特集 女社長のちいさな不動産屋さん
~資格を活かして自分らしくキャリアを歩む~

伊藤 春江氏
Profile

伊藤 春江(いとう はるえ)氏

Arc Land 代表
宅地建物取引士
2級ファイナンシャルプランニング技能士

埼玉県川口市出身。美容専門学校を卒業して美容師資格を取得するも大病を患い、ヘアメイクの道を断念。闘病中に各種アルバイトをしながら資格の勉強に挑み、2006年、宅地建物取引士資格を取得。その後は不動産賃貸、不動産売買の会社に勤務し、社内表彰される実績を上げる。2021年独立、女社長のちいさな不動産会社『Arc land(アークランド)』を開業。不動産売買・賃貸など通常の不動産業務のほかに、分譲マンション管理組合のコンサルティングなども手掛ける。

•Blog▶http://arcland86.livedoor.blog
•Instagram▶https://instagram.com/arc_land_official

 人生は、思いもよらない要因で大きく変わることがある。美容師として働き始めようとしていた矢先に大病が発覚し、キャリアチェンジを余儀なくされた伊藤春江さん。闘病しつつも前向きに生き方を探す中、宅地建物取引士試験に挑戦し、一発合格で資格を取得、不動産の世界へ飛び込んだ。不動産賃貸会社、売買会社に勤めて群を抜く成績を上げたのち、2021年に独立してちいさな不動産屋さん『Arc Land(アークランド)』を開業。常に前向きに、全力で、まっすぐ人生を切り開いている伊藤さんに、自分らしいキャリアの歩み方についてうかがった。

病魔にはばまれたキャリアプラン

──2021年、コロナ禍の中、おひとりで不動産業を始められた伊藤さんですが、ご実家も不動産業をなさっているそうですね。

伊藤 そうです。父が不動産業を営んでいたので、子どもの頃は物件の間取り図を塗り絵代わりにして遊んでいました。賃貸中心の不動産屋ですから、管理物件の雑用、例えば草むしりとか剪定した木の枝をまとめるような仕事を、ちょっとしたお小遣いをもらって手伝っていました。でも家業を継ぐことは考えていませんでしたね。私は4人兄妹の長女ですが、両親が子ども達は好きな道を進めばいいという考えでしたので、高校卒業後は美容専門学校へ進学しました。

──美容系のお仕事に興味を持っていたのですか。

伊藤 へアメイクの仕事に就きたいと思っていました。美容室に就職して数年修行したら、ヘアメイクの事務所か先生に弟子入りしてプロになりたいと思っていたのです。専門学校へ通いながら美容室でアルバイトをして、就職も内定していたのですが、卒業間近になった頃に、がんが発覚したのです。それでも何とか卒業まで耐えようと無理をして学校に通っていたのですが、あるとき学校から病院へ搬送されてそのまま入院、手術をすることになりました。約12時間にも及ぶ大手術で、入院期間は2ヵ月になりましたね。それでも専門学校に通った時間を無駄にしたくなかったので、卒業式にはきちんと出席し、国家試験を受けて美容師資格も取りました。ただ、体調を考えると美容室で働く夢は諦めるしかありませんでした。退院した直後は、エレベーター待ちをする間にも倒れてしまうような状態でしたし、通院治療や検査も毎週のようにありました。抗がん剤の副作用が本当にひどくて、道を歩いていても具合が悪くなるような、日常生活が送れないレベルです。そんな状態を3ヵ月位続けたあとで、抗がん剤治療を止めました。

──副作用が本当につらかったのですね。

伊藤 はい。抗がん剤治療を止めて、もし再発したとしても、それは運命として受け入れようと思いました。主治医の先生や親は治療を続けるようにと言いましたが、何しろ副作用がひど過ぎて、これで生きていたところで何が楽しいだろうと思ったのです。それで「再発しても誰も恨まないし責めないから」と言って、自分の免疫力を信じることにしました。

