日本のプロフェッショナル 日本の司法書士|2021年1月号

Profile

小保内 洋子氏

司法書士法人小保内事務所
代表司法書士 宅地建物取引士 AFP

小保内 洋子(おぼない ようこ)氏
1970年1月27日、青森県生まれ、神奈川県横須賀市育ち。明治大学法学部卒業後、新卒で生命保険会社に入社。その後、司法書士をめざし、1995年、司法書士試験合格。同年、宅地建物取引主任者(現:宅地建物取引士)試験合格。1996年、司法書士登録。1998年、司法書士小保内洋子事務所を開業。2003年、AFP認定。2011年、法人化し、司法書士法人小保内事務所、同年、逗子事務所を開設。

きめ細かさや相談しやすさが求められる司法書士の仕事では、
女性も強みを活かして生き生きと働くことができます。

 司法書士のメイン業務は、不動産登記と商業登記だが、今日では相続や成年後見、民事信託など、活躍の場は大きく広がっている。神奈川県横須賀市の司法書士法人の代表を務める小保内洋子氏は、不動産の売買決済と成年後見、相続を中心に事業を展開している。そんな小保内氏が司法書士資格をめざしたきっかけや、独立開業の経緯、業務の広がり、法人化などについて詳しくうかがった。

就職活動で痛感した資格の必要性

 バブル崩壊といった景気の変動期や感染症の流行などは、経済や社会に大きな影響を与える。例えば2020年の新型コロナウイルスの流行によって、求人倍率が下がったり、大卒者の内定率が伸び悩んだりしたことは記憶に新しいが、現在、司法書士として活躍中の小保内洋子氏も大学生時代に、バブル崩壊による景気悪化の影響を受けていた。
「大学進学時に法学部を選んだのは、就職に強いイメージがあったからです。実際のところ、ふたつ上の先輩たちは履歴書を提出するだけで内定をもらえたと聞きました。でも、私が就職活動をする前年にバブル景気が崩壊し、募集人数はどの企業も半数以下になったのです。ですから、真面目に就職活動を行いました」
 就職活動を通して、小保内氏はあることに気づいたという。1986年に施行された男女雇用機会均等法に基づき、企業で女性の総合職の募集が始まって数年が経っていた頃の話だ。
「就職活動をするにあたって、私は職業として何かこれをやりたいという強い思いや明確なロールモデルもまだありませんでしたので、総合職の募集もありましたが、一般職で応募しました。就職して3年くらいのうちに、働きながらやりたいことを見つければいいと考えていたのも理由のひとつです」
 いくつかの会社に応募した小保内氏だが、同窓の男子学生の元に送られてくる入社案内が、小保内氏のところには何日待っても届かなかったという。
「男女平等と言われて育ってきて、マスコミは女性総合職をもてはやし、企業も男女平等を謳っていても、世の中には男女差別はまだまだあるという事実を、私は就職活動で学んだのです」
 最終的に、小保内氏は生命保険会社に入社することになるのだが、社会には男女差別がいまだ残っているという事実を前に、ある決心を固めた。
「この社会で働いていくには、自分の価値や実力を示すためにも何か資格を持っていたほうがいいということを、就職活動を通じて痛感しましたね。このとき、資格を取得しようと決心しました」
 小学生のときは競泳を、中学以降はテニスに打ち込み、大学では体育会系のテニスサークルに所属していた小保内氏は、「あまり勉強はしていませんでした」と大学時代を振り返る。
 そこでまずは、何の資格をめざすべきか、実際に勉強をしている友人たちの話を参考に考えることにした。
「法学部でしたので、周りには司法試験に取り組んでいる友人がいたのですが、大学の定期試験の話をしたとき、その友人の話す法律の内容が異次元のもののように聞こえたのです。司法試験はレベル的に難しいと思いましたね。また、税理士試験の勉強をしている友人もいまして、簿記論のテキストを見せてもらったところ、これも私には不得手そうだと。そんな中、司法書士試験に取り組んでいる友人に、司法書士について教えてもらったのですが、『これなら自分に向いているかもしれない』と思えたのです。このときに司法書士の勉強をしようと決意しました。とはいえ、大学生活は終わってしまうので、就職した年の5月から本格的に勉強を始めました」
 生命保険会社で働きながら、3年ぐらいでやりたいことを見つけようと思っていた小保内氏だったが、こうして大学在学中に自分の進みたい道を見つけることができた。入社後は慣れない仕事をしながら司法書士試験の勉強をする日々だったという。
「1日仕事をして夕方から教室講座に通う生活は、大変だと感じることもありました。でも目的があったので、まったく辛くなかったですし、仕事で多少理不尽なことがあっても、気にせず乗り越えることができました」
 こうして小保内氏は、3回目の受験、1995年の司法書士試験で見事合格を果たした。そして同年には宅地建物取引主任者(現:宅地建物取引士。以下、宅建士)資格試験にも合格した。
「この年、大学4年生だった弟がハウスメーカーの内定をもらったことがきっかけで、せっかくだから一緒に宅建士試験を受けてみようということになりました。無事合格し、結果的に今の仕事にも活かすことができているのは、弟のおかげですね」

