LET'S GO TO THE NEXT STAGE 資格で開いた「未来への扉」 #27

Profile

金森 俊亮(かなもり しゅんすけ)氏

金森俊亮公認会計士・税理士事務所
公認会計士・税理士

1985年生まれ。幼少期から買い物や経営ゲームを通して経営に興味を持つようになる。日本大学経済学部卒業後、就職活動や日商簿記検定1級試験での失敗を糧に、2009年公認会計士試験に合格。有限責任あずさ監査法人に入所し、監査業務やアドバイザリー業務などを経験する。10年目という節目を迎え、2020年7月に金森俊亮公認会計士事務所を設立し「経営者になりたい」という夢を叶えた。同年9月には税理士登録が完了し活躍の幅を広げながら、さらなる夢に向かって挑戦中。

【金森氏の経歴】

1989年 4歳 「お店屋さんごっこ」に熱中。経営者になることに憧れを抱く。
2005年 19歳 大学の入学試験中に、簿記の問題を初めて目にする。「まさに自分が勉強したかったものだ」と衝撃を受け、学ぶことを決意。
2008年 22歳 22歳簿記能力検定試験上級に合格し、受験指導校の講師のすすめで、公認会計士をめざすことに。
2009年 24歳 公認会計士試験に合格。翌年、あずさ監査法人に入所。
2020年 34歳 6月にあずさ監査法人を退所。7月1日に独立開業。9月に税理士登録が完了し、さらに活躍の幅を広げている。

不合格や失敗の連続でも前に進む力に変えていく。
監査法人で得た知識や経験を社会に還元していきたい。

大学時代から受験勉強を始め、ストレートで公認会計士試験に合格。就職活動では大手監査法人に見事内定し、10年間の経験を経て独立開業。金森俊亮氏の経歴は、一見非の打ち所のないものに見える。しかし、輝かしい成功体験に負けないくらい失敗のエピソードも豊富だ。「物事をすぐ甘く見るお調子者」と自らを分析する金森氏に、転んだ時に立ち上がる方法や未来を切り開くために大切なことについてお話をうかがった。

「商売」に憧れを抱いた幼稚園時代
大学入試で簿記と出会う

 2020年3月。コロナ禍の真っ只中で、金森氏は10年勤めた勤務先の監査法人に退職の意思を伝えた。自らの家庭を築いた東京都立川市で、公認会計士(以下、会計士)・税理士として開業するためだ。社会が混乱する中での独立に不安がまったくなかったと言えば嘘になる。しかし、スタートラインに立つことができた安堵感のほうが強かったと金森氏は振り返る。
「監査法人で3〜4年働いたら独立する予定だったのですが、居心地がいいのでつい長居してしまいました(笑)。2019年には『これ以上夢を先延ばしにできない』と準備を始めたので、どんな状況だったとしてもこの年には独立していたと思います」
 朗らかに笑う金森氏は、埼玉県で生まれ育った。父親は会社員、母親は小学校の養護教諭。周囲には経営者も士業として働く大人もいなかったが、子どもの頃から「商売」に憧れを持っていたという。
「幼稚園時代、駄菓子のマーブルガムが大好きで、よく祖母に買ってもらっていました。お店でお金を払って商品を受け取るというしくみがおもしろくて、家でも紙でガムとお金を作り、お店屋さんごっこをして遊んでいましたね」
 「商売」への興味は成長しても薄れなかった。中学生になると経営シミュレーションゲームに熱中する。ゲームの中でテーマパークやコンビニエンスストアを経営する体験を通して、現実でも会社を経営してみたい、経営者を助けるような仕事がしてみたいと夢見るようになった。
「ただ、具体的に何をどうすればいいのかは正直わかっていませんでした。高校3年生のときは、高校の恩師や養護教諭だった母の影響もあり、ひとまず将来は教師になろうと考えて大学受験をすることにしました」
 ところが、現役時代の大学受験はすべての志願先で不合格。勉強不足が祟って偏差値30台の大学にも手が届かなかった。そして浪人時代、金森氏は人生で初めて自分自身と向き合うことになった。
「憧れだけで志望校を決めて、偏差値や自分の実力を冷静に見なかったことが原因だと思いました。『なんとかなるだろう』と甘く見たり、少し手応えがあるとすぐ努力を怠ってしまったり。この姿勢を変えなければいけないと痛感しましたね」
 同じ失敗は繰り返さないと誓った金森氏は、1年間の猛勉強の末に第2志望の大学に無事合格。さらに、併願先の大学の試験中に、運命の出会いを果たす。
「科目選択式の試験だったのですが、答案の見直し中に何気なく他の科目の問題をめくって見ていたら簿記のページを発見したのです。『自分がずっと勉強したいと思っていた、モノを売る商売のことが書いてある!』と衝撃を受けましたね。それで、大学に入ったら絶対に簿記の勉強をしようと決めました」

