LET'S GO TO THE NEXT STAGE 資格で開いた「未来」への扉 #37

  
Profile

樋田 早紀(といだ さき)氏

1991年12月16日、岐阜県生まれ。小学校時代から「弱い立場にある人の支えになりたい」という思いを持ち、盲導犬の訓練士、弁護士、臨床心理士など様々な仕事に興味を持つ。高校時代には思春期特有の悩みや自身のセクシュアリティに関する悩みなどにより、学校へ行けず成績が低迷することもあったが、自身の持つ不安を、物事を成し遂げる動機に変えて、大学卒業後は司法書士試験、司法試験をすべて一発でクリア。2021年8月には独立し、仲間と3人で法律事務所を新設。現在も性的マイノリティのための活動を中心に活躍している。

【樋田氏の経歴】

2014年 22歳 神奈川大学人間科学部人間科学科(心理発達コース)卒業。卒業後は1年間バンド活動をしながら、アルバイト生活を続ける。
2015年 23歳 バンド活動を休止して司法書士資格取得の勉強に専念する。
2016年 24歳 司法書士試験に合格。
2017年 25歳 簡裁訴訟代理等能力認定考査に合格後、司法試験予備試験の勉強をスタート。
2018年 26歳 司法試験予備試験合格。
2019年 27歳 司法試験に合格。約1年間の司法修習を経て翌年に弁護士登録し都内法律事務所で弁護士として経験を積む。
2021年 29歳 司法修習生時代の同期の2人とともに独立開業し、新橋に「イマージェント法律事務所」を設立する。

弱い立場にある人の支えになりたい。
性的マイノリティという立場から
不安を動機に変えて
高いハードルを乗り越える。

 人にはそれぞれ生まれ持った「個性」がある。そして、個性は時代とともに認識が変わり、特異な才能や技能として評価されることもあれば、その個性を持つ者の人権を無視して差別や偏見の対象とされることもある。 社会的に弱い立場にある人の支えになりたいと願い、法律家をめざしたひとりの弁護士が、今この問題と戦っている。司法試験という難関試験を突破して、法を味方に未来を切り拓く樋田早紀氏の姿に注目してほしい。

「弱い立場にある人の支えになりたい」
自我の根底に渦巻いていた幼少期の思い

 樋田氏は、岐阜県で生まれた。物心がついた頃に自分が同性を好きになる傾向にあることに気がついてからは、そのことを周囲にカミングアウトすることで友人や家族からの誤解や偏見にさらされるのではないかという不安を抱えながら過ごす日々だった。そんな思いを抱えていたこともあってか、「社会の中で弱い立場にいる人たちの支えになる仕事がしたい」と、小学生の頃から、樋田氏は自分の将来像について、漠然とそう考えるようになっていた。
 最初に興味を持ったのは、盲導犬の訓練士になることだった。きっかけは盲導犬が活躍する『ハッピー!』という漫画。まだ子犬のハッピーが、厳しい訓練を乗り越えて盲導犬になり、事故で目が見えなくなった女性の人生を変えていく物語だ。目が見えないことですべてを失ったかのように塞ぎ込んでいた主人公が、ハッピーに出会ったことで人生の希望を見出していく。その様子に心を打たれた。
 そして高校生のとき、映画『それでもボクはやってない』を見て、「冤罪」というものを知る。映画は実際のできごとをベースに描かれた、電車内痴漢の冤罪をテーマにした内容。無罪を主張する主人公が、それを聞き入れてもらえずに裁判まで発展して実刑判決を受けてしまうというストーリーだった。「そんなとんでもないことが起こりうるという事実に、大変驚きました。そして、それを救うのが弁護士という存在であると知ったのです」と樋田氏は言う。これをきっかけに、司法書士として法律に携わっていた母にも話を聞き、将来は弁護士として働くのもいいなと思うようになった。

