特集 パラレルキャリアをしなやかに歩む~ヨーヨー社労士®の活躍~

飯塚 知世氏
Profile

飯塚 知世(いいづか ともよ)氏

社会保険労務士 ヨーヨーパフォーマー
スピカ社会保険労務士事務所 代表
ヨーヨーショップ&カフェやうやう プロデュース

明治大学法学部卒。横浜市港北区にて「スピカ社会保険労務士事務所」及び「ヨーヨーショップ&カフェやうやう」を経営、「社労士兼ヨーヨーパフォーマー」というパラレルキャリアで活躍中。エンターテインメント業界の現場やバックオフィスで働いた経験から、業界特有の労務管理相談を得意とする。ダイバーシティ&インクルージョン推進に関心が高く、ITやクラウドツールを駆使して多様な人材やライフスタイルの人が働きやすい職場作りを支援。freee認定四つ星アドバイザー、(一財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナルコーチ。

スピカ社会保険労務士事務所    ▶ヨーヨーショップ&カフェやうやう

飯塚知世さんは、コロナ禍以前から副業開業やリモートワークという働き方を実践し、子育てしながら事務所を経営する社会保険労務士(以下、社労士)だ。社労士として自らの経験をもとに、ITやクラウドを活用して多様な人材が働きやすい職場作りを支援する飯塚さんは、一方でプロのヨーヨーパフォーマーとしても活躍している。「ヨーヨー社労士®」を商標登録して、「日本一ヨーヨーの上手い社労士」を自負する飯塚さんに、社労士という仕事のやりがいや、パラレルキャリアを成功させる秘訣をうかがった。

旅先で出会ったヨーヨーが人生を変える

──現在、「ヨーヨー社労士®」として活躍中の飯塚さん。なかなかインパクトのある肩書きですが、ヨーヨーとの出会いは、海外旅行中のことだったそうですね。

飯塚 はい。イタリアのヴェネツィアでヨーヨーに出会いました。父の仕事の関係で小学2年生から5年生までスイスのバーゼルに住んでいましたが、父の仕事が一段落したので、帰国する前に家族でヨーロッパを旅行しようと、ヴェネツィアへ遊びに行きました。ゴンドラが水路に浮かぶ街の光景は映画のようで、本当にきれいでしたね。ただ、楽しい旅行の間に一番心を惹かれたのは、サンマルコ広場で行商の人が売っていた光るヨーヨーです。両親にねだって買ってもらい、その後ずっとヨーヨーをやりながら旅行しました。私の人生のターニングポイントですね。
 帰国後しばらくすると日本で「ハイパーヨーヨーブーム」が始まりました。その頃の私はもう雑誌に載っている基本的な技は大体できるようになっていたので、各地のおもちゃ屋やデパートで開催されたミニコンテストに出場して、腕試しをしていました。優勝や入賞の経験も多数あります。

──バンダイ主催のヨーヨー日本一を決める大会、「ジャパンチャンピオンシップ」で2回優勝されたこともあるそうですね。

飯塚 はい。でもそれからハイパーヨーヨーブームが下火になって、私自身も中学2年生の頃にはヨーヨーのイベントには顔を出さなくなりました。高校ではソフトボール部の活動に熱中していたのですが、大学受験が目前に迫ったある日、知り合いのヨーヨーマスターTAKAさん(ヨーヨーショップ『SPINGEAR』経営)から、「幕張メッセでハイパーヨーヨーのイベントがあるから来ない?」と誘われたのです。受験直前の時期でしたが、自宅が千葉市だったので幕張は近いからと、久しぶりに行ってみることにしました。イベントに参加して驚きましたね。以前のヨーヨーとはまったく世界が違う。技の種類もスポーツ性の高いものになって、格好良く進化していたのです。このイベントをきっかけに、大学に入ったらまたヨーヨーをやろうと思いました。

──大学時代はどのように過ごされたのですか。

飯塚 サークルには入らず、ヨーヨーのイベントや競技大会に参加して、ヨーヨーショップでアルバイトもしていました。大学2年の頃には映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』で主役の松浦亜弥さんにヨーヨーを指導したり、ヨーヨーシーンのスタントをしたりもしています。バラエティ番組、ドラマ、映画の製作現場に参加して、競技では2006年のアジア大会、2007年の世界大会で決勝進出しました。大学時代はヨーヨー一色の生活でしたね。

