日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2021年11月号

Profile

北村 哲嗣 氏

FUNS税理士法人
代表税理士

北村 哲嗣(きたむら てつひろ)
1978年4月生まれ、東京都出身。1981年より埼玉県に転居。2001年3月、法政大学経営学部経営学科卒業、在学中に税理士試験会計科目2科目に合格。2003年3月、国士舘大学大学院法学研究科修了。2004年4月、勤務先の会計事務所を退職。2004年8月、税理士登録、北村哲嗣税理士事務所を開業。2019年7月、FUNS税理士法人に組織変更、現在に至る。

税金の計算をするだけのプロフェッショナルじゃない。
中小企業の社長さんのためなら何でもします。

 独立してスタッフを雇うようになると、士業も「ヒト」のマネジメントに頭を悩ますことが多い。個人事業主から経営者への転換点だ。独学で組織を作っていこうとした税理士の北村哲嗣氏も、この転換点から、試行錯誤を繰り返す苦難の道を経験することになった。総勢26名のFUNS税理士法人を率いる北村氏は現在、組織運営を軌道に載せ「日本一スタッフの笑顔があふれる企業」を実現しようとしている。北村氏はどのように組織改革を進め、「ヒト」を育ててきたのか。税理士をめざした経緯や将来のビジョンとともにうかがった。

意気込んで始めた公認会計士受験で挫折

『東京都心から、下り電車に揺られて小1時間。最寄り駅はJR宇都宮線・東武日光線の「栗橋駅」です。田園風景が広がる関東平野のど真ん中。人の数よりカエルの数の方が多いかも?都会の華やかさはないですが、自然を感じられる生活は居心地よいです……』
 爽やかな風が吹く田園風景のブログかと思いきや、埼玉県加須(かぞ)市にあるFUNS税理士法人の求人サイトにある事務所の紹介文だ。代表税理士・北村哲嗣氏は、仕事をしているときはストイックで真面目だが、オフでは本能のままにお酒を飲んでは笑って踊る、およそ「税理士らしくない」タイプらしい。北村氏はどのようないきさつで税理士になり、ここ加須市で税理士法人を始めたのだろうか。
 東京生まれの北村氏は4歳のときに埼玉県に移住。以後、ずっと埼玉で暮らしてきた。
「高校時代は学校をやめることばかり考えてましたね。学校がつまらなくて」
 北村氏が通っていたのは都内の超進学校。官僚や大手企業への就職をめざして必死に勉強している同級生に馴染めず、学校では友だちができなかった。地元の仲間と遊んだり、知り合いの工務店で住み込みのアルバイトをしたりという高校生活だった。
「満員の通勤電車に揺られて、人に席を譲ることもできないくらい疲れている人。それが、都内の高校に通っていたときに抱いていたサラリーマンのイメージです。サラリーマンにだけは絶対なりたくない。もっと人間味のある生き方がしたい。何かいい職業はないかと学級文庫を調べたら、『文系ではトップクラス、将来独立もできる無敵の資格』として公認会計士(以下、会計士)が紹介されていたのです。会計士になれば違う道が拓ける。どうせエネルギーを使うなら、大学受験じゃなくて会計士受験にしようと決めたんです。
 当時も『会計士といえばTAC』でした。そこで、東京の飯田橋にある法政大学に入って隣駅の水道橋にあるTACに通い、会計士をめざそう。そんな戦略的なキャリアプランを立てました」
 進路を決めた北村氏は、定期テストだけはがんばって点数を稼ぎ、指定校推薦で法政大学経営学部に進学。学内の講座で日商簿記検定3級、2級を取得して、その後TACで会計士をめざした。しかし、意気込んで始めた会計士受験は、本試験に挑戦することなく終わってしまった。

