特集 人の人生に寄り添う行政書士に

  
吉井 朋子氏
Profile

吉井 朋子氏

Green Garden 行政書士事務所
代表行政書士

吉井 朋子(よしい ともこ)氏
神奈川大学外国語学部スペイン語学科卒業後、旅行会社に就職。結婚、ガン手術、離婚を経て2004年、行政書士試験に合格し、外国人ビザ専門の行政書士法人に勤務。2007年に税理士法人併設の行政書士法人へ移籍し、2014年、Green Garden行政書士事務所を開設。

大手旅行会社に勤務していた27歳のときにガンが見つかり、その後も離婚問題に直面した吉井さん。心が折れてしまいそうな出来事ですが、それを受け入れ、持ち前の明るさと誠実さで行政書士への道を選び、歩んできました。困難な体験から得たのは、「人の人生に寄り添う仕事をしたい」というモットーで、30歳のときに行政書士試験に合格。資格取得後は多くの人脈を作り、着々と仕事の幅を広げ、40歳で事務所を開きました。そのしなやかな生き方は、多くの人に勇気を与えてくれます。

大学卒業後は語学力を活かし旅行会社に就職

──吉井先生は大学では外国語を専攻されていますが、学生時代はどんなキャリアプランを描いていたのですか。

吉井 私の出身地は大阪ですが、中学2年生のときに父の転勤で埼玉に引っ越してきました。地元の高校から神奈川大学スペイン語学科に進み、卒業後は旅行会社に就職しました。大学生の頃は月並みですが、サービス業に就いて語学を使いたいという気持ちがあったのです。それでホテルや旅行関連を中心に就職活動をして、旅行会社に採用されたわけです。

──夢がかなって旅行会社に就職できたのですね。どのような仕事内容でしたか。

吉井 志望していた旅行会社では、海外旅行のパッケージツアーを作る仕事でした。具体的には、ホテルや航空座席を仕入れ値段を決めて、パンフレットを作り販売店に卸す仕事です。旅行商品を売るのは販売店がやってくれるので、あとは問い合わせ対応やクレーム対応もしていました。
 実は旅行会社は利益率が低くてお給料は安いのですが(笑)、仕事はとても楽しかったです。レジャー産業なので、それ自体がおもしろいということもありますが、女性が活躍しやすい業界であるのもよかったと思います。勤めていたのは20年以上前ですが、当時でも男女差を感じることはなかったですね。

ガン手術を乗り越え、法律の仕事をめざすように

──そんなに楽しい仕事をなさっていたのに、なぜ辞めることになったのでしょう。

吉井 すごくプライベートな理由なのですが、気にせずに人にも話していることなのでお話しますね。入社して5年目、27歳のときに結婚をしました。仕事は続けていましたが、結婚して半年くらいたったときにガンにかかっていることがわかったんです。幸いなことに初期だったので、すぐに手術をすることになり、会社を2、3ヵ月休んで腫瘍の除去手術をし仕事復帰しました。手術後に主治医から、より大掛かりな手術をすることを勧められていたのですが、セカンドオピニオンをとり自分でもいろいろと調べて再手術は断りました。医師には「再発するかもしれませんよ」と言われましたが、「私の人生なのでいいです」と言って。だからそのときは病気を夫婦で乗り越えたという気持ちでした。
 ただ、旅行会社に復帰してからも1年くらいは勤めたのですが、仕事は楽しいけれど忙しくて残業も多く帰りも遅いし、その一方で身体もいたわらなくちゃいけないしで、ちょっと大変かなと思うようになったんですね。そんな理由で、ちょうどその頃、会社を辞めることにしたんです。

──若くしてガンにかかり不安が大きかったと思いますが、どうやって気持ちを保っていられたのですか。

吉井 私の場合は、手術で腫瘍を取ってから検査をし、悪性だったことがわかり、医師から診察室でガンの告知を受けたのですが、その瞬間は術後の痛みが強く早く病室に帰してくれみたいな感じでした(笑)。その後1、2日たってからじわじわと怖い気持ちがわいてきましたが、それも丸1日くらいでおさまりました。ガンは初期だったのでそれほど重症ではなかったのと、入院したのがガン専門病院だったのが幸いでした。周囲の人もみんなガンだったので、それが普通というか。元気になって退院した方がお見舞いに来てくれたりすることもあり、「あ、治るんだな」と思いました。周囲の環境がよかったのですね。