──ヨーヨーを起点に、幅広く活躍されていたのですね。当時、何かキャリアプランは持っていましたか。

飯塚 法学部に所属していたので、何かしら法律系の資格を取りたいという気持ちはありました。ただ大学時代はそこまで勉強に本腰を入れたわけでもなく、授業に熱心だったとは言えません。キャリアについてはあまり突き詰めて考えずに就職してしまったと思っています。

法律を知らなければ、反論もできないと気づく

──卒業後の進路を教えてください。

飯塚 大手音楽配信企業に新卒入社しましたが、現場は長時間労働が慢性化していて、この会社で長く働き続けることは難しいと思いましたね。就業規則に沿って退職希望日の1ヵ月以上前に退職を申し出たのですが、こちらが希望した日にやめることができませんでした。ちょうど会社の業績が悪くなっていた時期で、「1週間後の月末の退職であれば有給の買取りがあるし、会社都合の退社になるからそのほうがいいだろう」と勧められたのです。今考えれば応じる必要のない話ですが、当時の私はあまりにも労働基準法を知らな過ぎて、会社から提示されている内容が自分にとって損なのか得なのかもわからず、反論もできず、言われるがまま。次に働くときにはきちんと法律の知識を身につけなければいけないと痛感しました。その後は地元千葉市内の税理士事務所に入り、ここで簿記と英語のスキルを磨きました。

──当時、何か会計に関する知識や経験はあったのでしょうか。

飯塚 入所前に簿記検定2級を取得していました。TACのテキストで勉強して、3級と2級を同時に受験して合格しました。事務所の先生に学生時代からヨーヨーのパフォーマンス活動をしている話をしたところ「英語が話せるヨーヨーパフォーマーなんておもしろい」と気に入っていただいて、土日は副業でイベントに参加してもいいという条件で採用になりました。
 私はインターナショナルスクール出身で、英語を覚えたのは小学生の頃です。大学受験のときは英単語を暗記して文法は感覚で解いていましたが、ビジネスレベルの英語が話せるとは言えなかったと思います。事務所では外国人のお客様にメールを送る業務もあったので、大学時代に履修した「法律英語」のテキストを使って、OJTで英語をスキルアップしました。ところが入所して1ヵ月を過ぎた頃、突然病気になったのです。劇症型心筋炎という病気で、人工呼吸器をつけて意識がない状態が2週間も続きました。体調が落ち着いたあとに「死ぬかもしれない状態だったのよ」と聞いて、「これからはいつ死んでも後悔しないように、やりたいことをやり尽くそう!」と思いましたね。私はもともとアニメや音楽が好きなので、そうした世界でチャレンジしたい気持ちがありました。また、病気をしたあとは声が出にくい状態だったので、リハビリも兼ねて声優の養成所へ通うことにしたのです。2010年2月から養成所へ通い、税理士事務所でも実務経験を積みながら新しい道を模索しました。そして2011年4月には音楽制作会社へ再就職し、同じ年の5月、芸能プロダクションにタレントとして所属しました。

タレント業とバックオフィス業務を兼務

──再就職先の音楽制作会社は、副業でタレント活動をすることを認めてくれたのですか。

飯塚 仕事さえきちんとやれば、やりたいことをして構わないというスタンスでした。小さい会社でしたので、私は経理、人事、労務と、バックオフィス全般を担当しました。「あなたは経歴がおもしろいから、一度現場を見てごらん」と言われて、マネージャーとして一時期現場を担当したこともあります。
 プロダクションにはオーディションを受けて入りました。通っていた声優養成所がそのプロダクションの系列だったため、年1回所属オーディションが開催されていたのです。マルチに活躍できる人材を求めているということで、私は「声優業だけでなくヨーヨーパフォーマンスもできる人材」ということで入れていただきました。

