日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2020年7月号

Profile

町田 孝治氏

税理士法人 町田パートナーズ
町田公認会計士事務所
公認会計士 税理士

1975年4月、埼玉県所沢市生まれ。早稲田大学理工学部(現:創造理工学部)卒業。1998年、公認会計士2次試験合格、監査法人トーマツ(現:有限責任監査法人トーマツ)入社。2004年、同社を退社。2006年、吉祥寺にて町田公認会計士・税理士事務所開業。その後、同事務所を税理士法人化し税理士法人町田パートナーズに名称変更、町田公認会計士事務所とともに現在に至る。
千葉商科大学会計ファイナンス研究科 客員講師。
著書:『会社のお金を増やす 攻める経理』(フォレスト出版)

ビジョンを共有するチームがいれば、険しい山も必ず登りきれる。

 社員が定着してこそ、目標に向けて山を登りきれる。そう考えるのは公認会計士・税理士の町田孝治氏、45歳だ。31歳で独立開業し、創業10年目に社員数57名の大所帯となったが、そこから一気に大量離職。苦境を乗りきった先に見えたのはどのような景色だったのか。また、理工学部卒業の理系公認会計士として、ITスキルを武器にどのように業務に取り組んできたのかをうかがった。

おもしろくてのめり込んだ会計士受験

 公認会計士・税理士の町田孝治氏は埼玉県所沢市生まれ。父は税理士で、町田氏が生まれる少し前、西所沢の自宅兼事務所で開業していた。4歳年上の兄は父のあとを継ぐべく公認会計士(以下、会計士)資格を取得。「それなら自分は違う道でいい」と、町田氏は早稲田大学理工学部(現:創造理工学部)に進学。研究よりも経営に興味があったので、業務効率化、プログラミング、統計学など、経営を理学的に分析する経営システム工学を学んだ。

 大学の授業は忙しく、3年生までは他のことに目を向ける余裕もなかった。3年生の後半になり少し余裕ができたとき、町田氏は「家族みんながやっている会計を、自分もやってみようかな」と思い始めた。まずは簿記3級を学ぼうと兄に相談すると、「簿記はお絵書きだ」と教えてくれた。現実のビジネスが兄が書く絵に置き代わっていく。それがとてもおもしろくて、町田氏はのめり込んでいった。TACの会計士講座で学んだ兄は、簿記3級の学習には簿記2級のテキストを、簿記2級の学習には会計士講座の簿記テキストを使うようにすすめた。常に上のカテゴリーの教材を使用することが会計士への入口となり、そのまま会計士試験の勉強へと進んでいった。

 4年生になると、就職か、大学院進学か、卒業して勉強に専念するかの選択を迫られた。
「おもしろくて始めた会計士試験への挑戦でしたが『ここまでやったからには受かるまではやめられない』と思い受験に専念することを選択しました」

 受験一本に絞った町田氏は、ひたすらTAC水道橋校に通い、朝6時半からの答案練習コースに出席し、夜は23時まで勉強した。その結果、大学を卒業して半年後に受験した会計士二次試験で見事合格を果たしたのである。

社長の全力応援団でありたい

 当時の会計士業界は売り手市場で、希望する監査法人に入りやすい環境だった。町田氏は「会計士はまず監査を学ばないといけない。できるだけ大手で経験を積みたい」と希望。就職先に選んだのは、一人ひとりの会計士がプロフェッショナルとして磨きをかけていると感じた監査法人トーマツ(現:有限責任監査法人トーマツ)だった。

 町田氏は金融機関グループの配属となり、メガバンクとそのグループ会社の法定監査に従事した。監査とは、上場企業の決算書が正しく作られているかどうかをチェックし、正しいと保証する仕事である。ときには決算書にミスが見つかることもある。その場合は企業を訪問し、間違いを指摘するのも仕事のひとつだ。指摘内容によっては、企業内での責任問題に発展することもある。

 入社当初は意欲満々だった町田氏だが、監査という仕事を続けていくうちに、徐々に違和感を覚えるようになった。ちょうどその頃、会計業界では2001年、2002年と相次いでアメリカで起きた巨額の不正経理・不正取引による粉飾決算事件の影響から、監査の透明性と独立性が厳しく問われるようになっていった。日本国内でも顧問先と食事をともにすることや飲みに行くことなどは厳禁となった。

