日本のプロフェッショナル 日本の社会保険労務士|2021年12月号

Profile

浅山 雅人 氏

社会保険労務士法人エフピオ
代表 社会保険労務士

浅山 雅人(あさやま まさと)
1963年生まれ、京都府出身。1986年、慶應義塾大学法学部卒業。同年、株式会社リクルート入社。1989年、社会保険労務士試験、行政書士試験に合格。同年、リクルートを退社。1990年2月、社労士事務所に入所。1995年1月、千葉県袖ケ浦市で浅山社会保険労務士事務所を開設。2009年、千葉市に移転。2021年、法人化し、社会保険労務士法人エフピオを設立。

お客様と従業員のためにワクチンの職域接種会場の運営にも挑戦。
イノベーションカンパニーとして新事業にも進出していきます。

 独立開業にあたってどんな目標を立てるのか。大型事務所をめざす方向もあれば、専門特化のブティック型という選択肢もある。あるいは自分らしい働き方を実現し人生の充実を図ろうとするのもいいだろう。社会保険労務士法人エフピオで代表を務める浅山雅人氏は、開業当初はゆとりをもった働き方をめざし順調な歩みを続けていたが、のちに拡大路線へと転換している。「お客様のために」と、新型コロナウイルスワクチンの職域接種会場運営という専門外の医療分野にも挑戦した、浅山氏の戦略と今後の方向性について詳しくうかがった。

人との出会いが転換点に

 現在、千葉市で社会保険労務士法人エフピオを率いる社会保険労務士(以下、社労士)の浅山雅人氏。自身の歩みを振り返ったとき「私の人生では、先輩や知人など『人との出会い』がいつもターニングポイントになっていた」と語る浅山氏は、現在に至るまでにどんな人生を歩んできたのだろうか。
「高校卒業までは京都にいて、普通の学生生活を送っていました。父は西陣織の卸会社に勤務していましたが、当時はすでに不況業種でしたので、裕福な暮らしができていたわけではありません。そんな親の姿を見て、子ども心に漠然と、将来はこれから伸びていくような成長企業で働きたいと思っていました」

 大学進学にあたり浅山氏は親元を離れたいと考えたが、京都には京都大学をはじめ多くの有名大学があるため「そっちでいいじゃないか」と渋られる可能性がある。そう思った浅山氏は、東京の超有名大学であれば両親も納得してくれるだろうと、猛勉強の末に慶応義塾大学と早稲田大学を受験し、慶應義塾大学法学部に進学した。
 大学時代は体育会の重量挙部に所属し、インターハイに出場。4年間を重量挙部の活動に注いだ。
「就職活動は正直なところ給与が高いかどうかを第一に考えていました。それで商社と金融機関が選択肢に浮かび上がったのですが、海外勤務に興味を持てなかったので金融機関に絞り、どうせならトップをめざそうと日本銀行の選考を受けたのです。でも、結局最後で不採用になってしまいました」

 このとき、途方に暮れていた浅山氏に声をかけてくれたのがゼミの先輩で、その先輩の紹介で選考を受けたのが株式会社リクルートだった。
「朝と午後一で面接を受け、そのあと常務の面接があって1日で内定をもらいました。企業研究もしていないし、ここで働きたいという強い思いがあったわけでもない。そんな状態で、新卒でリクルートに入社することになりました」

受験勉強は会社帰りの電車で

 現在、大学生の就職活動といえばWeb経由で情報を集めるのが主流だが、当時はまだ紙の時代。リクルートも百科事典のような厚さの求人広告集を大学4年生に送っており、そこに掲載する広告を扱うのが浅山氏の仕事だった。最初は東京都内の拠点で広告営業の仕事をしていたが、すぐに千葉市にある営業所に異動となった。
「お客様である経営者の方々は魅力的な方ばかりで、毎日とても刺激的でした。つい自分と比較して、自分には何ができるんだろうと考えているうちに、資格を取得すれば何か自分を変えられるのではないか考えたのです。早速情報収集をしようと書店に出向いた際に、退職したアルバイトさんと偶然すれ違って。『今は何をしているの?』と聞いたら『社会保険労務士になって、成田市の事務所で働いています』と言うんです。それで『社労士って儲かるの?』と聞くと『結構儲かります』と。これは有益な情報だと思い、社労士のことを書店で調べたら、税理士試験ほど難しくないし、弁護士よりも勉強内容が身近に感じられて、自分にも取得できるのではと考えました。もし、その元アルバイトさんが税理士だったら、税理士をめざしていたのかもしれませんが(笑)」

