特集 大企業で活躍する女性公認会計士

青山 朝子氏
Profile

青山 朝子(あおやま あさこ)氏

日本電気株式会社(NEC) グローバルファイナンス本部長 公認会計士

1993年、公認会計士2次試験(当時)合格。1994年3月、国際基督教大学(ICU)教養学部社会学科卒業、同年4月、有限責任監査法人トーマツ入所。2001年、オハイオ州立大学でMBA取得後、メリルリンチ日本証券・投資銀行部門にて国内外M&Aアドバイザリーに従事。2004年、日本コカ・コーラ入社。財務本部、経営戦略本部を担当後、M&A推進本部を立ち上げ。2011年、東京コカ・コーラボトリング入社、取締役兼CFOに就任。2013年、コカ・コーライーストジャパン常務執行役員 財務経理統括部長を歴任した後、2017年、コカ・コーラ ボトラーズジャパン執行役員トランスフォーメーションプロジェクトリーダーに就任。2018年、太陽ホールディングス監査役就任(2020年6月、同社社外取締役就任)。2019年、コカ・コーラ ボトラーズジャパンホールディングス理事事業開発統括部長就任。2020年1月、NECに入社しグローバルファイナンス本部長に就任、現在に至る。

 公認会計士の青山朝子氏は、公認会計士2次試験(当時)に合格後、監査法人、MBA取得、投資銀行、そして15年間の日本におけるコカ・コーラビジネスでの活躍を経たのち、2020年1月にNECに転職し、グローバルファイナンス本部長に就任した。NECに転職した背景にはどのような思いがあったのか。大企業で活躍する青山氏の「キャリアの選び方」を探ってみたい。

NECのグローバルファイナンスを統括

──NECのグローバルファイナンス本部長としてご活躍中の青山さんの、現在のお仕事について教えてください。

青山 2020年1月にNECグローバルビジネスユニットのCFOに就任しました。現在は、APAC、中国、欧州、北南米、オセアニア、中近東、アフリカの5大陸50以上の国・地域でビジネスを展開するNECのファイナンス部門を統括しています。
 ファイナンスといっても、単に数字のチェックや経理を統括するのではなく、トップマネジメントの右腕として「成長の種がどこにあるのか」「どういったところにリスクがあるのか」「今後、部門として継続的に利益ある成長をするためにはどうしたらいいのか」を見極めながら支えていく役職であり、ビジネスパートナーであるといえます。その一方で、グローバルファイナンス本部は海外子会社のコンプライアンスやガバナンスについても責任を持ちますから、コンプライアンスやガバナンス上のリスクがある子会社をいち早く特定し、リスク軽減のためのアクションを取っていきます。
 加えて、将来の海外事業を支えるファイナンス人材を発掘して育てていくことも私にとって大きなミッションですので、優秀な人材を発掘し、適切なアサインメントを通じて育てていくということを、国をまたいで行っています。

──世界の50以上の国・地域にあるNECの海外拠点では、どのような事業を展開しているのですか。

青山 ひと昔前であれば、シンプルに「携帯電話やパソコンを売っています」だったのですが、現在は5Gに代表される通信系ビジネスを展開していたり、セーファーシティソリューションといって安全・安心な街づくりのためのソリューションビジネスを展開したりしています。買収した日本国外の会社には、テレコムメーカー向けのソリューションを扱うアメリカの「NetCracker Technology」、デンマーク最大のIT企業である「KMD」、直近では2020年に約2,300億円で買収したスイスの大手金融ソフトウェア企業「Avaloq」などがあります。
 それら買収した子会社も含めてすべてNECのグローバルビジネスユニットのメンバーなので、私がファイナンス部門を統括していくことになります。

──グローバルファイナンス本部はM&Aにも関わっているのですね。

青山 社内にはM&Aの専門部署があるので、M&A自体はそこがリードしています。もちろん必要に応じて、海外M&Aについて意見を求められることはありますが、今は買収前より買収後に、深く関与しています。買収した会社の取締役として経営に参画するだけでなく、PMI(Post Merger Integration:M&Aの実行後、シナジーを実現して企業価値を高めるための統合プロセス全体)のフェーズの中で、買収先のファイナンス組織や事業管理のしくみをどうNECの中に組み込んでいくのか、ということを行っています。

