日本のプロフェッショナル 日本の弁護士|2022年1月号

Profile

三谷 淳 氏

未来創造弁護士法人
代表弁護士 税理士

三谷 淳(みたに じゅん)
1975年生まれ、神奈川県出身。慶應義塾大学法学部法律学科卒。1996年、大学3年次に司法試験合格(当時の最年少合格)。2000年、弁護士登録後、横浜の大手法律事務所勤務。2006年、三谷総合法律事務所を設立。2014年、法人化し未来創造弁護士法人となる。地域、業種を超え、全国各地の上場企業から社員数名の企業まで約160社の顧問弁護士を務める。2017年、税理士登録。2018年、株式会社未来創造コンサルティングを設立。

中小企業とともに成長し伴走していけることは、
何ものにも代えがたい私たちの最高の愉しみです。

 「日本一裁判をしない弁護士」。自らをそう称する弁護士の三谷淳氏は、「裁判になる前にトラブルを解決する予防法務こそが依頼者を幸せにする」というスタンスを貫く。司法試験に最年少合格し、過去に多くの裁判で勝訴。今では弁護士、税理士、上場企業取締役の3役をこなし、「経営を伸ばす顧問弁護士」として全国にファンが多い三谷氏に「裁判をしない弁護士」となった経緯から、独立開業、法人化、そして今後の展望についてうかがった。

中学受験を通じ、勉強好きが開花

 横浜生まれ、横浜育ちの三谷淳氏は、倹約家の両親のもとで育った。洋服は近所の子のおさがり。髪型は父親がバリカンで刈る坊主頭。友達みんなが持っているおもちゃやゲームは買ってもらえない。そんな子ども時代を過ごした。もちろん近所の子が毎日違う服を着ているのを見るとうらやましかったし、床屋だって行きたかったし、おもちゃやゲームだって欲しいと思っていた。そんな思いを抱える中で、「いつかはお金持ちになってやる」という気持ちが潜在意識にすり込まれていったのも、自然なことだろう。

 そんな三谷氏が、地元の公立中学が荒れていると知り「私立中学に進みたい」と両親に願い出たのは小学6年生の6月のときのことだった。
「2月の入学試験まで時間もお金もないのに、突然何を言い出すのかと両親は思ったでしょうね。それでも子どもの願いは叶えてやらなければと思ってくれたのか、塾に通わせてくれました」

 塾に通う子どもたちには、先生の話を3割しか理解できない子もいれば、10割しっかり理解できる子もいる。そんな中で、三谷氏は“30”理解できる子どもだった。
「先生が求めている答えがわかるし、得た知識を応用して授業で習ったこと以外の周辺のことまで理解することができました。だからテストは得意でしたね。塾の授業は試験問題を意識しているので、内容が本当に合理的。『この先生の言うことを聞いておけば大丈夫』みたいな安心感もあって、ほとんど塾でしか勉強しない子どもでした」

 入塾当初はもっと早くから塾に通っている同級生についていけなかったが、そのぶん必死になり、自然と考えるクセがついて成績がぐんぐん上がっていった。そして翌年2月、慶應義塾普通部に合格。中学校から私立の学校に通うことが決まった息子の学費を工面するため、両親は共働きになった。
「私の両親は倹約家ではありましたが、子どもの教育にはお金を惜しまない家庭でした。けれども入学した当時はバブル経済の最盛期です。慶應義塾普通部には上場企業の社長や著名人の子どもが大勢通っていましたから、周りの友人とお小遣いの額は一桁違いましたね。『今日ご飯食べに行こうよ』と誘われて、『ごめん、用事があるから』と嘘をついて断るのはつらかったです」

 慶應義塾普通部は大学までの一貫校のため、大半の生徒は受験勉強をせず、そのぶん様々な活動に時間を費やす。三谷氏も中学では吹奏楽部、高校では水泳部と積極的に部活動に参加し、青春を謳歌していた。