 成長中の会社に勤務しながらも、このままでいいのか、という思いが浅山氏の中にはずっとあったようだ。
「他のお客様企業の成功モデルを基に新卒採用の提案を行いますが、必ずしもその提案の内容で採用がうまくいくとは限りません。当時のリクルートは伸び盛りの会社ですから、実績を積むほどに、次に求められる売上目標も上がっていきます。仕事は楽しかったし好きでしたが、これからずっとこれを続けていくのかと考えたときに、ちょっとしんどいかもしれないと思ったのです。将来について迷いが芽生え始めていたそんな時期に、この出会いがありました」

 こうして浅山氏はリクルートで働きながら、社労士試験の勉強を始めることになった。当時のリクルートといえばハードワークで知られる会社。浅山氏はどのようにして受験勉強の時間を捻出したのだろうか。
「当時の勤務先は千葉市で、私はJR幕張駅近くに住んでいました。会社の帰り、千葉駅から終点の三鷹駅まで総武線の電車に乗って勉強をしていましたね。片道約1時間半、往復で3時間弱。冷房も効いているし誘惑もないので勉強するには最適でした」
 1989年の年明けから社労士の勉強を始めた浅山氏は、短期集中の猛勉強で7月に本試験を受け、見事合格を手にした。
「7月に受けた本試験で手応えがあったので、7月末には退職の意向を伝え、12月で退職しました。当時、ダブルライセンスが注目され始めていたこともあり、10月には行政書士試験も受け、合格しています」

実務経験を積むためパート並の給与で勤務

 退社後、社労士事務所への就職活動を始めた浅山氏だが、最初はうまくいかなかったという。
「採用する側と採用される側は対等だと思っていた私は、面接の最後に『私からも質問させてください』と気になった点を面接官に質問していました。それが生意気だと判断されたのかもしれませんね。不採用が続き困り果てていたところ、開業間もない社労士事務所が西船橋でパートを募集していることを知り、面接に行きました。所長と話をしたところ『君は変わっているね、オレも変わっているけど』と意気投合したのです。パート募集だからパート並の給与でよければと言われたのですが、とにかく実務経験を積みたかったので、その条件で入所しました。新しい事務所なだけに苦労も大きいだろうけど、そのぶん良い経験ができると思ったのです」

 事務所の所長からやりたいことをやっていいと言われた浅山氏は、社労士登録を済ませると所長と一緒に行政不服審査にも携わるなど、幅広い経験を積んでいった。
「社労士の実務経験を積むという意味ではとても良い事務所でした。でも、やはり給与が低いため生活は厳しかった。私は大学を卒業した年に結婚しており、その頃には子どもが2人いました。リクルート退社時には年収800万円くらいだったものが、月収14万円になったわけですから、蓄えを切り崩すといっても限度があります。そんなとき、義母が千葉県袖ケ浦市に家を建てるから一緒に住まないかと誘ってくれたのです。自分としてはどちらの親とも一緒に住むつもりはなかったのですが、背に腹は代えられず、『お願いします』と頭を下げました」
 入所当時、「3年で独立します」と話して了解をもらっていたが、事務所が成長するにつれて浅山氏は事務所にとって欠かせない存在となっていた。結局、約5年間勤務し双方が納得行く状況になったところで退職。1995年1月に浅山社会保険労務士事務所の開業にこぎつけた。

顧問先の離脱で千葉市進出を決断

 現在は千葉市に事務所を構える浅山氏だが、開業地は千葉県袖ケ浦市。義母と同居する自宅の一室での開業だった。
「開業にあたっての目標は、多くの方が掲げるであろう『顧客を増やす、売上を上げる』というものではありませんでした。もともとリクルートをやめたひとつのきっかけが、売上という数字に追われ続ける生活に疑問を感じたことだったので、開業当初の袖ケ浦時代は、それなりの売上である程度生活ができるようにして、仕事一辺倒ではなく、子どもと一緒の時間を過ごすということを目標にしていました。その目標はある程度達成できていたと思います」

