特集 「PR支援」を強みに活躍する中小企業診断士

米澤 智子氏
Profile

米澤 智子(よねざわ ともこ)氏

中小企業診断士/PRプロデュ―サー
social impact PR株式会社 代表取締役
書店「本屋うさぎ道」店主

同志社大学文学部美学芸術学科卒。地方銀行に就職し、営業店の融資担当を経て本部総務配属。経営知識の必要性を感じ、中小企業診断士をめざす。資格取得後は、より中小企業支援の現場に近い仕事をするため、中小企業支援機関へ転職し、専門家派遣事業などを担当。しかし仕事は充実したものの妊活と仕事の両立に悩み、やむなく退職。その後クラウドファンディング企業へ再就職するが、ここでも妊活と仕事の両立は難しく再度退職し、独立開業の道を選ぶ。2022年5月、男児出産。仕事も業務拡大を視野に個人事業から株式会社にして活動中。

女性の継続就業が強く求められながら、私生活と仕事の両立ができずに職場を去る女性は依然多い。中小企業診断士/PRプロデューサーとして活躍する米澤智子氏も、数度の退職を経験した。現在、中小企業診断士として創業支援や広報PR支援に携わる米澤氏は、「士業として独立したことで、プライベートと仕事のバランスを取りながら、自分らしい仕事ができるようになった」という。そんな米澤氏に中小企業診断士という仕事のやりがい、独立開業するメリット、自分の強みの見つけ方などについてうかがった。

居合道に没頭した大学時代

──関東ご出身で、同志社大学へ進学。学生時代は、居合道に没頭されていたそうですね。

米澤 はい。子どもの頃から戦国時代や幕末の歴史小説を読むのが大好きな「歴女」で、進学に際しては「幕末の動乱の舞台となった京都で学びたい」という今思うとミーハーな気持ちと、親元を離れて一人暮らしをしたいという気持ちから、同志社大学を選びました。その入学式で、体育会居合道部の勧誘チラシをもらったのです。日本刀を振れることが歴女心に刺さり、即決で入部しましたね。ただ、同志社大学体育会居合道部は、大学居合道界では歴代優勝数一位の強豪校でした。年1回開催される学生の全日本大会で優勝することをめざし、授業後は毎日21時まで稽古に明け暮れました。

──当時、キャリアプランについては何かイメージを持っていたのでしょうか。

米澤 いいえ。大学時代は4年間、ただただ部活で日本一を取ることしか考えていませんでした。4回生の秋、全日本学生居合道大会で個人戦優勝と団体戦優勝をすることができたのですが、ずっと稽古に没頭し続けていたので、大会後は目標を見失った気持ちでしたね。今は子どもが小さいので一時的にお休みしていますが、居合道は大学卒業後も続けていて、現在5段です。

地方銀行で融資を担当し中小企業診断士受験をめざすも挫折

──大学卒業後は地元の銀行に就職し、融資のご担当をされていたそうですね。

米澤 はい。ただ私が銀行に入った2009年は「中小企業金融円滑化法」が成立した年で、その対応が大変でした。連日窓口に「借り入れの条件変更ができると聞いたのですが…」とお客様がいらっしゃったのです。銀行の支店にいた間には、業績が悪化して融資が返せなくなった取引先を約200者担当しました。

──忘れられない取引先があるそうですね。

米澤 小さな時計メーカーです。OEM生産(他社ブランドの製造)が主でありつつも、自社製品開発にもチャレンジしている企業でした。当時、製造はすでに中国など海外へ発注が移っていたので、売上が減少してしまい融資が返せなくなっているご様子でした。そのお客様も何もしていないわけではなく、何とか売上を伸ばして借金を返そうとしていましたが、「広告も満足に打てないから」と、社長自ら毎日ブログを書いて発信するなど、努力されていたのです。でもなかなかアクセスが伸びない状況でした。私も力になりたいと思うものの、当時は経営に関する知識が何もなく、融資担当として元金据え置きで利息だけ返済するという契約を半年ごとに更改することしかできない自分に、不甲斐なさを感じましたね。
 ちょうどその頃に中小企業診断士(以下、診断士)という資格があることを知って、少しでもお客様の力になれればと勉強を始めてみたのですが、社会に出て2~3年の私には働きながらの勉強は難しく、途中でやめてしまいました。その後、異動してきた上司とうまくいかず、大量の仕事量も引き金になって、入行2年目でうつ直前の状態になり3ヵ月休職しました。