 当時は買い物で荷物を持つとか自転車に乗るとか、20代の人が普通にすることもできない状態でしたが、数ヵ月かけてゆっくりリハビリして、何とか日常生活が送れるようになったので、アルバイトをすることにしました。親に医療費などたくさん負担をかけてしまったし、妹弟がまだ学生でお金が掛かりますから、自分の食いぶちくらいは稼ぎたかったのです。でもまだ普通の人と同じようには働けない体調なので、友人に紹介してもらい、座って働ける水商売のアルバイトをしました。“座っていられるから”だなんて、本気で水商売をなさっている方には失礼な話だと思いますが、そのときは他にできることがなかったのです。お店のママさんがとても良い方で、事情を話したら「お酒を飲まなくてもおしゃべりができるのであれば大丈夫よ」と言ってくださったので、ウーロン茶を飲みながら接客していました。意外と性に合っていたのか、仕事は楽しかったです。

──その後もレジ打ちやホームヘルパーなどのアルバイトをしたそうですね。

伊藤 はい。がんは術後5年間は再発率が高いということで通院治療が続きます。抗がん剤ではないのですが薬を飲んでいましたし、少しのことで具合が悪くなって休みを取らなければいけないので、その間は就職できないと思いました。もちろん事情を話せば理解してくれる会社もあったかもしれませんが、病気のせいで特別扱いされるのは嫌だったのです。親は「家にいればいいよ」と言ってくれましたが、「病気した私はかわいそう」とふさぎ込むのは、何だかどこか負けのような気がしました。私は生まれつき本当に負けず嫌いなのです(笑)。だからこの5年間にいろいろな仕事を経験してみようと思いました。水商売はまったく嫌ではなかったのですが、自分の将来やキャリアを考えたとき、他のことにも挑戦したいと思いました。入院中いろいろな方にお世話してもらう経験をして、今度は自分が人の助けになりたいという気持ちもあったので、ホームヘルパー(訪問介護員。以下、ヘルパー)の資格を取ることにしましたが、資格を取るのにも多少時間がかかりますから、その間はレジ打ちの短期アルバイトや、夜は居酒屋のアルバイトなどをして、周りが心配するのをよそにずっと働いていました。

──闘病やアルバイトと並行しての勉強だったと思いますが、ヘルパー資格は取られたのですか。

伊藤 取りました。介護福祉事務所に登録して、利用者様のお宅で入浴介助や洗濯、買い物や食事作りなどをしました。ヘルパーは大変な仕事ですが、楽しかったですね。生きていれば誰でもいつかは高齢になりますし、利用者の皆さんは今までの社会を支えてきてくださった人生の大先輩ですので、私の知らないこともたくさん教えてくれます。いろいろな話をして孫のように可愛がってくださる方もいましたね。また、美容師資格を持っているので入浴介助ではシャンプーが気持ちいいと言っていただくことが多かったですし、シャンプー後に軽く髪のセットをして差し上げると本当に喜んでもらえました。ヘルパーに指名制度はないのですが、「今日あの子は来ないの?」と言っていただくこともあって、うれしかったですね。
 生きていくためにはお金も大事ですが、人から必要とされ、感謝されるということが、人生では何より必要なことだと私は思います。

将来を創りなおすための資格

──その後、宅地建物取引士(以下、宅建士)の資格をめざされたのですね。

伊藤 アルバイトで様々な仕事を経験して、24歳になった頃、ふと「もうすぐ5年経つな」と思ったのです。手術から5年が経過して、幸いなことに再発せず過ごすことができました。でも、美容師になるのはもう体力的に無理だと感じていたので、この先どうするかと考えて、とりあえず宅建士の資格を取ってみようと考えました。当時、アルバイト生活の間も父の不動産会社の仕事を手伝って書類作成などをしていてまったく知らない世界ではなかったので、仕事として不動産業をやるかどうかは別として、ともかく資格をとってみようと、正直、最初はそれくらいの軽い気持ちでした。

──どのように試験勉強をしましたか。

伊藤 勉強の仕方は人によって相性があると思います。自分に合う方法で勉強しないと効率も上がらないですし、「これだとやりきる自信がない」と感じたら意味がないので、まずは脳みそが拒否せずに読めそうなテキストを探しましたね。そして私の勉強法は「書くこと」です。それもただ書き写すのではなく、勉強した内容を自分で噛み砕いて表にして、「ここは間違いやすいから注意!」といった簡単なコメントやイラストも書きます。そういう自分なりのカスタマイズを要所要所に入れて、最終的にはテキストではなく、自分のノートを使って勉強できる状態にしました。他には、月並みですが単語帳を作って覚えたり、家中の壁いっぱいに要点などを書いた紙を貼ったり。きっと家族は迷惑だったと思いますね(笑)。

