日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2022年8月号

海野 裕貴氏
Profile

海野 裕貴氏

海野税理士事務所 代表
税理士 行政書士
CFP®️ 1級ファイナンシャルプランニング技能士

海野 裕貴(うみの ひろたか)
1973年、京都府生まれ。同志社大学法学部卒。同志社大学大学院法学研究科私法学専攻修了。2002年、CFP®試験合格。2003年、税理士試験合格。2004年、税理士登録。新卒として1年間、国際証券(現:三菱UFJモルガンスタンレー証券)にて営業職に従事。1年間の税理士試験専念を経て、FPシステム会社に入社。3年半勤務した後、株式会社東京ファイナンシャルプランナーズ入社。退職後、アリコジャパン(現:メットライフ生命)に勤務。2007年4月、海野税理士事務所として独立開業。

税務顧問、相続の事前対策に加え、人生100年時代の資産形成ために、フィンテック分野を極めていきます。

 証券会社、システム会社、FP会社、保険会社を経て税理士として開業。海野裕貴氏のキャリアは、決して一直線に進んできたわけではない。しかし、曲がり道ばかりに見える人生のストーリーをひも解いていくと、その着地点は腹に落ちる感覚がある。現在、会計顧問と相続の2本柱にフィンテックを融合させている海野氏に、税理士になった経緯から勤務時代の経験、独立開業の経緯、「顧客ゼロ、売上ゼロ」の状態から今日に至るまでの様々なエピソード、そして将来の展望についてうかがった。

お金に関する分野で働きたい

 京都で生まれ育った税理士の海野裕貴氏は、中学・高校とバスケットボールに励んでいた。高校卒業後は同志社大学へ進学したいと思っていたものの高校時代の学力では及ばす、一年浪人をして同志社大学法学部に入学。ほどなく、「せっかく法律の勉強をするのだから何か形にしたい」と考えて司法書士の勉強を始めた。
「ところが司法書士の勉強がまったく肌に合わなくて、途方に暮れました。大学で勉強していて、おもしろいと思ったのは法律ではなく、一般教養の科目で勉強した会計の分野だったのです。そんなときに雑誌で知ったのが、当時活躍し始めていたファイナンシャル・プランナー(以下、FP)という存在です。そこからさらに『お金の分野で身になりそうな、おもしろそうな資格はないか』と調べました。そのとき見つけたのが税理士です。ただ、そのときは自分がその職業に就こうとまでは思いませんでしたね。ただ、将来はお金に関する分野で働きたいと思い、大学院進学後は会計のゼミに入れてもらって、商法や証券取引法(現:金融商品取引法)の勉強をしていました」
 海野氏が就職を考えた頃は、「金融ビッグバン」という大規模な金融制度改革が実施された時期でもあった。
「就職先は証券会社を志望しました。勉強してきた証券取引法の知識を活かせますし、個人のお客様に対してリスクのある商品を提案することもある証券会社なら、組織そのものの信頼度に頼らず、私個人の実力を試せると考えたからです」
 折りしもバブル経済がはじけ、失われた10年と呼ばれる時代の最中。北海道拓殖銀行や山一證券の破綻、証券会社による一連の総会屋問題が勃発し、景気はどん底で証券会社のイメージは最悪だった。採用も軒並み絞っていた中で、唯一新卒を採用していたのが国際証券(現:三菱UFJモルガンスタンレー証券)だった。
 国際証券から内定をもらったあと「入社前にAFP資格を取るように」と言われた海野氏。「必死に勉強して、ようやく内定時代にAFP資格を取得できました」と当時を振り返る。