経営がわからなければ先がない。猛勉強で資格を取得

──復帰後は本部に異動して銀行全体の総務を担当されたそうですが、ここではどのような仕事をしたのですか。

米澤 株主総会運営や災害用の備蓄物資配備といった総務の仕事のほか、全営業店舗にテレビ会議システムを導入するプロジェクトに携わりました。上司が予算と取引先業者を決めて、その後の具体的な設置手順については私が担当したのですが、全店に導入するシステムの仕事ですから、経営陣に判断を求めないといけない事案も出てきます。資料を作って役員に説明しに行くこともあったのですが、役員と上司の会話が私には理解できませんでした。例えば「これROI(投資利益率)はどうなの?」と言われても、経営用語を知らないので話についていけないのです。「ああ、経営の勉強をしないと、経営陣に説明もできないのだ」と初めて気づきました。さらに、経営のことを学べば、支店勤務のときに担当した時計メーカーのような困っている企業の力になれるかもしれないと感じ、診断士資格のことを思い出して、もう1回チャレンジしようと、TAC横浜校に申し込みました。

──その1年後、初受験で合格されたわけですが、銀行勤務を続けながらどのように勉強を進めたのでしょうか。

米澤 ちょうどその頃「働き方改革」が叫ばれていて、終業後に勉強の時間が確保できるようになりました。そこで、平日の勤務終了後は職場近くのカフェで22時まで勉強してから帰宅するようにして、土日はTACの校舎で個別DVD講座を受けたあと、ひたすら自習室で問題集を解き続けました。

──当時、勉強仲間はいましたか。

米澤 いなかったです。「絶対、診断士になるんだ!」と自分の気持ちを盛り上げて、ひたすらひとりで黙々と勉強していました。勉強を始めたのが29歳のときで、この先出産や育児をすることを考えれば、チャンスは今しかないと思ったのです。すでに結婚していて、受験にあたって夫に家事の負担をかけていたので、受験期間をいつまでも長引かせるわけにはいきませんでした。結果、一次試験は427点で突破し、二次試験も幸い一発合格。翌年に実務補習を行って、2016年10月に診断士登録をしました。
 私は人の勉強の進捗を気にしたくないので、勉強仲間も作らず、あえてそういう情報はシャットアウトしていましたね。ただ資格を取得してからは積極的に診断士のコミュニティへ参加して、100人位の人脈を作りました。夫からは「やっと受験中心の時期が終わったのに、まだ土日にいない生活を続けるの?」と言われてしまいましたね(苦笑)。

──資格を取得して、何か変化はありましたか。

米澤 資格は取得したものの、総務部門の業務は行内・行外の調整業務が中心で、中小企業の経営支援に関わる仕事ではありませんでした。そのことがむしろ「もっと中小企業支援の現場に近い仕事がしたい」と考えるきっかけになって、転職を決意しました。

支援機関で知った独立診断士のノウハウ

──そうして銀行から中小企業支援機関へ転職された後、どのような仕事をしましたか。

米澤 最初に配属になったのは大田区にある支社で、私は東京西南部の商店街支援を担当しました。整体院、あみもの教室、ネイルサロン、花屋など、小規模で事業をしているお店へ、診断士などの専門家を派遣し売上改善を支援する仕事です。この支社にいた2年間で、約140件の支援に携わりました。この間に担当した商店街が『東京商店街グランプリ』でグランプリを受賞するなど、充実した時間を持つことができました。