 こうして書いて覚えるのが前半で、後半はとにかく問題を解きました。それも一問一答の問題をひたすらやり続けましたね。試験本番と同じように時間を測って2時間で50問を解き、時間の感覚を身につける方法もありますが、そのやり方では私は性格的に飽きてしまったり、その都度集中する時間を作るのが嫌になったりするだろうと思い、好きなときに集中してやれる方法で勉強したのです。アルバイトに行く途中や寝る前も、とにかく一問一答を繰り返しましたね。宅建士試験の問題は文章が難解で、言いまわしもややこしい。普通の読書をするよりも読解力が必要になりますし、引っかけ問題もありますが、そこは数多く問題を解いていると傾向が読めてくるので、「私はそこには引っかからないよ~」と、ある意味楽しみながら、飽きずに続けていました。自分に合った方法で勉強できたことが合格につながったのだと思います。

後悔したくないから言い訳をなくす

──試験中はどのようにモチベーションを保ちましたか。

伊藤 家族、友人、親戚、アルバイト先の人にまで、聞かれてもいないのに「私、今年、宅建士の試験を受けるんです」と言って、宅建士試験を受けることを積極的に周囲に伝えていました。もしそれで合格できなかったら「あんなに言っていたのに…」と言われるじゃないですか(笑)。負けず嫌いだからそれは悔しいし、絶対に合格するぞと自分に言い聞かせていましたね。よく、周りには言わずにこっそり受験して、合格できなかったときも「記念受験だったから」「とりあえず勉強しないでどれ位の点が取れるか知りたかっただけだから」などと言う人もいますが、そのことに何の意味があるのかな、と思います。

 アルバイトは続けていましたが、試験の1ヵ月前位は友人と連絡も取らずに勉強に集中しました。仲のいい友人には事前に「試験直前期の連絡は無視するけどよろしくね」と伝えていました。息抜きにちょっとお茶するくらいいいでしょと言われても、もし不合格だったときに「あの時間に勉強していれば…」などと思いたくないので、断りましたね。逃げ道を作りたくなかったので、自分を追い込むようにしたのです。

──本当にまっすぐ真剣に取り組んでいたのですね。

伊藤 国家試験は基本的に年1回しか受験のチャンスがありませんし、一度大きな病気をしたことで、私の中には翌年も生きていられるかわからないという思いが常にあって。だからその大事な1年を無駄にするのが嫌で、一発で合格できるよう真剣に努力しました。それに今は元気に過ごしている人も、いつ病気や事故に遭うかわからないのです。だから、いつ眼を閉じることになっても、「私の人生、7~8割くらいは良いことがあったな」と思えるように生きたい。当時も今も、そんな風に思っています。無事試験に合格して宅建士の資格を取ることができて、ほっとましたね。

不動産賃貸の世界へ

──一発合格で資格を取得したあとは不動産賃貸会社に就職されました。

伊藤 はい。病後最初の就職で不安があったので、仕事内容は正社員と同じですが、更新ありきの契約社員にしてもらいました。働き始めてみると営業成績が良いので正社員になるよう言われましたが、急に体調を崩して休むと申し訳ないし、その頃はまだ正社員という立場で働く自信がなかったですね。

──どのような仕事をされましたか。

伊藤 部屋を探している方に物件をご案内する仕事です。賃貸仲介に関しては父の背中を見て育ちましたので、すんなり業務に入れました。私は人と話すのが好きなので、お客様とのコミュニケーションが重要なこの仕事は結構向いていると思いました。その会社は全国に営業ブロックがあるのですが、首都圏ブロックで仲介成績2位とか、常に上位に入っていました。

──不動産の世界が合っていたのですね。

伊藤 そうですね。そして入社3年目の2011年、東日本大震災が起きました。私はいてもたってもいられず、「災害ボランティアに行こう」と東北に向かうことにしました。東北に親戚も知人もいませんが、テレビで津波の映像を見たら涙が止まらなくなって、ここで行かないと自分は一生後悔すると思ったのです。今思うと「若いな」と思いますが、当時の私は「これだ!」と思ったら止まらないような部分がありましたね。会社の上司とはボランティアに行くかどうかで半分言い合いになりましたが、「どうしても行くなと言うなら会社をやめます」と申し出たところ、お休みをいただけることになりました。もちろん親にも反対されました。自分自身の身体のこともあるし、向こうで何かあったら迷惑になると言われましたが、半ばケンカ状態で、早朝にひとり、黙って出発しました。向かったのは宮城県多賀城市です。多賀城市は県外ボランティアの受け入れ体制ができるのが早かったのです。私はとにかく早く行きたかったので、ボランティア保険に入るなど準備をしながらインターネットで情報をチェックして、受け入れOKとなった瞬間に申し込みをして行きました。現地では、がれきの撤去や避難所に行かれる方の荷造りのお手伝いなど、様々な仕事をしましたね。

