特集 実務家が語る「不動産鑑定士の世界」

  

立場が違えば相場感が変わる不動産の価格。
見方で変わる不動産を鑑定評価するところが、不動産鑑定士のおもしろさです。

中村 光伸さん
Profile

中村 光伸氏

株式会社谷澤総合鑑定所 本社鑑定本部 証券化評価部
シニアマネージャー 不動産鑑定士
TAC不動産鑑定士講座 講師

中村 光伸(なかむらみつのぶ)氏
1974年生まれ、大阪府出身。京都大学経済学部卒。1998年、大学在学中に有志で立ち上げた有限会社志学(学習塾)入社。2004年、有限会社サクセス研学館入社。2007年、不動産鑑定士試験合格。同年、株式会社谷澤総合鑑定所入社。2010年4月、不動産鑑定士登録。2013年、大阪国税局相続税路線価鑑定評価員。2014年、国土交通省地価公示鑑定評価員。2015年、大阪府地価調査鑑定評価員。2016年10月より谷澤総合鑑定所にて実務家として活躍しながら、TAC講師として教壇に立つ。

 かつて受講生としてTAC梅田校に在籍し、『TACNEWS』で連載していた「今月のたっかー」にも登場した中村光伸さんは、不動産鑑定士(以下、鑑定士)試験に合格し、株式会社谷澤総合鑑定所に勤務して10年。2016年10月からは不動産鑑定士講座講師として、TACの教壇に立っている。一般的にはあまり知られていない「不動産鑑定士の世界」について、鑑定士としてキャリアを積む中村先生に紹介してもらい、鑑定士の仕事と範囲の変化、新たな分野、やりがいや魅力について、実務家の視点で語っていただいた。

公認会計士から不動産鑑定士へ方向転換

──中村先生は、学生時代には資格に興味がありましたか。

中村 実は大学生の時、仲間と運営していた塾で講師をしながらTACの公認会計士(以下、会計士)講座に通っていました。ただ、数年間ずっと受講料だけを払い続けるような勉強の仕方で、試験を受けても当然合格しませんでした。会計士は難関資格なので今の勉強方法では合格しないとわかりながら、卒業後も塾講師と受験を続け、どっちつかずで20代を過ごしてしまったのです。

──会計士から鑑定士への方向転換には、どのような転機があったのですか。

中村 卒業後、1年間だけ塾講師を離れて受験に専念したのですが、たった1年では当然合格しませんでした。そうこうしている20代後半に結婚して子どもを授かりまして、いよいよ本腰を入れないといけません。そこで一旦別の進学塾で働くことにしたのですが、入ってみると自分のイメージとの違いを感じ、たった1年で退職。ただしそのあとを考えた上でないと辞められないので、「今からめざして比較的短期間で合格できて、かつ仕事として魅力的で将来性もある資格はないか」と探したのです。
 その時、大学時代に運営していた塾の後輩が鑑定士になっていました。話を聞くと「比較的短い期間で合格できます。仕事も面白いですよ」と言われて、「これしかない!」と鑑定士試験の受験に踏み切ったのがちょうど30歳の時でした。
 子どもは生まれてまだ1年なのに、お父さんは完全に無職。それでも妻は反対しなかったので、「やろうと決めたからには短期間で合格しよう」という気持ちは強まりました。
 こうしてわずかながらの蓄えで受験勉強を始めた時、TAC梅田校の方から「アルバイトをやらないか」と声をかけていただきました。非常にありがたかったですね。アルバイトがありますから必然的にTACに行かなければならないし、心が折れるなんて考えてる場合じゃない。TACに行くとがんばっている人たちがいて、「この人たちには負けられないぞ」という気持ちが湧いてくるんです。今振り返っても、いろいろな意味でとてもありがたい場をいただいたんだなと感謝しています。

──当時の『TACNEWS』の企画「今月のたっかー」に登場されたのもその頃ですね。

中村 そうですね。TACの受講生を紹介する企画なので「受験中に出て、落ちたら嫌だ」という人もいますが、自分は「がんばって絶対に合格するんだ」という気持ちで出させていただきました。