──とても前向きで、その心の持ち方は病気の人の励みになりますね。旅行会社を辞めるときには、転職の準備はしていたのですか。

吉井 いいえ、私は事前に念入りに準備することができないんです(笑)。会社を辞めても専業主婦になるのはちょっとつまらないから、何か資格を取ろうかと思い、そのときに行政書士がいいかなと考えました。会社を辞めようと思ったのと行政書士の資格を考えたのは同じくらいの時期でした。

──海外旅行の企画を作る仕事と、行政書士の仕事では内容も雰囲気もかなり違うように思いますが、思い立った理由は何だったのでしょう。

吉井 なぜ行政書士かというと、法律に関わる資格なので自分の日常に役立つかなというのがありました。また、旅行の仕事ってちょっとしたことでクレームがつくことが多くて。例えば「食事にはケーキがつくと言われていたのにパンが出た」とか、そういうことにも必死で謝って対応しないといけないわけです。
 そんなときに自分が病気になって、旅行産業は楽しい仕事ではあるけれど、楽しいことの手助けじゃなく、困っている人や弱っている人の助けになれる仕事がしたいなと思うようになりました。ちょうどその頃、2001年のアメリカ同時多発テロ事件があり、旅行業界は大打撃を受け年収もがくんと減りました。旅行の仕事はそうした外部要因に左右されるし、一生いる業界ではないのかもしれないと感じたのも一因です。
 そこで法律に携わる仕事を調べ始めたのですが、私は数字に弱いので税理士は無理、弁護士は今さらとても無理、みたいな感じで。すると残るは社会保険労務士、行政書士、司法書士の3つで、その中から行政書士が自分に向いているかなと思ったのです。

──具体的に3つの中から、どのようにして行政書士に絞り込んだのでしょう。

吉井 まず消去法で、私は労働法に興味が沸かなかったので社会保険労務士は違うと感じました。次に行政書士か司法書士かですが、まずは行政書士の方が書いた日常の奮闘記的な本や、司法書士の方が書いている本を読んでみました。すると行政書士のほうが活動範囲も広かったのと、その著者の方が地方在住で、自分の車に事務所のステッカーを貼って地域を回っているというようなエピソードもおもしろく、お客様により密着できるのは行政書士のほうかなと思いました。それで行政書士の資格を取ろうと決めたのです。

退社、資格の勉強、そして離婚話

──資格取得に向けて、どのような勉強をスタートしたのですか。

吉井 2002年の年末に旅行会社を退社し、翌月に開講する講座に通うことにしました。通信講座よりも校舎に通うほうが私には向いていると思ったからです。でも順調に勉強のスタートが切れたということでは全然なくて。退社直後に、思ってもいなかった離婚話が夫側から持ち上がったんです。

──それは晴天の霹靂ですね。

吉井 夫側は私の病気や再発を気にしていて、若いのだから結婚を白紙に戻したほうがいいという意見だったのです。私はとても納得できず離婚はしたくなくて、相手の気持ちが変わることを願っていました。だから早急に結論を出すのではなく、夫婦でよく話し合って結論を出したいと思ったのです。そして、行政書士の勉強をしながら自分たちの結婚生活について話し合う日々が始まったのです。
 当初は自分の考えが正しいと思い、夫側に変わってほしいと思っていたのですが、1年かけて話し合ううちにどちらが良い悪いではなく、考え方の違いだなと思えるようになりました。夫もつらそうでしたし、時間をかければかけるほど親戚を巻き込んでいろいろと嫌な思いをすることが多くなり、自分のためにも離婚するしかないのかなと思うようになったのです。
 1月に勉強をスタートし10月に行政書士試験を受けて合格したのですが、合格発表の翌日に離婚届を出しました。

──勉強と離婚話が同時進行していたのですね。大変な時期だったと思いますが、具体的にはどのような勉強スケジュールでしたか。

吉井 実は会社を辞めた後、失業保険の関係で昼間は職業訓練学校に通って簿記の勉強をしていたのです。ですから行政書士の講座は夜間に受けて、講義のあとは自習室で閉室時間まで勉強するという感じでした。それを1月から10月まで続けました。離婚問題をかかえていたので、むしろ校舎で気持ちを切り替えて勉強できたのは、生活のバランスがとれてよかったと思います。
 ただ、私はコツコツやるタイプではないので、最初の頃は講義を聞いていても頭に入っていなくて。結局、夏頃から模擬試験とその答え合せをやる答案練習(答練)というのが毎週日曜日に始まるのですが、その頃から勉強と試験が結びついてきたように思います。平日は4時間くらい。日曜日は昼間に答練、そのあとは自習室で自習と、10時間近くは勉強したでしょうか。判で押したように校舎に通っていましたね。