簿記・会計に熱中した大学時代
講師のすすめで会計士試験に挑戦

 大学入学と同時に教職コースを履修し、独学で簿記の勉強も始めた金森氏。最初はモチベーション高く学習に励んでいたが、次第に行き詰まりを感じるようになった。
「高校3年生まで勉強をしていなかったぶん、大学では真剣に勉強しようと思っていたのですが、だんだんと惰性的になりました。教職コースでも、必修の教育心理学の単位を落としてやる気の糸がプツンと切れてしまいました」
 このままでは何ひとつ身につかないまま時間だけが過ぎてしまう。危機感を抱いた金森氏は、大学2年生から受験指導校の日商簿記検定講座に通い始めた。効率のいい勉強法がわかると学習も楽しくなり、3級、2級とスムーズに合格することができた。
「簿記の勉強にのめり込んでいるうちに、就職活動の時期になりました。周囲に流されるように説明会や面接に参加したのですが、会場に入る前にコートを脱ぐマナーも知らず大恥をかきました。それで、中途半端に就職活動をするのはよくないと思い、すっぱり諦めたのです」
 大学4年生の4月、全国経理教育協会主催の簿記能力検定試験上級に合格した金森氏は、受験指導校の講師に進路の相談に行った。
「大学卒業後は、この学校で簿記の講師をやらせてほしい」と勢い込む金森氏に、講師は予想外の助言を授けた。
「『今ではなくても講師はできる。まだ若いんだから上をめざしてみよう』と、会計士をめざすことを私にすすめたのです」
 金森氏は好きになったものは極めないと気が済まない性格だ。1週間くらい悩んだが、こんなにも簿記の勉強に熱を注いだのだから、気が済むまでやってみようという気持ちになった。また、会計分野で最高峰と評される会計士の資格を取得することで、「経営者になる」という夢の実現にも近づくはずだと考えたのだ。
「4年生になったのに、企業の内定はひとつもない、崖っぷちの状況です。必ずストレートで合格すると覚悟を決め、5月から受験指導校の会計士講座に通い始めました」
 やる気に満ちた金森氏は確認テストで高得点を連発。この調子で、会計士試験の前哨戦として受ける、6月の日商簿記検定1級の試験も、余裕を持って合格する予定だった。ところがである。
「会計士講座内で実施していた確認テストの成績がよかったので、どこかで『なんとかなるだろう』と日商簿記の試験を甘く見ていたようです。試験本番で解答欄の左右を間違えて記入してしまい、総合得点では合格点の70点以上を取れていたのですが工業簿記が9点しか取れず不合格になりました。大学受験のときと同じように、油断が招いたミスです。猛反省しました」
 この失敗を糧に、会計士試験では「慢心しない、圧倒的な高得点で合格する、苦手な暗記は愚直に量をこなす」と心に決めた金森氏。毎日朝8時から夜9時まで勉強。問題集を何度も解き直し、A3用紙を1日3〜4枚書き潰して用語を暗記した。
「大学卒業後は無職の状態で試験に専念しました。準備を怠らなければ本番に強いタイプなので、5月の短答式試験は苦もなく合格できました。それ以降は毎日13時間ペースで勉強を続けていましたね。8月に入ってからは、税理士試験の簿記論・財務諸表論の2科目を受けてその年の会計系の国家資格の出題傾向を確かめ、準備をし尽くした状態で論文式試験に挑み、無事に合格することができました」
 論文式試験が終わって安堵する暇もなく、監査法人への就職活動が始まる。一般企業の就職活動と同様、何の対策もしないままエントリーした金森氏は、業界最大手の監査法人2社から不採用の知らせを受け取って愕然とする。
「当時は就職氷河期に差しかかっていた時期で、説明会を予約するのも難しい状況でした。さすがにこのままではいけないと思い、就職活動のマナー本を購入し、そこに書いてあることをそのまま実行しました」
 時間通りに行動する、ハキハキと挨拶や受け答えをする、履歴書の書き方の基本を押さえるといった社会人の基本的なマナーを徹底していったところ、大手監査法人2社から内定。秋には会計士試験合格の通知も受け取り、2010年2月にあずさ監査法人へ入所することになった。