きっかけは「顧問税理士に任せているから」の一言

 入社後は東京本店の配属となり、新規開拓営業として社会人の第一歩を踏み出した。午前中に500枚以上のチラシを配り、午後は数百件の営業電話をする日々。いわゆる飛び込み営業が最初の仕事だった。
「真面目に実直に毎日チラシを配って営業電話をしていると、ポツポツと声をかけていただくことがあって。たまたま大きな商売をしている方から『君に任せるよ』と、大口の契約を受注できたのです。それで70~80人いた新卒の中で成績上位10位に入りました。まぐれではありますが(笑)」
 努力と運に恵まれて好成績を上げていた海野氏は、法人営業を続けているうちに営業先の社長に話を聞いてもらえることが増えていった。だがある程度は話を聞いてもらえても、踏み込んだ提案をすると最後は「うちは顧問税理士に任せているから」という台詞で断られてしまう。それも一度や二度ではない。「会社の経営者が頼っている“税理士”って、一体何者なんだ?」と疑問に思った海野氏は、そこで初めて税理士について本格的に調べ始めた。そしてこのとき、京都にいる伯母が税理士の仕事をしていることを知ったのだった。
 伯母に話を聞くと、会計・税務は会社にとって要の存在で、税理士は会計と税務に関わる重要な資格だという認識が深まった。
「これがターニングポイントになりました。営業成績は割と良かったものの私にとって新規の飛び込み営業はかなりつらくて、逃げ出したかった。そのタイミングで税理士について伯母から話を聞いて、本格的に調べてみたところ、かなりおもしろい仕事なのではないかと思ったのです。証券会社で働きながら勉強する道もありましたが、さすがにあのハードワークと両立して勉強するのは無理だろうと。そこで思い切って退職して京都に戻り、税理士の勉強に専念することにしました」
 受験専念宣言をしてから、受験指導校に通い1日10時間勉強に費やす受験生活が始まった。当時はまだ大学院修了によって税法の3科目の試験が免除される制度もあったので、税理士試験に必須の会計分野の科目である簿記論と財務諸表論2科目の合格をめざした。それまで証券取引法や商法は学んだことがあっても、簿記・会計はまったくのゼロスタート。海野氏は「むしろそれが新鮮で、新たな気持ちでスタートラインに立つことができました」と振り返る。
 1年間は受験に専念し、2年目からはシステム会社に入社し働きながら勉強を続けた。
「証券会社でお客様に相対する日々の中で、FPの知識も確実に必要だと肌で感じていたので、税理士試験と並行して、CFP®もめざしていました。合格後は、税務の部分を柱にして、FPとのシナジーを活かしながら仕事をしていければと考えました」
 税理士試験の簿記論と財務諸表論、全6課目あるCFP®の勉強をしながらシステム会社に勤務。三足のわらじを履いた勤務1年目、何とか財務諸表論に合格し、残るは税理士試験の簿記論と、CFP®試験の2課目を残すのみになった。とはいえ勤務先は金融機関のシステムを構築するベンチャー企業。IPOをめざしていたこともあり、泊まり込みでの仕事もあるハードな環境だった。
 金融機関から「元利均等返済・元金均等返済両方のロジックを入れた住宅ローンの計算シミュレーションができるようなシステムを組んでくれないか」と依頼が入ると、SEとの間に入って翻訳する。それが海野氏に求められた仕事だった。残念ながら簿記論はシステム会社にいた2年間のうちには合格できず、同じく税理士をめざしていた同僚にも、仕事と勉強の両立に挫折し、合格を諦める人が出てきていた。
「このままだと自分は税理士になれないかもしれない。焦りと不安が募ったので、仕事はおもしろかったのですが、退職して一旦仕切り直そうと思い、勉強しながら会計の仕事ができる環境を探して転職活動を始めました」
 こうして会計事務所への転職活動を始め、入所したのが山田&パートナーズグループ傘下の東京ファイナンシャルプランナーズ(以下、TFP)だ。海野氏は税務会計ではなく、FPシステム担当としてのキャリアを買われたのである。
 「税理士の勉強はできますか?」どうしても簿記論に合格したかった海野氏は、入社前の面接でそう聞いた。「大丈夫、全員税理士になれます。税理士法人グループなので、税理士法人の仕事をサポートすることも頻繁にある。その意味でも良い環境ですよ」と理路整然と説明され、納得した海野氏は入社を決めた。
「ところがこの事務所も結構なハードワークで(笑)。ですが、社内にはハードワークをこなしながら資格取得した人たちがたくさんいました。そのうちのひとりでもある上司に、『簿記論を取らなければクビだからね』と、檄を飛ばされまして。ハードワークを見事にこなす優秀な上司や先輩を見て、『この人たちみたいになりたい!』と、一気にモチベーションが上がったのです。
 そこからは受験勉強に向かうスタンスも変わりました。夕方6時になると仕事を中断してTACに向かい講義を受け、終わったら再び事務所に戻り、仕事をして終電で帰宅。自宅で復習してから就寝、また朝を迎えて仕事をする。仕事と勉強の両方をがんばる生活になりました」
 こうして2003年、海野氏は簿記論に合格。2年間の実務要件を満たしてTFP在籍中の2004年、晴れて税理士登録を果たした。