──音楽制作会社でマネージャーをしながら、自らもプロダクション所属のタレントとして活動された時期があるのですね。

飯塚 はい。テレビ東京のテレビドラマ『ハイパーヨーヨーバーニング』に出演もしました。ただタレントとしては2012年でマネジメント契約を終了しています。トップクラスの声優さんがいらっしゃるような現場にマネージャーとして入り、第一線を走る方々の仕事ぶりを間近に見る中で、自分には到底届かない世界だと思ったからです。同い年でもトップレベルで活躍している人は、声も技術も全然違う。声優を志望する人は多いですが、その頂点に立つ方々を目の当たりにして「自分はここで戦うべきじゃない、この方向じゃない」と軌道修正することを決めました。
 そうしてエンターテインメント業界の現場とバックオフィスを経験した中で、私が一番興味を持ったのは、採用、人事、労務管理などの「人」に関わる業務でした。勤めていた会社には、ゲーム制作、飲食店やライブハウスの運営などの関連会社があり、社会保険労務士(以下、社労士)や司法書士、税理士、弁護士の方々とやり取りする機会がありました。でも、人事にしても労務管理にしても、断片的な知識だけで業務にあたっていたので、専門的な話になるとついていけず、知識不足を実感しました。裏方として自信を持ってサポートをするためには一から体系的に勉強したほうがいいと思い、社労士資格の取得をめざすことにしたのです。

電子ツールを活用して受験勉強

──会社員とヨーヨーパフォーマーとしての活動に、さらに資格試験の勉強を両立されたのですね。どのように受験勉強を進めたのでしょうか。

飯塚 校舎に通う時間は取れないので、TACのWeb通信講座に申し込み、岡根講師の講義を受けました。電車での移動時間など、とにかくスキマ時間を活用しましたね。スマートフォンやタブレットを使って勉強して、問題集には直接チェックするなど、ブックマークして間違えた問題をあとで振り返れるようにしましたね。今でこそ電子ツールを使った学習は一般的ですが、勉強を始めた2012年当時はまだ紙のテキストを使うのが主流の時代でしたから、タブレットで勉強できるのは大きなメリットでした。また、時間がない私には講義の倍速再生機能もちょうどよくて、1.5倍とか2倍速で聴きました。その頃は会社に私以外のマネージャー担当もいたので私はバックオフィス専任となり、会社のコアタイムが13時からだったので午前中を勉強時間に充てていました。

──モチベーションの維持は難しくありませんでしたか。

飯塚 通信講座で学んでいたので、受験仲間と一緒に勉強してモチベーションを維持するといった機会はなかったですね。当時は現在の夫と一緒に住んでいたのですが、彼は独り遊びが好きなタイプなので、休日に一緒に遊びに行けなくても特に気にすることもなく、勉強に集中できました。ただ、私が受験勉強をしている横でのんびりマンガを読んだりヨーヨーをしていたりするのを見ると、「何としても1年で受験勉強を終わらせて、私も一緒に遊びたい!」という思いが募り、それを糧に勉強に励みました(笑)。

正社員として働きながら副業開業

──2014年に2回目のチャレンジで社労士試験に合格し、2017年、第一子ご出産から3ヵ月後に開業されています。お子さんが生まれて間もない中、どのように開業したのでしょうか。

飯塚 1月に出産し、4月から保育園に預け始めて、慣らし保育が終わったタイミングで開業しました。開業と言っても会社をやめたわけではなく、正社員として音楽制作会社に所属したまま、副業開業で社労士登録したのです。会社が借りているオフィスの一画を事務所として登録させてもらえましたので、初期費用もあまりかかっていません。開業当初は音楽制作会社のバックオフィス業務を引き続き行いながら、開業社労士として、グループ会社の人事労務に関する相談に対応していました。

──理想的なスタートですね。とはいえ子育てしながらの開業は大変ではありませんでしたか。

飯塚 子どもを保育園に預け始めたとはいえ、最初のうちは子どもが熱を出したり体調を崩したりすることもあって、家で看なければいけないなど、思うように働けないこともありました。でも事務所としての固定費はそれほどかかりませんし、当時は会社員をしながらの副業でしたので、収入的に困ることはなかったですね。顧客開拓などの営業活動はあまりできませんでしたが、ヨーヨーつながりでTAKAさんの会社が最初の顧客になってくれました。そのあと、音楽制作会社の体制が変わるタイミングでバックオフィス業務を後任に引き継ぎ、一社員から顧問社労士として、今も継続しておつき合いをしています。