「28歳で独立」のインパクト

 司法書士試験に合格した小保内氏は、司法書士会の紹介で横浜市内の司法書士事務所に就職した。
「当時は、就職先が決まっていない合格者が司法書士会に届け出ると、事務所を紹介してもらえました。ですので、届け出後、最初に連絡をくださった事務所に入所しました。今とは違ってひとつの事務所に長く勤務する時代ではなく、仕事を覚えたらすぐに独立しなさい、と所長が勧める時代でしたが、私は当時、独立してやっていこうなんてまったく考えておらず、このままの働き方で、好きな洋服とバッグが買えるぐらいの収入があればそれでいいと思っていました」
 小保内氏が就職した司法書士事務所は、当時20名以上のスタッフが在籍する、横浜市内で3本の指に入るような規模の事務所。小保内氏が担当した業務は不動産の売買決済がほとんどで、商業登記はおつき合い程度の件数だった。
「勤務時代はとにかく忙しかったという記憶しかありません。夜8時前に事務所を出られればいいほうで、終電で帰ることもざらにありました。今振り返ると、忙しい事務所でよかった、数多くの案件をこなすことが独立開業への近道だった、と冷静に考えられますが、なんでこんなに忙しいんだろうと、当時は思っていましたね」
 好きな洋服とバッグが買えればそれでいい、そんな考えだった小保内氏が、独立開業を意識し始めたのはいつ頃だったのだろうか。
「3年近く勤務すれば、仕事はひと通りできるようになります。他の事務所から誘われたこともありましたが、自分の性格を考えると、誘いに乗って転職したらまた3年間ぐらいは在籍しないと申し訳ないかなと思ってしまう。でもそんな風に待っていてはあっという間に30代になってしまいます。この頃、思い切って今の環境から飛び出してみたいという気持ちも芽生え始めていた私は、それなら早く独立してしまおうと思ったのです。『20代で独立しました』と案内するほうが、営業したときのインパクトが強いじゃないですか。仮に失敗しても30歳過ぎならやり直しもききますしね。だったら少しでも早くということで、28歳のうちに独立しました」

友人たちとのつながりから顧客が増えていく

 1998年10月、横須賀市の横須賀中央駅から徒歩4分の場所に事務所を借り、小保内氏は独立開業を果たした。事務所の目の前は横須賀郵便局、歩いて数分の距離に横須賀市役所があるという好立地だ。
「事務所探しには苦労しました。なかなか決まらず、改めて不動産会社を回ってみたところ、現在の事務所がちょうど空いていたので、その日に見て決めました。フロアの借り増しはしましたが、事務所は開業以来同じ場所のままです。決め手となったのは、角ビルであることと、すぐ近くにコンビニエンスストアがあること。夜、仕事をすることもありますから、軽食を買いに行けるお店があるのは大事です(笑)。郵便局が目の前にあったことはたまたまだったのですが、結果的にプラスになりました。以前は郵便局が24時間受付をしていて、夜、弁護士や金融機関の方が内容証明などを出しに来たついでに事務所へ寄ってくださるので、お茶を飲みつつ、少しお話をすることができました。思いがけず接点を作れましたね」
 独立した小保内氏はどのような業務からスタートしたのだろうか。
「勤務時代と同じく不動産の売買決済を行っていましたが、横浜市では当たり前だったやり方が、横須賀市ではまだ当たり前ではなかったことに最初は戸惑いました。勤務時代、書類は司法書士が自ら金融機関に取りに行きますし、必要となる家屋証明や評価証明も自分たちで取得していました。一方横須賀では、金融機関の方が書類を届けてくださるのが普通だったようでしたが、私は勤務時代と同じように自分で書類を取りに行き、スピーディーに処理を進めていました」
 すると金融機関や不動産会社のスタッフからは「そこまでやってくれるのか」とありがたがられたという。小保内氏が「これが当たり前ですよ」と言って機動的に業務を進めていった結果、徐々に顧客が増えていった。
 きっとこの調子で、営業活動も精力的に行っていたのだろうと思ってしまうところだが、実際にはほとんど営業活動はしていなかったと小保内氏は言う。
「独立した直後、近くの金融機関に挨拶状を持ってうかがいました。でも、反応は少なかったです。ではどこからお客様につながったのかというと、昔の友人たちです。友人たちに開業案内を送ると『大変なのでしょう』と電話をくれたり、結婚している友人からは『金融機関勤務の夫に話をしたら、大変だろうから一度挨拶においで、と言ってるよ』と連絡をもらったりしました。同様の話が不動産会社でもありましたね。そんなことがつながって、お客様が増えていったのです。友人たちには本当に感謝しています」