──勉強していて一番つらかった時期はいつですか。また、それをどう乗り越えましたか。

吉井 つらいというか、5~6月頃はつまらなかったです。テキストの内容が全然頭に入ってこないし、問題集でもやるかと思っても全然解けないし(笑)。それでも夏の答練の頃からやる気が出て、9月の終わりごろになると「まずい、やらなくちゃ」と強く思うようになりました。やはり基幹となる憲法、民法、行政法はひたすらやりました。暗記も私の場合は試験を受けながらでないとできなかったです。だから夏以降は毎週、答練を受けていました。あとは自分で過去問を解いたりもしましたね。1年で受からなかったらあきらめよう、自分には2年計画は無理だと思ってやりました。気持ちの問題ですね。
 最後の1ヵ月は、答練で間違えた問題を切ってノートに貼り、その答えをひたすら見るという方法をとりましたが効果的でした。終盤では、できる問題をやる必要はないわけですから。勉強のやり方は人それぞれですが私は本当に集中型なんだと思います。

──離婚を乗り越え、1年で合格したとはすごいですね。一連の経験が自分のキャリア上、役に立ったと感じることはありますか。

吉井 離婚については専門家に相談しようと思い、デパートで開かれる法律相談に行ったことがあります。男性の弁護士が対応してくれたのですが、「夫には法的責任はないので悪くない。あなたはかわいそうだけど」みたいな感じで終わってしまって、釈然としない気持ちでした。それで行政書士試験が終わった頃だったと思いますが、家事専門の女性弁護士のところに行ったら全然反応が違って、「なんてひどい! あなたは絶対に悪くないわよ」と言ってもらえました。そのとき、同じ相談内容でも、弁護士によって対応がこうも違うものかと驚き、自分の気持ちをわかってもらえることがどんなに大事であるか実感しました。
 誰に相談するかというのはとても重要で、特に女性は自分の気持ちをわかってほしいという人が多いので、私も女性のお客様に安心感を与えられるような仕事をしたいと思ったのです。「人の人生に寄り添う仕事をする」というのが私のモットーなので、この経験が大きなきっかけになったと思っています。

ビザ専門の行政書士事務所で仕事をスタート

──2004年に30歳で試験に合格したのですね。その後、どのようにして仕事を探しましたか。

吉井 最初はハローワークや士業系の求人サイトを見ていくつか応募しましたが、実務経験がないという理由でうまくいきませんでした。経理や進行管理など違う職種でのオファーはありましたが、妥協せずに行政書士の仕事を探し続けました。それで最終的に求人サイトで見つけた外国人ビザ専門の行政書士法人に採用されたのです。その事務所は外資系企業や金融機関の顧問をしながら、従業員のビザのコンサルティングや申請をするのが仕事でした。例えば、アメリカ本社から日本転勤の方が来る場合は、転勤に必要なビザの書類を作り、その方の代わりに入国審査局に申請し、結果が出たらアメリカにいるご本人に連絡したり、日本で仕事に就いている方のビザの更新、また、その方に赤ちゃんが生まれたらその子のビザを取るなどということをしていました。
 仕事内容は入管法(出入国管理及び難民認定法)に基づくものですが、入管法は行政書士試験の受験科目にはないのでゼロからの勉強でした。またここでは英語のスキルをビジネスレベルまでアップし、キープすることが求められました。仕事をしながら英語を使い、土日は英語の勉強をするという毎日でしたね。
 その事務所で3年働いたのですが、手伝わせていただいたことでビザの申請実績が月間300件以上になり、それは今も自分の強みになっていると思います。