 そして高校3年生になり、学部選択で初めて将来について考えたとき、サラリーマン家庭の経済的コンプレックスを感じてきた三谷氏は「勉強が得意という強みを活かして稼ぐ」と心に決めた。そこで弁護士をめざそうと慶應義塾大学法学部法律学科に進学したのだった。
「司法試験は日本一難しい試験と言われていて、夢のあるイメージがあったのです。当時、稼げるのは医者と弁護士と言われていたこともあって、弁護士になろうと決心しました」

大学3年で司法試験に合格

 勉強には自信があった三谷氏。「大学3年で司法試験(旧司法試験)に絶対に合格する!」という目標を立てて、大学1年から司法試験の勉強に取りかかると、ほぼ終日受験指導校の教室に入り浸り、1日15時間は机に向かった。一方、大学の授業には出席せず、法律系の授業は司法試験の勉強で得た知識を活かしつつ、試験だけ受けて単位を取得。持ち前の要領の良さで、大学3年次には必要な単位すべてを好成績で取り終えることができた。司法試験の模擬試験の成績も上位をキープし、目標通り大学3年のとき、当時の最年少合格者として司法試験を通過した。

 この頃の三谷氏はすでに、2019年に出版した著書『最高の結果を出す目標達成の全技術』(日本実業出版社)にも記している、結果を得るための3つの必勝パターンを身につけていたという。
「1.目標を設定する、2.実行計画を作る、3.計画を実行する。この3つが私の考える必勝パターンです。2つめの実行計画作りは『徹底的にゴールから逆算して考える』ことから始め、時間的逆算(マイルストーン)と、分野ごとの逆算(ブレイクダウン)を設定して、1つずつクリアしていきました。中間目標をクリアすると自信がついて気分も良いので、モチベーションを維持できます。この方法で目標通り、大学3年で司法試験に合格できました。当時、ゼミの先生に『司法試験の勉強は順調か』と聞かれて、『普通に受ければ合格できます』と言った記憶があります。当時は合格率2%の試験ですから、本当に嫌なヤツだったと思いますよ(笑)」

 大学4年の1年間は受験指導校で採点と講師のアルバイトをすることにした。そこで大学生には十分すぎるほどの収入を得ると、生活が一変した。それまで溜まっていた物欲が一気に噴き出したのである。ブランドものの時計や洋服、バッグを買ったり、友人を連れてすし屋のカウンターに座ったりと、お金やモノを自力で手に入れられることに有頂天になっていた。

6年半、法律事務所に勤務そして独立へ

 そんな1年間を経て大学を卒業すると、2年間の司法修習が待っていた。
「大学3年で合格したので、修習中に大きな事務所からたくさんお誘いをいただきました。ただ、当時の私はとても疲れていたのです。中学を受験して、大学進学で志望学部を選んで、司法試験という競争に勝って合格し、そして一流事務所に入ったら、また同期と競争…。どこまで競争していけばいいのかと思い悩んでいました」

 印象に残っているのは、修習先の指導担当弁護士が「ここ数年、土曜日に休んだことなんてない」と言っていたことだという。休みなく働いて渉外事務所で日経新聞の一面に載るような大きい仕事をするのは、それはそれで素晴らしい価値観だと思ったが、一方で「私はここ数年、土曜日に働いたことなんてありませんよ」と言えるようなプライベートも大事にした価値観も成り立つのではないか。三谷氏はそう思うようになっていた。
「大学4年の1年間、アルバイトをして、お金を作って、旅行をしたり、遊びに行ったり、読書をしたり、彼女を作ったりといろいろな出来事があった中で、本当に仕事に打ち込むだけでいいのかという思いも芽生えたのです。そんな修習生のときに4期上の先輩で、遊びもするし、頭も切れるし、先輩・後輩の分け隔てなくベテランに対しても自由に発言する、素晴らしい先輩に出会いました。初めて『こういう弁護士になりたいな』と思いましたね。その先輩から横浜に良い事務所があると聞いて、そこに入所することに決めたのです」

