LET'S GO TO THE NEXT STAGE 資格で開いた「未来」への扉 #35

  
Profile

吉原 杏菜 (よしはら あんな)氏

1994年、神奈川県生まれ。上智大学へ進学し経済学を専攻する。卒業後は大手証券会社へ入社し、福岡で勤務。1年目にして3億円の大口契約を取りつける期待の新人だったが、同年冬に妊娠がわかり休職。妊娠・出産を経験したことで、働く人をバックヤードから支える制度やしくみの重要性を知り、「今度は私が誰かを助ける番だ」と社会保険労務士の資格取得を決心。家族のサポートを得て子育てと両立しながら合格を果たしたあと、事務指定講習、都内社会保険労務士事務所勤務を経て独立し、目黒中央社会保険労務士事務所を開業。現在に至る。

【吉原氏の経歴】

2013年 18歳 上智大学経済学部に入学。 携帯電話販売のアルバイトで営業のおもしろさを知る。
2017年 22歳 大学を卒業し、大手証券会社に入社。福岡支店の法人課に配属される。入社4ヵ月で大口契約を勝ち取るも、その冬に妊娠していることがわかり休職。
2018年 23歳 東京に戻り7月に無事出産。出産後のベッドの上で社会保険労務士の資格取得を決意し、TACで学ぶ。
2019年 25歳 社会保険労務士の資格試験に合格。事務指定講習を経て、事務所に勤務。
2020年 26歳 独立開業し、目黒中央社会保険労務士事務所を設立。現在に至る。

妊娠・出産を経て知った
社会を支えるしくみや制度の重要性。
私自身が助けられたように
今度は私が誰かを助けたい。

 何事もなく生活をしていると、大切なことなのに見えていないものが多くある。「働く」ということに関してもそうだ。実際、結婚や出産などのライフイベントをきっかけに、初めて社会のしくみや制度を知り、その重要性に気づく人も多い。目黒中央社会保険労務士事務所で代表を務める吉原杏菜氏もそのひとりだった。妊娠・出産をきっかけに社会保険労務士の仕事に興味を抱き、過去の経験を活かしながら活躍する吉原氏に、子育てと両立しながらの受験勉強や、資格取得後の働き方についてうかがった。

大手証券会社へ就職 営業力を鍛える日々

 上智大学在学中から、ゼミの研修で発展途上国の経済開発について学ぶためにインドに行ったり、携帯電話販売のアルバイトでは社員に混ざりトップ2の営業成績を上げていたりと、活発に活動していた吉原杏菜氏。就職活動では経済学部卒ということもあり商社を狙っていたが、大学3年時に取得した証券外務員の資格が評価されたのか大手証券会社の内定を得て、卒業後は営業職として働くことになった。
 全国転勤がある会社だったため覚悟はしていたが、入社後に言い渡された配属先は縁もゆかりもない福岡の支店だった。
「神奈川県の綱島で生まれ育った私にとって、福岡は旅行でも行ったことのない、まったく知らない土地でした。どこかへ転勤になるという可能性は覚悟していましたが、ものすごく心細い気持ちになったのを覚えています」
 でも、行くからには成長して成果を上げられるようにならなければいけない。福岡へ向かい、1週間の研修に参加した。
「研修中は、いろいろと先輩たちに揉まれて過ごしましたが、大変勉強になりました。最初はすごく不安でしたが、福岡支店にいる方はみんな福岡出身の方で、温かく迎え入れてくださって安心しました」

 正式に福岡支店へ配属され、法人課へ所属することになった。個人を対象に営業するFC課に対して、事業法人や公共・公益法人などを対象に株式や資金などの運用に関する提案をするのが法人課だ。中でも吉原氏は、地方銀行や信用金庫をはじめ、市役所を対象に資金運用の提案をしていた。ところが、こうした営業先は窓口の担当者が決裁権を持っているわけではないため、多くの説得材料を用意して何度も足しげく通い、様々な根回しをしながら商談を進める必要がある。また、そもそも営業先も少なく限られていた。
「入社して3ヵ月間は同期の中で自分ひとりだけ契約が取れずに、穴があったら入りたいという思いでいっぱいでした。FC課で個人向け営業が禁止されている訳ではないので、個人の方を対象に営業してみようか…、と思うこともありましたが、法人営業で手いっぱいで手を付けることができませんでした」

