LET'S GO TO THE NEXT STAGE 資格で開いた「未来」への扉 #34

  
Profile

戸髙 丈(とだか じょう)氏

1993年3月22日生まれ。小学生のときに両親が離別し、母親とふたり暮らしに。「いち早く働いてお金が稼げるようになりたい」と願い、宮崎工業高校へ進学。電気の専門技術を学ぶ。卒業後は在学中に取得した第一種電気工事士の資格を手に、大手の太陽光パネルメーカーの工場に就職。やがて新規事業の営業担当として抜擢され、新規事業に必要な第三種電気主任技術者の資格を取得。そのことが評価され親会社に逆出向となり、電気の小売販売の企画職に就く。将来は、SDGsの観点から、日本や世界のエネルギー関連の課題に取り組みたいと思っている。

【戸髙氏の経歴】

2008年 15歳 宮崎県立宮崎工業高校(電気科)に入学し、電気の専門技術を学ぶ。在学中に第一種電気工事士の資格を取得。
2011年 18歳 高校を卒業し、大手太陽光パネルメーカーの工場に就職。ラインオペレーターを担当。
2018年 25歳 業務上の必要性から第三種電気主任技術者資格の取得をめざし、TACの通学講座へ入学。
2019年 26歳 第三種電気主任技術者試験に合格後、資格取得が評価されてグループ親会社へ逆出向が決まり、小売電気事業の企画職に就任。

母子家庭の苦しい経済状況から
一日でも早く働きたいと高卒で就職。
社会の中で自分の価値を
学歴ではなく、資格によって高めていく。

就職活動や人事査定など、社会の中で認められるためには、いくつかの要件を満たすことを求められることがある。例えば、学歴、人脈、経験。資格もその内のひとつで、実際、資格を取得したことで周囲の評価が変わることは多い。両親の離別と家庭の経済状況から苦難の学生時代を過ごした戸髙丈氏は「早く自分の力でお金を稼げるようになりたい」と高校卒業後に就職の道を選び、資格取得を自分の能力と可能性を企業内で評価されるきっかけにした。資格を武器に人生を切り開いてきた戸髙氏は、これからの将来をどう描いていくのだろうか。

掛け持ちアルバイトと学業の両立で多忙な高校生活

 戸髙丈氏は、宮崎県宮崎市に生まれた。「丈」という名前は、父親が好きだった人気のスポーツ・アニメに出てくる主人公の名前だ。タフでクールな、その主人公のような強い人間に育ってほしいという願いが込められていたのかもしれない。しかし、そんな父親は戸髙氏が小学生のときに母親と離婚して家を離れてしまう。戸髙氏に兄弟はなく、母親とふたり残されることになった。さらには家業をたたんだことで、残っていた借金も背負うことになった。母親は清掃員の仕事をしながら借金を返済し、家計を維持していた。「この状況を早く切り抜けたい。それには一日でも早く自分が働けるようにならなくては」戸髙氏は、子どもの頃からそう考えていた。中学に引き続き高校でもテニス部に入ったものの、アルバイトを始めてからは、忙しさのあまりやめてしまった。
 アルバイトはふたつ掛け持ちで、新聞配達員とラーメン店のホール担当。朝2時半に起きて3時には出勤、そこから6時くらいまで新聞を配り続けた。宮崎市は人口密度が低く、家と家が離れている場合が多い。そのため、配達には都心よりも大幅に時間がかかった。休刊日は月にわずか1~2回。それ以外の日は毎日欠かさず配達を続けた。
 そして、新聞配達後に学校へ行く。眠い目をこすりながら一日授業を受けて、入学当初は部活に参加してから夜はラーメン店でアルバイト。この過密スケジュールでは、部活を続けるのは難しかった。
 ラーメン店は飲みに行ったサラリーマンが、シメの一杯を食べに来るような夜遅くまで営業する店だ。アルバイトが終わって帰宅後、たった数時間でまた新聞配達に行かなければならない。
「土日はゆっくりできたのでなんとかこなしていましたが、正直きつかったですね。でも、根性はかなり鍛えられました。稼いだお金は、すべて高校の学費と生活費に充てていました」