 三谷氏はこうして横浜の事務所で、弁護士としての第一歩を踏み出した。だがこの当時の弁護士業界は、今では想像もできないような殿様商売をしていたという。
「例えばお客様に100万円の請求書を出すと、『今これしかないんだ』と言って請求額以上の120万円もいただける。そんなことが何度もありました。また、今の裁判所は時間通りに開廷しますが、当時の裁判所は開始時間が遅れるのが当たり前だったので、お客様に『すみません、前の裁判が伸びちゃって』と言っては約束の時間に遅刻をする…。そういう環境で社会人のスタートを切ったので、それが普通になってしまっていたのです。遅刻をしても人を待たせても平気。みんなが自分の都合に合わせてくれる。そんな自分勝手な仕事ぶりでした」

 所長からやりがいのある仕事をたくさん任せてもらい、離婚を始めとする一般民事や、今も続けている産業廃棄物業界の住民訴訟で業者側の代理人も経験した。他にも「旧日本軍の爆雷国家賠償訴訟」では、三谷氏は国に勝訴して、数々のマスコミに取り上げられた。結果も出すことができ自信満々だったという。
「今思えばお恥ずかしい限りですが、そんな私を所長は温かく見守り、育ててくださいました。今でも私の事務所に新人弁護士が入所すれば、必ず所長に紹介しているほど、本当に感謝し、尊敬している恩師です」

 やりがいのある事件、尊敬する所長、居心地のよい事務所。だが6年半勤めた三谷氏は、ある日突然、独立しようと決断する。30歳の三谷氏に、いったい何が起こったのだろうか。

独立開業後に見えた世界は何かが違っていた

 「独立を決意したことにカッコいい理由なんてありません。1人でやったほうが儲かるだろうといった目算もなかった。やりたい放題なのに所長からも周囲からもかわいがってもらい、温かく見守ってもらえて、充分な給料をもらえる。何の不満もありませんでした。

 それがある日突然『なんか本気出せてないな』と感じるようになったのです。自信満々で、自分は優秀な人間だと思い上がっていましたので、『まだ自分の実力の半分しか出していないのに、高く評価されて高い給料をもらっている』と自分では思っていました。でも『このままぬるま湯に浸かっていると、がんばって努力している同期にいつか追い抜かれてしまうかもしれない』といった不安や焦りが心のどこかにあったのです。もっと厳しい環境に身を置かなければと考えるようになったのが独立した理由の1つですね」

 独立の経緯には続きがある。
「もう1つの理由は、30年も続いている事務所にもかかわらず、法律事務所には珍しく、独立した弁護士が1人もいなかったことにありました。それだけ所長の面倒見が良くて居心地の良い事務所だということでしょう。将来は、尊敬する所長が作り上げてきたこの事務所を継ぎたいと考えていました。となると、並み居る先輩たちを納得させられる実績を積まなければいけません。それなら1度独立して外に出て修業しよう。そんな思いなどが入り交じって、事務所を飛び出したのです」

 独立すると「最年少で司法試験に合格したすごい弁護士がいるよ」と、友人たちはこぞってお客様を紹介してくれた。ところが独立後の景色は、想像していたものとはまったく違ったものになった。
「当時の私は、お客様のミスを無遠慮に指摘したり、話もじっくり聞かずに『あなたはこうすべきだ』とすぐ結論や答えだけを伝えたりと、とにかく偉そうな弁護士だったと思います。そんな傲慢で思いやりに欠けた弁護士に相談したい人はいませんよね。せっかく紹介してもらったにもかかわらず、結局リピートや次の紹介にはつながらず、売上が10万円以下という月もありました。しかも『案件が増えないのはお客様とスタッフが悪いからだ』とすべてを人のせいにしていたのです。するとスタッフは私の顔色をうかがうようになるし、事務所に活気なんてありません。顧問先も1社増えては1社解約されるの繰り返しが続きました。それでも『周りはわかってない』と不満ばかり募らせていたんです。それが5年ぐらい続きました」

 社会に出てすぐ「先生」と呼ばれ、頭を下げたこともない人間だから、自分が思ったように評価されないことに対する不満はあっても、何が悪いのか、どうすればいいのかがわからない。

 そんな風に悶々としていたある日、運命を変える出会いがあった。日本を代表する経営者、京セラ創業者の稲盛和夫氏が主催する経営者勉強会「盛和塾」に参加し、稲盛和夫氏と、氏の経営学を実践している先輩経営者と出会ったのである。