──素晴らしい行動力ですね。

伊藤 夢中でしたね。約1週間お手伝いをして、埼玉に戻って仕事をして、また東北に行くという形で、1週間ずつ計3回、災害ボランティアに行きました。
 このボランティア後も賃貸仲介の仕事を続けていましたが、次第に自分の中でステップアップしたい気持ちというか、賃貸である程度がんばったから、次は売買をやってみたいと思うようになりました。それで3年程勤めた会社をやめて売買仲介の不動産会社に転職しました。このときは、身体的にも大丈夫だろうと思えるようになったので、正社員として就職しましたね。

お客様の人生に関わる不動産売買の仕事

──不動産売買と賃貸とで、仕事内容は違いましたか。

伊藤 まったく違いました。決して賃貸を軽んじているわけではありませんが、売買は「重さ」が違います。家探しをしているお客様を相手に、ご希望をうかがってその方に合った提案をするという点は賃貸と同じですが、大きく違うのは住宅ローンが関わってくることです。どのくらいの額までローンが組めるのか、月々の支払いをどの程度にするかというところまで含めて、お客様の人生をサポートするからです。家を買うというのは人生に1度あるかどうかの一大イベントです。そこに「伊藤春江」という仲介者として関わるのですから、中途半端なことはできません。あとになって「伊藤さんがこの家を勧めたせいでこんなことになってしまった」などと恨まれるような仕事は絶対にしたくないので、そこは必死にがんばりました。賃貸仲介の場合、お客様に会うのは契約までの数回、極端な場合は物件を即決して1度しかお会いしないお客様もいます。でも売買仲介は、契約して終わりではないのです。逆に契約後からお客様の「家人生」が始まるという面もありますから、責任が重いぶん、やりがいや楽しさは大きいかもしれません。

 また、売買の仕事を始めて私が特に苦労したのは、「女性であること」と「若さ」でした。当時はまだ20代でしたから、自分の子どもみたいな年齢の女の子から何千万円もの家を買うということに抵抗を感じるお客様も一定数いらっしゃって、そこはすごく悩んだ点です。当時の不動産売買の世界は今以上に男社会で、私はその中で一番年下の売買未経験者でしたから、周囲の皆が皆、私を下に見るような感じがありました。

──その状況にどのように対応したのですか。

伊藤 そこは負けず嫌いですから(笑)、人一倍仕事をして結果を出しました。営業の仕事はお客様ありきです。お会いできるのが夜だけであれば、その時間にアポを取りました。また、売買のお客様はご自身でもいろいろ調べて勉強していらっしゃいますから、それを上回る知識を増やすことも必要になります。仕事が重なると帰れなくて終電になることもありましたし、終電を逃してマンガ喫茶で仮眠することもありました。今なら「働き方改革はどうなっているのか」と叱られそうですが、「女だから」「若いから」といって負けたくなかったのです。

 そうしてがんばっていると、認めて可愛がってくださるお客様もいて、私は入社2ヵ月目からずっと契約を取り続けて、関東ブロックで売上2位や、連続契約などで表彰されました。そのうち「大宮支店の若い女の子が成績を上げている」という噂が社長の耳に届いたようで、本社に来ないかと誘われました。本社では新人研修や営業フォロー、売上が上がらない人に同行してどのように接客しているかチェックする仕事を任されました。その他にもパンフレットなどの販促ツールの制作や、営業ならではの視点で使いやすいツールを考えたりしましたね。

──賃貸仲介に続き、売買仲介でも実績を残したのですね。

伊藤 どちらも「2位」ですが(笑)。そうして3年ほど勤めた頃、家庭の事情で会社をやめることにしました。会社をやめたあとは、ほぼ家から出ない生活でしたから、この時間を使って別の資格を取ろうと考えました。売買の仕事をしていたときにきちんとしたファイナンスの知識が必要だと感じていたので、当時は忙しくて手を付けられなかった勉強に挑戦しようと思ったのです。そうしてDVDとテキストを使って勉強し、2級ファイナンシャルプランニング技能士の資格を取りました。
 その後、ちょうど一段落つき、「仕事しなきゃ」という気持ちになっていたタイミングで昔の仕事仲間から連絡をもらい、売買のサポート業務をすることになりました。