──どれぐらいの期間での合格をめざしたのですか。

中村 もちろん1年です。しかし受験する2006年に試験制度が激変しました。その3年前から合格者がどんどん減らされており、「絞ってきた分、新制度で増やすのか、さらに減らすのか」方向性がまったくわからない状況でした。フタを開けてみると、2006年の合格者はわずか94名。数年前は300名の合格者を輩出する試験だったのに、一気に厳しい試験になっていました。その年、私はB判定で受かるわけもありませんでした。
 こうして2年目に突入しますが無職で家庭持ちだったので、当然あとがない状態です。本気モードで1年間、残りの部分を仕上げる集中学習をしようと決めました。

──1年目の不合格で自分に足りない部分が掴めたのですね。

中村 勉強量が圧倒的に不足していたのがわかりました。例えば、鑑定士にとってバイブル的な科目の鑑定理論は、当時完全な暗記科目でした。合格した人に話を聞くと、ほとんどを暗記していたのに対して、私は6~7割しか暗記していなかったのです。2年目はその不足部分を補い、全答練(現・全国公開模試)での成績も30~50番まで上がりました。それでも新試験制度は10番以内でも落ちる可能性がある試験になったので、30~50番という中途半端なランキングでは本試験でそこそこ手応えがあったとしても、フタを開けてみるまで予測不能でした。そんな状況でしたので、合格発表で合格とわかった瞬間、本当に良かったと思いました。
 その後、現在勤務する谷澤総合鑑定所に入り、鑑定評価実務をスタートしたのです。

入社10年で、担保・公共・証券化の評価を経験

──谷澤総合鑑定所に入った経緯を教えてください。

中村 鑑定士になった塾講師時代の後輩がすでに入社していて、「仕事はすごく厳しくてとても忙しい」と聞いたからです。私が合格した時はすでに33歳。30歳を超えてから新たな業界ということもあって、ぬるい環境でゆっくり修業するより「仕事量が多くて忙しくても、短期間で成長できるところがいい」と思いました。また弊社は基本的に鑑定事務所大手3社の一角なので、そこで修業できるのは非常に魅力的でした。

──受験時代に抱いていた鑑定士の仕事のイメージと実際の実務は違いましたか。

中村 受験時代は、ただ不動産を評価するために鑑定士という仕事があるという認識でした。不動産の値段を出す程度のイメージしかなくて、具体的な依頼目的やどのような案件があるかまでは認識していませんでした。

──まもなく入社10年になられますが、入社してから経験された業務について教えてください。

中村 入社後は生命保険会社や金融機関の担保評価等、何でもやるスタンスでした。その後の配属で公共部門に移り、市町村が用地取得や保有している不動産を売却する場合等の鑑定評価を担当しました。例えば、新たな道路計画の際に用地買収目的で行う評価ですね。ただし、弊社は担当として特定の業務だけをやっていては鑑定士として成長できないというスタンスなので、それ以外のすべての仕事にも携わっていました。
 公共部門のあと、現在所属する本社鑑定本部証券化評価部で、証券化を中心に担当しています。

──担保評価、公共部門評価、証券化評価。それぞれの鑑定評価に違いはありますか。

中村 どの案件でも説明責任はありますが、他の評価より利害関係者が多いという点で、鑑定に際して鑑定士としての説明責任が一番大きくなるのが証券化対象不動産です。
 例えば、投資法人が物件を買う時、または買ったあと、ずっと鑑定評価が必要になってきます。その金額や収益性を元に民間投資家、個人投資家が判断をするので、判断の元になっている部分を鑑定士が担っていることになります。関わる人が目に見えない範囲で無限大にいて、その人たちに対してしっかりと説明責任を果たさなければならないということなんです。そこで2007年の法改正では、不動産鑑定評価基準に「各論第3章」が新設され、証券化対象不動産として鑑定評価を行う場合の適用範囲などが新しく付け加えられました。

──通常の評価では誰が依頼してくるのか、誰が使うのかはっきりわかりますが、証券化の場合は見えない投資家が最終判断の材料として使うということですね。

中村 そうですね。例えば、通常の売買では見える範囲がかなり限られていて、鑑定評価書を見るのは売買される方と一部の税務署や監査法人等になりますが、証券化は多数の利害関係者が影響を受けるので新たな評価基準ができたわけですね。