性的マイノリティとして苦悩する自分から
弱者を助ける自分への転換

 しかし、高校2年の頃には、性的な悩みや様々な思春期の精神的な負担に耐えられず体調を崩すことも増え、学校へ行けなくなってしまった。それまで比較的良かった成績もガタ落ちになり、そんな自分自身の境遇が、社会的弱者へのまなざしをさらに育てた。人は前触れもなく落ち込んでしまうことや、何もできなくなってしまうことがある。そんなときに、手助けを必要としている人を支えられたら…。はっきり意識していたわけではないが、自我の根底で、社会的弱者に対する幼少から続く思いが渦巻いていた。
 成績は落ち込んだものの、通っていた高校は進学校で周囲の影響や親の勧めもあり、大学に進学し心理発達コースで学ぶことになった。「精神的な側面から人の役に立てるということで、漠然と臨床心理士になれるといいなと思っていました。そのときには勉強というものの大変さを知ったぶん、弁護士のような難しい職業なんて自分には無理だろうと選択肢から外れてしまっていました」と樋田氏は当時を振り返る。
 しかし、実際に大学に入るとなかなか心理の勉強には身が入らず、将来の道を見失いかけていた。学業の他には、アーティストの椎名林檎が好きだったため入学と同時に軽音楽部に入部したが、それも籍を置くだけの幽霊部員。アルバイトをいくつか掛け持ちでこなして動き回っているうちにあっという間に時間は経ち、大学3年の頃には大学そのものから足が遠のいてしまった。
 一方で、アルバイト先では音楽好きの仲間と知り合い、とあるロックバンドに加入しギターとボーカルを担当するようになった。プロ志向のバンドだったため練習は厳しく、ほぼ初心者だった樋田氏は必死に練習を重ねた。大学4年になっても特に就職活動はせず、バンド活動に没頭し自分の居場所を作っていた樋田氏。「落ち込んではいられない、前向きに行こう」というメッセージを歌いながら、それは自分自身にも向けた言葉でもあった。

「自分の力で生きていかなければ」
不安を動機に変えていくことで乗り越えた壁

 そのまま大学を卒業し、就職することもなく1年が経ったある日、それまで続けていたバンドを抜けることになった。定職につかずにアルバイトをいくつも掛け持ちしていた自分が唯一大切にしていた自分の居場所。それがなくなったことで生まれた喪失感で、将来への不安が次から次へと押し寄せてきた。自分はレズビアンだから結婚もできないかもしれない。だから将来は自分の力だけで生きていかなければいけない。それなのに自分には稼いでいけるようなスキルや能力がない。
 一方でこの「不安」は、物事を始める「動機」になった。子どもの頃から胸に抱えていた「弱い立場にいる人たちの支えになる仕事がしたい」という思い。弁護士になるのは難しいかもしれないが、母親と同じ司法書士になることはできないだろうか。そう考えて、大学を卒業して1年後、司法書士の勉強を始めることにした。受験指導校の講座に申し込み、最後の数ヵ月は受験勉強以外の一切をやめて朝から晩まで勉強に励んだ。司法書士をしている母も、この姿勢に共感してくれて経済的な援助を惜しまなかった。そして2016年に初めて受けた司法書士試験で合格。それも総合1位という好成績だった。「不安」という「動機」が、奇跡的なパワーを生むモチベーションとなったのだろう。
 その成績に受験指導校の講師も大きな可能性を感じて、樋田氏に司法試験へ挑戦することを勧めた。その言葉が最難関と言われる国家試験に挑戦する勇気をくれた。翌年に簡裁訴訟代理等能力認定考査をクリアして司法書士としての立場を確立したあとで、樋田氏は司法試験の受験資格を取得するために予備試験の準備を始めた。
 しかし、すでに司法書士としての立場を確立していることが将来への「不安」を少なからず和らげていた。司法書士受験のときよりも「動機」の弱さを感じる中で、樋田氏の背中を押したのは、子どもの頃からの「弱い立場にある人の支えになりたい」という思いだった。「弁護士になれば社会的に弱い立場にある人の支えになれる。それこそが私がやりたかったことじゃないか」そんな思いに押されて、樋田氏はモチベーションを維持した。勉強を始めた翌年、司法試験予備試験でも短答式試験1位を取り一発で合格。翌年には司法試験にも短答式試験4位、総合60位という好成績で合格した。
「受験勉強期間中は、誰しも無気力になってしまう瞬間があると思うのですが、私の場合は精神面に波があり、それがいつやってくるのかわからなかった。だから、いつそんな日が来ても大丈夫なように、日々先取りしてがんばっておく、ということを意識していました。苦手な分野もありましたが、必ず突破口があると信じて切り抜けました。講師の励ましの言葉にも勇気づけられましたね」と樋田氏は振り返る。
 この予備試験の勉強中に「結婚の自由をすべての人に」訴訟の存在を知った。日本において同性婚を実現するための活動で、「自分も早く弁護士として、この活動に加わりたい」という思いも大きな励みになった。そして合格から約1年間、司法修習を経て、2020年12月に弁護士登録。都内の法律事務所で弁護士としての勤務を始めた。