在学中に税理士試験の会計科目に合格

「実は高校時代から今の妻とつき合っていて、高校を卒業してすぐ結婚するつもりで一緒に暮らし始めたんです。彼女は社会人でしたので、金銭的な部分でも頼りっきりでした。
 でも会計士をめざすなら、1日10時間勉強しなきゃいけない。2人でゆっくり過ごす時間なんて全然ありませんでした。会計士になるために大学に入ったのに。幸せになるためにこの道を選んでるのに。会計士試験なんて気合いで受かると思っていたのに。結局、能力も気力も足りてなくて挫折です」
 こうして一度も本試験に挑戦することなく会計士受験に挫折した北村氏は、会計士の勉強をムダにしないため、同じ会計系の国家資格である税理士をめざすしかないと考えた。科目合格制度のある税理士試験なら、短期集中で詰め込まなくても自分のペースで合格をめざせるはず。こうして北村氏は、大学2年の途中から税理士受験に進路変更し、大学3年で財務諸表論、4年で簿記論と、現役で会計2科目に合格した。しかし残り3つの法律科目は馴染みもなく少し難関に思えた。当時はまだ大学院修了による法律科目の免除制度があったため、北村氏はその制度適用をめざして国士舘大学大学院法学研究科に進学。これで大学院を修了すれば税理士になれる。北村氏は大学院1年で結婚し、都内の会計事務所でアルバイトをしながら大学院に通った。無事2年間で修了し、法律科目の免除を受けることができたのだ。
 大学院修了後、北村氏はアルバイト先の会計事務所に正社員として入社した。当時は創業間もない小さな会計事務所で、中小企業の月次巡回監査と試算表作成、決算・申告に携わり、アルバイトと正社員で合計2年の税理士登録の実務要件を満たした。北村氏は、そこから一気に独立開業に突き進むのだが、独立の経緯を次のように話す。
「先生が優しい方だったので、自分から学ぼうという姿勢がなくても、仕事は回せたのです。それに甘えてつい生来の怠け癖が出て手抜きしてしまう自分がいた。このままではダメだ、環境を変えて働こうと思ったのです。ただ、どうも人に雇われるという働き方にしっくりこない感じがあって。それなら別の事務所に移るのではなく独立するしかないだろうと考えたんです」
 こうして2004年8月、26歳で北村氏は独立開業に踏み切った。
「埼玉に戻りたかったという気持ちもありましたね。妻の実家が大利根町(現・加須市)で農家をやっていたので土地を借り、国民金融公庫から開業資金の融資を受け、家を建てて自宅の一室を事務所にしたのです。私にとって大利根町は妻の実家があるという以外、縁もゆかりもありませんが、儲からなくてもいい、10年後に顧問先が30件ぐらいあれば細々と食べていけるだろうし、ダメだったら資格があるからまた勤めればいい。半分仕事して半分家庭菜園やってと、当初はのんびりしてましたね(笑)」
 なんともマイペースな事業計画だ。ここから先、フルスロットルで働き続けることになるとは、このときの北村氏はまだ知らなかった。

「個人事業主」から「経営者」へ

 開業地に地縁もなく知り合いもいない北村氏は、Webサイトで集客を試みた。まだWebサイトを持つ会計事務所が少ない時代にきちんとページを作り込み、「26歳、若くて親しみやすい税理士です」とアピールすると、当初の計画だった「10年後に顧問先30件ぐらい」をはるかに上回る多くの問い合わせが来た。
「当時、近隣の春日部市、久喜市、古河市には、東京から移住して商売を始めた人たちがたくさんいました。でも、地元で税理士を探しても見つからない、人脈がないので紹介してもらったもののすごく年配の税理士が出てきたなど、東京の感覚を持っている人には違和感ばかりだったようで、そこにうちのWebサイトがバチっとはまったんですね。次々に問い合わせがきて、『若い税理士さん、探してました!』と言われました。新規の商談を3件回って事務所に戻ると、また新たに2件問い合わせが入っている、なんて具合でしたね」
 開業当初、北村氏は妻と義母に入力作業を頼んでいた。しかし、仕事はすぐに回りきらなくなり、1年半後には自宅の隣に離れを建てて事務所とし、スタッフを採用。その頃にはすでに顧問先が60件超で、そこからは毎年30件以上のペースで増加。この頃から北村氏の苦悩が始まる。
「スタッフを入れて4人体制にはなりましたが、税務ができるのは私しかいません。他の3人は入力作業専門なので、外回りはもちろん、決算から申告書まで全部私の仕事です。3月決算も1人で15件抱えて、これはムリだとなったんです」
 そこで、仕事が増える前にスタッフを採用して、育てていくことにしたが、今度は1人育てると顧問先が増える。また人を入れては育てるという無限ループが始まった。
「当時、1セット300万円する会計ソフトを入れて、5年リースを組んでいました。そこに先行投資でスタッフを1人採用すると、さらに年間約300~500万円かかります。こうなると、新規顧客が年間30件増えたくらいでは採算は合わないですよね」
 資金調達をしてスタッフを雇用。急拡大し、またお金を借りる。どんどん仕事が来るから、また人を入れてとにかくこなす――。そんな自転車操業状態がずっと続いた。
「そもそもスタッフの採用をしたことがなく、満足な勤務経験もないのに、雇われる人の気持ちがわかるわけがない。自分は経営の要素『ヒト・モノ・カネ』を本当にわかっているのだろうかと、悩み続けました」
 ここが、北村氏が個人事業主から経営者へと変わる転換点だった。目が回るような日々を送りながら、北村氏は経営者としての経験不足を実感していた。

