LET'S GO TO THE NEXT STAGE 資格で開いた「未来」への扉 #15

  
Profile

山田 直広(やまだ なおひろ)氏

山田直広税理士事務所 代表
税理士

1977年5月生まれ。千葉県出身。専門学校を卒業後、運送会社でトラックドライバー、自動車用品店で自動車整備士、営業代行会社で営業マンを経験する。前職を退社したのち税理士を志し、2011年に日商簿記2級に、翌年に日商簿記1級と全経簿記上級に合格。2016年に税理士試験に合格後、2017年に山田直広税理士事務所を開業。2019年、事業拡大に伴い現在の事務所に移転。

【山田氏の経歴】

1999年(22歳) 専門学校を卒業後、運送会社でトラックドライバーとして勤務。
2002年(25歳) 大手自動車用品店に転職。最終役職は、整備工場の主任責任者。
2011年(34歳) 3月に入社した営業代行会社を7月に退職後、税理士を志す。
         職業訓練を通じて日商簿記2級を学び、合格。翌年には1級にも合格。
2016年(39歳) 12月、税理士試験5科目に合格(官報合格)。税理士登録と独立に向けた準備に奔走。
2017年(39歳) 5月1日、山田直広税理士事務所を開業。

トラックドライバー、自動車整備士、
営業マンを経て、税理士の道へ。
40歳目前で独立開業を実現させた。

 税理士の山田直広氏は、トラックドライバー、自動車整備士、営業マンを経て、この職を志した異色の経歴を持つ。しかも、本格的に資格取得をめざしたのは30代半ば。前職を会社都合で退社後、40歳までに税理士になるという目標を掲げ、日商簿記2級・1級と全経簿記上級、税理士試験を突破していった。
 現在は約30社のクライアントを抱え、きめ細かく質の高いサポートで手腕を発揮する山田氏に、資格取得 までの道のり、仕事への想いをうかがった。

「40歳までに税理士になる」職業訓練で簿記に取り組む

 千葉県のJR船橋駅近くに位置するマンションの一室。ここに税理士事務所を構える山田氏を訪問すると、優しく爽やかな笑顔で迎え入れてくれた。
 独立したのは2年前。40歳目前でのことだった。しかしながら、税理士をめざす以前の山田氏は、業界も職種も異なる仕事に携わってきた。

「工業高校を卒業後、浪人して大学進学をめざしたいと思っていましたが、それまでの不勉強がたたって、挫折(苦笑)。実は、私の父親はもう引退していますが元公認会計士、母親は税理士で会計事務所を営んでいるのですが、私自身は当時、その方面にまったく興味がなくて……。高校時代はバンド活動に明け暮れていたので、専門学校に進学して、将来は音楽に関わる仕事ができればと、ギタークラフト科に在籍してギターづくりを学びました。ところが卒業後、結局はその道に進まず、在学中からアルバイトをしていた運送会社に就職したのです」

 そしてトラックドライバーの職に就き、荷物を配送する業務に従事した。しかし、歩合制で給与が不安定なことなどから、正社員になって3年後に働き方を見直し、大手自動車用品店に転職。2002年、店舗に併設されている整備工場で、自動車の整備士として働き始める。 「車が好きで、オープニングスタッフの募集があった店舗に応募したところ、採用されたのです。整備士として、タイヤやエンジンオイルの交換、エンジンの載せ替えなどを経験。私の手掛けたカスタムやチューニングが雑誌に取り上げられ、それを機に指名を受けたこともありました。この時に、お客様の要望に対する提案の大切さ、お客様と密につき合う楽しさに触れました」

 次第に働きぶりが認められ、整備工場の主任責任者を任されるまでになった。本人は「仕事は楽しかった」と語る半面、30代半ば近くに差し掛かり、2人(のちに3人)の子供を抱え、自身の将来を意識するようになる。
「整備士の仕事は帰りが遅く不規則で、連休も取りづらいところがありました。また、力仕事ですから、年をとって体が動かなくなったら続けられるかどうか、不安でした。キャリアの面でも、これ以上の昇進が考えにくいところがありましたし……。一方では、昔からの友達が会社を興したり、独立したりしていて、雇われない働き方に魅力を感じました。自分もその方向に進みたいな、という思いがあったのです」

