特集 「手に職」をめざしてたどり着いたキャリア

竹内 幸雄氏
Profile

竹内 幸雄(たけうち ゆきお)氏

不動産エージェントファーム「TERASS」登録エージェント
宅地建物取引士 測量士補

福岡県出身。高校在学中より美容学校通信課程で学び、高校卒業後は北九州市内の美容室に勤務。20歳で単身上京。各種アルバイトなどを経験したのち不動産賃貸会社へ入社、最短で主任に昇格する。その後も高い成果を上げて副店長に就任、2013年に宅建士資格取得。不動産営業パーソンとしてのスキルアップをめざし京王不動産へ転職、不動産売買仲介をひと通り経験する。2020年、個人としての営業力を試すため、創業間もない不動産仲介会社へ転職、14ヵ月連続契約を達成する。2021年、株式会社TERASSに登録、フリーの不動産エージェントとして活躍中。
▶保有資格:宅地建物取引士、測量士補
株式会社TERASS

毎年約20万人が受験申込をする人気国家資格、宅地建物取引士(以下、宅建士)。所持金わずか3千円で地元を飛び出し単身上京した竹内幸雄さんは現在、宅建士資格を活かしてフリーの不動産エージェントとして活躍している。不動産業界には今、次世代型ビジネスの風が吹き、不動産営業に関しても従来とは異なる集客手法が次々に現れている。「自由度の高いエージェントファームだから、ノルマに縛られずに自分のやりたい営業スタイルが実現できる」という竹内さんに、宅建士という仕事のやりがいと将来性についてうかがった。

所持金3千円で単身上京

──不動産エージェントファーム「TERASS」に登録し、「フリーランス仲介エージェント」という半独立型の働き方をされている竹内さん。学生時代はどのようなキャリアプランをお持ちでしたか。

竹内 学生時代は野球をやっていて、将来は地元のプロチームである福岡ソフトバンクホークスのスポーツトレーナーになりたいという夢を持っていました。県立の進学校へ進み、スポーツトレーナー科のある大学をめざして勉強していたのですが、本格的に進路を決める高校2年の夏に、両親から「申し訳ないけれど、進学させるお金がない」と告げられました。両親は私が中学生の頃に事業を始めたのですが、これに失敗して経済的余裕がなかったのです。夢が破れて絶望していたとき、通っていた美容室のオーナーが「竹内君みたいな子だったらうちで雇いたい」と言ってくれたのです。うれしかったですね。そのオーナーのようになりたいと思い、美容師をめざすことにしました。

──家庭の事情で、思い描いていたキャリアの方向性が大きく変わったのですね。

竹内 はい。学費が安かったので、美容専門学校の通信課程で学ぶことを決め、アルバイトで貯めたお金と、兄が協力してくれたお金で学費を賄いました。昼間に学校へ通って学ぶ課程であれば2年で卒業できますが、通信課程の場合は3年かかりますから、高校在学中から学び始めて、卒業後は北九州市内の美容室で昼間に働きながら勉強を続けました。その美容室では2年半働かせてもらったのですが、男3人兄弟で育ち野球部だった私は、女性の多い環境にはなかなかなじめませんでしたね。また、同僚たちはすでに美容専門学校を卒業しているのに対して私はまだ実習生の身ですから、差を埋めようと毎日深夜2時頃まで残って実技を練習しました。その姿を店長が見てくれていて、次第にいろいろな仕事を任せてもらえるようになったのですが、まだ美容師資格を持っていなかった実習生の私が、きちんと資格を持っている他のスタッフさんよりも可愛がられるのはおもしろくなかったのか、同僚との関係が悪くなってしまったのです。こんな環境で仕事を続けていくのは無理だと思い、美容師資格を取ってすぐに仕事をやめました。

──その後のキャリアはどう考えたのでしょうか。

竹内 ちょうど美容室をやめる頃、プライベートでも友人に騙されてお金を持ち逃げされたり、恋人と上手くいかなくなったりと、トラブルが続いていました。それで地元にいるのが嫌になってしまい、「東京に行けば、きっと何か仕事があるはず」と、手元にあった全財産1万2千円の中から9千円を出して高速バスのチケットを買い、わずか3千円を手に上京することにしました。
 地元を出て、高速バスで新宿に着いたのはちょうど夕方の帰宅ラッシュの時間帯でした。初めての東京の地で、駅へ向かう人の多さに「今日はお祭りでもあるのだろうか?」と驚きましたね(笑)。ただ、頼れる人も住む家も仕事も、何もありませんから、なけなしのお金でインターネットカフェに入り、まずは仕事を探しました。そこで歌舞伎町のキャバクラやホストクラブに美容師を派遣する会社を見つけて、キャストの人たちのヘアセットをする日雇い仕事で何とか日銭を稼ぐところからスタートです。住むところがないので、一時は新宿コマ劇場前広場(当時)で路上生活を送ったこともあります。