やりがいは「見えないものに価格をつけること」

──鑑定評価は仕事としてどのような面白みがありますか。

中村 この業界に入って10年、非常に楽しい業界だなと感じています。まず不動産の価格は買う人・売る人、立場が違えば相場感も違ってくると思いますが、私たちは第三者の目線でこの物件のポテンシャルはこうだと、世の中のたくさんある事例を踏まえ理論的に検証して価格を出していく。その見えないものに価格をつけるところに、ひとつ大きなやりがいがあります。
 また不動産は非常に個別性が強く、ひとつとして同じものはありません。極端な話ですが、尖閣諸島も評価対象になるので、鑑定士が見に行って評価していましたね。何でも権利がつくものに対して値段をつける仕事というのは、やっていてやりがいあると感じています。

──証券化は鑑定士の仕事としては新しい仕事と言えます。さらに新しい分野として出てきたものはありますか。

中村 例えば太陽光発電、船舶、機械といった不動産ではなく動産評価を行うケースも出てきています。ただ、動産評価には資産評価士という民間資格が必要で、鑑定士が資産評価士資格も取得し、評価するケースが増えていますね。

──大阪国税局と国土交通省の鑑定評価員になられていますが、どのような仕事をするのですか。

中村 まず一番よく知られている地価公示という仕事を国から選任されて行います。これは全国何万ポイントと決められたポイントに対して、年1回土地の価格を出す仕事です。この地価公示は1月1日の価格で、さらにもうひとつ、7月1日の価格を出す都道府県地価調査というものがあります。地価公示は国から、地価調査は都道府県から受ける仕事です。
 このふたつがまず公的評価と言われるもののメインとなる仕事で、その他に国税局からの相続税路線価があります。町中では道路に値段がついていて、その値段を鑑定士が決めるのですが、相続が発生した時に相続税の税額は相続税路線価から決めています。あとは固定資産税評価といって、これも土地を持っているとかかる税金ですが、相続税路線価と同じように固定資産税路線価という道路の値段の算出を鑑定士が行っています。固定資産税路線価は各行政、市町村から受ける仕事で、以上が公的評価の三本柱です。

──公的評価の仕事はどのようにして受けるのですか。

中村 最初は地価公示から入りますね。地価公示の評価員になるためには、鑑定士になってから3年間、年間最低5件の鑑定評価書を出していなければなりません。それをクリアして初めて申請ができるので、申し込みをして国から認めてもらい、初めて評価員となることができます。相続税路線価や固定資産評価員になろうとすると、地方によって要件に「地価公示をやっていること」と入っていることがあるので、まずは国の地価公示評価員になるのが公的評価のスタートです。

プラスアルファの強みで差別化

──実務に就かれて丸10年になりますが、鑑定士として一人前と言えるのはいつ頃だと思われますか。

中村 自分自身の経験で思うのは、10年経っても関わったことのない分野があるので、一人前とは言えないなということです。世の中には本当に様々な形態の不動産があり、まったく関わったことのない物件があります。オーソドックスな鑑定でいえば5年やればそれなりの鑑定はおそらくできるとは思いますが、本来の意味で「この人に聞けば何でも知っている」と言われるようなオーソリティになるには、10年では全然足りない気がしますね。

──今後、どのような鑑定士をめざしていかれますか。

中村 これからはただ鑑定士資格を持っていれば安泰という時代ではないので、差別化を図りたいと考えています。他の鑑定士との差別化というイメージでいくと、ひとつは特殊なアセットタイプですね。例えば病院や老人ホーム、ホテル、パチンコ店といった、いろいろなアセットタイプがある中で、「このタイプについてはこの人に聞けば大丈夫」と言われるようになることです。あまりにも幅広いので全般に詳しくなることが難しいのが不動産。専門性のある深め方が必要かと思っています。
 もうひとつは「英語が堪能である」こと。英語に関しては、海外のクライアントから依頼が来た時に、日本語の鑑定書を作るだけでなく、それを英訳する必要性があるからです。弊社にも英語のできる鑑定士が東京を中心に何名かいて、彼らが英訳を担当しています。
 このように、ただ鑑定ができるだけでなく何かプラスアルファの強みがあれば、強い鑑定士になれると考えています。