──柔軟な働き方を応援してくれる会社で、すばらしいですね。

飯塚 できることをいろいろやらせてもらえた会社には今でも感謝していますし、自分も会社員・社労士として、そういう関係を築けるような仕事をしてきたという自負があります。音楽制作会社側としても、自社に社労士がついているという信頼感や、業界特性をよく知った上でバックオフィスをサポートできる人間を継続的に確保できるメリットがあり、双方が満足できる良好な関係を築けたことはよかったですね。今は副業を認める企業も多く、リモートワークなどの働き方も一般的になりましたが、私は2017年当時からそうした働き方を実践していたので、かなりいろいろなノウハウを先取りしていたと思います。その実体験を基にしているからこそ、今も社労士としてバックオフィスの効率化やクラウド化支援に関する強みがあるのだと考えています。

多様な働き方を可能にする職場環境整備

──現在はどのように仕事をしていますか。

飯塚 現在、スピカ社会保険労務士事務所には私のほかにもう2名、女性の社労士試験合格者がいます。ふたりともまだお子さんが小さいので、社労士登録はせずにパートタイムの形で仕事をしています。スタッフを女性に限定したわけではないのですが、ふたりとも「働き方」に関する私の話や私の取材記事に共感して、うちの事務所で働きたいと言って来てくれました。
 事務所の仕事は、私がタスク管理をした上でフルリモートで行っていますね。前日のうちにタスクを指示しておいて、当日お客様から新たな依頼が来たら「これは対応できる?」と確認しながら適宜作業を割り振っています。ひとりで顧問先を担当する責任を負わせてしまうと「子どもが突然熱を出してしまった」といった場合に対応できず、お客様にご迷惑をお掛けしてしまいます。そうはなってほしくないので、私がタスク管理して無理のないように進めてもらっているのです。フレキシブルに働ける環境でないと子育てしながらの仕事は難しいし、何より私自身も、フレキシブルな形でないと仕事を続けられませんから。子育て期間中は、「すぐこっちに来てほしい」と呼び出されたりFAXや電話が頻繁にかかってきたりといった仕事環境では物理的に対応が難しいですし、ヨーヨーなど私個人としてやりたい活動もできません。だから私の社労士事務所は「完全にクラウド専門です」というフィールドでの勝負です。クラウドツールを使って、チャットで連絡をいただければレスポンスはすごく速いですよとか、打ち合わせもオンラインを多用するので対面で会わなくても完結しますよ、といった形にしています。こうしたやり方を便利だと捉えてくださるお客様も全国にはいらっしゃるので、そういうお客様と仕事をしていきたいと考えています。

──クラウド化によって、働き方の幅は本当に広がりましたね。

飯塚 そうですね。クラウド化によってリモートワークができれば、子育て中や介護中などの人でも、時間を調整しながらしっかりと働くことができます。また、製造現場などとは違い、バックオフィス業務は毎日フルタイムで働こうと思ってもそこまでの仕事量はない場合もあります。それならば短い時間で成果を出すほうが、会社側としても効率的だと思います。

──顧客を増やすために、何か工夫はされていますか。

飯塚 クラウド上で会計や人事労務などのビジネス向けサービスを提供している『freee』の四つ星認定アドバイザーを取得しています。社労士事務所単体で認定をもらおうとした場合は、かなりの導入実績数を出さないと星が取れないので、四つ星となると「この社労士事務所はきちんとfreeeに特化している」というブランディングができます。認定されるとアドバイザーとしてfreeeの専門家検索サイトで紹介されますから、サイトを見た税理士の先生がうちの事務所を認識してくれて顧問先を紹介くださることもあります。また、『ジョブカン認定アドバイザー』や『Money Forward 公認メンバー』にもなっています。これらも「クラウドに強い」というブランディングですね。他にも、私自身がエンターテインメント業界に長くいてクリエイティブ職の方々と仕事をして来た経験は、アピールポイントになっています。

──クラウドに強いという部分に加え、業界特性に強いという点が事務所の強みになっているのですね。

飯塚 そうですね。クリエイターの方々とのつき合い方を知っているという点は強みになっていると感じます。クリエイター社長の場合はお忙しいので、法律や制度の話を懇々と説明するよりも結論から端的にお伝えするほうが話は進みやすいとか、エンターテインメント業界ならではのつき合い方のノウハウのようなものはありますね。私のように業界の現場もバックオフィスも経験してきたという社労士は珍しいので、ここは私独自の特色だと思います。

