日本のプロフェッショナル 日本の司法書士|2019年11月号

Profile

國松 偉公子氏

司法書士・行政書士 国松偉公子事務所
オールフォーワン土地家屋調査士事務所
司法書士 行政書士 土地家屋調査士

國松 偉公子(くにまつ いくこ)
1966年、兵庫県神戸市生まれ。1990年、大阪大学卒業。卒業後、民間企業に勤務し1年半で退社。1994年、司法書士試験合格。1995年、大手司法書士事務所に勤務。2000年、東京都国分寺市内にて司法書士事務所開業。同年、成年後見人名簿・後見監査人名簿登載。2003年、簡裁訴訟代理等能力認定考査に合格し、認定司法書士となる。2016年、行政書士試験合格、行政書士国松偉公子事務所開業。同年、民事信託士検定および、測量士補試験合格。2019年、土地家屋調査士試験合格、オールフォーワン土地家屋調査士事務所開業。

趣味も楽しんで人間としての幅を広げていきたい。
人間としてどうお客様に向き合えるかが大切です。

 東京都国分寺市で地域に根ざしたサービスを展開している、司法書士・行政書士国松偉公子事務所。地域密着にこだわったのは「かゆいところに手が届くサービス」をしたかったから。開業以来、司法書士の本来業務である不動産登記や商業登記、会社設立だけではなく、相続・遺言、成年後見、民事信託、家賃・賃料の回収、土地の境界問題など幅広く対応できる総合型士業グループをめざしてきた。司法書士だけでは士業の境界領域をカバーできないと、行政書士と土地家屋調査士資格まで取得した國松氏に、司法書士をめざした経緯から、独立開業と事務所成長の軌跡、複数の資格取得の背景にはどのような思いがあったのかをうかがった。

女性ひとりでやるなら「司法書士しかない!」

 神戸で生まれ育った國松偉公子氏は、教育関係や社会学、心理学に興味があったので大阪大学に進学し人間科学部で学んだ。大学卒業後、東京の民間企業に就職したが、わずか1年半で挫折。「これからどうやって食べていこう。女性だったら資格を取るしかないかな」と考えて、分厚い国家資格に関する本を買ってみた。最初からめくっていくと、1番目に司法試験、2番目に公認会計士、そして3番目に出ていたのが司法書士だった。
「それまで司法書士という資格をまったく知らなかったのですが、バブル経済が絶好調の時期で『高収入を得られて金融機関とコネクションができれば安定的な収入が見込める』と、よいことばかり書かれていたんです。そこであまり深く考えずに、司法書士に飛びつきました。よく『おじいちゃんの相続でお世話になったのがきっかけで、人の役に立てる司法書士をめざしました』と言う方もいますが、私にはそんな高邁な理由などはなくて、女性がひとりでやっていけて独立開業もできるという、本当に食べていくためだけの理由で司法書士を選んだのです」
 それまでとはまったく畑違いの世界を志した國松氏だが、一度決めたら迷わない性格でもある。今でも司法書士の中で女性は2割程度と業界的にも少ないが、國松氏がめざした当時は、女性司法書士がほとんど見当たらないほど少ない時代だ。それでも数ある資格の中で、女性ひとりでやっていくなら「司法書士しかない!」と心に決めて、突き進むことにした。
 國松氏は、まず受験指導校の通信教育を受けることにした。当時の通信教育は今のように講義の映像などはなく、教材がまとまって届き、ひたすら基本書を読んで問題を解くというスタイルだった。
 「仕事を1年半で辞めてしまったので貯金もそれほどなくて、使わずに貯めていたボーナスで食べていくような生活でした。就職するときに親の反対を押し切って東京に出てきたこともあって、親に頼ることもできない状況だったんです。そんなとき前職で知り合った夫と結婚することになり、それからは主婦業をしながら、司法書士の勉強ができるようになりました」
 1年目はほぼ家にこもって家事をこなしながら受験勉強を続け、2年目は週に4日ほどパート勤務をして気分転換を図りつつ勉強を進めた。結婚によって経済的にも安定した環境の中で、1994年、國松氏は2回目のチャレンジで司法書士試験合格を手にすることができた。