FP講師として全国行脚

 ベンチャー気質があったTFPは「やる気があって手を挙げれば何でもやらせてもらえる」風土だった。そのときすでにCFP®に合格していた海野氏は、自ら挙手してFP講座の講師としてタックスプラングや相続・事業承継について講義をするなど、海野氏自身も在籍中はいろいろなことに挑戦していた。
 税理士登録も済ませ順調にTFPでキャリアを積んでいた海野氏だが、入所から3年半程経った時期に再び転職をした。
「TFPで懇意にしていた方がアリコジャパン(現:メットライフ生命)に転職されて。その方から、保険の営業担当向けの研修を実施する部署を新たに作るという話を聞きました。『FPの観点と税金の観点の両面から顧客にきちんと説明できる知識』を身につけてもらうことを目的としていると聞いて、私はとても興味が湧きました。税務を柱にした税理士は数多くいる。他の税理士と差別化するには、もう1つ別の柱が欲しい。そう考えていた矢先、日本人の90%以上が加入しているという保険分野を極めてみようかなと考えたのです」
 こうしてアリコジャパンに転職をした海野氏は、「コンサルティングセールス研修部」と呼ばれる新設部門に所属し、ほぼ毎日を営業担当向けの研修講師の仕事や、税金のプロフェッショナルとして営業担当に同行する仕事に費した。
「コンサルティングセールス研修部には社会保険労務士、米国公認会計士など、士業が大勢所属していましたが、当時、税理士は私ひとりでした。初めて税理士が入ったということで、常に『税理士は海野』という触れ込みで名前を広めてもらえました。
 また、営業と同行してお客様とお話をするときに、必要がない場合は保険を勧めないことをポリシーにしていました。営業担当者にしてみたら保険を売ることがすべてかもしれませんが、保険でなくても解決できることはあります。だから『保険を売るスタンスは一切取らないけど、それでもよければ一緒にやろう』と、営業担当者に話していたんです。長い目で見れば、お互いにその方がwin-winです。だって税理士が保険を売り出したら、お客様はうさん臭いと思うでしょう。税理士ができるお客様にとってのベストアンサーを考えるのが一番。お客様にとってもし保険という手段がベストであれば保険を勧めますが、そうでなければきちんと保険は必要ないと正直にアドバイスするようにしていましたね」
 そんな風に全国各地のトップ営業にアドバイスをしていく中で、幅広いネットワークを作り上げていった海野氏。周囲には20代で一生懸命仕事に励み、30歳を超えて独立開業したり、新境地でステップアップしたりする仲間も出てきていた。
「金融機関の中で働いていると、できることは限られる。自分も独立して新しい税理士像をめざそう」
 全国を飛び回った3年間が終わる頃、海野氏はいよいよ独立開業を決意する。2007年5月、33歳のときだった。