 こうして2011年3月、33歳の時に、将来の起業を視野に入れ、営業代行会社に入社した。「起業したあと、自分で仕事を取っていくには必須となる、営業のスキルを学びたかったからです」。同社では、通信機器をはじめとした商品を扱う営業マンとして、テレホンアポインターや顧客訪問などを通じ、営業のいろはを学ぶことができた。しかし入社して4ヵ月後、会社は事業廃止となってしまう。

「この業界ではよくある話で、業績をあげられなくなると撤退して、社員は別の関連会社に移っていくのです。私も入社前から把握していましたし、スキルが身につくと転職する同僚も少なくありません。ただ、私としては1、2年同じところで働けたらと思っていたのが、ある日突然、別の会社に行くことを命じられた。そしてその会社で扱う商品には興味を持てなかったので、その場で辞める決断をしました」

 失業には戸惑ったが、それから山田氏のキャリアは思わぬ方向に舵を切る。きっかけは、職業安定所が主催する職業訓練のひとつに、日商簿記2級を学ぶコースが用意されていたことだ。これに申し込み、面接による選考を経て、資格取得に向けた学習に本腰を入れた。
「自動車用品店で働いていた頃、業務上の必要性から日商簿記3級に合格していて、数字を扱う簿記には興味がありました。職業訓練に通うと、失業保険を受けながら原則無料で講義を受けられますが、一方で私の場合は年齢的に、2級に合格しただけではその後のキャリアに結びつきそうにありません。そこで、最終目標を税理士に決めました。起業した友人たちの話も聞いて、経営をサポートする税理士の仕事に魅力を感じたからです」

 税理士をめざすにあたって、家族の反応はどうだったか。「専業主婦の妻に話すと、言い出したことは決してやめない私の性格を把握していて(笑)、応援してくれました。ただ、私は『うまくいかなければ、その時はまたトラックに乗ってドライバーとして稼ぐよ』と話しました。彼女も『それなら生活はできるね』とあと押ししてくれて。でも、やるからには合格する、40歳までに税理士になる、と固く決意したのです」

実務に携わりながら勉強に励み、5年で税理士試験に合格を果たす

 自分を信じられるのは自分だけ――。山田氏はその信念を貫いていく。
 日商簿記2級の試験日は2011年11月。職業訓練での約2ヵ月間の集中した学習の成果が表れ、スピード合格を果たした。翌年4月からは母親の会計事務所に入所して働くかたわら、TACの通信講座を利用して日商簿記1級の勉強を進める。同年には、税理士試験の受験資格を得られる、日商簿記1級と全経簿記上級の合格も成し遂げた。

 学習のポイントは、とにかく基礎を徹底し、苦手な論点をつくらないことだ。
「例えば、2級から出題範囲に加わる工業簿記を勉強する際も、1級を想定して取り組んでいました。職業訓練中だった当時、提携先の受験指導校で講義を受けていましたが、講義後は必ず質問していました。先生から『そこまでやらなくても、2級は合格できるよ』と言われても、『2級の合格だけをめざしているわけではないので、100%理解したいんです』と食い下がっていましたね。ほかに、TACの初心者向けテキスト『よくわかる簿記シリーズ』を購入して、連結会計などの苦手だった論点はとくに基礎を徹底しました。するとその後、1級の本試験で、連結会計が大問のひとつとして出題されたのです!それ以来、苦手な分野でも決して諦めてはいけないな、と考えるようになりました」

 2013年12月には、税理士試験の会計科目「簿記論」「財務諸表論」の2科目に同時合格。40歳までに税理士になるという目標に向かって、着々と前進する。税法科目については、1年かけて1科目に集中していく戦略を立てた。

「税法科目は1年ごとに、『法人税法』『消費税法』『所得税法』の順番で受験していきました。いずれも実務で頻繁に扱う科目で、将来の独立に備えて選んでいます。このうち、学習のボリュームが多い『所得税法』に変えて、『相続税法』にしてもよかったのですが、働いていた会計事務所で相続を扱ったことがほとんどなかったこともあり、所得税を選びました」

