特集 40歳で独立開業
~企業の海外進出に伴走する中小企業診断士~

尾亦 周平氏
Profile

尾亦 周平(おまた しゅうへい)氏

Zen Japan株式会社 代表取締役
中小企業診断士
経営革新等支援機関

上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒。卒業後は日系メーカー2社で海外営業に従事、ダイキン工業ミャンマー事務所長を含め9年間の海外駐在経験を持つ。2014年、中小企業診断士登録。アマゾンジャパン勤務を経て、2020年独立開業、Zen Japan創立。「海外進出」「Webマーケティング」「公的施策活用」の3つの切り口を活用して、開業2年半で約100社超を支援。2023年自社の経営革新計画が東京都の認定を受けたことをはじめ、自社でも公的な融資・補助金・認定制度を積極的に活用。『実践する診断士』を矜持に、企業支援に奔走中。

 日本のメーカー2社に勤務して9年間の海外駐在を経験。さらに大手ECサイトでのストア運営を経験した尾亦周平氏は、会社員として積み上げたノウハウとスキルに中小企業診断士資格の知識を掛け合わせ、コロナ禍に独立開業した。顧客企業に寄り添い海外進出に伴走したいと語る尾亦氏に、中小企業診断士資格の魅力と経営コンサルタントとしてのやりがい、その将来性についてうかがった。

「日本の製品を世界に拡げたい」

――2020年、コロナ禍の頃に起業した尾亦さん。新卒では電気機器メーカーの日本ビクター(現・JVCケンウッド)に入社されていますが、学生の頃はどのようなキャリアビジョンを考えていましたか。

尾亦 学生時代に思い描いていたのは「メーカーに勤めて、日本の製品を海外に拡げていく仕事がしたい」というものでした。きっかけは、留学中の経験です。
 もともと音楽が好きで、特にサンバやボサノヴァといった音楽に興味があったため、大学ではポルトガル語を専攻し、大学3年次は交換留学でマイアミ大学に行きました。マイアミは「北米における中南米の窓口」ともいえる街で、ブラジル人、パラグアイ人、コロンビア人など、様々なルーツを持つ人たちと共に過ごしました。私が日本人だと知ると「お前はNikonを持っているか?」などと興味津々。日本メーカーがこれほどまで知名度があり、リスペクトされているのかと知り、とてもうれしかったですね。ブラジルからの友人のひとりは日本の漫画やアニメが大好きで、「ゴクウ」や「カメハメハー!」など、『ドラゴンボール』に出てくるキャラクターや技の名前なども知っていました。日本の文化や製品が世界に浸透しているのだということを肌で感じ、日本のメーカーで働きたいと思ったのです。

――ビクターではどのようなお仕事をしていましたか。

尾亦 一貫してテレビ事業の海外営業を担当しました。知名度が高いブランドではなかったものの、私が入社した2000年代前半には、国内だけでなく海外でもブラウン管テレビがとても売れていたのです。ただ、薄型テレビの時代を迎えてからは厳しい戦いを強いられていました。そんな中、私が日々の海外営業と並行して取り組んでいたのは、ビクター独自の強みを整理して販促活動に展開することでした。競合分析も踏まえた上で自社製品の強みをプレゼンテーション資料やカタログ、POPなどに落とし込むという仕事は、海外支社の同僚からも喜ばれました。またリーマンショックの影響で経費削減の中、海外出張の機会が減ったため、それまで対面で行っていた新商品のプレゼンテーションの内容を動画化して海外支社に配信することにも取り組んでいました。現在、中小企業診断士(以下、診断士)としてクライアント企業に「選ばれる理由の言語化」「強みの見える化」「情報発信」のお手伝いをしていますが、このスキルの源泉は、ビクターで得られたものです。

経営知識の必要性を感じて資格取得へ

――その後、空調メーカーに転職し、ブラジル事業を経験されたのですね。

尾亦 はい。ダイキン工業がブラジル事業を強化する中、ブラジルの公用語であるポルトガル語を学生時代に学んでいたことがご縁で転職することになりました。ただ転職後は順風満帆ではなかったです。転職直後から新規事業の立ち上げメンバーとして参画したものの、ダイキンのビジネスや会社運営についての理解が十分ではなかったため、日本から現地事業を効果的に支援することができずにいました。新規事業に関わる以上、ダイキンのビジネスはもちろんのこと、経営についても学ばなければ生き残れないと危機感を覚えましたね。