製販分離への取り組み

 急成長していても、資金繰りはひっ迫し、スタッフの給料は横ばい状態が続いた。何とかしなくてはと思いながらも、事務所経営やマネジメントに手をつける暇などなかった。追われるようにひとりで決算を組み申告書を作成し、意思決定して事務所を回していたある日、北村氏はついに過労で倒れた。
「心拍数が上がっていたけど確定申告期の真っ只中だったので、市販薬を飲んで、仕事が終わったら病院に行こうと思っていたんです。そうしたら倒れて救急車で病院に運ばれました。自立神経がいかれてパニック障害を起こしていたんですね。当時は顧問先の社長から教わることすべてが新鮮だったのでとにかく全部吸収したくて、3ヵ月間1日も仕事を休んでいなかった。頭の中は24時間フル稼働でしたね」
 2008年4月のことだった。人も増え、顧問先も100社以上に膨れ上がっていた。
「100社以上のお客様を自分だけでは全部把握できないんですよ。管理監督する人間が私ひとりでは機能しない状況になっていました。組織を知らない人間が独学で組織を作った結果かもしれません。あるいは、毎日増えていく業務量をこなすには、これしか方法がなかったのかもしれない。とにかく、増やしてしまった業務量をスタッフ7~8名で飛び回ってさばかなければならなかったんです」
 幸い、体は大事には至らなかったが、このままではダメだとはっきり確信した。
「このまま自分が笑顔になれなければ、お客様の笑顔をサポートすることなんかできない。自分が死んだらお客様は守れないんだと冷静になりました。ここからですね、業務のマニュアル化とサービスの標準化に取り組み始めたのは」
 組織改革が始まった。まず、管理者の権限と責任を委譲してフラットな組織をめざした。グループウェアを導入して、誰が見てもわかる報告システムを作って進捗を管理し、業務を可視化できるようにしたのである。
 こうして2011年からスタートしたのが製販分離だ。当時の会計事務所は、1人の担当者が毎月顧問先を訪問して資料を受け取り、入力作業から月次の試算表の作成、そして決算申告まで行うやり方が主流だった。それを、各種コンサルティングサービスをするお客様担当の「コンサルティング部」、データ入力から経理書類整理等をパートスタッフが担当する「アカウンティング部」、その真ん中に位置して会計データ監査や月次決算、年次決算、各種申告書などを作成する「タックス部」の3つのセグメントに分ける分業体制に変えたのである。
「製販分離体制にしてマニュアル化と業務の標準化を進め、オリジナルのしくみを作っていった結果、新人でも一連の入力ができるようになりました。それが10年前で、ひと通りの形ができたのは今から4~5年前です。その頃にはうちのサービスラインとして製販分離を商品化していました」