──他の士業の方々とも一緒にお仕事をされたと思いますが、いかがでしたか。

米澤 いろいろな専門家の方の仕事を間近で見られたのは本当に勉強になりました。資格を取ったからにはいつか独立したいと考えていたので、先に独立した診断士の方々がどのような視点で支援をするのか、そしてどのような助言をするのかといったリアルな姿を間近で見ることができたのは貴重な経験でしたね。
 また、支援の現場では、診断士がどんなに経営改善に直結するような助言をしても、実際に行動に移すかどうかは経営者次第なのだということも、身をもって経験しました。「アドバイスを参考にしたら本当に売上が改善しました」と言う経営者がいる一方で、「そんなアドバイスを実践する余裕なんてない」と言う経営者もいる。助言する内容以前に、「どうしたら支援先にアクションを起こしてもらえるか」が重要だと知ったのです。そこで、問いかけを用いたアプローチで自発的な行動を促す、コーチングの勉強もしましたね。
 その後、本社へ異動になり、生活雑貨品を製造する町工場等を約50社集めた展示会の主催を担当しました。ここで初めて広報PR業務に携わることになり、展示会をメディアに取り上げてもらうため、広報PR担当者と連携して、プレスリリースの作成やメディアアプローチも実施しました。広報PRは未経験、メディアリストもほぼ無い状況のまま手探りで試行錯誤したのですが、思うような成果が上がらないという悔しさも味わいました。

妊活と仕事を両立するため、独立を決意

──支援機関を退社した理由を教えてください。

米澤 支援機関での仕事は充実したものでしたが、この頃からプライベートで不妊治療を始めたため、離れることにしたのです。ホルモン剤治療の影響で倦怠感がひどく、度重なる通院のため頻繁に休暇を取る必要もあって、担当業務が回らなくなりました。当時40日くらいあった有給休暇もすぐに使い果たしましたし、一度妊娠がわかったものの、すぐに流産。銀行員時代に貯めた貯金も治療代に消えました。

──治療費を捻出する必要があるにもかかわらず、働きながらの妊活はなかなか難しいのですね。

米澤 私が退職した2020年に、妊活を理由に有給休暇とは別の休暇を申請できる社内制度ができ、そのおかげで少し休みやすくなりましたが、仕事量そのものが減るわけではありません。当時配属されていた部署は調整の多い仕事だったため、私がいないとプロジェクトの進捗が止まってしまいます。妊活と仕事を両立するのは難しいと考えて、やめることにしたのです。
 2020年9月に支援機関を退職して、しばらくは休養を兼ねてマイペースで仕事をしました。診断士の仕事を知人に紹介してもらいながら働いていたのですが、不妊治療に高額な費用がかかることは変わりません。知人を通じたご縁があったことから2021年にクラウドファンディングの企業へ再度、正社員として就職し、神奈川県内の中小企業に対する営業や、ファンドをつくる仕事を担当しました。

──当時の米澤さんは36歳。その年齢での転職活動というと、一般的にはハードルが高いとされていますが、いかがでしたか。

米澤 診断士資格を持っていることと、中小企業支援の実績があること、この2点を評価いただきました。クラウドファンディングの会社では、銀行融資が難しい企業に個人からのお金を集めるというやりがいのある仕事を経験できました。それでもやはり妊活と仕事を両立するのは困難でしたので、もう正社員は諦めようと思い、7ヵ月で退職し診断士として独立することを決意しました。

「広報PR」が診断士としての「自分の軸」

──2021年9月に独立開業し、同時に横浜市内に「本屋うさぎ道」を開店しています。なぜ本屋を始めたのですか。

米澤 会社をやめたとき、「これからは好きなことをしていこう」と決めたのです。当時、もう妊娠・出産は半分諦めて、うさぎを飼い始めていました。夫婦でうさぎの魅力にはまっていたため家の中にうさぎに関する本が増えてきて、置き場所に困り始めていたこともあり、「1棚1書店」のブックマンション『LOCAL BOOK STORE kita.』という棚貸しスペースで、「本屋うさぎ道」を始めたのです。
 ところが「もうこれで最後」と思った不妊治療で妊娠が判明。つわりも始まりました。

──独立、本屋の開店、妊娠と、大きな変化がいっぺんに訪れたのですね。

米澤 そうですね。ちょうどコロナ禍でリモートワークが浸透していた時期でしたから、打ち合わせを午後にしてもらい、午前中は無理せず休むような形で仕事を続けました。自分が働きやすいようにスケジュールを組めるのは自営業の強みだと思いましたね。
 その後、妊娠安定期に入った頃、たまたま書店でPRの本を手にしたことから「私が中小企業の経営支援としてやりかたったのはPRだ!」と気付き、翌月にはPRの勉強を始めました。