――そこから診断士試験の勉強を始められたのですね。経営について学ぶ方法は他にもあると思いますが、「資格を取る」という方法を選んだ理由を教えて下さい。

尾亦 悶々とした日々を過ごしている中、ブラジル事業の事業計画を診断士資格を持っているメンバーが作成したと聞いたのです。診断士という資格はそのとき初めて耳にしたのですが、調べてみると経営コンサルタントの唯一の国家資格で、マーケティングや財務、運営管理など仕事に直結する内容が網羅されていることがわかりました。この資格を取ればキャリアアップに繋がり、何よりも求めていた経営の勉強ができそうだと感じたことで、診断士資格の取得を決めました。

――仕事と両立させながらの勉強は大変ではありませんでしたか。

尾亦 環境に恵まれていたおかげで両立できました。当時の上司はとても理解のある方で、私が診断士試験の勉強をしたいと言うと業務の割り当てなどを配慮してくれました。試験間近のタイミングには海外出張を必要最低限にセーブするなど多大なる配慮をいただき、今でも本当に感謝しています。
 また、職場とTACが近かったことも両立のしやすさにつながりました。当時の職場とTAC梅田校は同じビルに入居していたのです。もちろん距離的な利点だけでなく、他のスクールとも比較し、カリキュラムや講義内容が優れていると思ったのでTACを選んだのですが、この近さは仕事と勉強を両立する上で大きなメリットになりました。
 当時は平日の朝はTACの自習室で勉強してから出社、昼休みはTACの自習室に移動してランチを食べながら勉強、昼休みが終わったら職場へ戻り、終業後にまたTACに戻るという毎日でした。週末もTACに通っていたので、ほぼ週7日間、同じビルで生活していましたね(笑)。長女が生まれたばかりで子育てが大変だった時期にも関わらず、私のチャレンジを理解し応援してくれた妻にも感謝しています。

「インプットしたら即アウトプット」の勉強スタイル

――「職住近接」ならぬ「職学近接」だったのですね。働きながらの勉強はいかがでしたか。

尾亦 大変でしたが、充実した日々で勉強がとても楽しかったです。受験勉強中に担当国が代わり、M&A案件に中心的な役割で従事させていただきましたが、診断士講座で学んだ知識をそのまま役立てることができました。勉強と仕事、インプットとアウトプットが常に繰り返し回っている感覚で、本当にエキサイティングな毎日でした。診断士の幅広い試験範囲は自分の視野が広がるきっかけになりましたし、知識の引き出しが増えたことで会社の上層部の方とも議論できるようになりました。経営トップに直接プロジェクトの報告をする機会もいただき、転職当初に経営知識が足りず苦しんでいた頃と比べて、飛躍的に力を発揮できるようになりました。診断士受験は人生を変えてくれたと思っています。

ひたすら現場をまわる、駐在員生活で培った経験

――その後ミャンマーで事務所を立ち上げ、所長を務めたそうですね。

尾亦 はい。中南米担当としてアルゼンチンに出張をしていた夜に、日本にいる当時の上司から電話で「所長としてミャンマー事業を立ち上げる任務があるが、やってみないか?」と打診されたのです。これまでまったくご縁のなかった国だったので思わず「え、ミャンマーですか!?」と聞き返してしまったくらい突然のお話でしたが、せっかくの前向きな機会なのでチャレンジすることにしました。
 事務所は20名の小さな所帯でしたが、ローカルのミャンマー人に加え、駐在員がシンガポール人・マレーシア人・台湾人・日本人からなる5ヵ国の混成部隊でした。