──家を借りるには、まずはまとまったお金が必要ですね。

竹内 はい。でも住所がなくては就職活動もできませんので、住み込みで働ける仕事を探し、調布市の新聞販売店に勤め先を見つけました。ここで新聞の配達や集金をしながら、定期購読の勧誘営業に励む毎日でした。勧誘営業はがんばり次第で稼ぐことができたので、とにかく必死に働いてお金を貯めましたね。この新聞販売店で9ヵ月ほど働いたあと、退職して自分で部屋を借りました。

飛び込んだ不動産業界で受けた洗礼

──その後、不動産業界に飛び込まれたのですね。不動産にはもともと興味があったのでしょうか。

竹内 いいえ。アパートを借りて「さあ何の仕事をしようか?」と考えたとき、稼げる職に就くために仕事先は吟味しようと思いました。それで当面のアルバイトとして、高時給に惹かれて飛びついたのが投資用ワンルームマンションのテレホンアポインターでした。不動産に興味があったわけではなくて、時給が高い仕事を探していたら、それがたまたま不動産業界の仕事だったのです。

──初めての不動産業界はいかがでしたか。

竹内 なかなか凄まじい職場でした。机と椅子と電話しかないオフィスで、朝8時から終電まで、1日に何百件も営業電話をかけ続ける仕事です。いったん受話器を上げたら絶対に置くなと言われました。「受話器を上げ下げする時間がもったいない。電話を切るときも受話器は耳につけたまま、ボタン操作だけで切れ。そしてそのまますぐ次の番号にかけろ!」と言うのです。それでもつい癖で受話器を置いてしまうと、受話器と手をガムテープでぐるぐる巻きにされました。マンガの中の話みたいですよね(笑)。
 3ヵ月いたら古株と言われるほど人の出入りが激しいハードな職場でしたが、私はこの会社で4ヵ月近く働きました。アポイントが取れると時給がアップするシステムだったので、比較的取れていた私は、少しでも多く稼ぎたいと夢中になっていたのです。そしてこの職場で働いていたときに、年輩の営業の方から「君は賃貸仲介の営業も合いそうだね」と言われたのです。それまでは不動産営業で稼ぐなら額の大きい売買仲介しかないと思っていたのですが、聞けば賃貸仲介も「できる人は稼げるよ」というのです。それならばチャレンジしてみようと思い、アルバイトをやめて不動産賃貸業の会社の採用試験を何社か受けました。そして営業所を多く持つ大手賃貸仲介会社に入社が決まったのです。

「本物の営業」との出会い

──その会社では最短期間で主任になったそうですが、どのような仕事をしましたか。

竹内 入社するとまず全員がやるのが、まだ取引のない大家さんの家を飛び込み訪問して、20棟新規取引を取りつけてくるという仕事です。それができないと営業部門に入れません。私はこれを何としても最短で終わらせようと思って、とにかく歩きました。大家さんのお宅を見つけては飛び込み訪問をして、2〜3週間で20棟の新規取引を達成したと記憶しています。20棟をクリアしたらすぐ営業部門に配属されました。この会社では営業担当になって最初の3ヵ月が研修期間で、そこから5ヵ月間一定の成績を上げ続ければ、一定の実力がある営業パーソンだと認められ主任になれるシステムだったのですが、運が良いことに私の研修期間が終わった頃がちょうど賃貸業の繁忙期に当たったのです。

──引越しの多い時期だったのでしょうか。

竹内 そうです。年末から3月頃までの賃貸需要が多い時期だったこともあって、研修から8ヵ月という史上最短期間で主任になりました。この頃はとにかく稼ぎたかったので、労働時間など気にせず必死に働いて、最初の1年間で年収600万円位になりました。前職のブラック企業で鍛えられた精神力と「稼ぎたい」という強い気持ちでガムシャラに働いた結果ですね(笑)。ただ、この頃の私は今と違い自分のことしか考えない自分本位な営業をしていたと思います。内見に来られたお客様を、契約するまで帰さないくらいの勢いであちこち引き回すので、お客様も「納得して」なのか「根負けして」なのか判断できないような状態で契約してしまうのです。そんなことを繰り返していたので、契約してくださったお客様から翌日にキャンセルの連絡が入ることも少なくありませんでした。契約は壊すしお客様との信頼関係も壊す、冗談まじりに職場でつけられたあだ名は「クラッシャー竹内」でした(苦笑)。