おひとり様対策で成年後見に取り組む

 不動産の売買決済でスタートを切った小保内氏だが、現在の業務は不動産の売買決済と不動産登記が50%、成年後見と相続、遺産整理、遺言が45%、残りの5%が商業登記である。勤務時代の業務は不動産の売買決済がほとんどを占めていたという小保内氏だが、どういったきっかけからこれらの業務に取り組むことになったのだろうか。
「現在、おひとり様対策として遺言、任意後見、財産管理、死後事務の4つをパッケージとして提供しています。おひとり様の遺言を作成し、状況によっては任意後見契約をし、財産管理を行います。そして亡くなられたら、お葬式から埋葬までを死後事務委任契約に基づき執行します」
 成年後見制度は2000年4月に施行されたが、それに先立ち1999年12月には全国の司法書士により「成年後見センター・リーガルサポート」が設立された。リーガルサポートで一定の研修を受けた上で、各地の家庭裁判所に設置されている後見人等候補者名簿に登載されると公的後見人として選定されるようになる。
「制度ができた当時は特に感心を持っていたわけではありませんでしたが、リーガルサポートができて数年後、リーガルサポートの地区長より入会するように言われ、登録と後見人等候補者名簿への登載の申し込みを行ったところ、相談が回ってくるようになりました」
 相談に対応して老人ホームや急性期病院などを訪れているうちに、その姿を見た老人ホームやおひとり様の退院後の対応に苦慮した急性期病院などから紹介を受けるようになった。現在では約60名、終結した案件を含めると約120名の後見人を務めてきた。後見人としては任意後見よりも家庭裁判所で選任される公的後見のほうが多いという。
 最初の頃は、後見人としての司法書士は認知度が低く、あらゆる場所で説明が必要だったそうだ。
「病院につき添って行くと、『あなたは誰?』と聞かれたものです。後見人の司法書士です、と言っても『なんで法律家がいるの?』と不思議がられることもありました。その度に、任意後見契約書などをお見せして説明していましたね。同じように、病院で亡くなられたあと、ご遺体を引き取りに行ったときも『なぜ家族ではなくて、あなたが来るの?』と聞かれることも多々ありましたが、その都度説明し、理解してもらうようにしました」
 そんな小保内氏であったが、三浦半島内を業務提供範囲と決めて仕事をしていたので、後見人としてさまざまな老人ホームや急性期病院を頻繁に訪れるうちに、ケアマネージャーや介護職員、救急担当医に段々と顔と名前を覚えてもらえるようになったのだという。