地縁のない国分寺市でゼロからのスタート

 合格した翌1995年、國松氏はさいたま市浦和区(当時は埼玉県浦和市)にある大手司法書士事務所に勤務することになった。そこでは補助者として不動産登記をメインに実務経験を積むことになる。浦和では名の通った事務所で、金融機関からの依頼による不動産登記、不動産売買立ち合い、抵当権設定、担保の設定借り換えなどが多かった。試験合格者ということで、國松氏は会社設立など商業登記の依頼では事務所内でもかなり頼りにされる存在となっていった。
 ただ、補助者から登録を済ませた司法書士になると、当時は独立開業するか、合同事務所に参加するしか選択肢がなかった。現在のように、登録者が司法書士事務所に勤務するという選択肢はあまりない時代だったのだ。「当時は、勤めても1年で辞めて自分で開業するような人もいました。もちろん私も登録した暁には独立開業しか頭にありませんでした。何年か修業のために勤めて、実務を覚えたら開業しようと思っていました」と、独立の経緯を話す。
 國松氏が修業のために設定した期間は5年。まさに「時が来た」タイミングの2000年4月、東京都国分寺市内で司法書士事務所の看板を出した。
 國松氏が国分寺市に事務所を持った理由はどのようなものだったのか。実は国分寺はまったく地縁のないところだった。
「当時、東京都日野市に住んでいたのですが、通勤地獄が嫌だったので、わざわざ開業するのに都心まで通うのは避けたいと考えました。そこで、多摩地区で交通の便がよいところを探したのです。以前は、司法書士なら法務局の近くに事務所を構えるのが通例でしたが、私は交通の利便性を重視して、アクセスのよい国分寺駅前に決めました」
 ただし、地縁も何もない場所ということは、顧客ゼロからのスタート。開業は苦労の連続でもあった。ただでさえほとんどいない若い女性司法書士である。金融機関を回っても、門前払いをされたことが何度もあった。そんな中でも話を聞いてくれる金融機関があって、そこから登記簿謄本の取得などの細かい仕事を回してもらえた。頼まれた仕事をコツコツと続けていると信頼されて徐々に仕事を増やしてもらえた。そして努力の末、コンスタントに仕事の依頼がくるようになった。さらに、同じビルの階下の会計事務所と提携して、徐々に顧客の輪を広げることもできたのである。
「本当に一生懸命でした。顧客獲得のために案内状を送ったり、挨拶に行ったり、最初の頃は『くにまつ通信』というのを作って届けたりしていました。内容は業務に関するもので、その時期折々の手続きや法改正などについて書いていました。今で言うブログですね。当時はインターネットが出始めた頃で、『これからの時代はインターネットを利用して登記をする時代になります』と、コンピュータ化による登記について発信したりしていました」
 そんな工夫を重ねても、開業初年度はやはり赤字だった。しかし、開業当初に挨拶回りで立ち寄った土地家屋調査士事務所から「今提携している司法書士の先生とソリが合わなくて、ちょうど司法書士を探していたんです。大手ハウスメーカーの仕事をしているので、ぜひそこの登記をお願いします」と頼まれ、その提携によって、不動産登記の仕事が安定的に入ってくるようになったのである。いろいろなラッキーが重なり、その幸運を一つひとつ、誠意を持って対応していくことで國松氏の事務所は少しずつ軌道に乗っていった。
 そしてもうひとつ、國松氏の大きな柱となっているのが成年後見だ。國松氏が開業した2000年、高齢者や障がい者の財産管理を行う成年後見制度が施行され、司法書士による公益社団法人成年後見センター・リーガルサポートが発足した。ちょうど開業のタイミングだったので、「これも何かの縁、成年後見業務はどんどん受けていこう」と思い、積極的に研修に参加して成年後見人名簿・後見監督人名簿に登載されたのである。今でも成年後見は國松氏のライフワーク的サービスとなっている。
 このようになんとか開業の苦難を乗り越え、「不動産登記と成年後見」という2つの柱で、開業2年目にはある程度事務所の方向性は固まってきた。2003年7月には簡裁訴訟代理等能力認定考査にも合格し、認定司法書士となったのである。
 國松氏は業務的には不動産登記をメインに、商業登記、成年後見・相続業務などを総合的に受けられる事務所をめざし、開業の1ヵ月後にはスタッフを1名採用している。そこから毎年1名ずつ増えて、途中増減はあったものの、現在の状況に至っている。開業してすぐにスタッフを採用した理由について、國松氏は次のように話す。
 「人がいないと自分が外に出られないので、行動範囲を広げるためには、まずスタッフの採用が必須でした。それに自分ひとりでやっていると間違えることがあるので、仕事の正確さを担保する意味でもチェック機能としても、スタッフは必要だと考えていたんです」
 毎年1名ずつスタッフを採用し、10名体制くらいになった10年目。「有資格者を入れよう」と考えるようになった。その際、「どのようなスタイルで働いてもらおうか」と悩むことになる。
 「それまでは補助者を採用していたのですが、規模を少し大きくしていこうと考えたとき、有資格者を入れて、補助者も増やす方向に舵を切ることに決めました。悩んだのは、すでにスタッフ10名が勤務している中にキャリアの短い有資格者が入ってきた場合、立ち位置はどうなるのか、どのようなスタンスで働いてもらったらいいのか、給料はいくらに設定すればいいのかといったこと。わからないことだらけで、いろいろな人に相談しました」
 確かに10年目の事務所となればキャリアの長いスタッフもいる。その中にぽっと入ってきた未経験の有資格者がいたらバランスを取るのは難しいだろう。
 「でも、とにかく有資格者に入ってもらって、有資格者にしかできない部分をやってもらわなければなりませんでした。私ひとりではさばける業務量が限られているので、それが事務所の限界になってしまう。そう思って、何よりも有資格者の採用を優先したんです」
 節目の10年目に悩み、有資格者の採用を行ってきた結果、現在は総勢20名中、司法書士有資格者が5名となった。司法書士事務所としては、比較的規模が大きい事務所に成長することができたのである。
 業務内容としては、現在、不動産登記と商業登記、相続と成年後見業務、民事信託関係がメインとなっている。