「CCS」の明確化に取り組む

 分業制を構築してからも、さらに人も顧問先も増え続け、事務所は20名体制となった。その頃、北村氏はまた新たな壁にぶつかっていた。
「規模が大きくなってきたので、部署制や評価基準などいろいろとチャレンジしてみましたがうまくいかず、スタッフ同士のトラブルも起きました。一時期は自分で管理することに限界を感じ、マネージャーにすべてのマネジメントを任せて、自分はスタッフとは直接関わらないようにしたりもしました」
 あと10年ぐらい我慢して続けていけば、50歳になるし貯蓄も増える。だからこのままやり過ごそうかなと、後向きの考えも北村氏の頭をよぎっていたという。
「でも、せっかくがんばってきたのに、それじゃつまらないじゃないですか。どうせやるなら楽しんだほうがいい。そこで、FUNSという世界観に行き着いたんです。合い言葉は『SMILE Support. We are SMILE』。『日本一お客様の笑顔があふれる企業』『日本一スタッフの笑顔があふれる企業』。そんな会社をめざして、自分自身を再起動しました」
 北村氏は3年計画を立て、まず文化、価値基準、CCS(コーポレートカルチャースタンダード)を明確にするところから始めた。
「教えるのではなくて、気がつかせる。スタッフが学び実践するのに、私が伴走するんです。組織づくりのコンサルタントに相談しながら、1on1ミーティング、朝礼、社内SNSなど、スタッフとの関係性を構築するところから始めて、SNSで定期的にコラムを出し続け、何度もCCSを伝えたんです。スタッフ自ら人事制度を作り、自分たちで評価し、賞与も決定する。与えられるのを待つのではなく、主体的に動いて、チームメンバー一人ひとりが成果を出す。自分が変わっていくことも必要だし、スタッフが変わっていくことも必要。良い変化の波を作り出せるように、いろいろな施策を打ち始めました」
 3年計画のスタートから、会議のやり方もガラッと変わった。それまでは成果の出ない会議が多かったが、今はその日の会議の議題とゴールを決め、事業のめざすKPI(重要業績評価指標。目標達成のための中間的な指標)や成果、そのためにいつまでに何をどうするかを決めている。この方法の導入後、入社半年の30歳のスタッフに事業再構築補助金のビジネスモデルをヒントに与えたところ、なんと新規10社を獲得してきたという。
 また、CCSの明確化は単に業務推進だけが目的ではない。北村氏は税理士業界の今後を見越して、迫り来る近い将来の対策を打っている。
「税理士は、AIやRPA(ロボットによる業務自動化)に取って代わられる職業ベスト10とも言われます。会計処理業務がいずれなくなることは目に見えているので、スタッフたちが『なくならない仕事』ができるようになるための業務転換を進めています。
 例えば、パートスタッフが1週間の仕事量と勤務時間の累計を可視化できるアプリを自分たちで開発して運用し始めました。将来的にRPAの開発もできるようになれば、会計処理業務がなくなっても、400社のクライアントのRPAと事務合理化コンサルティングから開発を受託できます。そうすれば彼女たちの雇用も守れるし、仕事も増える。そんなキャリアプランを作って、すでにみんなに告知しています」
 これまで入力作業をしていたパートスタッフたちに、ゆくゆくはRPA開発を担当させる。何とも驚きの話だ。しかしこれも3年計画の中で、徐々に成果として見え始めているという。
「CCSを伝え続けることで、メンバー全員のめざす方向性や目標、スタンスが揃った集団になれば、居心地のいい会社になる。自分が帰れる場所になる。会社が楽しい場所に変わってくる。そんな会社になれば従業員満足度も上がってみんなが主体的に動けるようになり、結果としてお客様へも最高のサービスが提供できるようになります。CCSの明確化はそのための取り組みなのです」

