業や零細企業のM&Aなどについて、当該企業からヒアリングをして、どのアプローチがみんなにとって最適かを考えるというもの。その手段として登記が活用できればいいという考え方です。
 私がテレビを見て憧れを抱いた弁護士という仕事は、クライアントの相談に乗って解決策を見出したりするからカッコいい。一方、司法書士の仕事は「案件ありき」で、決まったことを下請けのように右から左へとこなすだけしかできないのかな、と一抹の寂しさを感じていました。でもこの先生に出会ったことで「そうじゃない」と気付かされるとともに、希望がもてるようになりました。
 これからは、与えられた業務をこなすだけでなく、ヒアリングの力を身につけて、コンサルタント的なこともできるようになりたいと思っています。弁護士の先生に依頼すれば着手金などが高いのですが、司法書士の場合はそんなに高くなく、相談しやすいのではないかと思います。

──ご自身の司法書士事務所を、今後どのようにしていきたいと考えていますか。

音島 大きな案件を機械的に片付けるような仕事は、あまりしたくないと思っています。私が今住んでいるのは浅草で、昔ながらの商家や中小企業なども多い場所です。こういう場所で、アットホームな感じで、近所のおじいちゃん、おばあちゃん、お子さんにも気軽に立ち寄ってもらい、いろいろ相談を持ちかけられるような司法書士事務所にできたらいいなと思っています。敷居を低くして、人と人のつながりを大事にして、スタッフも私と、あと1~2人くらいでやっていけたら理想的ですね。

──司法書士の仕事は、自分に適していたと思いますか。

音島 子どもの頃から勉強は嫌いではなかったですが、そんなに賢いほうではなかったですね(笑)。きっと、あのテレビドラマを見ていなかったら、司法書士になることもなかったと思います。
 それでも友達と旅行などに出かけると、ガイドブックを参考に計画をきっちり立てるので、みんなに「あんた、やっぱり真面目やわ」とよく言われます。自覚はしていなかったけど、けっこう細かい性格で、いろいろ調べるのが好きで、こうだと思ったら決断力もあるので、司法書士の仕事は自分に合っていたと思います。人との出会いにも助けられて、今があると思います。

──これからスキルアップをめざす人や、今の暮らしを変えたいと思っている人に、メッセージをお願いします。

音島 資格を取ると、まず社会的信用度が上がることがいいですよね。特に女性の場合は、出産を機に働く状況が変わる場合が多く、キャリアプランも立てにくいと思います。資格があれば独立開業して、自分の采配で仕事をすることもできますし、新しく勤める場合も採用されやすくなります。資格は人生の選択肢を広げ、やりがいももたらしてくれると思います。

──最後に、資格を取るのに年齢制限はあると思いますか。

音島 私は31歳のときに思いたち、それから勉強を始めました。当時は司法書士の資格を取るにはギリギリかなと思っていましたが、今考えたら、全然ギリギリじゃなかったですね。女性なら子育てが落ち着いたあたりから始めるのもいいと思います。士業はクライアントに安心感を与えることも大切ですから、歳を重ねていることはマイナスにはならず、むしろプラスに働きます。60歳になっても脳細胞は減らないとも言われていますし、その気になれば、いつからでも勉強はできると思いますよ。ぜひチャレンジしてみてくださいね。


[TACNEWS 2018年11月号|特集]