LET'S GO TO THE NEXT STAGE 資格で開いた「未来への扉」 #28

Profile

徳山 紗映子(とくやま さえこ)氏

VALL行政書士法人 代表
行政書士 AFP

1984年9月生まれ、東京都出身。小学校より田園調布雙葉学園に入学し、高等学校卒業。中学3年生から始めた馬術競技では、全日本ジュニア選手権で優勝するなど好成績を収める。馬術競技の実績により、推薦で日本体育大学に入学するが、大学3年次に大学を中退し乗馬クラブへ就職。働きながら競技を続けるも、結婚・妊娠をきっかけに引退し、一度は専業主婦となるが、夫婦げんかをきっかけに仕事復帰を決め、2012年に行政書士資格を取得、2014年に開業した。2016年にウェイビー行政書士法人(現:VALL行政書士法人)の代表となり、現在に至る。三男一女の母。

【徳山氏の経歴】

1999年 15歳 本格的に馬術競技を始める。
2005年 20歳 両親の離婚をきっかけに大学を中退し、乗馬クラブに就職。
2010年 26歳 行政書士試験の勉強を開始。 2012年に行政書士資格を取得。
2014年 30歳 個人事業主の行政書士として開業。夫婦二人三脚で実務経験を積む。
2016年 32歳 マーケティング塾の主催者から事業承継の打診を受け、行政書士法人の代表に就任。

生い立ちや経験、個性を活かせるのが
行政書士という仕事のおもしろさ。
お客様にとって「最高で唯一無二のパートナー」でありたい。

中学3年生より本格的に乗馬を始め、馬術競技の全日本大会優勝など華々しい成績を収めてきた徳山紗映子氏。引退後も乗馬クラブに勤務し馬一辺倒の人生を歩んできたが、子育て中の“ある出来事”がきっかけで行政書士の勉強を開始した。現在は4人の子どもの子育てや乗馬を楽しみながら、行政書士法人のトップとして奮闘中だ。そんな徳山氏に、資格取得の経緯や仕事の醍醐味、女性が行政書士として働くメリットについてうかがった。

馬術選手として生きていくことしか考えていなかった少女時代

 幼い頃からじっとしていられない性分で、動物が好きだったという徳山氏。犬を飼っていて、本を読むのも好きだった。手に取るのは警察犬や盲導犬、獣医の本など「犬」にまつわる本が多く、中でも獣医の仕事に憧れを抱いていたという。
「その一方で、『女の人は学校を出たら家にいるもの』と思っていました。というのも、私の母も、友人のお母さんたちも、知っているほとんどの女性は専業主婦。だから私も、大人になったら仕事はせず専業主婦になるのだろうなと考えていました」  そんな徳山氏が乗馬と出会ったのが小学校5年生のときだ。母が趣味で始めた乗馬教室についていき、始めは見ているだけだったが徐々に「やってみたい」と思うように。小学校6年生のときから「軽乗(けいじょう)」という円形に走る馬の上で行う体操競技を始めた。
「馬に飛び乗って、立ち上がる、逆立ちをするなどポーズを決めるのが軽乗です。日本ではあまり知られていませんが、欧米では盛ん。子どもたちが乗馬を始めるきっかけとなることが多いです。私も中学2年生までは軽乗で馬に親しみ、中学3年生になってから本格的に乗馬競技を始めました」
 徳山氏の初めてのパートナーとなった馬の名はバルディザイアー。すでに他界してしまったが、「勇気があって、賢い馬だった」と徳山氏は慈愛のこもった眼差しで語る。全日本ジュニア選手権で優勝するなど、その後も高い戦績を保持し続けたが、「自分の力は1割だけで、9割が馬たちの力。馬に勝たせてもらっていた」と笑う。
「私がミスをしても馬がカバーしてくれるし、逆に私が絶好調のときほど馬の調子が悪かったりすることも。生き物同士だから食い違うこともあるけれど、それもまたおもしろいです。そして何より、力を合わせて結果を出していけることが楽しくてたまりませんでした」
 馬術競技の実績で、高校卒業後は体育大学に推薦で入学。大学に入ってからも乗馬一筋で、将来は競技者として生きていくつもりだった。しかし、大学3年生のときに大きな転機が訪れる。両親が離婚し、馬術競技のための資金援助が受けられなくなったのだ。
「馬術競技を続けるには、多くのお金が必要です。私の場合は自馬を所有していたのですが、手放さざるを得なくなりました。それまで、資金面の不安はなく競技だけに集中できていましたが、そうもいかなくなりました」
 父から「大学卒業までの学費は持つ」という申し出があったが、馬術競技を続けられないのであれば在籍する意味はない。そこで、徳山氏は大学を中退し、自分の馬を置いていた乗馬クラブで働きながら馬に乗り続けるという選択をした。
「乗馬クラブでは、サービス精神というものを徹底して学びました。仕事でも、競技でも、努力が実力を生むこと、そして実力がなければチャンスはつかめないのだということを実感しましたね」