──2020年1月にグローバルファイナンス本部長に就任されてから1年が経ちますが、新型コロナウィルス感染拡大の影響についてはいかがですか。

青山 大きな影響がありましたね。当初は、入社後3ヵ月間は国内にとどまり、社内ネットワークを構築しながら自分の部門について知るための期間にしようと考えていました。そして4月からは全世界のグループ会社を回るワールドツアーに出る予定で、子どもたちにも「ママはこれから海外を飛び回らなければならないから、あまり会えなくなっちゃうかもしれないね」と話していたのです。ところが4月に緊急事態宣言が発令されて、結局この1年、一度も日本の地どころか、東京の地を離れたことがありません。
 海外子会社のファイナンス部門には約1,000名のメンバーがいて、そこを統括している私の直属の部下である各グループ会社のCFOは18名います。コロナ禍でワールドツアーがままならない状況になったことで、「方針を変えるしかない」と思いを改め、この18名それぞれと毎月30分ずつWeb会議で直接話す機会を設け、疑問があればメールでやりとりすることにしました。1対1でじっくり対話する機会を持ったことで、各CFOからは「これほど日本の本社を近く感じたことはなかった」と言ってもらえ、連帯感がより強まったのを感じました。1,000名規模の組織を統括するには、やはりコミュニケーションがとても大事だと感じます。

大学在学中、会計士試験合格

──ワールドワイドに活躍される青山さんですが、大学在学中に公認会計士(以下、会計士)2次試験(当時)に合格されています。なぜ会計士をめざそうと思われたのですか。

青山 国際基督教大学(ICU)に在学当時、「大卒女子の仕事はコピー取りとお茶汲み」と言われていました。「資格を取ればコピーは取らなくて済むかもしれない」と思った私は、最難関国家資格について調べてみることにし、このときに、弁護士などと並んで公認会計士という資格があることを知ったのです。ちょうど大学で会計の授業を受けていて興味があったので、「会計士の資格を取れば、女性でも食べていけるはず」と考え、TACに通い始めました。
 勉強を始めてみると、会計はビジネスとリアルにつながっているとわかりましたね。一緒に勉強していた受験仲間が皆とても熱心に勉強していたので、私もどうしても短期で合格したくて、1年半で合格をめざすコースで夢中になって勉強しました。講義を受けるか、自習室で勉強するかで、仲間と一緒に毎日朝7時から夜9時まで、校舎が開いている時間いっぱい、1日中TACで過ごしていました。あんなに勉強したのは生まれて初めてでしたね。  最初は大学との両立を考えていたのですが、三鷹にある大学キャンパスから当時は神保町にあったTACの校舎まで遠かったこともあり、途中から方針転換して1年間だけTACでの勉強に集中し、大学の単位はまったく取りませんでした。そうして背水の陣で臨んだ結果、無事在学中に会計士2次試験(当時)に合格できたのです。ただそこからは、不足している単位を取るために、今度は大学で死ぬほど勉強しましたね(笑)。世間にはバブル経済の余韻がただよう中、私はほとんど遊ばずたくさん勉強した学生時代でした。

──そこまでがんばれたのは、女性のキャリアに対する将来への不安があったからですか。

青山 というよりは、自分でセットした目標に向かって突っ走る性格だからでしょうか。周囲の受験仲間ががんばっていたから、釣られてがんばれたことも大きかったですね。大変なことも多かったですが、「合格した先にはどんな未来があるんだろう?」と、ワクワクしながら勉強していました。

監査法人時代、会計士以外のスキルを求めMBA取得

──有限責任監査法人トーマツ(以下、トーマツ)に入られた理由を教えてください。

青山 会計士試験に合格したらまずは監査法人に入るというのが会計士の王道なので、監査法人をめざしました。私が合格した年はバブル崩壊後のいわゆる会計士の就職氷河期1年目で、面接にうかがった先で「うちのファーム、女性は取りたくないんだよね」といったことを面前で言われることもあり、特に女性合格者には厳しい時代でした。そのような中、トーマツを含む2社からオファーをいただきました。友人にどちらにしたらいいだろうかと相談したところ「トーマツは厳しいよ」と言われたので、「どうせやるならきちんとプロフェッショナルになりたい」と考えていた私は、トーマツに決めました。