──海外のクライアントは増えているのですか。

中村 多くなっていますね。実際に弊社で海外の物件を評価する場合もあります。そうなると海外に行って評価することになりますから、当然英語のできる鑑定士が現地に向かうことになります。こうしたケースが今後は増えてくる可能性が充分あるので、英語はひとつの強みになるでしょう。

──グローバル化の中で、英語は今後やらなければならない課題でもあるわけですね。

中村 私は大学受験で英語と数学が得意だったのですが、それでも本腰を入れてやらないと海外対応までできるようにはなれません。大阪本社には英語ができる鑑定士があまりいないこともあって、最近自分で音頭を取って、英語の勉強会を開こうとしていました。しかし通常業務が忙しく、なかなか実践できていません。そこが今後の課題ですね。ただ、最近入社した若手の中に英語をがんばりたいと言っている者がいるので、仕事が落ち着いてから勉強会をスタートしてみようと考えています。

「転職・就職」市場活況な鑑定士業界

──鑑定士として差別化を図るにあたり専門分野を深堀りするというお話でしたが、中村先生ご自身が今後深堀りしていきたいのはどのような分野ですか。

中村 まだ具体的に見つかっていないので、そこは今後の課題です。例えば、今携わっている証券化も専門性のひとつにはなると思います。しかし、証券化自体、クライアントは投資法人になりますから、基本的に仕事を発注する鑑定事務所は大手、準大手になります。
その依頼を受け、携わっているのが現在の私です。つまり、それ以外の人が独立して事務所を立ち上げて不動産の証券化を専門分野にしようとしても、相当困難だと思われます。そういった意味で言えば、証券化は特殊性があるといえばありますが、今の会社の今のポジションだからこそできるという意味での特殊性になります。自分の属性としての専門分野になるわけではありません。

──では、将来的に独立してご自身でやっていく方向は考えていらっしゃいますか。

中村 この資格をめざしてきたからには、当然そういう思いはありました。しかし、今所属している弊社だからできる大型の評価であったり、証券化案件であったり、新聞に載るような誰でも知っている物件であったり、他では経験できない案件に携わることができます。独立してしまうと、大型の評価も証券化評価も関わる機会が減る、あるいはなくなるというデメリットが気になりますね。
 あとは、独立すると自分の裁量でできるメリットがある一方、今後まだ何十年も働いていく中で、おそらく大変厳しい時もあるだろうとリスクヘッジを考えます。そこを天秤にかけつつ、企業内にいようか独立しようか、どの鑑定士も考えていると思います。

──鑑定士は転職者が多いと聞きました。

中村 鑑定士業界は異業種からの転職者、例えば一度どこかの金融機関や不動産仲介業者を経験してから鑑定士をめざして転職してくる人が多いので、転職先の選択肢のひとつになります。しかも、ここ2.3年の弊社大阪本社での入社メンバーは20代前半~40代と、年齢層も幅広くなっています。つまり30代後半で不動産に関する経験がまったくない方でも資格を取得すれば採用される可能性はあるということで、鑑定士業界は比較的門戸が広いと思います。
 業界的に今、人手不足であることから、転職者市場は活況になっています。ということは、今めざしている方にとって、大変よい環境と言えます。いつまで売り手市場が続くかは明言できませんが、今めざしているなら早く試験に合格して、早く業界に入ってくれば、好環境が待っていると言えますね。

──東京と大阪では転職市場に差はありますか。

中村 東京は鑑定士として企業に勤めている人がそのあと転職をするケースが非常に多く、その市況もとても熱いようです。特に今のような不動産市況が活況を呈している中では、人材の流動化が激しく、転職市場がすごく活況になります。例えば、鑑定事務所から投資法人に転職するといったように物件を保有・運用する側に転職するケース、あるいは金融機関に転職するといったケースが非常に多いようです。