差別や偏見のない世界へ 人々を導くエージェントになる

 法律事務所での勤務は多忙を極めた。学校法務や企業法務、一般民事などを中心に、幅広く実務を経験し力をつけることはできたが、「自分が弁護士になってやりたかったこと」に手を付ける余裕はなくなっていた。次第に独立開業という道を考えるようになった樋田氏は、2021年8月までの事務所勤務を経て、司法修習生時代の同期である馬淵雄紀氏、今関修一氏とともに3人での独立を決意した。馬淵氏はスポーツエージェント会社を経営していて、スポーツ関連の契約、特にプロスポーツにおける各種契約や紛争対応に精通しているため「スポーツ法務」を。今関氏はクリエイター向けの法務に注力しているため、エンタテインメント関連の契約や著作権関係法務に強い「エンタメ法務」を。そして、樋田氏は、LGBTQ+(※)に関する法的な相談を受ける「性的マイノリティの支援活動」を。得意分野の異なる3人が「社会をよりよくする」という共通の志のもと集まり、2021年8月に 新しい法律事務所を設立した。
 3本立てた柱は、いずれもまだ法的な関与が不十分な分野だ。だからこそ、「依頼者の気持ち、立場、希望を想像し、寄り添えるように」という思いを込めて、事務所は「Image(想像する)+Agent(代理人)」を組み合わせて、「イマージェント法律事務所」と名付けた。この思いの根底にあるのは、弱い立場にある人の支えになりたいという、幼い頃から抱いてきた樋田氏の夢でもある。
 また、樋田氏は個人としても、TwitterやYouTubeなどを活用し、性的マイノリティの当事者として、精力的に情報を発信している。
「自分が同性愛者であることをオープンにして活動をすることで、他の性的マイノリティの人たち、特に自分より若い世代の人たちにも、希望を持ってもらえるような存在になりたいです」
 笑顔でそう語る樋田氏から、最後に資格試験合格をめざす人たちに向けて、激励のメッセージをいただいた。 「何をめざすにしても、目標へ到達するためには相当の『覚悟』が必要になります。自分がなぜその資格を取得したいのか、その資格を取って何をしたいのかという『動機』が、つらいときの支えになるはずです。それを見失わず、自分を信じてがんばってください」
 「不安」を「動機」に変えて難関試験を突破し、さらなる夢の実現に向けて歩み続ける樋田氏。子どもの頃から抱いていた一本軸の通った「弱い立場にある人の支えになりたい」という夢は、資格を得たことでもっと広く、深く実現していくことだろう。

※LGBTQ+
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーのほかに、自身の性自認(自分の性を何と考えるか)や性的指向(どんな性を好きになるか)が定まっていない、もしくは意図的に定めていないセクシュアリティなども含めた表現

[『TACNEWS』 2021年11月号|連載|資格で開いた「未来への扉」]