 とはいえ袖ケ浦市に何の縁もなかった浅山氏は、ときどき妻に手伝ってもらいながら、ダイレクトメールやチラシなどで宣伝活動を行い、徐々に顧問先を増やしていったという。この袖ケ浦時代は木更津市と市原市をメインに、年間売上2,000万円で40件の顧問先があった。
 独立開業によって自分らしい働き方を実現し、人生を充実させるという1つの理想の実現を果たした浅山氏だが、そのあと拡大路線を掲げ千葉市に事務所を移転することになる。そのきっかけはどこにあったのだろうか。
「大手企業グループの1社で大きな顧問料をいただいている、とてもお世話になっていたお客様がいました。ところが、その企業グループ内にアウトソーシング会社が設立された折に、私たちに依頼いただいていた業務がすべてその新会社に引き渡されることになったのです。『新会社に発注せざるを得ないのでごめんね』と言われて、突然大口の顧問契約がなくなりました」
 突如として起こった大手顧問先の離脱。自分たちの生活もあるし、社労士業を安定して長く続けるには、もっと営業活動にきちんと取り組み顧客数を増やす必要があると浅山氏は思い直した。だが袖ケ浦市に企業は少なく、営業活動をしても継続的に顧問先が増やせる可能性は低い。そこで浅山氏はここから一番近く、企業が多い場所として、千葉市へ事務所を移転することを決断したのである。

セミナーによる集客で顧問先を獲得

 千葉市はリクルート時代に数年間勤務したことがある街とはいえ、特に地縁などがあるわけではなく、当初の主な顧客開拓の手段はダイレクトメールや異業種交流会ヘの参加だった。
「話すのが仕事の営業職をやっていたのに、たくさんの人が集まる会合的なものは苦手でした。参加しても積極的に交流しないので成果にはつながりません。そんな自分に何ができるだろうかと考え、セミナーによる集客を考えました。いろいろなテーマのセミナーを開催し、参加して興味を持ってくださった企業の中から、少しずつ顧問先が増えていきました」

 集客手段としてセミナー開催を行うようになった浅山氏だが、セミナー開始当初から1つ決めていたことがあるという。
「セミナー参加者への営業フォローはしないと決めていました。もしこちらから営業をすれば、お願いして仕事をいただくことになるので、相手が優位になってしまいます。だから、追うのではなく、仕事は乞われて始めるべきだと考えていました。自分からは営業をしに行かない。このポリシーは今でも変わりません。
 ただ、この方法だとすぐに顧客は増えません。1〜2年、あるいはもっと経ってから、セミナーで蒔いた種の芽が出始めます。例えば、過去のセミナー参加者から、『労働基準監督署が来て是正の勧告があったんだけどどうしたらいいのか』とか、『従業員とトラブルになったのでサポートしてほしい』といった連絡が突然来て、その対応をしているうちに顧問先になってくださるという感じです」

 現在では講師として登壇するのは浅山氏1人ではない。入所後に社労士資格を取得したメンバーが4〜5年前から登壇しており、テーマもさらに充実したものになっている。セミナーの実施回数も開始当初は月1回程度だったが、現在では週2回ペースで実施し、幅広く情報発信を行っている。

従業員の雇用で苦戦

 千葉市に進出するにあたって従業員の雇用を考えるようになった浅山氏。それまでは妻と2人だけだったが、積極的な展開のためには新たな従業員を増やす必要があったのだ。
「袖ケ浦時代、自分でWebサイトを作るためにパソコン教室に通っていたのですが、そこの先生が結婚するので教室をやめると言うんです。どこに引っ越すのかを尋ねたところ、なんと移転予定の千葉市の事務所の近くでした。これはITに詳しい従業員を増やすチャンスだと思い、『うちで働きませんか?』と誘ったところ、OKをもらえて。従業員第1号になりました」