合い言葉は『スマイルサポート』

 CCSの明確化を通じ、みんながハッピーになれる組織作りに取り組む北村氏。だが「ヒト」の問題はどんな組織でも永遠のテーマだ。北村氏は、組織に蔓延する不穏な空気、すなわち得体の知れない“モンスター”の出現によって、ヒトの問題は発生すると考えている。だからこそ、いかにしてチーム内にモンスターを出現させずに、みんながスマイルで働けるか。このテーマに、真剣に取り組んでいるのだという。
 2011年に製販分離の組織作りをスタートしたとき、北村氏は「みんながハッピーになれる組織」をめざした。そしてさらに今、「日本一お客様の笑顔があふれる企業」「日本一スタッフの笑顔があふれる企業」をめざして「SMILE Support. We are SMILE」に照準を合わせている。
 その成果は、「以前は経験者を採用し即戦力にするので精一杯だったけど、今はみんなが助け合い、支え合って、笑い合うチームに変わってきている」という北村氏の言葉に表れている。
 過労で倒れたときから10年以上。多くの苦難を乗り越えて、北村氏は今やっと理想の組織を築きあげようとしている。

グループ化で叶えるワンストップサービス

 CCSを提唱した2019年、北村氏はパートナー税理士とともにFUNS税理士法人としてリスタートし、事務所も新築移転した。
 その際、税務会計業務はFUNS税理士法人、専門的なコンサルティングサービスは株式会社FUNSに棲み分け、前年の2018年にはFUNS社会保険労務士事務所、2019年にはFUNS司法書士事務所を併設して、専門家ネットワークによるワンストップサービスをスタートしていた。
「税理士のクライアントから、司法書士業務も社会保険労務士業務も派生していきます。グループ内にその受け皿を作っておけば、お客様も私たちもWin-Winです。近隣に3資格揃った合同事務所がないことも大きなあと押しになりました」
 開業当初はほとんどがWebサイトでの集客だったが、今は紹介だけで成り立つようになった。月次巡回監査と決算業務といった税務業務の王道を柱に、相続の相談も受ける。田舎なので、お年寄りがふらっと事務所に寄っては、相続のよしなしごとを相談することもある。その場合まず登記業務を司法書士に振り、税務相談があれば税理士法人で受け、すべて事務所内で完結できる。
 この10年間でスタッフも顧問先も3倍以上に増え、独立型のグループ体制も完成しつつあり、FUNS税理士法人は総勢26名、顧問先も400社以上にまで成長した。
 現在税理士法人には北村氏含め2名のパートナー税理士が在籍しているが、コンサルティング部のスタッフについては資格にこだわった採用はしていない。
「コンサルティング部では『中小企業に貢献したい』という人を採用しているので、職人肌の税理士とは属性が違います。コンサルティングにはコミュニケーション力が必要なので、前職がアパレル系など、まったく畑違いの業種から来ていますね」
 北村氏は毎月26名いるスタッフのスキルアップ面談を実施し、5年後の自分のキャリアを考えるよう促している。自分がめざしたいキャリアルートを明確にして、成長する喜びを感じながら、安心して末長く働ける居場所を自分たちの手で作っていくのがコンセプトだ。
「5年後、どういう場所でどのように生きていたいのか、自分で考えられるようにしてあげるのです。5年というスパンで考えると、1ヵ月は60分の1。60分の1の階段を上がっていくために、1つ目の階段はどこにすべきか。それをスタッフ自身が決めて、チャレンジして、成功したら、次の階段をどこに設定するか考える。これを繰り返してもらいます。
 主体的に学ぶ姿勢と行動。それをアシストするために、コミュニケーションを密に取っています」
 組織作りと、地道な人の育成。この2年間、北村氏が力を注いできたのがこの2つだ。結果、スタッフの価値観と道徳観を同じ方向に向かせ、主体的に行動して、意思決定まで自分たちできるように育ってきているという。
「日々の業務の進捗管理を細分化し、担当者を決めて、管理をそれぞれやれるようになっているので、チームが自立する。そうすると管理監視のマネジメントは必要なくなる。なので私もマネージャーではなくて、リーダーとしての仕事に専念できるようになります。新しいコンサルティングサービスを開発するとか、あるいはそれを作れるようにスタッフをアシストするとか、会社の未来を創るリーダーがやるべき仕事ができるようになるのです。」