──その頃、「めざす女性のロールモデル」を意識したことはありますか。

青山 受験中はまったくありませんでした。TACで勉強しているときは、周囲はみな学生でしたからね。ロールモデルが必要だなと感じたのは、トーマツに勤めてからです。
 私は在学中に会計士試験に合格したので、トーマツに入所したのは大学を卒業したあとの4月でした。ところが既卒で合格した同期たちは私より半年早い前年10月に入所していて、名だたる大手企業はみなその同期たちにアサインが決まっていました。私が半年遅れで入所してアサインされたのは、大手企業の子会社か中規模の会社だったのです。
 大学の同級生が入社式だといって華やかな門出を迎える頃、私は郊外にある工場の事務室で社会人初日を迎えました。現金実査をしながら「あんなに必死に勉強をがんばったのに、私のスタートは郊外の工場の事務所の片隅。朝から晩まで現金を数えるだけとは、なんて実社会は厳しいんだろう」と思ったのを今でも覚えています。ただこれが「大手企業の監査をさせてもらうにはどう自分を差別化したらいいのか」と考えるいいきっかけになりました。それ以来、どういうところに自分の市場価値があるのか、冷静に棚卸ししなければいけないなと考えるようになったのです。

──イメージしていた会計士デビューとは大きく異なったのですね。

青山 そうですね。さらにもうひとつ衝撃を受けたのが、「会計士になれば、バラ色の未来が開ける」と思っていたのに、監査法人に入所したら、当たり前なのですが周囲は全員会計士でした。「会計士になったところで少しもスペシャルではない」わけです。そこでさらに自分の差別化にもがいた20代前半でした。ロールモデルの必要性を感じたのはその頃です。

──早い段階から「差別化」を意識してきたことが、今のキャリアにつながっているのですね。

青山 そうですね。ひとくくりに会計士といっても、監査をするのが得意な人もいれば、厳密に文言を吟味してレポートするのが得意な人もいます。私は監査に情熱を捧げられない自分に早々に気がついてしまいました。早いタイミングで「もしかしたら監査法人は、本当に自分のやりたい方向ではないのかもしれない」と感じ始めたのです。
 そして「自分が本当は何が得意なのか」「何をやりたいのか」を考える中で、自分の将来のプロフェッションにつながるような「会計士以外のスキル」を身につけなければいけないということ、そして「自ら事業に関わる仕事がしたい」という思いに気づきました。
 そこで1999年から2年間、アメリカのビジネススクールに入ってMBAを取得したあと、それまでのキャリア、会計の知識、MBAの知識を活かそうと転職を考えました。とはいえトーマツに入ったのが就職氷河期だったので、当時は監査法人をやめる人などまずいませんでした。多くの同期や仲間からは「せっかく入所できたのにどうしてやめるの?」と不思議がられましたね。

投資銀行勤務を経て日本コカ・コーラへ

──MBA取得後、投資銀行へ転職された理由をお聞かせください。

青山 ビジネススクールを出たらコンサルティング会社に進むか、投資銀行に進むかの2択が王道ですが、投資銀行のほうがより会計士としてのキャリアを高く評価してくれたので、米国三大投資銀行の一角に入りました。ウォールストリートで働けるというのも魅力でしたね。ところが入って4日目に9.11アメリカ同時多発テロ事件が起きて、ニューヨークを闊歩して活躍する夢はついえて、日本に戻って投資銀行部門で働くことになりました。
 その部門でのM&Aアドバイザリー業務は会計士のスキルを活かせてとてもおもしろかったのですが、最終的に意思決定をするのはクライアントです。次第にアドバイザリー業務の限界を感じるようにもなりました。自ら意思決定できる仕事がしたいという思いが強かった私は、「第3者の立場からアドバイスを行うのではなく、事業会社の中で、自社の事業についての意思決定に携わっていこう」と、転職を決意したのです。