──それまでも様々なキャリアを積んでこられたと思いますが、そこから新たに「広報PR」を自分の軸としたのはなぜですか。

米澤 独立して以降、銀行やクラウドファンディング企業に所属した私の経歴を見て、融資や補助金など、お金にかかわる支援を求めてご依頼をいただくことがありました。もちろんそうした仕事には対応できますが、それが私の「得意」で「やりたい分野」ではないように感じて、「私の軸は何だろう?」と改めて考えたのです。
 思い出したのは、銀行時代に出会った時計メーカーの社長が書いていたブログのこと。「こんなにがんばって取り組んでいることが、どうして世間に知られないのか」という口惜しさを思い出したのです。これこそがPRの問題でした。
 他にも、診断士資格を取ってから担当したインタビューの仕事では、経営者取材の記事執筆におもしろさを感じていました。経営者の多くは、世に知られていない宝物のようなエピソードをお持ちで、それを記事にして広く読んでもらうのはとてもやりがいがありました。また、中小企業支援機関にいた頃に広報PRの仕事で経験したことも思い出していくうちに、「自分はPRがやりたいのだ」と気付きました。
 診断士でPRを軸にしている人が周囲にいなかったのも踏み切れたポイントです。「マーケティング」「資金調達」「複数資格」などとの掛け合わせを強みにしている診断士はいますが、「広報PR」を専門にする診断士は少ない。ならば、需要はあると思いました。今振り返ってみても、「広報PR」をきっかけに専門家として支援依頼を頂くこともあり、企業支援の軸を広報PRにした直感は間違っていなかったと実感しますね。

▲『LOCAL BOOK STORE kita.』では、約60名のオーナーがそれぞれの個性を活かした“一棚書店”を運営している。

運営する「本屋うさぎ道」でPR&ブランディングを実践

──診断士の仕事と広報PRの仕事には親和性がありますか。

米澤 広報活動をするにあたっては、会社のミッション・ビジョン・バリューがしっかり固まっていることが大切です。これらに沿った広報活動を展開するには、広報が経営の根幹から関わっていかなくてはいけません。企業が「メディアに出たい」「取り上げられたい」と思うなら、何をどう打ち出すべきか、自社が社会からどう見られたいのか、社会にどう貢献していくのかをしっかり言語化していく必要がありますが、それは診断士の仕事である「事業計画」とかなり相似性が高いと思っています。

──「本屋うさぎ道」は、かなりメディアに取り上げられたようですね。

米澤 私はPRを学んでいる間に、「本屋うさぎ道」をPR実践の場として、広報PR活動に力を入れてみました。おかげさまで、人脈ゼロからスタートし、全国紙や地方新聞をはじめ女性誌やうさぎ専門誌まで、今まで12回ほどメディアに掲載いただきました。SNSの総フォロワー数は1,500人を超え、大阪からお客様が来店くださったこともあります。2022年9月に一般社団法人PRプロフェッショナル協会認定のPRプロデューサー資格を取得したので、診断士業務に加えてPRコンサルティング・代行業務も開始し、事業拡大を視野に入れて11月には個人事業から法人化も果たし、social impact PR株式会社を立ち上げました。今後は実践したノウハウを支援先企業に活かしていきたいと思っています。

──独立してから手掛けたお仕事で、印象に残っているものはありますか。

米澤 クラウドファンディング会社時代のお客様で、私が退社することをお伝えしたところ、そのまま顧客第一号になってくださった会社がありました。創業して数年の企業ですが、ITの力でSDGsに貢献する優れたシステムを創り出している企業です。社長にSDGsビジネスプランのコンテストに参加してはどうかとおすすめしたところ、最終的にTOP3にランクインすることができました。エントリーに際しては、システムの優秀さが伝わるよう、プレゼンテーションのお手伝いをしました。全国紙主催のビジネスコンテストでしたので、新聞本紙にも社名が掲載されましたし、その全国紙の関連メディアには社長の単独インタビューも載って、企業の信頼度向上につなげることができました。