将来設計で夫と大げんか
勢いで「行政書士になる!」と宣言

 就職したあとも全日本選手権で優勝するなど、選手として充実した日々を過ごしていた徳山氏。次の転機は、24歳のときにやってきた。馬術競技でさらに上をめざすため、ヨーロッパで3年間留学するよう指導者に勧められたのだ。徳山氏には当時、結婚を考えて交際していた競技仲間の同僚がいたが、彼に相談してみたところ、返事は「別れよう」だった。
「『3年も待てないし、ヨーロッパに3年行って、自分がトップ選手になれると思う?』と率直に言われ、その通りだと思いました。タレントという大切な馬とも離れたタイミングでしたので、これ以上競技はできないと感じ、引退して彼と結婚することにしました」
 その後、妊娠していることがわかり、結婚生活が始まった。結婚すれば女性は働かないものと思っていた徳山氏は専業主婦となったが、長男を出産後、年子の長女を妊娠していたとき、今後の仕事について夫との間で激しく意見が食い違った。
「馬の仕事は体力的にハードです。でも、保障が手厚い業界ではありません。夫に、『怪我や年齢で働けなくなったらどうする?』『私が復帰して遠征が多くなったら子どもがかわいそうでは?』と、馬術の仕事を続けることについての不安をぶつけてみても、夫は『もう30歳だし、今までかけてきたものもある。今さら他の仕事なんて無理だよ』と。やってもいないのに諦めるなんて、と大げんかになりました」
 この夫婦げんかを経て、安定した生活のためには自分が働いたほうがいいだろうと仕事復帰を決めた徳山氏は、資格取得が有効な手段だと考えた。せっかく勉強するのだから、稼げる資格を取らなければ意味がない。そこで選んだのが行政書士だった。
「国家資格の中で、大学を中退した私でも受験できるという理由で行政書士を選びました。夫に『取ったぞ!』と威張れそうな難易度のものがよくて(笑)。1歳にもならない長男がいて、講義映像を見ることは難しかったので、テキストだけで完結する教材を取り寄せて勉強を始めました」
 1回目の行政書士試験は、勉強を開始してから半年後。第2子の臨月で膨らんだお腹を抱えての受験だった。結果は箸にも棒にも引っかからないくらいの惨敗。小学校から高校までエスカレーター式に進学し、大学はスポーツ推薦だったため、人生で一度も真剣に勉強したことがなかったという徳山氏。始めてはみたものの、勉強がとにかく嫌でしかたなかったという。
「夫に『私、行政書士になるよ!』と啖呵を切ってしまった以上、後には絶対引けない。でも何年も勉強を続けたくはない。早く合格しなければ、と覚悟を決め、2年目からは、本気で勉強に取り組みました」
 日中、勉強に集中したいがあまり、1歳と0歳の長男・長女に「早くお昼寝しなさい!」と大きな声を出してしまったこともあった。ある日、長男が徳山氏に隠れて泣いているのを見て、胸をえぐられるような後悔の念に襲われ、涙が出た。
「私がやりたいのはこんなことじゃないと思って、日中は勉強をするのをやめました。その代わり、長女に早朝の4時ごろ授乳をしたあとそのまま3時間ほど勉強し、子ども達が起き出したら勉強を終える。そんな生活に切り替えました」
 短時間で集中してインプットするため、勉強法や考え方も変えた。講座のテキストや過去の試験問題は、問題文と解答解説をセットで暗記し、どんな角度から質問されても答えられるようにした。「なぜだろう?」という疑問は一切挟まず、キリスト教系の学校に通った学生時代にお祈りを覚えたように機械的に暗記することで力をつけていった。
「行政書士試験に合格したのは、2回目の受験の2012年です。せっかく合格したので、相乗効果が期待できる資格を取ろうと、2013年にはファイナンシャル・プランナー2級も取得しました。そこから、行政書士として開業しようと決意し、準備を始めました」
 徳山氏が開業に向けてまず行ったのは、夫の説得だった。手元に貯金などでまとまった資金があったため、「事務所の立ち上げを手伝ってほしい」と頼んだところ、決意が伝わったのか、勤め先の乗馬クラブを退職して一緒に働いてくれることになった。
「半年間、夫婦ともに無職となり、じっくり開業準備をすることができました。幼い長男・長女と家族4人で過ごす時間が持て、成長を見守ることができたのもうれしかったです。私たち家族にとって、大切な思い出になりました」
 行政書士の資格は取得したが、人脈もコネクションも一切持っていなかった徳山氏は、まず顧客の見つけ方から学ぶことにした。そこで、行政書士であり株式会社ウェイビーの代表取締役社長伊藤健太氏の主催する士業向けのマーケティング塾の存在を知り、参加してみることにした。
「行政書士事務所の求人というのはかなり少ないのが現状です。ですから、どこかの事務所に就職して下積みするという考えはありませんでした。それよりもお客さんをつかんで実績を積もうと思い、このマーケティング塾で学んだWebから集客する方法を実践していきました」 
 同時に、異業種交流会などにも積極的に参加して行政書士であることをアピールした。初めての仕事は、この交流会で出会った人から受けた。
「初めての案件ということを了承してもらった上で引き受けました。お客様からどんな書類をもらったらいいかもわからず、夫とふたりで本を買って調べるところから始めました。報酬は3万円だったのですが、費用に対して驚くほど時間がかかってしまい、夫と笑ってしまうくらいでしたね」
 2014年4月の開業から半年間、どんな仕事も断らなかった徳山氏。夫と二人三脚のてんやわんやな日々だったが、経験を積んでいくほどに仕事のスピードは早くなり、自分の進みたい方向が見えてきたという。
「手当たり次第やっていくうちに、会社設立と建設業許可申請のふたつに特化していきたいと思うようになりました。お客様の未来を一緒に考えて、規模を大きくしたり、やりたいことを増やしたりするために申請などの手続きに関われることにやりがいを感じたからです」