顧客ゼロ・売上ゼロからのスタート

 夢を抱えて意気揚々と開業したものの、海野氏はスタートからつまずくことになる。アリコジャパン時代のネットワークを活かす算段だったのがうまくいかなかったからだ。当時一緒に仕事をしていた営業担当たちに「独立開業しました」と挨拶状を出しても、反応はなかった。
「アリコジャパンの営業担当者は組織の中で完結するやり方で仕事をしていますから、簡単に外部の人間と組もうとはしません。私は勝手に自分が信頼されていると思い上がっていたのです」
 顧客ゼロ。売上ゼロ。貯金は減っていく一方。しかも税理士として顧客を獲得する方法は何ひとつ知らない。開業初年度は研修講演料の売上のみで、税務の売上はひとつもなかった。
 途方に暮れていたある日、古巣のアリコジャパンのコンサルティングセールス研修部の部長が「セミナーの講師をやってみるか?」と声をかけてくれた。アリコジャパン時代に毎年、営業担当者に向けて税制改正セミナーを開いていた経験のある海野氏。セミナー講師の仕事なら自信がある。藁にもすがる思いで引き受けると、関東圏と関西圏でそれぞれ200人枠のセミナーが満席になった。
 セミナーの中で海野氏は「独立開業しました。皆さんどうぞお声掛けください」と訴えた。また、セミナーだけでなく、在籍時代と同様に、営業担当者と顧客先に同行した。もちろんそれで自分の仕事をもらえるわけではない。相変わらず顧客ゼロの状況は続いたが、なぜ海野氏はこの取り組みを続けたのだろうか。
「何事もギブアンドテイク。ギブから始めるからテイクがある。お役に立てることがあるなら、全部やっていこうというスタンスで同行していました。すると次第に『海野さん、会計事務所やってるの?じゃあ顧問お願いしてもいい?』という声がポツポツと出てくるようになって。そこから顧問先が少しずつ増え始めましたね。開業2年目のことです」

相続の事前対策に注力

 顧問先ができ始めた時期のある日、金融機関に転職したTFPの先輩から「相続の全国セミナーをやるためにセミナー講師を探している。君は確かFP講座の講師をやっていたよね?」と声をかけてもらった。2~3件引き受けているうちに、気がつけば全国津々浦々何十ヵ所も講演をして回るようになった。相続対策を考える個人向けのセミナーだったため、参加者からの相続に関する相談が一気に増えていった。
 そんな全国を飛び回る日々が、2008年秋のリーマン・ショックで一転した。講演依頼は激減し、ほとんどなくなってしまったのだ。
 海野氏は既存の顧問先と相続のお客様に向き合いながら、少しでも仕事を増やすため、相続対策や相続準備に関するコンサルティング力を高められるように勉強を続けた。そして新しいサービスを立ち上げていくうちに、また少しずつ顧問先が増えて、結果的に、会計顧問と相続分野の比率が半々となった。それは今でも変わらず、この2つが事務所の柱となっている。
 そしてさらにこの相続分野で、海野氏はさらにサービスのすそ野を広げていった。
「相続発生後に対処する仕事が相続税申告ですが、相続は残された家族にとって第二の人生のスタートでもあります。そこをいかに円滑に進めていけるようにするかを考えると、やはり相続が起こる前にきちんとした準備が必要になります。今でこそ声高に事前対策を謳う人はいますが、私たちはずっと事前対策をやり続けてきました。
 事前対策には長い時間がかかりますので、しっかりお客様に寄り添っていくことに注力しています。お客様には富裕層が多いので、退職金準備であったり、事業承継であったり、相続だけでなく、相続をベースとして幅広くアドバイスをしています。相続税申告だけでなく相続前の対策提案をしていくことで、老後から相続まで一気通貫で良いものにしようというスタンスです。残された家族が相続発生後に財産を引き継ぎやすくなるようにという視点も持ちながら、お客様に伴走しています」