「早く就職して、お金を稼げるように」
高卒採用で電気関連の会社をめざす

 「高校を卒業したら大学へ行かずに働く」 そう決心していた。大学へ進学する費用がなかったため、とにかく卒業後の就職先を決めることに懸命だった。アルバイトに追われ、遊ぶ時間はなく、必然的に友人も少ない孤独な高校時代だった。時折、ちょっかいを出してくるヤンチャな学生もいたが、そもそも相手にする暇もなく、取り合わなかった。
 戸髙氏が進学した工業高校は、強い目的意識を持って入学してくる生徒と、そうではない生徒に分かれる傾向にあった。成績も上下の格差が大きい。戸髙氏は前者で、就職するための技量や能力を身につけることを目的に入学した。中学時代、理科や数学が好きで成績もよかったので、商業か工業か迷った末に将来性を見越して工業高校に決めたのだ。
 機械工学や電子についての基本を学んだあと、1年生の後半では好きな学科を選ぶことができる。プログラミングに興味があったが、担任の教師から電気科を勧められた。「浮き沈みがなく、安定して必要とされる仕事だから」というのが理由だった。その言葉に誘われて、戸髙氏は電気科に進むことを決めた。
 電気科では、第二種電気工事士資格を取得することが推奨されていた。アルバイトで多忙の中、昼休みなどのわずかな空き時間を使って資格試験の勉強をした。そんな努力が実を結び、高校2年で第二種電気工事士に合格。さらに就職活動で少しでも有利になるようにと、上位の第一種電気工事士の資格取得にも挑戦して合格することができた。
「早くお金を稼げるようになりたい。そう思いながら、明確に将来像を描いて取得しました。筆記試験の範囲は高校でも学習していた内容だったのでそこまで難しさを感じませんでしたが、実技試験は大変で、学校の先生にもたくさん支えていただきました」

大手太陽光パネルメーカーに就職後電験三種を取得

 高校卒業後は、東証一部上場の大手太陽光パネルメーカーの製造工場に就職。同時期にひとり暮らしを始めた。工場ではラインオペレーターを担当。生産ラインに不具合が起きたときに修理対応をする役目だ。3年ほど、その工場で働いた。  そんなある日、戸髙氏に会社から新規事業への参加要請が入り、東京で新規事業の営業担当として働くことになる。
「PPAモデルと呼ばれる自家消費型太陽光発電システムの仕事でした。ビルや工場などの設備に太陽光パネルを無料で設置させてもらい、毎月の電気料金は、その太陽光パネルが発電した電気をエネルギー会社が買い取ったぶんから支払われるというものです。この事業では、太陽光パネルの所有権はエネルギー会社にあるため、電気設備の保安監督ができる電気主任技術者(以下、電験)の資格を取得することが推奨されました。そのため、私も資格を取ることにしたのです」
 営業部へ異動して東京勤務に変わり、電験資格取得のための勉強を始めた。会社の朝礼で電験三種に挑戦しますと宣言。そしてTACの通学講座へ入学した。平日は会社でハードワークをこなし、時間の取れる日曜日に講座へ通った。翌年、一発で無事合格。当時の勉強の様子を振り返って戸髙氏は言う。
「電験三種は合格までに700~800時間の勉強が必要だと言われていますが、実質300時間くらいで合格できました。試験の一週間前にはちょうど夏休みが取れて、集中学習もできましたし、TACのテキストが非常にわかりやすく整理されていて、講義の進め方ともリンクしており、非常に効率よく学べたからだと思います。高校で身につけた電気系の基礎学力があったこともプラスになりましたが、独学だったら難しかったと思いますね。これから勉強する人は、ぜひTACなどの受験指導校の利用をおすすめします」
 戸髙氏は、そのあとさらにグループ親会社へ逆出向となり、小売電気事業(電気を販売する事業)の企画職に就くことになった。そのため、取得した電験三種は、業務に直接的には必要ではなくなってしまったが、資格は一生ものであるし、今後の仕事で役立つ可能性もあると考えている。実際、親会社へ迎え入れられたのは、資格の取得を評価してもらえたことが大きかった。
 現在、戸高氏は、電気販売の切り替え作業オペレーターの管理や電気販売の進捗・方針を取り決める業務をしている。「より安価な電気を、より多くの家庭や企業に届けたい」と考えているそうだ。そんな電気の小売り事業に取り組む中で、日本および世界のエネルギー問題にも深い意識を持ち、将来の仕事の広がりも考え始めた。特に自然エネルギー開発、とりわけ太陽光発電への取り組みに関して、こう述べている。
「太陽光パネルが急速に普及したことで、パネルを設置するための森林の伐採などで環境破壊につながる問題が大きくなっています。中には悪質な事業者もいるので、太陽光パネルのイメージ自体が悪くなってしまっていますが、日本は脱炭素化の観点から新しい自然エネルギー開発に積極的に取り組んでいかなければならない状況にあります。今後は、太陽光パネルの生産における脱炭素化、輸送や設置における脱炭素化も含めて、環境に影響を与えることなく、効率よく設置する方法も検討していかなければならないでしょう。課題はたくさんあり、今後の人生を通して、様々なエネルギー問題に取り組んでいきたいと思っています」