地元に地域循環を起こす「はなまる加須」

 これからの時代についても、自らの戦略を軸に、攻めの姿勢を崩さない。
「将来的に会計処理業務がAIやRPAに取って代わられるとなると、会計事務所はこれから中小企業の経営者と中小企業にどんな貢献ができるのか。経営の三大要素『ヒト・モノ・カネ』の中で、モノやサービスは社長の才覚に依存する部分で、カネは税理士法人の旧来からの守備範囲です。ですが、ヒトに関する部分のサポートはAIにはできませんし、会計事務所が不得意とする領域だと思っています。だから、売上を上げたり経費削減や節税をする『カネ』の部分は本来の税務業務の中で広げ、『ヒト』の部分は自社で実践して貯めてきたノウハウを商品化して、お客様に提供すればいい。とにかく『税金の計算をするだけのプロフェッショナルじゃない。中小企業の社長さんのためなら何でもするぜ』っていうスタンスです。
 この思いで、今始めている中小企業の売上を伸ばすサービスが、バーチャルタウン型ポータルサイト事業『はなまる加須』です」
 中小企業と地元住民が協力し合い地域を共創していくインターネット上の街で、デジタルマーケティングによって広告掲載店と住民が交流できるSNS機能や、お店のファンになって応援コメントを送るぺージなどを提供するサービスだ。
「加須は田舎だけど、このバーチャルタウンで商売が盛り上がれば、外部からの集客ができますよね。そういうコンセプトの街づくりです。地域でがんばる中小企業にフォーカスして街づくりをしていくことで、中小企業は効率的なマーケティングやブランディング、それから人材の採用もできます。そしてFUNSはこの街の中でコンサルティングもできるし、中小企業の売上アップにも貢献できます。私たちが地域のバーチャルタウンというプラットフォームを提供するイメージですね。そうなればこの先、安心して永く働けるスタッフのキャリアルートも作れると思っています」
 『はなまる加須』では今後、地域の企業が地域の人材育成と採用ができるようにするために、加須市で働きたい人向けの合同就職説明会の開催や、人材採用のための企業ブランディング支援など、いろいろな仕掛けを考えているという。
「『はなまる加須』は地域の循環を生み出します。『はなまる加須』が広がることで、地域で働きたい人が地域の企業を知ることができ、人を育てたり、地域の人たちが地産地消する地域循環が起こるので、古き良き日本の商店街ができたりとすごく地域のためになります。街ができれば中小企業がまた増えるわけだから、非常に良いSDGs(持続可能な開発目標)ですね。
 だからここは踏ん張りどころ。バーチャルタウンのビジネスモデルができ上がったら、地方の新たな収益構造として全国各地にも広げていきたいですね」
 「中小企業のスマイルをサポートする」ために、3つの士業組織とコンサルティング会社から成るFUNSグループは、これからも地域に安心と循環を生むプラットフォームを提供していく。

「プラスアルファ」を見つけると、選択肢はものすごく広がる

 税理士の枠を超えて、お客様から必要とされていることは何でもやっていく。とはいえ『はなまる加須』も、税理士というバックボーンがあってこそ実現したサービスだと、北村氏は言う。
「税理士になれて、本当に恵まれているしハッピーです。『自分は立派な税理士である』という自己承認欲求を超えて、今では税務実務の多くをスタッフに任せて、新規事業の立ち上げやマーケティング、人材育成と、いろいろな広がりの中で社会貢献をしながら自己実現できています。そしてFUNSグループを、中小企業のスマイルを何百年も永く創り続けていける会社にして、それが実現したら、また小さな個人の税理士事務所を開設することだってできると思うんです。それって最高で恵まれていることじゃないですか」
 税理士という土台の上に「中小企業を笑顔にする」ための様々な施策を積み重ねる北村氏。最後に、これから士業をめざす読者にアドバイスをいただいた。
「これまでのサムライ業は、刀さえ持っていれば食べていけましたが、刀だけでは食べていけない時代がもうすぐそこまでやってきました。でも、刀を武器に、プラスアルファの何かを見つけると、選択肢はものすごく広がります。それが資格を取得する魅力ですね」
 北村氏には、地域の子どもたちに「FUNSって、何をやってる会社なの?」と聞かれたときに、応えたい台詞がある。
「FUNSは街を創っているんだよ。中小企業とそこで暮らす人々を笑顔にしているんだ」


[『TACNEWS』日本の会計人|2021年11月号]

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