──大阪では東京ほど転職市場は熱くないのですか。

中村 そうですね。というのは地方の物件も最終的には東京の法人が持っていることが多く、大半の不動産物件は東京に集中しているからです。従って不動産プレイヤーもほとんど東京に集中しています。東京の法人が物件を取得していって、物件の数が増えれば増えるほど、どの会社も中で働く人の人数が必要になり、採用に積極的になり転職市場が熱くなるのでしょう。

──鑑定士は独立する方は多いですか。

中村 鑑定士は、事務所に勤務し続けるか、転職するか、独立するか、3択あると思いますが、エリアによって傾向が全然違うという感じはあります。長いスパンで考えた場合、どちらかというと最終的には独立する方が多いようです。独立の場合は、職場の仲間と退職して複数名で共同事務所を作るのではなく、ひとりで独立されるパターンがほとんどです。

「鑑定士は楽しい世界」と伝えたい

──中村先生は、2016年10月からTAC不動産鑑定士講座の講師として教壇に立たれています。講師として「こんなふうに教えたい。こんなことを伝えたい」という思いなどありましたら教えてください。

中村 やはり講義に出席している受講生が「がんばって鑑定士になりたい」と思えるような講義をしていきたいですね。「普段の業務にはこんなことがあるよ」、「鑑定士だったらこんなことができるよ」、そういった魅力付けをしながら、鑑定士は楽しい世界だということを伝えていきたいと考えています。

──実際に教壇に立って心がけていることはありますか。

中村 大学時代から小中高生を対象に10年ほど教壇に立った経験があるので、慣れている部分はあると思います。ただその当時との違いは相手が大人であることなので、まず言葉遣いから気をつけて、フランクになり過ぎず、それでいて極力フランクでいきい。そしてこちらの独りよがりにならないように講義中も講義後も、できるだけ声かけをしていきたいですね。
 また、鑑定評価は形式的な内容だけではイメージが湧きにくいので、講義の中でプラスアルファで具体的な実務の話を盛り込んでいきたいと考えています。となると、どうしても10~15分、講義時間が延長になりがちです。それでも通り一遍のことをやるよりはるかに記憶に残る講義になると思うので、今はそれでやらせてもらっています。

──以前の塾講師時代の経験が活きている部分でもあるのですね。

中村 そうですね。対象は大きく変わりましたがやることは同じで、伝えるべきことをきちんと伝えることです。例えば鑑定理論はものすごい量があるので、あれを全部覚えるのは相当困難なんですね。そこで大事なポイントだけはしっかり持って帰ってもらえるように絞り込んでやっています。
 受講生は仕事をしている方が大半で、普段の忙しい業務の中でこの資格を志した方たちです。そして実際勉強を始めてみると、「思ったよりもしんどいな」と感じているはずです。特に今担当している講義は週2回あるので、週2回TACに来て、ずっと講義を聴くだけでなく当然復習もしなければなりません。キャッチアップするだけでも相当大変ですが、何とかついてきてほしいと思いながらやっています。

──受講しているのはどのような職種の方が多いのですか。

中村 鑑定事務所勤務の方はいません。公務員であったり、金融機関の方であったり、あとは自分で不動産仲介業や管理会社をしている方であったり、不動産に関わる仕事をしている方が中心です。まったく関係ない業種の方もいますね。学生さんも3~4割いて、以前に比べて多いと思います。私の受験時代、女性は1~2割でしたが、現在は3~4割とかなり増えた印象です。

──『TACNEWS』の読者とこれから資格取得に向けて勉強をしようという方に向けてアドバイスをお願いします。

中村 資格試験なので、一度めざした以上は最後までやり遂げてください。大事なのはダラダラしないで、短期間でしっかりと目標を達成すること。そして、それに向けた気合いです。それがないと20代の時の私のように、ただ試験を受け続けても結局は合格しません。人生の中でそんな期間を作らないために、合格を勝ち取るためにも本気でチャレンジしてください。そして、この記事を読んで「鑑定士っておもしろそうだな」と思われた方、ぜひ鑑定士講座にいらしてください。教室でお待ちしています!