多様なバックグランドを持つ人と協働
監査の仕事の醍醐味を知る

「入所から9年間は監査部に所属しました。『監査はつまらない』と言われることもありますが、最新の会計・監査基準が学べて、いろいろな仕事や立場の人と話ができ、ビジネスの大局を見ることができます。私は知的好奇心が刺激される、楽しい仕事だと感じました」
 数字を追うイメージが強い会計士だが、監査の現場では高いコミュニケーション能力も必要とされる。クライアントから適切な資料や質問の回答を引き出さなければ、監査調書は作成できないし、監査チームとの連携が取れなければ、監査報告書の提出期日に間に合わせることができないからだ。そこで金森氏を助けてくれたのが、学生時代のアルバイトリーダーの経験だった。
「レンタルビデオ店で働いていたのですが、同僚は学生だけではなくフリーターや主婦の方など様々。相手の立場を想像してわかりやすく説明したり、全体のスケジュールを把握して仕事を効率よく割り振ったりした経験は、監査の仕事にも応用することができました」
 入所7年目からは、監査部に所属しつつアドバイザリー業務も担当するようになる。監査の過程で把握したクライアントの経営課題の解決をサポートする仕事だ。金森氏がこの業務に関わるようになったのは、入所6年目に受けたヘッドハンティングがきっかけだったという。
「他の大手監査法人からアドバイザリー分野で転職のお誘いがありました。そのときは折り合いがつかず見送りになったのですが、今後のキャリアのためにも、リスク管理や内部統制など高い専門性を身につけられるアドバイザリー業務は経験しておくべきだと思ったのです」
 課題ごとにオーダーメイドでタスクを構築していくアドバイザリー業務は、今まで以上にクライアントとのコミュニケーションがカギとなる。人と話すことや新しい知識を得ることに喜びを感じる金森氏にとって、アドバイザリー業務もまたやりがいのあるものだった。
「入所以来、大変な局面もありましたが、多くのことに恵まれてあっという間に9年がたってしまいました。そこで、ふと気づいたんです。この場所で自分がやりたいと思ったことはほとんどやってしまった。もういい加減、夢のために動かなければ、と」
 2019年に監査法人を退職し、2020年に独立すると腹を決めた金森氏。プライベートでは2015年に結婚し、2017年には第1子である長男が誕生。2018年には立川にマンションを購入している。守るべきものも多い状況で、家族の反対はなかったのだろうか。
「独立することを話した際、妻は淡々と話を聞き受け入れてくれました。お互いに仕事を持って自立しているので、やりたいことはそれぞれが自由にやるというスタンスです。経済面で家族に負担をかけるつもりはありませんでしたし、開業するからにはサラリーマン時代の年収を超えるつもりで事業計画を立てました」
 退職前から新しい人脈を広げておくなど、周到な準備を始めた金森氏。2020年が始まった途端、新型コロナウイルスの感染拡大で在宅勤務を余儀なくされたが、独立を見越して準備しておいたリモートワーク環境のおかげでストレスなく監査法人での最後の仕事に打ち込むことができた。
「2020年の6月に監査法人を退職したのですが、実は私、宵越しの銭は持たない主義でして(笑)、開業資金としてのまとまったお金はあまり貯めてこなかったのです」
 金森氏はガジェット、万年筆、革製品など、いくつもの趣味を持っている。好きなことにとことん投資したことで、仕事も私生活も充実させることができたので、お金を使ったことに後悔は一切していないという。とはいっても、退職金やボーナス、そしていざという時の貯金は今後の為にも手をつけないでおきたいと考えた金森氏は、開業資金を得るために創業融資を受けることにした。
「創業融資とは、事業を始める際に必要な資金を融資してもらうものです。信用金庫などの金融機関が商品として用意しており、国や自治体によって設けられているものもあります。様々な優遇措置がとられているので、利息を抑えることが可能です。私が利用した立川市のプランでは、本来は1.6%かかるところを市の補助で、自己負担が0.3%となったので大変助かりましたね。おかげで7月1日には無事に事務所を開くことができました」
 独立開業後、税理士登録をしたことで個人や中小企業の経営・税務サポートも行えるようになった。監査法人時代よりも仕事の範囲が増えた上に、「経営者を助ける」という夢も叶ってやりがいを感じていると金森氏は顔を綻ばせる。順調に新しい相談や案件が入っており、10月には第2子となる次男も誕生した。目の回るように忙しいが、充実した毎日だ。
「飛び込み営業や異業種交流会の参加などはこのコロナ禍の中でできませんが、そのぶん、ブログやツイッターなどで毎日欠かさず発信を続けています。クライアントから専門的な内容も理解できるようになったと言っていただけたり、こうやって取材を受けることに繋がったりと、効果を実感しています」
 独立開業後、ますますこの仕事にやりがいを感じるようになったと金森氏は言う。簿記や会計を学んだことで、世界が広がった。会計士として働いたことで、多くの企業の理念に触れ、働く人々の気持ちを理解することができた。監査という業務自体も、ここ10年で社会福祉法人や医療法人の会計義務化があり、幅広くなっている。もっと手がける領域を広げ、若手のスタッフを増やしていき、卒業生を会計業界に輩出できるような事務所にしていきたいと金森氏は目を輝かせる。
「私の場合、大学受験、就職試験、資格試験と不合格の連続でしたし、失敗は数えればきりがありません。でも、そのあと必ず何が自分に足りなかったかを分析し、同じ過ちを繰り返さないようにしてきたことで、新しい扉が次々に開いていきました。人生において失敗はあって当然です。ただ悔やむのでも、必要以上に恐れるのでもなく、前に進む原動力にしてほしいと思います」

[『TACNEWS』 2021年1月号|連載|資格で開いた「未来への扉」]