「会計監査は重要でとても価値ある仕事ですが、自分には合わない。私は社会にもっとわかりやすいかたちで役に立ちたい。目の前にいるお客様を喜ばせる仕事をしたい」と町田氏は思うようになったのだ。

 6年間しっかりと監査を経験したあと、2004年に監査法人トーマツを退所。このタイミングはちょうど結婚に重なったため、思い切って新婚旅行を兼ね半年間、海外放浪の旅に出ることにした。

「妻の両親からはものすごく怒られました。大手監査法人に勤める会計士というので喜んで結婚を許したのに、無職になって、しかも半年間も世界放浪の旅とはどういうことだと(笑)」

 新婚旅行から帰国した町田氏は、2年間兄の事務所で税務を学び、2006年9月、JR吉祥寺駅近くに「町田公認会計士・税理士事務所」(現:税理士法人町田パートナーズ)を開業した。

 掲げたビジョンは「社長の全力応援団でありたい」。それは今日まで続いている。

集客サイトで顧問先を増やす

 吉祥寺のオフィスはワンルームマンションに机ひとつ。ゼロからのスタートなので自分の知り合いから営業を始めた。開業した年の顧客は数件だったが、2年目に顧客紹介会社に登録すると、徐々に顧問先は増えていった。

 開業当初は生活を支えるため、事務所の仕事とは別に、企業側の決算書作成支援という、会計士としての仕事もしていた。当時はこの会計士業務がメインで、税務は徐々に顧問先を増やしていくスタイルだった。

 そんな仕事がほとんどない時期から、町田氏は事務所にアルバイトを採用している。このアルバイトには、まず兄の事務所に数ヵ月間通って税務研修を受けることで、仕事を覚えてもらった。その後は経験者も採用し4名まで増やし、オフィスが手狭になってくると「もっと都心にいこう」と、JR田町駅近くに事務所を移転。開業3年目、2009年のことだった。

 町田パートナーズにはいくつかの集客の波がある。1つ目が前述の顧客紹介会社による波。そして2つ目は、Webの集客サイトによる波だった。

 2010年、町田氏が集客サイトとして立ち上げた「会社設立サイト」はかなりの集客を可能にした。司法書士と連携した会社設立サービスで、当時会社設立を司法書士に依頼すると約30万円かかると言われていたものを、10万円で受注したのである。会社設立に関わる商業登記を提携している司法書士に依頼し、その後の税務顧問の契約が取れれば十分回収できるというしかけだ。このサイトは大きく当たって、1年間で50〜60件の顧問先増となった。ただしヒットには常に追従者が現れる。次第にライバルサイトが現れ、会社設立サイトは集客力を失っていった。

 次に立ち上げたのは2013年に始めた「経理代行サイト」だ。
「経理部の業務をすべて引き受けるというサービスです。一般企業の経理部で人がやめてしまうと、新しい人を入れてゼロから育てる必要があります。経理部にとって人がやめることは大きなロスになります。そもそも経理にひとりしかいない中小企業も多いので、その人がやめてしまうと新しい人が入ってきても教える人がいないというケースも出てきます。それならいっそのこと、経理部の業務すべてを外部に丸投げしたいというニーズがものすごく多かったんです」

 それまでも経理部の一部を受託し、例えば1仕訳100円として「今月は324仕訳なので32,400円の請求になります」といった作業ベースの業務を行っていた。それが経理部の業務全体になり、報酬も人工ベースに変わり、一気に月額何十万円かの事業ベースのビジネスモデルに変わったのである。町田氏にしてみれば安定的な顧客の確保と売上アップになり、顧客にとっては経理の人員が不要になり、しかも会計事務所が持つ高いスキルで経理業務を安定的に行ってもらえるメリットがあった。こうして経理代行は事務所の収益の新しい柱のひとつとなったのである。