 良い人に巡り合えて仲間になってもらえた。この調子でどんどん従業員を増やしていこうと奮起した浅山氏だったが、なかなかうまくいかなかった。
「2人目に雇った人は試用期間終了とともにやめてもらいました。雇って1ヵ月半が過ぎたころ、私も薄々感じていたことではありましたが、内部からその人に対する不満が出始めました。自分が感じていたことが裏付けられ、やめてもらったほうがいいだろうという結論に至ったのですが、今日は忙しそうだから、今日はがんばっているからと、なかなか言い出せない日が続きました。ある日、外回りから帰ってきて、よし言おうとその人の元へ向かったら、『先生、プリンを買ってきました』と私に言うんです。私がプリンが大好きなのを知っていて買ってきてくれたんですね。さらに言いにくくなってしまったと感じながらも、勇気を振り絞って、試用期間終了後に社員として雇用しないことを告げました」

 涙を流す姿に心が痛みつつも、この出来事を通じて浅山氏は、人を雇う・解雇するという判断は、経営者が行うべき重大な仕事なのだと痛感したという。
「顧問先の経営者の方々は、組織を発展させ守っていくために、日々このような決断をしているということが身に染みてわかりました。顧問先から相談を受けたとき、社労士はどうしても法律の観点から話をしがちですが、『労働基準法で決まっていることだから』といった考え方ではなく、経営的な面で考えた場合に何がベストなのかという観点でアドバイスをしたほうが、社長の背中を押し、決断を支えてあげることができる。そういう経営者に寄り添えるパートナーになりたいと思いました」

 その後も浅山氏は採用活動を続けたが、小規模の事務所にはそもそも応募が来ない。そんな中、30代の有資格者から応募があった。話を聞くと「前職で仕事がうまくいかず苦労したため、資格を取得して人生を変えたいと思った」と言う。
「うちに来てもらうことで、この人の人生が良くなればいい。そう思い雇用しましたが、うまくいきませんでした。同様のケースが何人も続き、なかなか人が定着しませんでしたね。人を変えることは難しく、自分は非力であると実感しました」

 苦しい状況が続いても、事務所を大きくしていくためには採用は続けなければならない。リクルート時代、お客様に何度も採用活動の提案をしてきたが、今度は自分自身が採用活動にきちんと向き合わなければならないときなのだと、何回もの採用の失敗から気づいた。
「仕事が少しずつ増えていったぶん、人手不足で厳しい時期もありましたが、採用活動を続けていくうちに、だんだんと良い人、信頼できる人が応募してきてくれるようになりました。10年前くらいからスタッフが定着し始め、若い方も来てくれるようになり採用も軌道に乗り始めましたね。若い人を採用したならきちんと育てていかなきゃいけない。改めて事務所代表としての責任を感じました」

法人化、そして体制を一新

 セミナーを中心とした集客と、苦しい時期も続けた採用活動によって事務所は成長を続け、現在の顧問先は約230件、スタッフ総数は32名、浅山氏を含め4名の社労士を抱える事務所となった。
「2021年1月、創業25年目の節目に法人化しました。自分もいい年になってきたし、法人化することで、地域に根差して存在する立場として永続する組織にしていきたいという思いが強くなったのです。法人化にあたっては、自分たちがめざすべきことは何かを再確認し、ビジョン、ミッション、7つの行動指針を定め、『人を、まんなかに』というキャッチコピーを掲げました。社名は『“F”なピープル(people)』という造語で『エフピオ』。『F』にはファミリー、ファースト、フレンド、フューチャーといった複数の意味が込められています」