人生を変えた「盛和塾」との出会い

 入塾の少し前、2011年に起きた東日本大震災も三谷氏の考え方に影響を及ぼしていた。
「東日本大震災は私の中でかなり大きな出来事でした。原子力発電所の事故が収束しない中で、最初は『国が悪い』『自衛隊は何をしているんだ』と、また人のせいにしていたんです。でも次第に、『国会議員は国民一人ひとりが選んだ代表だし、これまで原発政策に無関心だった自分たちにも責任がある』と、自分も原発事故の当事者のひとりだという意識を持つようになりました。

 自分の無力さを知り、スタッフや家族を守らなくては、自分たちで行動を起こさなくては、といったいろいろな思いがミックスされて、盛和塾参加への後押しになりました」

 盛和塾で三谷氏は、価値観が180°ひっくり返るような金言の数々を受けとったという。
「稲盛氏は、『近場の高尾山に登るなら、楽しく歌を歌いながらスニーカーで登ることもできる。でも日本一の山に登りたいんだったら、それなりのトレーニングをして、それなりの装備を整えて、それなりの練習をして、厳しい道を行かなきゃいけない。登りたい山が違うのに日々一緒に過ごすことはできない。あなたは日本一の山に登るために、この苦労をする覚悟がありますか』と言いました。

 それまで、何でもすべてを人のせいにしていた私は、『事務所経営がうまくいかないのはスタッフのせいでもお客様のせいでもない。努力を怠ってきた自分のせいだ』と気づかされて激震が走りました。しかもそれまでは仕事は自分のためにするものだと思っていた私に、『社員を幸せにするために働く』という考え方を教えてくれたのです。これを実践するようになってから、社員に初めて心からの感謝の言葉を伝えられました。事業の作り方やリーダーシップといった仕事の仕方、働き方から、社員やお客様との接し方、生き方に至るまで、すべてをこの場所で教わりましたね」

 この頃から「全従業員の物心両面の幸福を追求するとともに、リーガルサービスを通じて社会正義の実現に寄与すること」を事務所の経営理念に掲げ、組織がめざすべき目標やそのために必要な考え方・約束事など(フィロソフィ)を明記した未来創造手帳を作成し、全員で共有するようになった。

 そして、事務所はスタッフみんなのものであると宣言するために、個人事務所から「未来創造弁護士法人」に名称変更し法人化を果たした。公私を分けるため、プライベートと兼用していた事務所の車は売却し、クレジットカードは法人用、個人用の2枚を持ち歩くようになり、売上も経費もみんながいつでも確認できるように透明性を確保した。
「そこから私自身もスタッフも『みんなでチームのためにがんばる』という意識を持つようになり、次第にベクトルが揃ってきました。さらに盛和塾の『アメーバ経営』という経営管理手法を参考に、独自の管理会計システムを構築し、部門採算管理を始めて、分野・案件・お客様ごとの採算性をいつでも検証できるようにしたのですが、弁護士ごとの採算が毎月出るので、自ずとみんなが効率的な時間の使い方を考えるようになって、飛躍的に採算性が高まりましたね。

 その頃から毎月1回必ず全員参加で『未来創造会議』を開いて、弁護士や事務員が垣根なく意見交換し、フィロソフィを共有し、チーム全体で高い目標に向かっていけるようになりました。今では人数も増えて、みんなが同じ目標に向かって高い山にともに登っていける、とても良いチームになったと思います」

 「周囲のみんなに感謝している」と、笑顔を見せる三谷氏。そこにはもう傲慢だった過去の三谷氏の姿はなかった。変化を遂げた三谷氏が率いる現在の未来創造弁護士法人には、東京と横浜のオフィスに、弁護士8名、スタッフ(パラリーガル・経理・人事・マーケティング)7名が在籍している。

「日本一裁判をしない弁護士」

 いくつもの難しい裁判を勝訴に導いてきた三谷氏が「裁判をしない」方向に舵を切ったのは、勝訴となったある裁判のあと、お客様が疲れた顔をしていることに気づいたのがきっかけだった。
「お客様が裁判に勝つためにかかる時間的、経済的、精神的負担が大きすぎるのです。であれば、裁判にならないようにすればいい。トラブル予防、あるいは裁判の手続きを使わずに話し合いによるスピード解決交渉を行う。この『予防と交渉』を事業のメインにすることにしました。