しくみ化、システム化で業務を効率化

 現在の町田パートナーズの業務比率は税務顧問6割、経理代行2割、残り2割が会計士業務と大型の年末調整が占めている。

 大型の年末調整とは、グループ3社・計3万5,000名分の年末調整だ。最初にこの依頼があったとき、社内の誰もが「絶対に無理」「失敗したら大クレームになり、収拾がつかなくなる」と猛反対だった。というのも、その頃に受けていた年末調整は総数で2,000名分。それだけでも手いっぱいの状態だったのに、3万5,000名分もの年末調整など無謀にもほどがあると誰もが考えたのだ。

 それでも町田氏は、挑戦したいとわくわくするような衝動に駆られた。経営者として、そして個人的にも効率を重視する町田氏は、「とにかく速く自動で簡単にすること」で面倒な作業にエネルギーを割かないように工夫をしてきた。「どうにかしてこの年末調整プロジェクトを成功させられないか」と考えたとき、これまで効率的に数字を作るために習慣としてやってきたあることが頭に浮かんだ。理系出身の町田氏はソフトウェアのプログラミングを独学で学んでいた。マイクロソフトのアクセスをベースにしたプログラミング言語を使い、監査法人時代から業務フローのしくみ化を習慣的に行っていたのである。

「この3万5,000名分の年末調整の管理にデータベースを活用し、情報を一元管理しよう」
 プロジェクトは業務フローの構築からスタートした。まず社内に派遣社員による年末調整チームを組織。7〜8月頃から準備作業を始め、10月中旬にこの3万5,000名に対し「年末調整のお願い」の書類を送る。一般的な年末調整では、添付書類は従業員1人あたり2〜3枚ずつだが、この顧客企業独自のルールにのっとり、1人あたり10枚の確認書類を送付。10枚ずつ3万5,000名分、つまり35万枚の書類が送られるわけだ。

 町田氏はそれらにすべてバーコードを印字し、データベースで情報管理をした。35万枚の書類1枚1枚が今どういう状態なのかを可視化し、チーム全員が把握できるようにしたのである。このため、社内に設置したコールセンターで誰がこの3万5,000名のお客様からの電話を受けても、瞬時に状況を把握し適切に説明対応ができるようになったのである。

 11月前半に書類が返送されてくると、今度はその書類のチェックだ。チェックして不備不足があれば電話でお客様に修正を依頼。その電話対応もすべて派遣社員のチームが対応する。こうしてすべての書類が完成したらエクセルデータで顧客に納品して終了となる。3万5,000名分の年末調整は無事完了し、顧客からも大変喜ばれた。町田氏にとって、自分の作ったツールで業務が効率化するのは快感だった。

「このプロジェクトをゼロから立ち上げて成功させたことは、私の社会人人生の中ですごく楽しい経験になりました。最初のしくみ作りから取り組んだところがすごく楽しかった。しかも軌道に乗って売上の1割を占めるまでになったんです。システムの力で業務効率化を図れば、人力では不可能な領域まで一気に業務の幅を広げられます」

 絶対に不可能と言われた大型年末調整は、2016年12月からかれこれ4年間続いている。理系出身だからこそ、システム構築ができるからこその成功。町田氏はこのとき、ITはこれからの会計人に求められる大きな素養だと確信した。

 さて、ひな形がひとつできれば、その転用ができる。町田氏は次の業務効率化スキームに取り組むことにした。

「年末調整、確定申告、3月期決算と会計事務所には3つの大きな山があります。多くの会計事務所はその山を、気合いと根性と残業で乗り切っています。うちも同じでした。なぜなら経営的に考えて、マンパワーのリソースを山の頂上には据えられない。それをやると平常時に人が余ってしまうからです。つまりマンパワーは平常時に合わせて、何とか山を乗り越える方法を考える必要があるのです」

 そこで町田氏は山になる時期に派遣社員による特別チームを組織したのである。3万5,000人分の年末調整がまさにそれで、顧問先の税務担当者とは別に、年末調整チームが年末調整だけを担当する。年末調整は業績・業種に関係がなく、しかもほぼ作業が同じなので他企業にも転用が可能だったのだ。