──その後、別の事務所に移った理由は何ですか。

吉井 最初の事務所はビザ専門ということで、他の問い合わせ、例えば会社設立や内容証明などに関する依頼は受け付けていませんでした。次第に、せっかく行政書士になったのだから他の仕事もやってみたい、仕事の幅を広げたいと思うようになってきたんです。そこで腕試しも兼ねて応募してみたところ、税理士法人併設の行政書士法人に採用されたのです。そこでは税理士の方と一緒に相続関係や会社設立、その他の許認可業務にあたりましたが、ビザの仕事ができる人はいなかったので、自分の得意分野を活かしつつ、遺言・相続業務を学んで仕事の幅を広げていけました。幅広い業務が経験でき労働分配率もよい事務所でしたが、そこは税理士さんが取ってくる仕事だけをこなせばいいという環境だったんですね。5、6年経つうちに少しずつ外の世界に目が向き、自分で外から仕事を取ってくるのもおもしろいと思うようになりました。

──外から仕事を取るとはどのようなことですか。

吉井 いろいろな士業の会や異業種交流会に積極的に出て人脈を作るようにしていたのですが、次第に知り合いが増え、そういう方から仕事を紹介してもらうことも出てきたのです。自分で仕事を構築していくことがおもしろくなったのだと思います。そこから自分で独立してやってみようかという気持ちが芽生えてきました。

──いずれ独立して事務所をもつことは、以前から計画していたのですか。

吉井 いいえ、全然。私はもともとサラリーマン気質というか、自分で事務所を持つことは考えていませんでした。でも、いろいろな集まりに出かけていくうち、知らず知らずのうちに刺激を受けたのでしょう。それと、その頃40歳を迎え、事務所では気持ちよく仕事をしていましたが、50代になった自分がそこで仕事をしているイメージがどうしてもわかなかったこともあります。なぜかゴールデンウィークに「辞めて独立しよう!」という思いが浮かび、3ヵ月後の2014年8月に退社しました。下準備もしていなかったのですが何とかなると思って。

行政書士になって10年、40歳で独立開業を果たす

──独立したときのお気持ちと、仕事の状況を聞かせてください。

吉井 本当はきちんと準備をしたほうがいいのですが、私は独立の勉強をするとか、お金をためるということは全然していなかったです。それでも9月には家から歩いていけるところに家賃が安い物件を見つけて開業しました。そのときは、不安な気持ちと清々しい気持ちが4:6でありましたね。前の事務所には慰留していただいたのですが、最終的に気持ちよく送り出してもらいすっきりした気分でした。
 仕事はいろいろな経営者の会の方々からの紹介がほとんどで、内容は、専門とするビザの申請業務と遺言・相続業務が中心です。行政書士の看板を見て来られるお客さんは少ないですね。ホームページも、作ることはしましたが、インターネットでの集客というのは考えませんでした。

──その後、順調に仕事が発展したのですね。うまくいく秘訣はなんでしょう。

吉井 私の場合、対個人の業務だと遺言・相続や会社設立の仕事もありますが、安定しているのは対企業、BtoBの仕事です。司法書士や他の士業の方が外国人のお客様のビザを私に依頼してくれることも多いです。自分の立てた営業の戦略がぴたりと当たったということはないのですが、やはりいい人脈を増やしてきたのがよかったと思います。多くの人と出会う中で、合う人・合わない人、いい人・そうでもない人がだんだんわかってきます。そしていいなと思った方と深く付き合うことでしょうか。いろいろな方に会うのですが、交流会などの場に出かけてくる人は、みんな情報交換したいし、誰かの力になって助けたり助けられたりしたいと思っているので、自分のニーズをピンポイントにアピールすることも大切だと思います。
 アピールの方法としては、ビザを必要としている外国人を紹介してほしいと言うと違法状態の外国人の紹介が来てしまうこともあるけれど、外国人エンジニアを雇っているIT企業の社長さんを紹介してくださいと言うと、そういう方と出会え、良い仕事につながります。もちろん、本当に困っている人がいたら受けますよ。でも、自分に必要なことを意識しようと心がけています。

──そして昨年、現在の西新宿に移転したのですね。振り返ってみて、独立してよかった点は何でしょう。

吉井 最初の事務所があまりに狭かったのと、入国管理局のある品川に近いほうが便利なので移転を決めました。新宿だとお客様に来ていただきやすいですし、こちらに移ってきて売上も上がりました。独立していいことばかりです(笑)。
 勤めていたときは料金も自分で決められず、値段を下げて仕事を受けてあげたくてもできないとか、これだけでこんな値段をとるのかと思うこともあり、それが少しストレスでした。私の事務所でも報酬規程は決めていますが、自分の裁量でできるというのが精神的にも良いですね。あとは、時間が自由になるのでいろいろな方にお会いでき、世界が広がったこともよかった点ですね。