法人化し2拠点体制に

 法定後見制度とは、「すでに、判断能力が不十分な人に代わって、法律行為をしたり、被害にあった契約を取り消したりする制度」であり、任意後見制度とは、「今は元気だが、将来、判断能力が不十分になった時に備えておくための制度」と、リーガルサポートでは定義している。簡単に言えば、後見人は被後見人の生活や人生をサポートする存在である。
「大勢の後見人を引き受けていることを知った司法書士から、どのように対応しているのかと質問を受けることもありますが、現在は司法書士が4名おり、法人化して組織的に対応できるからというのが理由といっていいでしょう」
 小保内事務所は2011年に法人化しているが、そのひとつのきっかけが任意後見や遺言執行者を引き受けている依頼者から言われた、「もし先生が先に亡くなったらどうなるんだ」という不安の声だった。
「法人化前の個人事務所の状態で、万が一私が先に亡くなったら、任意後見契約はいちから契約し直さなければなりませんし、遺言執行者も書き換えなければなりません。その当時も複数名の司法書士が在籍していましたから、対応できないことはありませんが、お客様に再契約の手間をかけさせてしまいますし、不安を抱かせることにもつながります。そこで組織としての基盤を整えたいと思い、法人化に踏み切りました」
 また、小保内氏自身の出産や、逗子への支店事務所設立の予定があったことも法人化に踏み切った理由のひとつだったという。
「子どもの出産も法人化の大きな理由です。子どもを育てながら仕事を続けるには、周囲の協力が必要だと感じました。そのためには個人事務所ではなく、チームプレイがしやすい法人にする必要があると考えたのです」
 また、逗子に支店事務所を出したのは、三浦半島一帯にサービスを届けるためだったという。
「逗子には別荘も多く、平日は都内、週末は逗子・葉山で過ごすという都内の高所得者層も多いようで、週末にはよく世田谷ナンバーの車を見かけます。そうした方たちはリタイア後に逗子に転入してくるケースが多い。するとそれまでは平日に都内の弁護士や司法書士に相談できていたことが、逗子や葉山には法律事務所や司法書士事務所が少ないため相談ができなくて困っているという方が多くいらっしゃったのです。そのニーズにお応えしたいという思いから、逗子事務所の設立を決めました。
 順調に売上が伸びていたので、横浜市内や都内の事務所を提案されることもありましたが、私は三浦半島に特化した、地域密着型の事務所にしたいと思っていましたのでお断りしました。結果として、周囲に法律事務所などライバルが少ない状況で支店を出せたのでよかったと思います」
 法人化し逗子に支店事務所を出したことで、小保内事務所は2拠点体制となった。横須賀事務所では不動産の売買決済を、逗子事務所ではおひとり様の相続や遺言の相談をメインで行っているという。

不動産取引で新たな売買決済スタイルを提案

 法人化から10年が経ち、当時8名程度だったスタッフは総勢12名になり、売上は約3倍になった。売上が伸びた理由は報酬額を値上げしたからだという。思い切った手段だが、顧客が離れてしまうことはなかったのだろうか。
「不動産も成年後見や相続も報酬を上げさせていただきましたが、ほとんどのお客様は離れることなく、変わらず依頼してくださいます。その期待に応えるために、さらに機動性あるサービスの提供、サービスの質の向上に努めています。例えば最近だと、新型コロナウイルス感染防止策として、不動産取引で新たな取引スタイルの提案を行いました」
 不動産取引の最終段階では、主に金融機関の応接室に売主、買主、金融機関、そして司法書士が一堂に会し売買決済が行われる。そこでの司法書士の仕事は、本人確認と説明、重要事項の確認である。不動産の所有権移転登記に必要な権利書や印鑑証明書などの書類に不備がないか、所有権移転登記ができるかをチェックし、問題なければ融資が実行され、融資金が売買代金として買主から売主に支払われ、不動産取引が成立する。
「売買決済ではいわゆる3密の状態で1時間程度空間を共にすることになります。もちろん全員で確認をしなければならない複雑な事情がある取引や、売主や買主、不動産会社や金融機関といった当事者が一堂に会しての売買決済を希望する場合は対面で行うこともありますが、クラスターの発生リスクが高いこのスタイルを止めませんかと不動産会社や金融機関に提案しています」
 その場合の本人確認や説明などはどのように行っているのだろうか。
「売主と買主には個別に会いに行き、本人確認と説明義務を果たします。そこでの意思の伝達がおろそかにならないように工夫しています。いっそのことZoomなどを使用してオンライン化もできるのではないかと考えましたが、説明義務があるので、お客様の表情の細かな変化などを見逃さないために、あえて対面で行っています。お客様によっては、わからないことをわからないとはっきりおっしゃらない場合も多々ありますので、表情から察して、ここは注意してくださいねとか、ここはこういう意味ですよと説明します。ですので、一律に対面をやめるわけではなく、あくまでみんなで集まるのを控えましょうという提案ですね。事前に売主と買主への本人確認や説明義務が終わっていますので、決済日には融資と支払いが行われるだけになり、時間や手間もスリム化できますから、感染防止以外のメリットも大きいと思います」
 これからは不動産売買の方法も、小保内氏が提案しているようなスタイルに変わっていくのかもしれない。