 そんな折、吉原氏は営業先である市役所の口座に税金や保険料などがかなりの金額で預けられていることを知る。その金額は数億円になるが、資産運用されていない眠ったお金が多い。これに目を付けた吉原氏は、そのうちの3億円だけ、リスクの少ない国債などで運用してみないかと提案したのだ。そして見事この提案が通り、入社4ヵ月目で3億円という、同期たちを一気に追い抜くような大型契約を決めた。
「法人課は1件の契約規模は大きいですが、契約を決めるタイミングがあるので、成約していただくまで粘らないといけないのが大変でした。でも、自分としては小さな契約をいくつも取るより、長期間粘って大きな契約を決める方が性に合っていたのかもしれません。このときはやっと契約が取れて、うれしかったというよりもホッとしましたね」

入社1年目の冬に予期しない妊娠
社会のしくみや制度の大切さを知る

 ようやく仕事にも慣れてきた入社1年目の冬、吉原氏は、自分が妊娠していることを知った。社会人になってまだ1年目、やっと仕事を覚え始めて結果を出せるようになった矢先の予期せぬ妊娠。周囲に相談できる相手もいない。しかもまだ23歳で同年代では子どもを授かっている友人もいない。福岡のひとり暮らしの部屋で、そのことを知った吉原氏は戸惑い、途方に暮れていた。
「でも、もうきちんとお給料をもらっている社会人なのだから、自分で責任をもって育てていくこともできるはずだとも考えました。ただ正直迷いもあって、相手の男性に相談したら、『産んでほしい。そして、一緒に育てていこう』と言ってくれたので、産む決心がつきました」

 つわりがひどかった吉原氏は、年を越えたあたりから食事もできず、水も飲めない状態が続き、会社へ行って仕事ができる状態ではなくなった。病院に行くと、入院して点滴を受けることを勧められ、やむなく休職することにした。
 幸いにも、吉原氏の会社は大手企業ということもあり、働く女性たちへのサポートが充実していた。会社の総務課では「どうしたら出産し育児をしながら仕事を続けていけるか」という視点で様々な制度を紹介し、サポートをしてくれた。こんな風に従業員をバックアップする仕事。それはそれまでまったく意識したことのないものだった。毎月支給される給与明細に書かれている社会保険料や雇用保険料などについて考えてみたこともなかったが、妊娠をきっかけに、こうした保険料や制度のおかげで病気やけがをした人、出産を控えた人などを支えるしくみが成り立っているということを知った。そして、総務課とやり取りをする中で、働く人たちを影で支える人々の存在をとても偉大に感じるようになったのだった。

「今度は私が誰かを助けたい」

 東京に戻って無事に出産を終えたその日、自分の今後について考えた。
「もし今後転職することになったとして、これが専門だと言えるものも特になく、社会人としてはまだヒヨッコで、しかも小さい子どもがいる自分を雇ってくれるところがあるのだろうか」
 出産までは、まず無事に産むことで頭がいっぱいだったのが、産んだ途端に将来のことが不安になった。そして、産後のベッドの中で将来のことを考えながら、スマートフォンで様々な情報を調べる中で浮かび上がってきたのが、社会保険労務士(以下、社労士)という職業だった。まさに働く人たちをバックヤードから支える仕事。産前・産後休業や育児休業が取れることで自分はどれほど助かっているか。その制度がなければ自分はどうなっていたのかと考えた。
「せっかく仕事を休んでいるのだから、自分のスキルアップのために社労士の資格取得をめざしてみよう」
7月、出産を終えた翌日の初夏の日差しがまぶしいベッドの上で、吉原氏は社労士の資格を取得することを決心した。