──何をきっかけにその営業スタイルが変わったのでしょうか。

竹内 当時、中野の店舗にいたときの副店長がとても優秀な営業パーソンだったのです。私はこの方から「本物の営業」とは何かを学びました。その頃の私の持ち味は圧倒的な行動量でしたが、副店長は行動量もある上に、お客様との関係を築くのがとても上手でした。不動産賃貸仲介業は、貸し主と借り主の両方から仲介手数料をいただくことで成り立っている仕事です。お客様(借り主)が求めているものをプロとしてしっかり提供できたときに初めて「ありがとう」と言われ、対価として仲介料をいただける。これが正しい姿です。副店長のもとで、私は「傾聴」、つまり「お客様の声に真剣に耳を傾ける」ということを覚えました。そこから少しずつお客様の気持ちや考えに沿った提案をすることに力を入れるようになったのです。

──営業の「質」が変化したのですね。

竹内 大幅に変わりましたね。お客様から感謝されることも多くなって、リピーターで来られる方や他のお客様をご紹介いただくケースも増えました。これにより営業という仕事そのものに楽しさを感じるようになりましたね。「不動産のプロ」という意識を持って仕事をするようになったのはこの頃からです。正しい方向に努力をして力をつけていき、月間36本契約・売上460万円の成果を上げて副店長に昇格しました。

宅建士試験にチャレンジ

──宅地建物取引士(以下、宅建士)の資格はいつ取得されたのでしょうか。

竹内 それまでも数回、記念受験みたいな感じで受験はしていました。実務をやっていれば解ける問題もあるので、市販本を買って勉強するだけでもそこそこの点数は取れましたが、毎回合格には届きませんでした。営業の仕事自体は資格がなくてもできるので、しばらくは仕事優先で働いていたのですが、同じ職場の宅建士資格を持ったパートタイマーの方が出産を機に退職することに伴い、本腰を入れて合格をめざすことにしました。不動産事業所では従業員の5人に1人、宅建士を置かなければいけない規則ですが、その方がいなくなると有資格者が足りなくなってしまうためです。パートタイマーの方には私の合格までギリギリ待ってもらうようお願いをして、勉強し始めましたね。

──タイムリミットのある待ったなしの挑戦ですね。どのように勉強しましたか。

竹内 私は短期集中型というか、追い込まれないとエンジンがかからない性格なので、8月のお盆明けまでは一切勉強していませんでした。勉強を始めるとスタートが遅すぎたことを後悔しましたが(苦笑)、10月の試験まで、2ヵ月間は死ぬ気で勉強しました。しかし副店長としての仕事と売上数値はしっかり追いかけようと考え、仕事中は一切勉強をしないと決めていましたね。受験勉強のせいで売上を落としたなどと言われたくなかったので、そこはきっちりやりました。
 1日の仕事が終わったあと、夜8時頃から約2時間、会社に残って勉強をしました。勉強時間を確保するためには仕事を早く終えなければならなかったので、ムダを省いて効率的に働く習慣を身につけられたのはよかったですね。会社で2時間勉強して、帰宅後また夜中まで勉強。それまでの試験では自己流でテキストを読んだりしていたのですが、勉強ができる人がどのような勉強法をとっているのか調べてみたところ、「テキストを見る前に、まずは問題の傾向を知る」というのです。知識をつけるというよりは合格することにフォーカスして勉強するのですね。だから一問一答をとにかく丸暗記して、「これは何を言っているのだろう?」と疑問に思ったときだけテキストで確認するという形に切り替えました。このやり方は手ごたえがありましたね。それ以降は精度を高めるために過去の本試験問題をどんどん解きました。2ヵ月間は友達にも会わず、雑音を遮断するためにイヤフォンでずっと雨の音を流し聴きしながら勉強。休日は朝9時から夜10~11時までノンストップで勉強していて、頭に血が上り過ぎたのか鼻血が出たこともあります(笑)。また、TAC渋谷校で登録講習を修了して5点免除も受け、万全の備えを取りました。そんな努力の甲斐あって、最終的には50点満点中、5点免除ぶんを加算して44点で合格しました。