──仕事をする上でこだわっていることなどはありますか。

飯塚 社労士として、ダイバーシティ&インクルージョンを推進しています。これは私自身が幼少期を多国籍な環境で過ごして、多様性が当たり前だったことが影響していると思います。働くLGBTQも応援したいですね。これからの企業はLGBTQなどの性的マイノリティに対応した人事労務管理やSOGIハラ(性的指向・性自認に対するハラスメント)対応が一層求められるようになると思います。ITやクラウドツールを活用して、多様な人材やライフスタイルの変化に応じて働きやすいように職場環境を整える、そのお手伝いをしたいと考えています。

「ヨーヨー社労士」を商標登録

──ヨーヨー競技者としては2019年から競技大会に復帰され、現在全日本ヨーヨー選手権大会の女性フリースタイル部門3連覇中ですね。社労士とヨーヨーというパラレルキャリアを歩むメリットは何でしょうか。

飯塚 今のところ、「日本で一番ヨーヨーが上手い社労士」だと自負しております(笑)。社労士という資格を持つメリットは、何といっても信頼性です。自己紹介のときに単に「ヨーヨーパフォーマーです」と言うのと、「社労士で、ヨーヨーパフォーマーです」と言うのでは印象が大きく違います。資格があるから警戒心なく話を聞いてもらえる。国家資格にはそれだけの重みがあります。でも逆もしかりです。ヨーヨーの世界で私を知っている人には「社労士って何だろう?」と興味を持ってもらえるし、普段法律などの堅い話を敬遠しがちな人にも「ヨーヨー」という親しみやすいツールをきっかけにコミュニケーションを取ることができます。私は「ヨーヨー社労士」の名称を商標登録したので、これからも世界で唯一の「ヨーヨー社労士®」として、活動の幅を広げていきたいと思います。

──今後の展望を教えてください。

飯塚 2017年に新宿で社労士事務所を開業しましたが、2020年、横浜市港北区に事務所を移転しています。ここの事務所はもともと、地域貢献、子育て、教育支援のためのワークショップスタジオにしようと考えて開設したのですが、コロナ禍のためワークショップを開くことができず、この3年はほぼ私のプライベートスタジオになっていました。この場所に2022年11月、『ヨーヨーショップ&カフェやうやう』を開きます(※)。ヨーヨーをしながらお茶も飲める、親子で遊べる憩いの場みたいなスペースにしたいと考えています。(※)2022年11月3日より営業中。

──ヨーヨー競技のすそ野を広げる活動ということでしょうか。

飯塚 それもあります。今は少しヨーヨー世代が途切れています。日本は毎年世界チャンピオンを輩出するほどヨーヨー競技が強いのに、挑戦する人が少なくなっているので、次の世代の子どもたちに技術を伝えていきたい気持ちがあります。今、子育てをしている30~40代はハイパーヨーヨーブームを経験している世代ですから、親子でヨーヨーを楽しむことができると思います。お母さんお父さんがヨーヨーに興味がなくても、「美味しいコーヒーがあるから、お子さんをヨーヨーで遊ばせながら、ひと休みしてください」という場所にしたいですね。
 社労士としては、ヨーヨーショップを開くことで私と同じくらいの働く親世代とも出会えると思っています。そういう年代に向けたワークショップも開きたいし、私はコーチングの資格も持っているので、もしもキャリアに悩む方がいるならその支援をしたいですね。

──ヨーヨーと社労士をうまく掛け合わせた素敵な展望ですね。

飯塚 ありがとうございます。私の経営理念は「前途洋々」です。会社や組織をどう良くしていくかという考え方は、個人のキャリア形成にも応用できるものです。「これから先、どのような人生を送りたいか」「目標達成のためにはどのような行動をするとよいか」というコーチングをしたい。みんなが「前途洋々」になるきっかけを提供できる場を作りたいですね。

──最後に、キャリアに迷っている方、資格取得を考えている方へメッセージをお願いします。

飯塚 以前の私はあまりチャレンジができるタイプではなかったのですが、現在いろいろなチャレンジができているのは「資格を持っている」ということが大きいと思います。資格を取って初めてできる経験も、見えてくる景色もあります。ですから、もしも資格を取ろうと思ったら、まずは先のことは考えないで一直線に勉強してください。つらくなってくると「この資格を取っても本当に役に立つのだろうか…」とネガティブに考えがちですが、資格を土台にどう生きていくか考えるのは、試験に合格したあとからでも遅くありません。合格の先に、新しい可能性は必ずあるので、がむしゃらにがんばってほしいと思います。

[『TACNEWS』 2023年1月号|特集]