「さらに、派遣社員を雇う際のポイントがあります。『年末調整ができます』という派遣社員を30名集めるのは不可能なので、未経験者を採用します。ただ、その人たちに1から10まですべてを教えても、きっと覚えられないし抜けが出てしまう。そこで、担当してもらう領域を狭め、『あなたは保険料控除申告書だけを見てください』と保険料控除の説明や限度額だけを教える。こうして午前中だけで100件の保険料控除をやれば、その人は一気に保険料控除のプロになる。1日やったら日本で一番保険控除を見ているかもしれない。同じく扶養控除、住宅控除と狭めていくと専門性が高くなる。単調ですが、それをずっとやってもらうことで、クオリティを高め、効率化を可能にしたわけです」

大量離職の暗黒時代

 このように順風満帆にみえる町田氏だが、実は大きな挫折を経験している。
 JR田町駅近くに移転し集客サイトを立ち上げた2010年、「10年後の2020年までに社員を100名にする」と宣言。集客サイトが順調に推移する中、顧客増、業務増に伴い1年間に10〜20名近くの採用を続けた結果、2015年には社員が57名になった。

 町田氏はさらに野心を燃やした。「2020年に年間売上100億円をめざそう」という目標を掲げたのだ。それは無謀ともいえる目標だった。それでも、これまでの人生において、高校受験や会計士受験など「それは無理だ」と言われたこともすべて目標達成してきた町田氏は、今回も口に出せば実現すると信じていた。

 とはいえ売上100億円は、町田氏ひとりで実現できるものではない。事務所の全員がともに力を合わせなければ実現不可能な目標。そのことに町田氏が気づくのはもっと後のことになる。

 2016年に入ると雲行きが怪しくなってきた。それまでやめる社員はほとんどいなかったのが、少しずつやめる人が出てきて、気がつくと毎月退職者が出るように。そこからの2年間で20人以上の社員がやめていった。

「田町に移転してから5〜6年で一気に57名になりました。そこで統制が取れなくなったんです」と町田氏は振り返る。
 やめた人の残務処理は、とにかく残った人員でこなすしかない。町田氏も自分自身で手を動かした。すると、忙しそうに残業までしていた人の仕事が、フタを開けてみるとそれほど多くの分量ではなかったことが判明するケースもあったという。 「いろいろと反省点はあります。例えば給与計算の仕事が増えてきたから給与計算ができる人を採用する、といったように、パズルのピースを埋めるように人を増やしました。スキルがあってもやる気のない人はいます。急激に人を増やす前は、紹介などで入ってきた真面目にコツコツ働く人しかいませんでした。それが50名になったら、その中には働かない人、できればさぼりたい人、文句ばかりの人もいたのです」

 町田氏は自身があまり強く言う性格ではないため、社内に放置する文化が生まれ、自由気ままに振る舞う社員が増え、社内が荒れてしまったと悔いている。

「かなり堪えました。そこで気がついたんです、いい面だけ見て放置してしまうのはダメだと。いけないことはいけない、最低限これは守ってと言える厳しさが必要だと。それができなかったので、一生懸命真面目にやっている人がやめてしまった。そこから本気で改革に取り組みました」

 まず行ったことは、自身の直轄チームを作り、そこで退職する社員の仕事を一手に引き受けることだ。
「そのチームでは、自分なりの理想の姿を実現しようと考えました。経理の最適化モデルとしての標準サービスを作るべく、経営分析ツールの活用、自動取込ツール活用による効率化、アシスタントの業務拡大などに取り組みました。その取り組みは、チームとしてはうまくいきました。しかし、取り組みに没頭するあまり事務所全体を見る視点が欠けてしまい、結果として事務所全体を立て直すことにはつながらなかったのです」

ビジョンに基づいた事務所づくり

 町田氏の事務所の立て直しへの取り組み、社員の大量離職から抜け出すことができた背景のひとつに、知人に誘われて2015年6月から経営者・経営幹部向け研修を行うワールドユーアカデミー(以下、ワールドユー)で「ビジョンを実現する経営」を学んできたことが挙げられる。

「最初の1年間はコミュニケーションのスキルを学びました。ところが、学んだことを自分の事務所で活かすイメージができていませんでした。ワールドユーのトレーナーに『その考え方は間違っている』と指摘されたこともありましたが、自分は大丈夫、自分の事務所は違うと勝手に思い込んでいました」