──そうして日本コカ・コーラに転職されたのですね。

青山 はい。当初はファイナンスマネージャーとしてバリューチェーンの収益性を分析する部署に所属しました。その後、監査法人や投資銀行でのキャリアを買われて、経営戦略本部を立ち上げる際には創設メンバーとして当時の社長に抜擢され、事業戦略立案やM&Aを担当することになりました。
 当時、国内にはボトラーが14社ありましたが、国土が小さい日本では、14ものボトラーが別々にオペレーションするのは非効率的です。そこで競争力を高めるために、フランチャイザーである日本コカ・コーラがボトラーに直接出資しながら統合するというのが、大きな事業戦略のひとつでした。私はそのためのM&A推進部門のリーダーに抜擢されたのです。投資には多額の資金を必要とします。もともと意思決定がしたくて転職したのですが、このときは「いちプロジェクトリーダーがこれほど多額の投資をする意思決定をしてもいいのだろうか」と思ってしまうぐらい、大きな意思決定をさせていただきました。
 そのプロセスで、出資先のボトラーから「ファイナンス組織を変えるためにCFOとして来ないか」と誘われて、39歳で東京コカ・コーラボトリングの取締役兼CFOに就任しました。そこでファイナンス全般を統括し、ファイナンスの組織変革をしながら土台作りをすることになりました。2013年には4社を統合し、コカ・コーライーストジャパンのファイナンス部門をまとめる役割を担いました。変革には抵抗がともなうので困難にも何度も直面しましたが、企業の命運を分ける意思決定に挑むのはとても有意義な経験でした。
 M&Aを進める中で、私自身の日本のコカ・コーラビジネスでのキャリアの最後に、日本のボトラーを統合して大きなボトラーが作れたらと思っていたところ、時代の波はとても早く、2018年にコカ・コーラ ボトラーズジャパン(以下、CCBJI)という、とても大きな会社ができました。売上高世界3位という非常に戦略的なボトラーができ上がるちょうどその転換点に自分がいられたことは、企業変革をサポートしてきた者としてとても大きなやりがいになりました。そのままこの組織内でさらなる成長をめざす道もありましたが、一方でこの会社でできることはやり切ったという思いもあったので、2020年1月、オファーをもらっていたNECに転職することを決断し、現在に至ります。

NECで成長ゾーンに挑む

──転職を考えたのは、次なる意思決定の場に進みたいという思いもあったのですか。

青山 コカ・コーラで15年間財務や戦略を担い、そこにずっといれば、さらに自分が会社の成長に貢献できるとは思っていました。けれどもあるとき、登壇していた講演で「皆さん、コンフォートゾーンを出て成長ゾーンに身を置きましょう」と自ら話をしていて、ふと「今、自分自身が成長ゾーンではなくてコンフォートゾーンにいるのではないか」と気づいたのです。そこから、外に飛び出す機会を探し始めました。

──その場としてNECを選ばれた決め手は何だったのでしょうか。

青山 実はNECにお声がけいただいたときはすでに2社からオファーをもらっていて、そのうちの1社からは期限を切られ、1週間以内に返事をしなくてはなりませんでした。そのことで毎日悩んでいたときに、副社長兼CFOの森田隆之(2021年4月1日より社長兼CEO)と、元GEジャパン社長で現副社長・グローバルビジネスユニット長の熊谷昭彦から電話をもらったのです。彼らの言葉の節々から、熱心でスピーディ、やるときはやる会社だという印象を持ちました。「こんなに熱意があってスピーディな会社なら、NECがいい」と、1週間で入社を決めたのです。
 またNECは2020年、NECグループが共通で持つ価値観で行動の原点である「NEC Way」を改訂しました。その中のひとつの柱である「Code of Values」は、「視線は外向き、未来を見通すように」「思考はシンプル、戦略を示せるように」「心は情熱的、自らやり遂げるように」「行動はスピード、チャンスを逃さぬように」「組織はオープン、全員が成長できるように」の5つから成っていて、入社に際しては、この5つの価値観を強く感じられ、私もこれに心から共感したからこそ、NECへの入社を決断しました。
 NECは日本を代表する大企業で、社会基盤も担う会社として、安全・安心を大前提にしっかり確認してから物事を前へ進めるということをもちろん大切にしています。しかし、会社全体のカルチャー変革を進めていく中で、厳しい競争を勝ち抜いていくためにはスピードもとても重要だと捉えるようになりました。そうしたところも含めて、会社が変革している過渡期にご縁があったのだと感じています。

──変革期であったからこそ、青山さんの財務と戦略の力が必要だったのですね。

青山 コカ・コーラではボトラーがどんどん統合して会社が大きくなっていくフェーズにたまたま居合わせたわけですが、統合していくたびに必ずファイナンス組織を作り直しました。古いものをアップグレードしてどんどん新しいものに作り変えていく経験が、まさにグローバルに飛躍するために自ら変革するNECに必要となって声がかかったのではないかと思います。
 とはいえ、NEC内部にいるメンバーも能力が高く、パッションのある人たちです。外から来た人材と中で育ってきた人材が今とてもうまく融合しているなと感じることが多々あります。実際、古くからいるメンバーと話をすると、「変革は元に戻らない。前に進むのみ」と言っていて、まさにカルチャー変革が確実に根を張っているのを感じます。