トップセールスの先にあるもの

──2013年に宅建士資格取得をされた頃から独立を考え始めたのですか。

竹内 そうですね。当時私は副店長でしたが、次の店長候補にノミネートされていました。その会社では店長クラスになると1千万円近い給料になります。もちろんそれまでも高所得を望んで働いてきたのですが、このとき初めて「あれ?自分の目標は店長になることだっただろうか?」と考えるようになりました。この会社にいる限り、営業ノルマがあります。ノルマを達成する以外にも、新規の管理物件を取ってこないといけないとか業務上の指示が来る。この会社で、自分がめざす営業、お客様の満足度が高い仕事、オーナーと借り手の両方にとって満足度の高い仕事をしていけるのだろうかという気持ちになりましたね。とはいえ賃貸仲介だけでは独立してやっていけるかどうか疑問でしたから、まず自分がしなくてはいけないことは、不動産屋としてもっと幅を広げること、つまり売買仲介の経験が必要だと考え、売買仲介の大手である京王不動産に転職することにしました。

──転職活動はどのように行いましたか。

竹内 私には兄が2人いるのですが、そのひとりが京王不動産で働いていました。もともとは北九州の会社に勤めていたのですが、勤め先が会社更生法の適用になったために、上京して私のいた仲介不動産の会社に入ったのです。この兄が私よりも先に京王不動産に転職し、結構数字を上げていたものですから、私も割とすんなり入社させてもらえました。最初は調布営業所に入ってそれから烏山営業所へ。マンション、戸建、土地、収益の売買仲介業務をひと通り経験させてもらいました。賃貸仲介と違って売買仲介はお客様とおつき合いする時間が長くなります。中には短い方もいますが大抵は半年以上。賃貸仲介ではそこまで深いおつき合いにはなりませんね。契約自体も、重要事項説明が賃貸であれば15分程度ですが、売買は2時間位いろいろなご説明をします。
 賃貸仲介よりもお客様と密なコミュニケーションを取って仕事ができることにやりがいを感じていましたが、やりとりの中で自分が自分の名前ではなく「京王さん」と呼ばれることに、次第に違和感を覚えるようになりました。

──「竹内さん」ではなく、会社名で呼ばれるのですね。

竹内 名前の通った会社だから起こることですね。大手で信頼を得やすく仕事がしやすい面はあったと思いますが、一方で私個人としての価値、つまり不動産仲介をする「竹内」としての価値はどうなのだろうと考えました。会社名を取り払ったとき、自分がどれくらいやれるのか試してみたいと思うようになったのです。転職を検討し始め、自分の強みやどんな仕事をしたいのかについて改めて考えたところ、売買仲介の中でも法人よりは個人向け、そして居住用の戸建や土地の仲介が得意だし、好きだと感じました。実力を試すなら、自分が本当に良いと思うもの、魅力に感じるものを勧める仕事でチャレンジしたい。そう考えて、戸建や土地の仲介を中心とする、創業間もない仲介会社へ転職することにしたのです。

──大きな会社から創業間もない会社へ、思い切った転職ですね。

竹内 自分自身、「竹内幸雄」という名前で仕事をしたときにどうなるかを見極めたかったのです。名前の知れていない若い会社へ移って実績を上げることができれば、独立して「竹内不動産」になってもやっていけるだろうという考えです。転職した会社では未公開物件情報の取得や集客について経験を積むことができました。大きな会社であれば広告宣伝にお金をかけて、会社がある程度の反響や顧客からのレスポンスを生み出してくれますが、資金力のない小さな会社では、マンパワーが集客のカギになります。物件情報を目にした人のうち何人が問合せをしてくれるのか。問合せをした人のうち何人が商談に進むのか。商談した人のうち何人が契約してくれるのか。その割合についての感覚は、それまで培ってきた仲介の経験で身についていましたので、あとは、目標契約件数を達成するためにはどれだけの人に情報を見てもらえばいいのかを考えて、とにかく愚直に、自分の足を使って集客に力を入れました。

──その結果14ヵ月連続契約、年間6千万円を売り上げたそうですね。

竹内 多少は運もあったと思いますね。戸建が完成して最初の現地販売会にいたら、その物件をずっとインターネットでチェックしていたというお客様がやって来て、すぐに契約になりました。翌月も同じ物件を目当てに来たお客様がいて、その方にも契約していただけました。お目当ての物件はもう売れてしまっていたのですが、お話をうかがうとそのお客様は将来故郷に帰りたいと言うので、将来売却されることを見越してもう少し価格が高い物件をご提案しました。なぜこの価格なのか、将来的に売却はできるのかということを、プロとしてエビデンスを説明してご納得いただいた上で契約に至りましたね。
 売買仲介の仕事に関して、私は医者と患者のような関係性でいなければ、アドバイスしても納得していただけないと考えています。つまり、営業には不動産のプロとして、お客様よりも圧倒的に知識が必要だということです。確かな知識を持ってご提案して初めて、信頼、契約していただける。こうしてきちんと結果を残すことができ、自分の営業に自信が持てたので、次のステップを踏み出すことにしました。