 その頃すでに、肥大化した組織の収益性が悪化し、社員の退職も始まっていた。しかし、町田氏はまだ完全に気づいてはいなかった。自分のやり方でなんとかなると突き進んだ結果、大量の離職が起こり、自分の事務所のことが何も見えていなかったことに気づくのである。

「立て直しのために直轄チームを作るなどいろいろなことにチャレンジをしました。ただ、部分的にはよくなりつつあるという感触もありましたが、なかなかうまく回っていかなくて、事務所全体としては立ち直ってはいきません。そんなとき、ワールドユーのカナダ登山研修がありました。直感で『参加したほうがいい』と思いましたね。事務所を2週間も空けられる状態ではなかったんですがあえて目をつぶって、カナダへの飛行機に飛び乗りました」

 この研修で町田氏は多くのものを得た。中でもグランディング、大地の上にしっかりと立つことを学んだのが大きいという。 「それまでの私は、自分はこうしたいと思っていても、我慢することでうまく回っていくのではないか、そう考えていたんです。その結果、社員の意見に振り回され、みんなの納得がいく答えも出せずに身動きが取れなくなっていました。

 カナダでの経験で『自分らしい会社づくりをしてもいい』という感覚を得ることができました。自分が思う理想の会社を作っていけばいいことに気づいたんです」

 そこから町田氏は、自身のビジョンに基づいた事務所づくりのために動き始めた。社員とも積極的に誠実に話し合いを重ねていくうちに、少しずつ事務所が変わり始め、2018年からは退職する人も少なくなった。

 ビジョンを大切に。今はそれを経営の中心に据えているという町田氏。顧問先が増え、仕事が増え、人が増える。仕事は多いほうがいいし、人も多いほうがいい。お金だってたくさんもらえるほうがいい。

「でも、誰とやるかが一番大事。近くに本当に信頼できる人がいて、お互い信頼し合って、困ったときには『こうやって乗りきりましょう』と言ってくれる。それが何よりも大事だと、紆余曲折を経て思い知らされました。総勢50名より、コアな仲間が何名かいてガッチリ組んでいる濃い集団であることが必要なんです。ビジョンを共有できる仲間なら、スキルなんかいくらでもあとからついてきます」

 現在の町田パートナーズは、正社員・派遣社員・アルバイトを含めて総勢25名の陣容だ。そのうちの正社員10名は苦難をともに乗り越えてきた本当の同志だと、町田氏は胸を張る。

 町田氏が取り組んでいることのひとつに、ワールドユーの研修を受けた社長や経営幹部が集う「ヒーローズクラブ」がある。「日本を元気にしよう」、「仕事と人生両方を同時に繁栄させよう」という趣旨で活動し、講演会の他、和太鼓演舞、カナディアンロッキー山脈登山研修といった幅広い活動を通してコミュニケーション力を高め、人間力を向上させている。集団離職と事務所の立て直しを経て、ヒーローズクラブの仲間がいるありがたさを町田氏は思い知ったという。また、町田氏の失敗の経験は、ワールドユーの代表者が2020年夏頃に刊行予定の書籍『僕は社長をやめたくなった』にも詳しく書かれるという。

命を輝かせあう世界を作る

 2019年末、町田氏は中小企業経営者にとって会計事務所の役割がどれだけ重要かを伝える『攻める経理』(フォレスト出版)を出版した。社長をいかに応援するか。今までのような税金計算だけでなく幅広いサポートで役に立つことをめざしていけば、会計事務所の価値は高まると説いている。町田氏が開業当初からずっと提唱してきた「社長の夢の応援団」になるためには、会計専門家としてビジネスのプラットフォームのひとつである経理を進化させることが大切だという。

「経理に携わる専門家としてプラットフォームをどんどん進化させなければなりません。最も効率的に数字を作り、最も効果的に使う。この経理の最適化が会計・経理の果たす役割です。私たち会計人のミッションは、それをどこまでも追求していくことだと考えています」