――国によって商習慣も違いますし、苦労もあったのではないでしょうか。

尾亦 そうですね。私が会社をやめるとき、当時の上司から「あれは大変だったろう」と改めて慰労の言葉をいただきました(笑)。ただ、方針を示し、各メンバーの強みを見出して、褒めるべきところは褒めて、正すべきは正すという、リーダーとして当たり前の行動をとることで、チームメンバーが一緒にがんばってくれました。また営業メンバーと共に現場を回り、受注したときには一緒に喜びを分かち合うなど、どの国に行っても「人間は本質的に皆同じ」という感覚を強く持つことができました。
 展示会に出展した際には、営業メンバーだけでなく普段は顧客と会わないような経理・総務担当のメンバーにもブースで顧客対応をしてもらったところ、キラキラした目で活き活きとお客様を接客してもらえたこともありました。新しいことに前向きに取り組み、視野が広がることで人間の可能性が拡がっていくのだと実感した瞬間が、他にもたくさんありましたね。
 ミャンマーでの勤務後は、マレーシアに転勤しました。ダイキン・マレーシアは「アジア新興国の地域統括本部」の位置づけで、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、カンボジアなどの地域を統括することになり、私はそこで営業企画部長を務めました。

――東南アジア各地に行ったのですね。

尾亦 はい。駐在員時代はとにかく現場を周りました。東南アジア各国に訪問しましたが、特に職場があるマレーシアでは地方出張を繰り返しました。当時の日本人駐在員で私ほど多くの場所へ行った人はいないのでは、と思っています。それほど「現場へ行き、現地の声を聞く」ということを重視していました。現在コンサルタントとして顧客企業の海外進出を支援する際にも、ひたすら現地に足を運んで話を聞くという経験が活きています。どこでどんな仕事をしようが、共通して言えることは「答えは現場にある」と確信しています。

インターネット通販の知見と診断士の知識で企業を支援

――その後、アマゾンジャパンに転職されたのですね。

尾亦 はい。マレーシアに駐在中は、食事は美味しく、物価は安い。下手ですがゴルフもできる。このままの生活では自分がダメになるのではと感じました(笑)。それは冗談として、当時はインターネット通販(eコマース)をはじめ、テクノロジーが飛躍的に進化していることを日々感じていました。Amazonのアプリを開けばマレーシアにいても日本から商品が届くし、現地でもLazada(ラザダ)などのインターネット通販アプリが拡がり、生活が便利になっている。スマートフォンの音声認識技術も格段に精度が上がっている。テクノロジーによって世界が急速に変化していくのを感じる中、自分がテクノロジーについて何もわかっていないのではこの先まずいという危機感を持ちました。将来、診断士として独立することから逆算した際、支援の切り口になるインターネット関連の仕事がしたいと考えたのです。
 そんな中、ご縁をいただき2019年にアマゾンジャパンに入り、家電事業のバイヤー職としてeコマースの現場を経験することができました。しかし入社して間もなくコロナ禍になったのです。ステイホームのためeコマースの需要が高まり、アマゾン自体は業績を伸ばして好調でしたが、診断士の視点で周囲を見るとコロナ禍で苦しむ事業者が数多くいて、業界間でのギャップを強く感じました。自分がeコマースの現場で培ったスキルやノウハウを診断士としての専門知識と掛け合わせて提案できたら、社会のお役に立てると思えたのが独立するきっかけになりました。

――もともと独立志向はあったのでしょうか。

尾亦 私の父が50歳位で会社をやめて独立し、70歳を過ぎた今も現役で社会福祉士として働いています。介護保険や福祉に関わる仕事をしながら、つい数年前までは大学の非常勤講師もしていました。自分の足で立って仕事をしている父の姿に憧れを抱き、私もいつしか独立志向になっていたようです。また、「そこまでケアするの?」と思うほど顧客に寄り添い、関係者と合意形成をしてクライアントを大切にする姿を目の当たりにすることもできました。父の背中を見て、自分が独立しても何とかなるかなと少しでも思えたことが、一歩を踏み出す後押しになりました。
 そうして2020年11月に独立開業。開業当時は個人事業主として事業を開始し、翌年法人のZen Japan株式会社を設立しました。