10年目に「事務所2.0」で新たな方向性を策定

 自宅の横浜・東戸塚の1室で開業したとき、事務所はパソコン1台にプリンターを繋げただけのオフィスだった。その後、顧客の増加にともなって、2011年に鎌倉に移転するタイミングでスタッフの採用が始まった。ここから組織運営がスタート。気楽にひとりでやっていた時代と違って、今度はマネジメントの難しさを痛感した。
「自分が考えていることや向かおうとしている方向を言葉で表現することの難しさ、我慢すること、感謝すること、いろいろ大切なことを学びました」
 2017年、開業から10年が経ったとき、事務所の明確な方向性を「事務所2.0」として打ち出し、新たな事務所作りに乗り出した。
「全部ひとりでやっていた仕事を、組織として取り組むようになって、人に任せることの難しさを学びました。そこから信頼できるスタッフを大切にしつつ、自分のやろうとしている方向性を明確にして、第2ステージとして新しい事務所づくりをしようと考えました。その指針が『事務所2.0』です。現在もまだ道半ばですが…。 
 ちょうどその時期に、フィンテックを使って金融業界を変えていこうという動きが世の中に出てきました。『これは絶対に会計業界にも波が来る』と思ったので、いち早くフィンテックに大きく舵を切って先手を打つことにしました。そこからキャッシュレスやクラウド会計の分野にシフトしていったのです」
 「フィンテック」とは「ファイナンス」と「テクノロジー」を併せた造語で、このフィンテックが会計業界にも大きな変化をもたらし、会社経営も劇的に変わると確信したという海野氏。
「そうなれば事務所経営も業務形態も、劇的な変化を遂げなければなりません。例えば、スマートフォンで決済できてお金の入出金や資産管理もできるキャッシュレスライフや、クラウド会計を使い経営分析をするといった新しい価値創造に活用する。こういった新しい提案をし続けることで、フィンテック分野を徹底的に極めていきたいです。
 また、人生100年時代に、具体的にお客様はどのようなサービスを求めているのか。そこを考えました。資産をきちんと作れなければ、長い人生を思い通りには過ごせません。税理士でありFPの立場から沢山のお客様の声を聴いて、退職金であったり、老後の話であったり、現役の経営者が引退したあとにハッピーな生活を送りたい、というお客様のニーズに焦点を当てました。だから少し長い目で見て、『この先もきちんと幸せな生活を送れるように資産形成のサポートを』というところからスタートしています。私たちのお客様も当然毎年、年をとっていくわけですから、待ったなしで本腰を入れて準備していかなくてはいけない。そこはFPであり税理士である私の、腕の見せ所だと思います」

「ママ」が主役の会計事務所

 緩くて穏やかな環境が好きな海野氏は、都会にあるオフィス然とした場所はあまり好まない。「いかに“緩い”環境で仕事できるか」を考えていたとき、現在事務所のある鎌倉に良いオフィスを見つけた。
「窓から見える風景が気に入って、ここに決めました。窓が広くて、海や山が一望できる。このエリアが大好きで、できるだけこの辺りをウロウロして過ごしたいと思っています(笑)。自然と東京方面ではなくて、鎌倉中心に仕事をするスタイルになってきましたね」
 アリコジャパンの営業担当者の力を借りていた開業当初、関東圏全体に分布していた活動エリアは、現在、拠点とする神奈川県内の横浜・湘南・鎌倉が9割を占めるようになった。そこで現在も会計顧問と相続の2本柱のまま、できる限り業種は絞らず幅広い業種のサポートを心掛ける。他業種からの情報が顧問先にとって有益情報になるからだ。
 フィンテックや資産形成などで新たなコンテンツを作り出すことで、新しい税務サービスを展開している海野氏は、鎌倉の地域活性化にも力を入れている。地元鎌倉を盛り上げるために設立したのが「合同会社かまくらの学校」だ。
「地元の事業者のファンを作ろうという、SNSを主軸にしたプロジェクトです。地元の事業者に先生になってもらい、オリジナルブレンドのコーヒー豆作り、大手出版社とタイアップした鎌倉の歩き方講座、人気DJとのFMラジオ番組作り、鎌倉彫スプーン講座など、体験型授業を企画してきました」
 次は生まれ故郷の京都に拠点を出したいと考えていたが、コロナ禍で仕事の場所を選ばない働き方が主流となってからは考えが変わってきたという。
「これからは場所にとらわれず、海外も含めどこでも仕事ができる環境を作るのが目標です」
 現在、事務所は海野氏を含め8名体制で、うち税理士は海野氏と業務委託の2名だ。
「事務所の特徴は、スタッフがみんな会計業界未経験で他業界出身ということ。業界未経験者は、業界の常識にとらわれず柔軟にいろいろなことに対応できて、会計事務所がこれまでに提供してこなかった良いサービスを提供できる人が多い。ですから、他業界の経験がある方をあえて採用しているのです」
 人材面でのもうひとつの特徴は、子育てしながら働く「ママ」が主役の事務所であること。子どもが小さいうちは時短勤務で、手が離れたらもっと活躍してもらえるようにと、徹底的に子育て中の女性スタッフに配慮することをコンセプトに環境を整えている。
「皆さん目を輝かせて、一生懸命働いてくれます。育児で時間的制約がある中でも、第一線で活かせる力を発揮したい。そんな女性たちに力を貸してほしいので、活躍できる職場環境を整えているのです」
 コロナ禍で進んだリモート勤務主体の事務所には人影がまばら。2022年4月から、総労働時間を決めた上で、働く時間帯や働き方自体もコアタイムを除いてかなり自由に選択できるようにしたという。子育て世代の活躍を支えるフレキシブルな勤務形態をここまで実現している会計事務所はなかなかないだろう。