フリーの不動産エージェントという働き方

──トップセールス人材として活躍していた会社をやめて次に選んだのは、不動産エージェントファーム「TERASS」(東京都港区、代表取締役:江口亮介)に登録してフリーの不動産エージェントとして仕事することでした。どのような働き方ですか。

竹内 「TERASS」に参画する営業パーソンは全員フルコミッション(完全出来高制)です。仕事のやり方や働き方は、完全に各人の裁量で決めることができます。打ち合わせもほぼオンラインなので出社の必要もなし。対人の部分はすべて個人に一任されています。「TERASS」は書類作成業務をしてくれるほか、お客様とエージェントをマッチングするサイトを運営しています。ここ虎ノ門ヒルズ内オフィスのフリースペースはいつでも使えるし、コピーや飲み物も無料、それで歩合率75%です。もし個人で不動産業を始めるとなると、初期投資で軽く700~800万円はかかってくると思いますが、そうして店舗を構えたところでお客様が来てくれる保証があるわけではありません。ですから自分で集客してお客様を呼ぶことのできるスキルがあるのなら、フリーで不動産仲介をやるという仕事の仕方もあると思います。日本では不動産エージェント、不動産ブローカーというとまだ良くないイメージを持つ方もいますが、アメリカなど海外の不動産エージェントはプロ中のプロという位置づけです。実際「TERASS」にもいろいろな不動産関連企業でトップセールスだったような人がエージェントとして参加しています。

──現在のお仕事と将来の展望を教えてください。

竹内 まだフリーのエージェントとして働き始めたばかりですが、賃貸仲介など少しずつ決めています。これから毎月お客様を得るために何をするべきか考えるわけですが、これがすごく楽しいですね。最近のお客様は、不動産に対するリテラシーがとても高い。インターネットで簡単に情報を得ることができる時代なので、積極的に情報収集している方も多くて、知識量も相当です。しかし、インターネットの情報がすべて正しいかというとそうではありません。過激な情報や極端な情報も多くありますし、営業パーソンの中にもノルマを気にするあまり、確かな情報を発信できていない人も実は少なくないと感じています。私はフリーですからノルマを気にせず、お客様に不満のないようなご提案をして、契約から物件の引き渡しまでしっかりおつき合いして、10年後20年後その家に何かあったときには頼っていただけるような長いフォローをしたいですね。お客様に私の仲介のファンになっていただけるような、「この人に頼めば大丈夫」という営業スタイルをめざしています。1年目となる今年度の売上目標は3千万円です。それが達成できたら法人化して、「TERASS」と法人契約をするか自分で事務所を持つかはその時点で考えようと思っています。

──社員、フリーランス、自営業と、宅建士の働き方が多様になってきましたね。

竹内 宅建士はこれからもっとおもしろくなる資格だと思います。不動産業界にはまだ古い体質の部分も残っているのですが、今はSNSを使った集客など、随分と新しい風が入ってきていると思います。今後、一般的な仲介営業は徐々にAIに取って代わられていくと思うので、いいかげんな業者や力のない営業パーソンは淘汰されていくでしょう。でも営業スキルというのは、実はちょっとしたコツさえ掴めばレベルを上げることが可能です。今後はそのノウハウをもっと体系立てた形で提供していくことも考えています。

──最後に、宅建士をめざしている人や、将来のキャリアを模索中の人へメッセージをお願いします。

竹内 宅建士資格は、不動産の世界に入るパスポートのようなものです。お客様自身で知識を得やすくなった今、資格取得後もさらなる知識を身につけていこうとする向上心が大事になりますが、お客様の役に立つことができれば喜んでいただけ、その分が収入としてしっかり自分に返ってくる仕事です。同じ国家資格の中でも弁護士や公認会計士などと比較すれば試験合格までのハードルはずっと低いですし、それでいて高収入をのぞむことができる、夢のある資格が宅建士だと思います。コンプライアンスが厳しい現在、不動産業界も昔と違ってブラックな業者は急激に減っていますから、安心して飛び込んで来てほしいと思います。

[TACNEWS 2022年3月号|特集]