――開業資金はどのように用意されましたか。

尾亦 海外駐在を含め、これまでに貯めていた資金を使いました。士業は開業するための初期費用がそんなにかかりませんし、お客様のところへうかがうことも多い仕事なので、シェアオフィスを積極的に活用して固定費はできるだけ少なくしています。
 開業後は、まず診断士の仕事がどういうものかノウハウを学ぶ必要があったので、中小企業診断士協会主催のプロコン塾(プロコンサルタント塾)で1年間勉強させていただきました。創業から経営革新、事業承継、事業再生と、それぞれの事業フェーズに合わせてどんな支援が必要かを、補助金申請支援も含めて学び、同時に人脈も作っていきました。また異業種交流会に積極的に参加して様々な方と会い、学び、そのご縁が仕事にも繋がっていきました。
 また自社の強みを認知してもらうためにもホームページが大事なので、補助金を自社で申請して、パートナー事業者の方に作っていただきました。開業以来、顧客への提案だけでなく、一事業者として自社でも国や自治体の公的制度をフル活用しています

――ホームページを拝見すると奥様がビジネスパートナーですね。

尾亦 はい。現在、妻は経理関連などのバックオフィス業務と、デスクリサーチによる日本語・英語での情報収集などを担当しています。彼女は好奇心旺盛で、海外駐在時に家族で帯同してもらっていた頃も現地の歴史や文化を理解することに積極的でした。マレーシアに駐在していた頃はボランティアでマレーシア国立博物館の日本人向けガイドスタッフもしていて、そのとき得たガイドとしてのスキルを帰国後も活かしたいと、日本政府観光局(JNTO)が実施する国家資格・全国通訳案内士の資格を取得。日頃の業務に加えて、今はインバウンド向けの英語ガイドもしています。子育て、仕事、ライフワークの通訳ガイドと大変だと思いますが、うまくバランスを取ってがんばっている妻のことは本当に尊敬しています。

海外進出に泥臭く伴走する

――サービスの一環でもある「経営革新計画」に関して、ご自身の会社でも認定を受けたそうですね。

尾亦 はい。中小企業が新しいことに取り組み、経営の向上を図ることを目的に策定した経営計画を各自治体が認定する制度が「経営革新計画」です。認定を受けると、様々な公的支援策の対象になるというメリットがあります。
 そもそも、経営計画を策定することで得られる最大の効果は「経営の羅針盤」ができることです。めざすべき姿とそこに至る道筋を計画として紙に落とし込むことが、経営の羅針盤となります。当社も経営理念を成文化し、毎年の事業計画を立て、月次・週次でPDCAを回すことで、着実にめざしたい姿に近づいています。経営革新計画では、3年間で売上高を2.5倍にする計画ですが、お陰様で想定以上の進捗です。

――売上を伸ばす上で、どのようなことを意識されていますか。

尾亦 あえて「実務をしない時間」を持つようにしています。仕事を緊急性と重要性の二軸で区分すると、どうしても「急ぎだが、重要でない仕事」に時間を奪われがちです。そこで意識的に「急ぎではないが、重要である」部分に時間を投下して、将来の仕事への種まきをしています。例えば、知識のインプットをする、経営計画を作る、新しいパートナーを探す、次のビジネスの種を探す、などを心掛けています。また、公園の緑を見ながら何もせずにぼーっとする時間も大事にしています。不思議なことに頭が整理されて、良いアイデアが降ってくるからです。
 そして常に目的意識を持ち、目標から逆算して今何をすべきかを考えています。具体的には、経営計画で立てた目標に対し、現状との差分をどう埋めるのかをアクションプランとして週次で確認して行動しています。当たり前ですが、「その仕事は何のためにしているのか」「本当に必要か」を常々意識しています。「やらないことを決める」ことで、限られた時間を有効に活用できるからです。

――現在はどのような仕事をしていますか。

尾亦 例えば現在取り組んでいるのは、国内で実績豊富な製造業の海外進出支援です。国内外のユーザーを訪問して、ユーザーからの声を集約し、製品を使うメリットを伝えるための社外向けホームページや動画制作などを行っています。また社内向けでは、国内で成功している営業職の方の説明をわかりやすく動画化して英語に翻訳したものを海外のメンバーと共有しています。日本と海外、双方の成功事例を共有することで全体の営業レベルを底上げすることに取り組んでいます。
 また海外展示会で現地のブースに立って商品説明や商談を行うだけでなく、競合調査や展示会後のフォローまで行います。コンサルタントとして全体を俯瞰した助言をしながら、実務者の立場でも泥臭く実行に伴走しています。