「マネージャー」より「プレイヤー」

 今後の事務所の方向性として「まずは、フィンテックを意識したクラウド会計の推進で、入力作業の自動化を進めていくことをめざします」と海野氏は話す。
「徹底的に自動化を極め、事務所は付加価値の高い情報提供にシフトする。それによって空いた時間で、お客様にとってさらに良いアドバイスができる時間を作っていける事務所にしたいと、スタッフ一丸となって取り組んでいます。今後も会計顧問と相続の2本柱ですが、サービスの形態はどんどん変わっていくでしょうね」
 しかし、効率化を進めることで海野氏自身がお客様と接する機会がなくなるのは本意ではないという。
「私のスタンスはマネージャーよりもプレイヤー。誰かにまるっきり任せてしまうようなマネジメント的スタンスは得意じゃないので、お客様と直接やりとりしながら、少しずつ、サポートしてくれる優秀なスタッフを増やしていきたい。そういう意味ではスタッフをあと3~4人は入れていきたいですね」
 最後に、税理士をめざして勉強中の人に向けて、相続業務の魅力を語ってくれた。
「会計顧問よりも相続のほうが、ハードルが高いように思えますが、実は相続のほうが一度取り組むと仕事になりやすい。会計業務はいろいろなことが起こり得るので、『これだけやってもまだまだだな』という気持ちになることがあります。一方、相続は、細部は奥深いですが、知識の範囲としては会計顧問よりコンパクトだと思います。私は、相続で深堀りしていったほうが、実は実務家として活躍しやすいのではないかと思っています。
 もうひとつお伝えしたいのは、会計顧問の仕事にも言えることですが、例えば不動産売却や譲渡は司法書士、遺言書は行政書士、あるいは遺産分割で争う場合は弁護士と、ひとつの相談案件でも様々な士業が出てくるように、相続には税理士だけでは完結しない面があります。他士業との横のネットワークが大事になるので、若いうちからネットワーク作りに励んでおくことをお勧めします。ネットワークが広がれば、お客様からの相談に対して『任せてください』と言える機会が非常に増えます。加えて、相続のお客様は専門用語を使わない高齢者や主婦の方が多いという特徴があります。堅苦しくなく緩やかに接するほうが得意な方は、相続はおもしろい仕事かもしれませんね。
 相続や事業承継の業務はハードルが高いと思われがちなようですが、とにかく一度実務に飛び込んでみるのが一番。早く実務に就くにはTACなどの受験指導校を上手に活用するのも有効な手段です。できる限り受験勉強期間を短くできるよう、ぜひがんばってください」


[『TACNEWS』日本の会計人|2022年8月号]

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