みんなで一緒に仕事ができる方を

 小保内事務所のスタッフは全員が女性で総勢12名、うち4名が司法書士である。小保内氏はどのような人材の採用を考えているのだろうか。
「うちは小さな事務所ですから、スターになれるような目立った才能や実力よりも、みんなで力を合わせて一緒に仕事ができるかという協調性を重視しています。働きながら資格を取得するのは大変なので、試験に合格してから応募される方が多いようですが、特に入社時点での資格の有無は問いません。
 司法書士試験合格者のうち女性は4人に1人程度しかいませんし、福利厚生が充実している事務所となると、どうしても横浜市内や都内の大きな事務所を選ばれる傾向があるため、採用には苦慮しています。
 私の事務所の場合は、ひとつの業務だけ専門に行うのではなく、すべての業務ができるようにならなければなりません。ですが独立志向の方にとっては、分業制の事務所よりも総合的な力を身につけられるので修業にはもってこいですし、裁判業務も多いので、大都市というよりは地方都市で開業をめざす方にとっても、経験が積めるいい環境が整っていると思います」
 また、小保内氏も含め、産休育休から復帰して仕事を続けているスタッフが多いので、女性のライフイベントに関する理解や協力は得やすいという。
「私は『順番だから』と言います。戻ってきてから一生懸命にやればいいのです。誰にでもそういう時期はあるわけですから、休むときは休んで、協力して補っていけばいい。スタッフみんながこの考えを持っているので、独身の方も含めて今のところ不平不満は出ていません」
 小保内事務所は法人化以来、スタッフは全員女性だという。それ以前は男性スタッフが在籍していたこともあるが、たまたま女性だけになったとき、スタッフから「仕事がしやすいのでこのまま女性だけにしてほしい」という声が上がった。さらに「必ず女性が対応してくれるという安心感があるので依頼しやすい」というお客様の声もあり、結果的にそのまま女性スタッフだけの状態になっているそうだ。
 今後の事務所の展望についてはどのように考えているのだろうか。
「事務所としては、司法書士を数名増やしたいと考えていますが、総人数はそんなに増やさなくてもいいと思っています。業務は今行っている不動産の売買決済と成年後見、相続など、総合型で今後も続けていきたいですね」

司法書士は女性にもおすすめの資格

 司法書士と宅建士の資格を取得している小保内氏だが、AFPの認定も受けている。ファイナンシャル・プランナーの知識は、司法書士の業務である成年後見や相続との相性がよく、相乗効果がねらいやすい資格だ。
「開業して数年目に、親しい不動産会社の方から『ひとりで勉強するのは心細いから一緒に勉強しよう』と誘われたのです。合格したときには今の仕事に役立てるためとは考えていませんでした。
 成年後見や相続に携わるようになると、例えば成年後見を受任する前に、この施設に入った場合でも資金的に問題ないかなどを試算するのですが、その際にはAFPの知識が役立っていますね。被後見人の収支に対してのアドバイスや、様々なサービスの利用可否も調べることができます。被後見人のライフプランニングや社会保障についても対応できますから、かなり重宝しています。
 また、事務所の税務会計は税理士に依頼していますが、毎月の試算表の説明は専門外のため、勉強する前は正直なところわかった振りをしてやり過ごしていました。それがファイナンシャル・プランナーの勉強をしたことで、何を説明しているか理解できるようになりましたね。ですので司法書士として成年後見や相続を扱っていきたいとお考えの方は、ぜひファイナンシャル・プランナーの勉強もされたほうがいいと思います」
 司法書士を軸に、不動産に関わる業務では宅建士が、成年後見や相続ではAFPの知識が役立っていると語る小保内氏は、見事に複数資格を活用しているようだ。
 最後に、資格取得をめざす方、司法書士をめざす方にメッセージをいただいた。
「私が試験に合格して25年が経ちました。合格したとき『司法書士は女性に向いている仕事だよ』と言われて、当時は本当にそうなのかなぁと懐疑的でしたが、実際に仕事をしてみると女性が強みを活かして、生き生きと働ける仕事だと思いました。細かなところへの気配りができるところや、相談のしやすさに関してはお客様から評価いただくことも多いですし、独立開業をめざすのであれば、女性代表の司法書士事務所はそもそも少ないので注目してもらいやすいという営業上のメリットもあります。もちろん、本質的には男女関係なく実力勝負の世界なので、世の中の情勢やニーズを見極め、常に自分をブラッシュアップしていく向上心も大切ですが、男女問わず広く門戸が開かれている業界なのは確かですので、ぜひ、がんばって司法書士になっていただきたいと思います」


[『TACNEWS』日本の司法書士|2021年1月号]

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