 現在、クラウド会計でAPI連携(ソフトウェア機能共有)、AIで仕訳認証、RPA(Robotic Process Automation)で自動化が可能になり、飛躍的に自動化テクノロジーが進み、5年前に比べて格段に業務効率化を図れるようになった。効率的に数字を作ることは、以前と比べ容易になっているのである。

「自動化テクノロジーを駆使して効率化したら、最も効果的に数字を使う方向にシフトできます。これまでの会計事務所は数字を作って終わりでした。でも数字は誰が作っても同じ。そうした意味では、数字を作ることに重きを置いている会計事務所の価値は次第に下がっていくでしょう」

 町田氏が挙げたのは、エストニアと韓国の例だ。エストニアは人口わずか133万人ほどの小国。旧ソ連のITとバイオの研究拠点があったことから、独立後もこの2つを国の柱としている最先端の電子立国だ。現在は行政手続きの99%をインターネット上で行える。さらに国民一人ひとりに日本のマイナンバーに相当するIDが割り振られ、そのIDでほぼすべての個人情報を集中管理。住民登録、運転免許証、健康保険証、銀行口座、納税履歴とあらゆることがIDに紐付けられている。つまりエストニアではIDによる完全自動化により、会計事務所の存在価値がなくなっているのである。驚くべきことに、確定申告はわずか3クリックで完了するという。

「また韓国では2011年から法人事業者の電子決算計算書の発行が義務づけられており、韓国国税庁のデータベースに法人事業者がオンラインですべて登録されています。さらに会計ソフトを使えば誰でも電子決算計算書を作成できるため、会計事務所の専門性はなくなったと言われています」

 会計事務所のステイタスが下がっているエストニアと韓国。この2国は、日本の少し先の未来かもしれないと町田氏は警鐘を鳴らす。

「日本の税理士も、単なる計算屋さんだと自動計算に取って代わられます。日本の税理士はあれこれと社長を応援して突破口を開いてくれる、なくてはならない存在であるというように、今後5年ぐらいでブランドをつけ替えなければなりません。今、その岐路に立たされています」

 町田氏は実際にエストニアに飛び視察を行った。そこで見て痛感したのは「最も効果的に数字を使う」ことが会計事務所の本分だという真実だった。そこで見えてくるのが会計プラスITのスキルだ。

「会計のプロとして、会計を詳しく知っているだけではもはや生き残れない。けれどもそこにITの技術が加わると一気に価値は高まる。会計ができる税理士にITの知識をプラスすれば、事務所の発展につながり、個人としても大きく羽ばたける。その上で、数字を使うことで経営者に寄り添ったアドバイスにシフトしていくのです。
 現在会計士、税理士の勉強をしている方たちも、機会があればITにふれ、学ぶことをおすすめします」

 経営者に寄り添ったアドバイスをするために、町田パートナーズでは部門の再編を行い、税務サービス部、経理代行サービス部、総務部の3つの事業部を統合し、「お役立ち事業部」を創設した。お客様のためにお役立ちできることをしていこうという趣旨のもと、数字を作るお役立ち、お客様のRPA支援、人に関する課題支援などを進めている。  経理が自動化、AI化、RPA化した先にある会計事務所を思い描き、町田氏が今考えるのは「命を輝かせあう世界を作る」ことだという。

「ひたすら毎日同じ作業をコツコツくりかえす灰色の日々を過ごし、定時になったら退社する。そんな会計事務所のイメージがまだまだあります。せっかく22歳、23歳まで社会に出る準備を整えて、社会に飛び出してこれから活躍するというときなのに、そこから灰色の20年、30年過ごすのはもったいない。だったら真っ赤に燃える社会人人生を送ろうよ、どうせなら仕事の中でも真っ赤に燃えようよと伝えたいんです。もちろん、会計士、税理士をめざす人たちに」

 2020年4月、町田パートナーズは初めて新卒の社員2名を採用した。ビジョンについて新入社員に語った町田氏は「まるで親の気持ちですね」と笑顔を見せた。ビジョンを共有するチームづくり、組織づくりに、町田氏は今日も取り組んでいる。


[TACNEWS|日本の会計人|2020年7月号]

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