Connecting the dots ~いろいろな経験はどこかでつながる~

──コカ・コーラとNECでは扱う商品がまったく違います。商品による戦略の違いはどのようなところにあるのでしょうか。

青山 コカ・コーラはソフトドリンク事業を営んでいますが、その中には既存商品と新製品がありますし、炭酸飲料もコーヒーもお茶もスポーツドリンクもあって、それぞれ担当が分かれています。マーケットチャネルも、インターネット、コンビニエンスストア、スーパーマーケット、自動販売機と様々で、そのどこで売るのかによっても収益性や戦略が変わってきます。
 一方NECは、海底ケーブルのようにひとつのプロジェクトがとても大きく長い期間を要するものもあれば、もっと短期間でサイクルが回る事業もあり、飲料と大きな違いがあります。やはりコカ・コーラのような消費財メーカーと、長期利用が前提となる製品やサービスを提供するNECでは、当然ながら違う戦い方になりますね。ただ、競争に勝っていくためにやらなければいけないことは似ている部分もあるので、コカ・コーラで学んだことは大いに活きています。

──培った経験をふまえて様々な組織で活躍されている青山さんですが、ご自身で独立してファームを作るといった道は考えませんでしたか。

青山 私は自分ひとりで何かを作り出すより、何か大きなものをさらに大きくすることに魅力を感じています。それがNECに移った理由のひとつでもありました。NECで私がやりたいのは「日本の技術で世界に勝ちたい」ということです。コカ・コーラビジネスには15年間携わり、アメリカ発の飲み物を商品として市場で勝負していました。確かに競争に勝ってはいましたが、次第にどこかで「日本のために、自分が学んだことを還元したい」という気持ちが芽生えてきたのです。投資銀行時代は日本のITバブル期だったのでIT絡みの案件にたくさん携わりましたが、日本の技術は素晴らしいのに海外から正当な評価を受けていないと感じる局面が多々ありました。ですからNECから話が来たときは、まず「日本の持っている素晴らしい技術を世界のマーケットで売って勝ちたい」と思いました。ファイナンスという観点からそれを加速するお手伝いは絶対できますし、コカ・コーラで得た「異なるカルチャーの中で働く」経験も、きっと役立てることができると思ったのです。

──NECでのグローバルファイナンス組織の統括に加え、2020年6月からは太陽ホールディングスの社外取締役になられました。

青山 コカ・コーラにいた最後の頃、コーポレートガバナンスをきちんと学びたいと考えて一橋大学のCFO講座で2年間、コーポレートガバナンスを学びました。そして学んだことを実践したいと考えたのですが、それには自分が取締役にならなくてはなりません。けれどCCBJIのガバナンスは欧米式なので、取締役はほとんど社外の人間で構成されます。そこで、会社の外でどこか実践の場がないか探していたとき、監査法人時代の同期から「太陽ホールディングスが監査役を探している」という話をいただいたのです。素晴らしい技術があってマネジメントも魅力的というのが私の条件だったので、「ぜひお願いします」と言いました。
 監査役になってみると、経営陣の執行に対する監査よりも、経営にもっと関与していきたいという気持ちが強くなり、それを正直に社長に伝えたところ、2020年6月から社外取締役に就任することになりました。

──新たな成長ゾーンに入られたのですね。最後に、資格取得をめざして勉強中の方々に向けてメッセージをお願いします。

青山 資格試験にチャレンジするか迷っているなら、コンフォートゾーンから成長ゾーンに入っていくために、まずは一歩を踏み出してみましょう。私は常に「やらない後悔」よりも「やる後悔」を選んできましたが、実際は、やって損をしたと思ったことは一度もありません。その一歩を踏み出す勇気をぜひ持っていただきたいと思います。
 受験生の方は、長い受験生活の中で苦しいときに「どうして自分は勉強しているんだろう」と悩むこともあるでしょう。でも、目の前のことがどこにつながるのかわからなくなったときは、今回の私の話や今活躍している先輩の話などを読んで、モチベーションを保ってください。スティーブ・ジョブズ氏は「Connecting the dots:いろいろな経験はどこかでつながる」と言っています。もし仮に努力が試験の合格につながらなかったとしても、がんばった経験は必ずどこかにつながっています。私自身、会社が変わったり、チャレンジの方法は変わってきていますが、振り返ってみて無駄だった経験はひとつもありません。今がんばっているものが自分が望んでいるものと直接すぐにつながらなくても、きっと何かにどこかでつながっていくはずです。諦めずにがんばってください。

[『TACNEWS』 2021年5月号|特集]