──前の会社へは戻らなかったのですか。

伊藤 会社からは「また戻っておいで」と言っていただきましたが、こちらの都合でやめたのですから戻ることはしませんでした。その後、仲間の仕事を手伝っているときに知り合った取引先の方にヘッドハンティングされて、新たな不動産売買の会社設立にともない、政令使用人(代表取締役の代わりに事務所代表として契約の締結などを行う役職)として働かせてもらいました。この会社では3年弱勤めたのですが、コロナ禍もあり会社を縮小することになったので、やめることにしました。

「ちいさな不動産屋さん」開業

──やめるときはいつもスッパリと決断されますね。

伊藤 そうですね(笑)。やめたあとはもう一度就職することも考えましたが、会社に属している限り自分の思うように仕事するのは限界があります。売買仲介営業の仕事は、会社に勤めていても個人事業主に近い側面があるので、せっかくなら独立開業しようと考えました。先輩方や他業種の経営者の方に相談すると、「伊藤さんなら大丈夫」と背中を押していただけたので、「それならがんばろう」と始めた感じです。

──そのタイミングで、不動産業を営んでいるお父様の事業を継ぐという選択はなかったのでしょうか。

伊藤 多少は考えないこともなかったですね。でも、そもそも業態が違います。父は不動産の「賃貸」がメインで、私は不動産の「売買」がメインでしたから。父が元気で働いているところにずかずか踏み込んでいくのもいけないと思い、それならばと自分で不動産屋を開くことにしたのです。ただ、準備は思ったよりも大変でしたね。一般的なショップなどですと、よほど危険物を取り扱わない限りは届け出をするだけで開業できますが、不動産業は「認可」が必要で、申請して県から許可をいただかなくては開業できません。必要な書類が何種類もありますし、事務所を用意して写真も撮らなくてはいけなかったので、なかなか大変でした。

──その辺のお話は会社のブログにも書かれていますね。社名の「Arc Land(アークランド)」にはどのような意味があるのでしょうか。

伊藤 「Arc」はルーマニア語で「春」という意味だそうです。私の名前が「春江」なので、どこかに「春」のエッセンスを入れたいと思い、色々な国の「春」という言葉を調べて決めました。不動産の仕事は人との繋がりが大事です。「伊藤さんでよかった」と言ってもらえる仕事がしたいので、自分の名前を付けたのです。

 開業して3ヵ月(取材時点)ですが、おかげ様で初年度目標は達成できそうです。私ひとりの会社ですから、売上を拡大することよりも、人に喜んでいただける仕事をしていきたいと思っています。信頼がないと不動産の仕事は続けられませんから、自分の人間力みたいなものは意識するようにしていますね。Arc Landは町のちいさな不動産屋さんですから、売買のほかに賃貸仲介もやりますし、マンションの管理組合のアドバイザーもしています。ご高齢の方が多い自主管理のマンションでは対処に困るトラブルが起こることもあるので、私はあらゆる不動産のご相談に乗らせていただいています。

 世の中には不動産業者に対して「怖い」とか「騙されそう」といったネガティブなイメージを持つ方もいらっしゃると思いますが、そうしたイメージを私には感じてほしくないですね。家族や友達と同じレベルで遠慮なく相談していただきたいですし、どんなことでも頼りにしてほしいと思います。

──最後に、資格取得を考えている方々にメッセージをお願いします。

伊藤 今、何か興味のある資格があるのなら、取得をめざすのがいいと思います。取得すれば名刺にも書けますし、自信にもなります。私は様々な資格を取ってよかったと思いますし、今現在もお客様のご相談に乗れるように、相続に関する資格を取得したいと考えています。悩む時間も必要ですが、人に会ったり本を読んだり、ささいなことでもいいので、何か行動することが大事ではないかと思います。どんな人でも、いつまで元気でいられるのかはわかりません。ある程度の失敗は取り返せると思うので、ぜひ怖がらずにチャレンジしてほしいと思います。

[『TACNEWS』 2021年10月号|特集]