 私たちは『日本一裁判をしない弁護士』を自称していますが、そこに込められた思いは、稲盛氏の『他を利する』という仏教用語『利他』の精神からきています。他人を思いやり、相手の立場や気持ちを考えられるようになれば、相手も喜び、自分もうまくいくようになる。企業も伸びて良い社会を創っていくことにつながる。この利他の思いがあれば、そもそも裁判なんて起きないはずです。

 弁護士の究極の仕事は、この利他の精神を社会に伝えていくこと。それが弁護士法第一条にある『社会正義の実現に寄与する』だと思っています。裁判を助長したり、裁判になりそうな案件を探したりするのではなくて、今後また同じような問題が起きないようにするために取るべき予防策は何か、考え方は何かを伝えていきたい。そう考えて、トラブル予防のできる弁護士になろうと決意しました。今では『日本一裁判しない弁護士』として、企業経営者からたくさんの支持をいただいています」

 とはいえ裁判をせずに予防法務にシフトすることは、裁判をするよりむしろ大変な側面もあるのではないだろうか。
「弁護士として裁判に勝つ。自信のある弁護士にとって、これほどわかりやすく達成感を得られる仕事はないだろうと思います。それに比べ、トラブル予防の仕事は勝ち負けがはっきりしていないので、達成感を感じにくいという側面は確かにあるかもしれません。ただ、顧問先企業の成長を感じながら、5年、10年と長期的に伴走し、ともに成長できる点は、何ものにも代えがたい、私たちの仕事における最高の愉しみです」

 もちろん事件解決依頼が訴訟に発展することもあるので、事務所内はスポット案件として事件を解決する部門と、毎月定額顧問料でトラブル予防と解決をする部門の2つに分かれている。
「スポット案件より、トラブル予防部門のほうが採算は良いですね。トラブルの予防ができればできるほど企業に喜んでいただけるし、僕らもうれしいのでウィンウィンです」

 お客様からは「以前は裁判ばかりしていて気分が後ろ向きだったけれど、最近は前向きになっている」といううれしい声も届いている。さらに、現在進行形で抱えているトラブルが減ることで、お客様側で事業の収益性が向上しただけでなく、顧問弁護士側としても業務量が減り、事務所の採算性も向上した。結果的に事務所の経営は3年で3倍規模にまで成長したのである。

弁護士、経営コンサルタント、税理士の3つの顔

 未来創造弁護士法人では、中小企業の売上を伸ばすことで従業員も幸せになり、納税額が増え、結果として日本を救うことができるという思いをもとに、「向上心あふれるすべての中小企業の経営者を応援する」というミッションを掲げた。

 顧問弁護士としての業務内容は、契約書作成、契約書チェック、労働問題、債権回収、取引先トラブル、クレーム対応といった日々のささいな相談からIPOまで、幅広く企業法務をこなしている。加えて、契約企業の従業員のための無料個人相談では、離婚、相続、交通事故、SNSトラブルといった一般民事にまつわる相談も多く手がけている。

 経営のわかる弁護士として、契約企業から経営コンサルタント的役割を求められることも多い。ニーズに応えるために受け皿となるコンサルタント会社を設立し、現在は数十社のコンサルティングにも入り込んでいる。弁護士とコンサルタントという2つの顔を持ち、社外役員としても活躍する三谷氏は著書も多い。

 さらに経営者の「究極の目的」に沿うために、税理士登録もしているという。
「経営者はトラブル予防やその解決自体にではなく、究極的には売上や利益を増やすことに興味があるんですね。そこに自分がどう役立てるのかを考えたとき、本の執筆や講演で経営について話す場合は、『弁護士』よりも『税理士』という肩書きのほうが興味を持ってもらいやすい。そんな発想で税理士登録もしました」