「面倒くささ」はお金になる
困りごとを丁寧に素早く解決していく

 開業から2年がたち、新しい展開が訪れる。マーケティング塾の伊藤氏から、彼自身が代表を務めていたウェイビー行政書士法人を引き継がないかという誘いを受けたのだ。
「夫とふたりで身軽に働けた当時の状態に、不満はまったくありませんでした。でも、大企業からの案件などは人員が足りずに引き受けられないこともあり、チームで働ければ、もっと仕事の幅が広がるのではという期待もあって、誘いを受けることにしました」
 開業からサポートしてくれた夫は、馬関連の会社を持つことになり夫婦二人三脚体制は終了。徳山氏は、2016年2月に行政書士法人の代表となった。そのとき、第3子である次男の臨月でもあった。
「引き継ぎ後は、VALL行政書士法人と名前を変えました。VALL(バル)は個人事業主のときにも使用していた屋号で、私が初めて全日本を優勝させてもらったパートナーの馬の名前です。彼は私にとって唯一無二の最高のパートナーなので、私たちもお客様にとってそんな存在になりたいと思いを込めました」
 その思いを叶えるために、VALL行政書士法人ではお客様とのコミュニケーションを大切にした。困り事を丁寧に聞き取り、費用やスケジュールを明確化して見通しを伝える。また、専門用語を使わず噛み砕いて説明することで、お客様の不安を小さくしようとメンバーに徹底させた。
「組織の人数が増えたので、最初は一つひとつの案件を私自身が把握するのが大変でした。でも、長く勤務しているスタッフに助けられ、大きな混乱なく引き継ぐことができ、恵まれた環境で働くことができています」
 VALL行政書士法人は平均年齢が20〜30代と若く、「新しいことにチャレンジしてみよう」という気風があるという。行政書士の分野は幅広いので、様々な困り事が飛んでくるのを、確実にキャッチして解決。そして次の仕事に繋げるという流れを作ることができていると徳山氏は語る。
「個人事業主時代に強みとしていた会社設立、許認可業務に加えて、チームとなったことで、企業のバックオフィスのサポートもできるようになりました。お客様が『面倒だ』と感じている手続きや管理を、私たちが引き受けることで双方の利益になる。やりがいがあっておもしろいと思います」
 代表となってから、プライベートでも喜ばしいことが続いている。選手時代にパートナーだったレクスタインとタレント、2頭の馬たちを引き取り、家族と一緒に生きていけることになったのだ。また、2019年には第4子である三男も誕生し、ますます家庭は賑やかだ。
「子どもが4人もいると大変なこともありますが、上の子たちが小さい子の面倒を見てくれるようになって負担も多少減りましたし、楽しさのほうが上回っています。」
 現在は出社する日とリモートワークの日をバランスよくスケジューリングしているという徳山氏。片腕的存在のメンバーが現場を細かく見てくれる上に、チーム全体の知識量や経験値が上がってきているので、安心して仕事ができている。
「出社しない日は朝から家族で馬に乗ることも多いです。行政書士の仕事は、打ち合わせ以外はパソコンさえあればどこででもできるので、やりたいことや家族の時間と両立させるのにぴったりだと思います」
 男女平等の馬術競技の世界にいた徳山氏だからこそ、法人の代表という仕事を通して女性が働きやすい環境や社会を作っていきたいのだという。
「これからもっとVALLのメンバーを増やしていきたいですし、子連れ出勤可、副業可、と働きやすいように整備していくつもりです。行政書士はそれまでの経験や生い立ち、個性がそのまま強みにつながるユニークな仕事です。興味を持ってくれる方が増えるとうれしいですね」

[『TACNEWS』 2021年2月号|連載|資格で開いた「未来への扉」]