学歴への劣等感は、資格取得で消えた そして、今さらなる未来へ

 正直、学歴には劣等感があった。電験三種に合格後、スキルを手に転職しようかと考えたときのこと。どの求人も応募要件が大卒以上のものばかりだったため、受験資格がなく面接を受けることすらできなかった。「資格を持っていても大卒でないとダメなのか…」と落胆することもあったが、会社に相談したところ、資格を持っているならと待遇を改善してもらえた。さらに親会社に行ったことで視野が広がり学ぶ機会も増え、資格のおかげで同僚や上司からも高く評価してもらえるようになり、会社の役員たちにも名前を知られるようになった。
「今後は、上位級の電験二種にもチャレンジしてみようと思っています。さらに、認定試験を受けて大学卒業資格を取得したり、日商簿記や中小企業診断士のようなホワイトカラー寄りの資格を取ったりと、できることの幅を広げていきたいと考えています。また、マネジメントにも興味があるので、将来的に親会社から子会社へ戻ることがあれば、昇進して課長クラスをめざしたいです。高卒で課長になっている人はいないので、初めての例を作りたいですね」
 資格の取得をキーワードに、今後もキャリアアップをねらう戸髙氏だが、プライベートでも活躍の場を広げているようだ。就職してから社会人サークルを運営し始めた戸髙氏は、アルバイトと勉強に明け暮れて孤独だった高校時代から、一転して友人もたくさん増やすことができた。会食をしたり、旅行へ行ったり、それぞれの家に泊まりにいったり、高校時代にはできなかったことを楽しんでいる。
 今、社会にはSDGsという課題が掲げられている。人類がこのまま、様々な問題を解決できずに絶滅に向かってしまうのか、それとも英智を結集して持続可能な社会を作ることができるのか。あまりにも大きな課題だ。そんな中、エネルギービジネスの中心で、今日も戸髙氏は活躍している。自然エネルギーの課題、脱炭素化への長い道のり、やるべきことは山のようにある。しかし将来、持続可能な社会が築かれるのだとすれば、その柱の1本は紛れもなく戸髙氏になるだろう。そしてそれは、困難な時代を乗り切って今を築いた、決して折れない強く太い柱だ。

[『TACNEWS』 2021年8月号|連載|資格で開いた「未来への扉」]