 税理士の顔も持った三谷氏は、会計の本も出版している。

チームビルディングとエンゲージメント

 社会に必要とされ、社会に役立つ弁護士法人であり続けることが今描いている夢だと三谷氏は語る。
「日本企業の大半は中小企業ですから、その中小企業が伸びていくことで日本を救うことができる。そこで『中小企業顧問数日本一』という目標を掲げました。

 固定観念に捉われず、フレキシブルに時代の変化を読み、次世代に継承可能な百年法人をめざして成長していきたいと考えています。加えて士業の経営自体にも、経営理念があることの強みやメリットがあることを体現して、他の士業法人経営者の方にも伝えていきたいですね。考え抜かれた『ビジョン』・『ミッション』を策定し周知を徹底することで、ともに働くメンバーのモチベーションと働きがいや幸福度を高め、必ず強い組織を作ることができます。この未来創造弁護士法人の、スタッフ間の関係性を強化するチームビルディングや、信頼関係によって高められたエンゲージメントの強みを知っていただいて、士業のみなさんと協働していくことも大きな目標です」

 中小企業顧問数日本一に士業との協働。三谷氏の夢はどんどん広がっている。

資格取得はなりたい最高の自分になるための切符

 未来創造弁護士法人の採用方針は、学歴不問。人としての考え方を何よりも重視している。
「高い目標とチャレンジ精神を持った方とともに働きたいと考えています。司法試験に合格した弁護士も、社会人としては新人です。独自に作った弁護士育成制度では、未来創造育成ガイドラインに沿いながら、個々の資質や成長スピードに合わせてチーム全員で成長を支援しています」

 法人化してからは、個人事務所では加入できなかった厚生年金基金にも加入した。ともに働くメンバーのために、お互いに思いやりを持ち、支え合いながら働いてもらえる土台としてぜひ加入したいと考えていたのだという。

 順風満帆な法人の運営とともに、三谷氏自身は今後どのようなキャリアプランを描いているのだろう。
「力がなくなってからもトップが居続けるのは若い人に迷惑をかけます。若い頃は引退すると言っていたのにいざそのタイミングになると自分の肩書きにしがみつく、力がなくなると執着が始まる経営者をたくさん見てきているものですから、私は弁護士法人からは65歳で離れると決めました。ただ、人の役に立てる間は何か仕事をするべきだと思っているので、人を育てる仕事はできる限り続けていきたいですね」

 これまでの人生を振り返ったときに出てくるのは、感謝の思いばかりだという。
「子どもの頃はいろいろ思うところもありましたが、今振り返ってみると経済的に裕福ではない中でも自分はやりたいことをすべてやらせてもらっていました。両親には感謝しかありません。これをやれ、あれはするななどと言われることも一切ありませんでしたね。結局人間は好きなことしかがんばれないし、興味があることなら絶対にがんばり通せるという、最高の育て方をしてもらったんだと思います」

 だから三谷氏も、子どもたちに「これをやりなさい」とは言わない。弁護士の道を継いでほしいと言ったこともないという。その代わり「やりたい」と言ったことは、何が何でも絶対にやらせてあげることにしている。
「私自身は弁護士は良い仕事だし、自分にとっては天職だと思っていますが、子どもたちにとっても同じだとは限らない。私が楽しそうに仕事しているのを見て、子どもたちがどう判断するかですね」と、笑顔で答える。

 過去の自分を振り返り、今最高におもしろい仕事をしているという実感があるという三谷氏。最後に資格取得をめざす読者に向けて、メッセージを送ってくれた。
「ぜひ『なりたい最高の自分になる』ために、今目の前にある勉強をがんばってください。資格取得は『なりたい最高の自分になる』ためのスタートラインに立つ切符です。その切符を取得したなら、ぜひその資格を活かして、高い目標を持つことを大切にしましょう。人生において、仕事は生きる意味になります。仕事を通して、自分がどんな人間になりたいのかを考えてみてください。誰にも負けない努力を重ねて夢を叶えていただけたらと願っています」

・事務所

[東京オフィス](2022年春拡張移転予定)
東京都中央区日本橋3-3-5 NS日本橋ビル5階
Tel. 03-6665-0135
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URL: https://www.mirai-law.jp/


[『TACNEWS』日本の弁護士|2022年1月号]