 早速、9月から始まるTACの講座に申し込み、週末に行われる講義へ参加した。勉強中は心強いパートナーがしっかりと子どもの面倒を見てくれて、資格取得のことも応援してくれた。子育てと両立しながらの受験勉強となるので、とにかく効率よく勉強を進めるために、講師に何度もアドバイスをもらいにいった。ゴールデンウィーク明けからの直前期では、講師のアドバイスに従って、教科書を一から読み直す方法を改め、問題集をこなしながら、わからないところを教科書に戻って確認する方式に切り替えた。
「あのとき、宮島講師に勉強の進め方のアドバイスを受けていなければ一発合格はできなかったと思います。自己流の勉強方法を切り替えるのは大変なことですが、勉強内容の質問だけではなく、効果的な勉強方法こそ担当の先生に相談してみることをおすすめしたいです」

 子育てをしながらの勉強は、時間を取るのが難しい。子どもが寝たあと、夜の9時過ぎから勉強を始め、深夜までがんばって、さぁ寝ようと思うと子どもの夜泣きが始まる。やっと泣き止んで寝たと思うとあっという間に朝が来る。また子どもの世話をして、空いた時間でなんとか勉強の時間を確保する。そんな毎日だった。
 通常、社労士試験に合格するには約1,000時間の勉強が必要といわれる中、効率よく勉強できたことで400時間ほどで合格までたどり着けた。
 努力の末、社労士資格を手にした吉原氏は、「働く人たちを支える様々な制度についてもっと勉強して、今度は自分が社労士として周囲の人たちを助けていきたい」 と新たな決意を固めたのだった。
 社労士として働いていくことを決めた吉原氏は事務指定講習を経て、実務経験も積むために都内の社労士事務所に勤務。そして、試験合格後からちょうど1年後の2020年11月、独立して目黒の武蔵小山にある自宅で目黒中央社会保険労務士事務所を開業した。

若さや柔軟性を武器に困っている人に寄り添える社労士へ

 独立後は当然ながらゼロからのスタートなので、お客様を呼び込むための営業活動が大切になるが、大学時代の携帯電話販売のアルバイトや証券会社で鍛えられた営業力が、開業後の吉原氏を支えてくれた。
「開業してみて、営業の大切さにあらためて気がつきましたね。過去の経験を活かすことができてよかったです」

 現在は社会保険・労働保険の手続き代行業務や、書類作成、給与計算業務などの1号・2号業務だけではなく、顧問としての労務相談や情報提供など、3号業務としてのコンサルティング的な案件を積極的に受け入れ、「人に関する専門家」「労務・社会保険のスペシャリスト」として、プロの立場から経営のサポートを行っている。
 その他にも、証券会社時代の同期が起業するのをサポートしたり、産前産後・育児休業の取得やそれに関する助成金の取得を提案したりと、段々と仕事の幅が広がりつつある。
「今後は、社内環境を改善するための提案や、そこからさらに広げて男性の育児休業の取得や介護の問題など、プライベートのことも含め何か困っていることがある人々をサポートできるような事務所にしていきたいと考えています。社労士は様々な苦労をされている方のために、社会全体で支えて、手助けができるのだということを、もっと広めていきたいです。私が社会に助けられたように、今度は私が人の役に立つ仕事をしていきたいと思っています」

 社労士としてはかなり若手の吉原氏だが、若さを不利に思うのではなく「26歳」「一児の母」といった自身の立ち位置を活かして仕事をしているようにも思える。
「新型コロナウイルスによって、テレワークの普及など世の中の働き方が大きく変わりました。変化の多い時代なので、過去のやり方に固執するのではなく、常に世の中にアンテナを張り、各種クラウドサービスなど、新しいものも柔軟に取り入れていきたいです。オンラインでの打ち合わせや労務相談にも挑戦しています。緊張することも多いですが、変化を楽しみながら、お客様と一緒に成長していきたいですね」

 2020年3月号の『TACNEWS』では合格祝賀会の参加者として喜びの声を語ってくれた。そして合格して2年、社労士としてのキャリアを積み上げ始めている吉原氏に、現在資格をめざして勉強をしている受験生へメッセージをいただいた。
「若くして出産したことも当時は大変でしたが、この経験が活かされる場面がこれからきっとあると思います。同じような境遇の人も世の中にはきっといて、その人の気持ちに寄り添えるはずですから。資格は自分の経験やスキルをパワーアップさせる武器に、そして味方になるはずです。大変なこともあると思いますが、ぜひがんばってください」

[『TACNEWS』 2021年9月号|連載|資格で開いた「未来への扉」]