──素晴らしいPR支援になりましたね。

米澤 この企業の場合は、素晴らしいビジネスモデルなのに良さが少しわかりにくかった。だから伝わりにくい部分を翻訳して、誰にでもわかるように強みを整理したところ、社長に「僕の言いたいことはまさにこれだ」と言っていただけました。
 診断士には「0から1」を創るのが得意な人もいますが、「1を100」にするのが得意な人もいて、私は完全に後者です。お客様の中に強みとなる「何か」がないと、私は動きようがありません。でもどんな会社にも「何か」はあるものです。お話をうかがって、よく見えていない「何か」を一緒に言語化し、メディアへの伝え方を考えます。PRとは、企業に良い商品・サービスがあってこその仕事だと考えています。

──PRとは、伴走することでもあるのですね。今後の仕事に対しては、どのようなビジョンをお持ちですか。

米澤 今考えているのは「ひとり社長の支援」です。特に創業後数年の企業は商品・サービスの拡大にあたって、認知度を上げていく、つまり広報に力を入れていくことが必要なので、そこをしっかり支援したいと思います。もちろん資金的なこと、補助金や事業計画作りもきちんと見た上で、認知度を上げるための広報コンサルティングもしますということで、事業計画からPR広報までワンストップで支援したいと考えています。今、起業しようとする方は、SDGsやソーシャルビジネスなど、非常に社会性の高い事業を起こす方が多いので、広報活動のトピックとしても親和性が高いです。社会貢献度の高い企業こそ、広報で認知度を押し上げていけば、社会に役立つ商品・サービスが増えて良い社会になっていくと思っています。皆さん大変すてきなストーリーをお持ちなので、私も精一杯伴走したいと考えています。

独立開業したからこそのワークライフバランス

──現在は、育児と仕事を両立されているのですね。

米澤 2022年5月に長男を出産しました。産休を経て8月から少しずつ業務に復帰し、9月からは産休前の仕事量にほぼ戻りました。会社員の場合は、基本的に出社となると、保育園の送迎と通勤のため、朝と夕方が忙しくなりがちだと思いますが、診断士の仕事は自宅でできる作業も多くあり、毎日外に働きに出なくてはいけないということはありません。ですから子どもを保育園に預け、家事を済ませたあと1日家で仕事をすることもできますし、打ち合わせなどの予定も、オンライン会議であれば保育園に迎えに行く時間直前まで入れることができるなど、私生活と仕事をはっきり分けず、いい意味でグラデーションしながら両立できていると思います。

──独立したことで両立が可能になったのですね。

米澤 はい。また、組織にいたときに一番モヤッとしていたのは、私個人に仕事が来るのではなく、私が座っている椅子・ポストに仕事が来る、という点でした。自分なりにあれこれ考えて「こう改善したい」と提案しても、「後任が同じようにできるとは限らないから、そこまでしなくていい」と言われることもありました。ひとつ改善するにも社内で多くの承認がいるという状況にももどかしさを感じていたので、独立した今、私自身がお客様と向き合って、お客様のために100%コミットできるというのは非常にやりがいを感じています。とはいえ何でもかんでも私ひとりでやるというわけではありません。診断士はチームで仕事をすることも多く、仲間関係の強い資格です。「IT分野の相談はまた別の診断士に」という風に得意分野で分担して協力し合えるのも良い点ですね。

──最後に、資格取得やキャリアアップをめざしている方に向けてメッセージをお願いします。

米澤 働き方に悩んでいるなら、資格を取って独立するという方法も選択肢のひとつとしてあるよ、とお伝えしたいです。もちろん、ただ資格を取るだけ・独立するだけで理想が叶うわけではありませんし、大変なこともたくさんあります。でも診断士資格で言うと、女性の診断士、それも30代の若い女性診断士が少ない状況が続いています。一方で、起業しようと考えている30代の女性は多くいますし、彼女たちの中には、自分と同世代の女性をターゲットにした商品・サービスで起業しようとする人もいます。だからこそ、女性診断士が必要とされる場は増えています。ぜひ、キャリアの実現に、診断士資格を活かしていただけたらと思っています。

[『TACNEWS』 2023年5月号|特集]