◎エフピオ7つの行動指針

1.幸せを考える
すべては人からはじまる。人に興味を持ち、人を感じよう。
相手の立場を想い、幸せを生み出す行動をしよう。

2.成長を楽しむ
働くことを楽しもう。知的好奇心を持ち、自ら機会をつくろう。
どんな時代でも活躍できるチカラを身につけよう。

3.挑戦を応援する
新しいことに挑戦しよう。挑戦する仲間を応援しよう。
変化を楽しもう。
失敗も、成功も、一人一人の経験をみんなの成長の糧にしよう。

4.持ち味を活かす
多様な価値観を尊重し、相手をリスペクトしよう。
それぞれの持ち味を磨き、刺激し合あえる関係をつくろう。

5.遊び心を持つ
ユーモア、ゆとりを大切にしよう。
面白いアイデアを発信しよう。
明るく、ポジティブに、もっとよくなることをしていこう。

6.みんなでやり抜く
できると信じて、ともに、覚悟を持ってやり抜こう。
粘り強く、取り組もう。
高い壁こそ乗り越え、前に向かって進もう。

7.未来を語る
ワクワクする未来をイメージしよう。
お客様と、そして仲間たちと、一緒に未来を語り合おう。

 実は約1年前のスタッフ数は現在の半数の15名。そこから採用を拡大し1年で倍増させている。
「大きな社労士法人をめざすのではなく、多方面からのサービスをしていきたいと考えました。だから社労士の経験がある人ではなく、他業種での経験がある人を採用していこうと考えたのです。業務の幅を広げるためにコンサルティング会社も作りました。
ただ、2020年は15名で売上が1億6,000万円だったところ、今は32名で2億5,000万円の売上見込みと、スタッフ数に対して売上は足りていません。それでもこの多方面からのサービスを提供するという戦略を、スピード感を持って実現していくために、今後も採用を続けて人を増やしていきます」

 2021年9月から、事務所は体制を一新した。コア事業である社労士業務をさらに伸ばしていくことは当然として、イノベーション事業として社労士の周辺業務を担当するチームを発足させたのである。
「人員計画、売上計画、将来構想を発表して、その方向に向かうべく動き始めました。イノベーション事業は少人数でのスタートとなりましたが、事業の拡大に併せて増員をしていく予定です。具体的な業務としてはHRマネジメント、ファイナンシャルアドバイザリー、ビジネスコンサルティングアドバイザリー、海外進出支援、デジタルソリューション、SDGs支援などを考えています。未経験の分野ばかりですが、お客様のさらなる成長をサポートできるようにノウハウを積み上げていきたいと思っています」

 具体的にはM&Aにおける労務デューディリジェンスにはすでに着手しており、2020年には数千名規模の企業を含む10件以上の実績を積んだ。また、顧問先からの依頼で合同の新入社員研修や幹部研修に着手したり、新たな賃金制度や評価制度にプラスして研修の導入を提案したり、業務の幅を広げるために尽力している。
「以前は手続業務の案件を増やしたいから、そのための撒き餌的に『賃金制度や就業規則の策定、研修もやりますよ』と提案していた時期もありましたが、これからは違います。撒き餌だったこれらの人材育成業務の部分を事務所の主力サービスとして確立して、顧問先に満足していただけるものにしていきたいのです」

職域接種ヘの挑戦

 2021年後半、浅山氏とエフピオは何度かマスコミに取り上げられている。内容は新型コロナウイルスワクチンの職域接種についてである。
「職域接種が企業で実施できると発表されたとき、私はこれは大企業が自社の従業員向けに行うためのしくみだなと思いました。でも、あるスタッフから『職域接種を事務所のお客様向けに行えば喜んでもらえるのでは』という話が出たのです」
 当時はまだワクチン接種の対象者が限られていた時期。朝、その話を聞いた浅山氏は「これは良いかもしれない」と、昼にはスタッフとともに職域接種が実現可能なのか協議を始めた。スタッフのツテを使ってある産業医に問い合わせてみると、手伝ってもいい、管理者を引き受けてもいいという。看護師の目処はまったく立っていなかったが、その日の夜には5,000名規模で行う職域接種会場の申請を済ませていた。
「大企業に所属している人だけ接種ができるというのはおかしいと思っていました。ワクチン接種でお客様の悩みがすべて解決するわけではないけれど、中小企業にお勤めの方が接種できる職域接種会場を作りたいと思っての決断でしたね。ただ、未経験の医療分野で、申請時点で医師や看護師の手配が済んでいたわけではなく、採算がとれるかどうか見当もつかない。不安だらけでしたが、それでもお客様が喜んでくれるならと、挑戦しようと思ったのです」

 医師や看護師の確保はスタッフ総出で取り組んだ。顧問先に声をかけて紹介してもらったり、スタッフの知り合いの美容師にまで、看護師のお客様がいないか聞いたりもしたという。接種会場はエフピオの会議室を使うことにした。スタッフが増えたため、会議室を執務室に変更する改装工事を予定していたのだが、それをストップさせて接種会場にした。また接種会場には臨時診療所も設け保健所に登録も行った。
「職域接種を行います、と顧問先に公表して参加者を募ったところ、41社7,400名の参加希望がありました。このことで複数のメディアの取材を受け、取り上げていただきました。接種を受ける方は中小企業で働いている方ばかりなので、平日は18時〜21時、土日は9時〜21時(または16時30分)など、仕事終わりや休日の参加しやすい日程を設定し、他の接種会場と差別化しました」