――将来的にはどのようなビジョンを持っていますか。

尾亦 ざっくりしていますが、「コンサルタント」や「中小企業診断士」といった名前にこだわらず、お客様のお役に立つ提案を行い、お客様の成果に繋げることに愚直に挑戦し続けていきます。当社の経営理念として掲げたコンセプトに「日本と世界を繋げて、ワクワクしながら成長を実現していく伴走者」というものがあるのですが、これをしっかり体現していきたいと思っています。
 またこれはあくまでアイデアの1つですが、ものづくり補助金などを利用して、生成AIが拡がる時代にChatGPTなどのAIツールを使って日本と世界の文化を繋げるシステムを構築できないかなどとも考えています。
 そして今後、より大きな仕事に取り組むにあたっては組織化が必要になるタイミングも来ると想定していますが、現時点では雇用は考えていません。当面はプロジェクトに応じて最適なパートナーとタッグを組み、支援を行うスタイルを続けていきます。

――海外進出の伴走者として世界を飛び回るのは、大変ではないですか。

尾亦 そうですね。そのために市場を絞って対応しています。東南アジアの中でも特に自分の得意なマレーシア、シンガポール、ミャンマーなどの地域に絞り込んでいます。そして異業種交流会では、顧客開拓よりもビジネスパートナー網の拡大に重点を置いています。一緒に仕事ができる人を見つけるために、スキル的な面はもちろん、「価値観を共有できるか」についても重視しています。オンラインでの交流会もありますが、やはり直接本人のお顔を見て話さないとわからないことも多いので、対面でお会いし、信頼できると感じたパートナーと連携しています。これは国内でも海外でも同じです。

――テクノロジーを使ったシステムやツールを考える一方で、手帳というアナログなツールも開発されています。

尾亦 はい。私自身が診断士受験生だった頃から実践してきたPDCAを回すノウハウをフォーマット化した『なれる手帳®(商標登録済)』を作り、現在Amazonで発売しています。TACで勉強していた2013年頃は、学習の進捗を手帳で管理していました。診断士試験の学習ではカリキュラムが決まっていますので、それに沿って勉強していくうちに自分のペース配分ができてきます。自分の進捗を都度確認して、目標とのギャップをどう埋めていくか、手帳を使ってPDCAを回していました。当時編み出したノウハウは、当社の経営でも日々実践しており、クライアントの方々にもお伝えしています。世の中はデジタルなしではありえない世界ですが、アナログならではの紙の手帳の良さを活かして開発しました。資格の受験者の方をはじめ、事業を行う方など多くの方のお役に立てればと思っています。

副業可能な時代の独立開業準備

――最後に、資格取得を考えている方や、キャリアを模索している方にメッセージをお願いします。

尾亦 「お金」「仕事」「お客様」などは、外部環境次第でなくなってしまうことがあるかもしれません。ですが、努力して身につけた「学び」「知識」「がんばった経験」は、奪われることはありません。「受講料を払う」というのは一時的な「経費」として財務的に負担がかかるものですが、そこで得られる学びやスキル、さらにそのスキルを通じて得られる経験は、将来にわたっての「投資」となります。
 また、診断士資格は思考の基盤やビジネススキルを一段階も二段階もレベルアップさせてくれる資格だと確信しています。周囲の診断士仲間も「勉強してよかった」「学ぶことがとても楽しかった」と話している方が多いですし、私自身も会社に属しながら学んだ知識を活かして新たな経験ができ、会社員としての活躍の幅が大きく広がったと感じています。
 もちろん、コンサルタントとしての起業の基盤にもなりました。私の場合は「会社員を卒業する」という選択をしましたが、今の時代は副業可能な企業も数多くあると思います。資格を活かし、副業で週末コンサルタントをしたり、そこで経験を積み重ねてお客様との関係を築き、顧客基盤を整えてから自分なりのタイミングで独立したりと、キャリアの選択肢も増やせる時代です。ぜひご自分のペースで、人生を充実させる「資格の活かし方」を模索してみてください。

[『TACNEWS』 2024年1月号|特集]