 山田氏の場合、日中は会計事務所での業務をこなし、勤務時間外を学習に充てた。実務に携わりながら受験勉強に取り組むこのスタイルは、相乗効果があったという。
「仕事中に感じた疑問点をあとで確認すると、既に勉強した内容だったことに気づいて理解が深まりました。また、試験に出題された理論が後日、実務に活かされたこともあります。実務に触れていると、知識の定着が早いと感じました」

 歓喜の瞬間となる、5科目合格(官報合格)の発表は、2016年12月に訪れた。
「発表は朝8時。パソコンの前で正座して待っていました(笑)。回線が混んでいてなかなか閲覧できず、ようやくつながって自分の名前を見つけました。それから仕事に行って帰ってくると、子供たちが部屋を飾り付けてくれていて、家族で祝ってくれました。うれしかったです。『がんばりなさい』とだけ言ってくれた両親も、ホッとしたのではないかと思います」

 その後の申請を経て、税理士登録が認められたのは2017年4月末、税理士事務所の開業届は5月1日に提出を済ませた。40回目の誕生を迎える5日前のことだった。

「自分のサービスは報酬に見合っているか?」

 新たな一歩を踏み出した山田氏だが、それまで働いていた事務所から引き継いだ顧問先がいくつかあったため、独立当初から顧客に恵まれた。その後もクライアントの数は順調に増え、現在は約30社のサポートに携わるようになり、忙しい日々を過ごしている。

「ある方は『試験に合格するのを待っていたよ』と言ってくださり、仕事の依頼はもちろん、新規のお客様を紹介していただきました。また、Facebookを通じ、会社経営を始めた高校時代の友人、独立を果たした営業代行会社時代の上司が声をかけてきてくれました。意外な縁があるものですね」

税理士とはどうあるべきか――。そんなことを考えながら、この仕事と向き合ってきた。

「サービス業に就いていた経験があるからか、人を喜ばせたいという気持ちが強いですね。以前の事務所でも、お客様が喜ぶことを考えて提案するように心がけていました。独立の準備中には、インターネットで検索して税理士への不満を調べたこともあります。多いのは、料金のことや所長の態度(苦笑)、あとは提案が少ないとか……。つまり、サービスの質が低いと、クライアントの信頼は得られないのです」

 山田氏が提案するサービスの中でも「創業支援コース」は、本人のそんなポリシーから生まれたプランだ。条件を満たす創業後2期以内の若い企業を対象に、手頃な料金設定でサポートにあたる。年商1,000万円を超えると卒業だという。
「要するに、出世払いコースです。最初の料金を抑えていますが、提供するサービスの質は絶対に落としません!その分、会社が大きくなったら返してくださいね、という考えです。こうすれば、会社を育てなければ私の報酬も上がらないので、自分のモチベーションにもなっています。私の思いは皆さんにも伝わっているようで、『売上を伸ばして恩返しできるようにがんばりたい』とおっしゃってくれています。この夏、卒業されたお客様には『これでようやく十分な報酬を払えますし、今後はもっと仕事をお願いしたい』とありがたいお言葉をいただきました」

 企業への寄り添い方は税理士によってもさまざまだが、山田氏の姿勢にはサービス精神にあふれる人柄が表れている。
「常に考え続けているのは、私の提供するサービスは、お客様からいただく報酬に見合っているか、あるいは超えているか、ということです。サービスが足りないと思えば、新たな提案を心がけています。今、ウェブサービスも充実していて、書類作成などの業務が簡易になっていることは、税理士にとって追い風だと思います。もっと質の高いサービスに集中できるからです」

 山田氏にとって資格とは「あくまで武器のひとつで、使い方次第。攻撃力は高いけれど、それだけでは闘えないので」と力強く語ってくれた。そこには、さまざまな人生経験を経てたどり着いたこの仕事に対する強い誇りが息づいている。

[TACNEWS 2019年11月号|連載|資格で開いた「未来への扉」]