顧客の話に耳を傾け、相手の求めるサービスを提供

──「人の人生に寄り添う仕事をしたい」というモットーは、具体的にどのように仕事に反映していますか。

吉井 例えば、税金の世界はもし間違っても最終的にはお金を払えば許してもらえることが多いです。でもビザの世界は、もしミスをしたり不正をしたりすれば、その方が日本にいられなくなるリスクがあります。まさに人生に直結している仕事だと思いますし、お金だけでは解決できないことです。ビザの仕事というのは、決められた書類を出していれば許可がおりるという性格の業務ではありません。お客様にとってベストの選択とは何か、今はベストと思えても5年後10年後はどうか、ということを常に考えながら業務にあたっています。さらに、多様な国民性に対する理解も大切です。
 また遺言書や相続の相談においては、私の場合、女性のお客様がとても多いです。女性は話好きな方が多いですが、男の先生だと、なかなかじっくり話を聞いてあげられない傾向があると思います。その点私は女性だから、おしゃべりだってしっかり聞けます(笑)。そして、ここぞというときには自分の体験も話します。お客様に離婚やガンの経験があると、自分もそうだったという感じで本心をどんどん話してくれますね。だからその方の本当の気持ちを察することができたり、求めているものにより近いサービスを提供できたりします。
 自分が順風満帆に生きてきたら、大病をしたり身近な人を失った人に対してかける言葉がなかなか出ないと思いますが、そうした話題でも会話ができるのは経験からくることで、そこは仕事に役立っていると思います。対個人の仕事は特に、人の人生に寄り添うところがあり、そのご家族から数年たって再び依頼が来ることもあります。それがうれしいですね。

──今後、どのように仕事を発展させたいと考えていますか。

吉井 今、日本は人手不足で外国の方がどんどん増えていますが、法律にはばまれて優秀な外国人が働けないことが問題になっています。そういうことを軽減するお手伝いをして、日本の企業やご本人に喜んでもらいたいと思っています。
 また相続関係では、「誰に相談したらいいかわからない」と困っている方の相談先として行政書士を選んで満足してくださる事例をもっと増やしていきたいです。相談に乗って的確なアドバイスをし、書類作成のお手伝いから行政庁とのやりとりまで信頼して任せてもらえる身近なプロとして、行政書士の認知度をもっと上げていきたいです。

──ご自分の体験を踏まえ、行政書士の資格取得を考えている人に向けてメッセージをいただけますか。

吉井 行政書士は、自分の着眼次第で業務分野を開拓できる仕事だと思いますし、他の資格試験と比べてハードルが高すぎることもないので、興味があったらぜひ挑戦してみてください。
 この資格を取ってみたいけど迷ってしまうとか、勉強の途中でやめてしまおうかと考える時期もあると思うのですが、そんな場合でも試験を1、2回受けるところまではやってみてほしいと思います。また、行政書士試験に合格して資格を持っている人はたくさんいるのですが、その資格のみで食べている人は多くはありません。資格を取ることが目標なのか、資格を取って仕事をすることが目標なのか、そういったことを受験生のうちから考えてみるといいと思います。

──最後に、行政書士の資格を仕事として活かしたいと考えている人にアドバイスをお願いします。

吉井 個人的な意見ですが、行政書士の資格で仕事をするのであれば、前職にかかわる専門分野を持っていると強みになります。学生にももちろんおすすめの資格ですが、開業まで考えるのであれば、社会人経験があるとより良いのかなと思います。例えば医療コンサルティング会社にいた人は、医療法人の認可申請業務をメインにすることができると思います。また、日本語学校の先生は学生のために個人のビザ申請をすることもありますので、行政書士資格があればまるごと学校を相手にも仕事ができますよね。他にも建設会社での経験や、不動産業者での経験なども行政書士資格を取ったあとに大きく活かせると思います。
 行政書士は弁護士のように早くから勉強しないといけないわけではないし、会社員をしていて、何か資格を取ってやってみたいと思うのであれば、ぜひチャレンジしてほしいと思います。

[TACNEWS 2018年9月号|特集]