 接種開始の7月1日に向けて着々と準備を進めていたエフピオだったが、ワクチンの配布の関係で7月19日からに接種開始日が変更となった。
「国の事情とはいえ、心が折れそうになりました。組んであったスケジュール、医師、看護師、ワクチン接種を受ける企業の方たち、このスケジュールをすべて組み直しました。事務所内では主に2人のスタッフが担当してくれたのですが、よくがんばってくれたと思います。ご参加企業の皆様から励ましのメールをたくさんいただき、背中を押していただきました」
 ただ、波乱はこれで終わりではなかった。千葉市などでワクチンの接種券が届き始めると予約キャンセルが続出したのである。
「行政から接種県が届くと、もうすぐ打てるだろうと安心してしまうんでしょうね。最初は申請した5,000名では足りないのではと不安だったのに、今度はワクチン接種のセールスをしないと枠が埋らないかもしれないという事態になりました。ただ、ここで空席となったぶん新たに接種のお申し込みをしてくださった企業との出会いもたくさんあったので、今後のおつき合いに期待することでよしとするしかありません」

 この職域接種の経験で浅山氏は1つ大きな自信を得たという。
「医療サービスというまったく未経験の分野に挑戦し形にできたことで、リソース(社内資源)がなく手掛けることができなかったサービスや未経験のサービスも、協力者がいれば、アイデアと気持ち次第で実現できるということを実感し、大きな自信につながりました」

人のことで悩まない会社は1社たりともない

 職域接種、9月からの新体制でのスタートで、エフピオはさらなる成長へと舵を切った。
「スタッフをたくさん採用して新たなフェーズへスタートを切りましたが、残念ながらロケットスタートとはいきませんでした。でも新しい事業を育てていくために、今後も採用活動は続けていきます。社内にはすでに社労士業務ができるスタッフが大勢います。ですから社労士業務は未経験でもいいので、私が経験してこなかったキャリアをお持ちの方、私が知らない世界を知っている方、幅広いバックグラウンドをお持ちの方をメインで採用していきます。入社後に社労士の資格を取得したいという方はぜひ仕事と両立しながら挑戦していただきたいですね。実際入社後に取得したスタッフは多いですし、可能な限りバックアップします」

 研修についてはまだ体系立てた教育体制にはなっていないそうだが、現在構築中だという。また、新しく入ったスタッフについては、スキルマップを作成して、どの段階まできているかをリーダーが確認して可視化している。
 このように新たなチャレンジを続ける浅山氏だが、社労士として強く心がけていることがあるという。
「お客様が話しやすいように、堅苦しくなくフレンドリーな雰囲気作りを心がけています。実は若いとき、弁護士に相談しに行ったことがあるのですが、その弁護士の方は私が最後まで説明し切る前に結論を言ったのです。相談に行っている以上、確かに答えはほしいのですが、それだけではなく、私は話も聞いてほしかったんです。私たちのお客様もそのときの私と同じで、きっと話も聞いてほしくて相談しにきていると思うので、雰囲気作りはとても大切にしています」

 最後に読者に向けてアドバイスをいただいた。
「人との出会いで偶然めざした社労士でしたが、お客様に喜んでもらえて感謝もされる、企業の発展にも寄与できる、そんなやりがいのある仕事に就けて、本当に運が良かったと思っています。将来はAIに代替される仕事と言われることもありますが、人のことで悩まない会社は日本全国に1社たりともないわけで、そういうお客様に寄り添っていける社労士であれば、決して仕事がなくなることはありません。もし迷っている方がいたら、挑戦することを強く勧めます。ぜひがんばってください」

・事務所

千葉市中央区中央2-9-8千葉広小路ビル4F
Tel.043-306-5082

URL: https://fpeo.co.jp/


[『TACNEWS』日本の社会保険労務士|2021年12月号]