オールフォーワングループの3つの特徴

 「司法書士は不動産登記のスペシャリストと言われていますが、その不動産が『誰のものか』を登記する『権利登記』しかできません。その不動産が『どんなものであるか』を登記する『表示登記』に関しては、土地家屋調査士しかできないのです。ですから新築住宅を購入した場合などは司法書士だけでなく、土地家屋調査士がいなければ不動産登記は完結しないんです。そこで4年前に土地家屋調査士とタッグを組んで、同じグループ内でサービスを提供することにしました。そうすることでお客様の安心感につながり、利便性を高められるなら、それが一番いいと考えました。そのときからグループ名を『オールフォーワングループ』と名付けました」
 こうして、不動産登記に関しては、すべてワンストップでサービス提供ができるしくみを作った。これが、國松氏のオールフォーワングループの第一の特徴である。現在では國松氏自身が土地家屋調査士資格を取得し、自らも不動産登記の「権利登記」と「表示登記」のワンストップを実現している。
 第二の特徴は、開業当初から非常に多かった相続や遺言である。特に不動産登記業務の中でも多いのが、相続絡みの案件だ。開業以来、信託銀行の遺言信託のサポートをしていることがその背景にはある。
 第三の特徴は、成年後見と民事信託。成年後見は開業年からずっと携わってきた業務で、成年後見人名簿に記載されている國松氏のもとへ、家庭裁判所から公益社団法人成年後見センター・リーガルサポートを通して法定後見人の依頼が来て受託する。その他、金融機関や会計事務所からの紹介案件もある。これは認知症の高齢者が増えるのに伴い自動的に増えていく業務だと國松氏は見ている。また、成年後見で補いきれない部分に関しては民事信託で対応する。最近ではこの業務がかなり増えてきているため、民事信託に関しては今後積極的に増やしていきたいと國松氏は話す。事務所内では個人の成年後見を専門に受ける成年後見チームを作り、成年後見にまつわる出納関係や家庭裁判所への報告などはチームが受け皿となることでサービス強化にあたっている。

行政書士と土地家屋調査士資格を取得

 事務所内には、金融機関や会計事務所、不動産会社を中心に担当するチームが2つと、成年後見のような個人の案件を専門的に受けるチームの3つが動いているという。その中で、成年後見に関しては専門チームを組成し、今後さらに増える業務としてスタッフに任せられる体制にしていきたいと國松氏は言う。そこで考えているのは、法人として対応できるしくみ、つまり法人化だ。
 「法人化はしていきたい。そう考えて、これまで何度もトライしているのですが、なかなか難しくてまだ実現できていません。今後、司法書士と土地家屋調査士に関しては、『一人法人』の設立が可能になるので、まずはそのタイミングで法人に切り替えようと今は考えています」
 また國松氏自身、2015年に行政書士試験に挑戦し合格している。相続案件が多い中、行政書士資格を取得したことで司法書士と行政書士の境目の業務がスムーズにできるようになったという。「司法書士と行政書士の境界領域の問題に関しては、自分で行政書士資格を取るしか解決できないと思っていました。司法書士の実務もあったので、早朝に事務所に出勤したり、早めに退社したりして、毎日数時間の勉強時間を確保して、4ヵ月で取得しました」
 取得後、境界領域の問題は解決をみたという。補足すれば、行政書士に合格した年、測量士補試験にも合格し、不動産関連の案件をさらに深堀する方向性ができた。
 國松氏が次に取得した資格は、土地家屋調査士だ。これは行政書士資格を取得したあと、すぐに勉強を始めた。「土地家屋調査士は司法書士と同じく、合格までに2年半かかりました。ただし、司法書士受験の2年半とはまったく大変さが異なりました。土地家屋調査士受験はフル稼働で働きながらだったので、時間の確保が大変で、まったく勉強しない日も相当ありました。土地家屋調査士試験では、計算問題や図面作成などかなり専門的な問題が出るので苦労しました。また表示登記に関する部分はあまり知識がなかったので相当勉強しました。ただ、司法書士として不動産登記法は基礎知識があったので、かなりのアドバンテージになりました。さらに、権利に絡む部分や民法、相続に関する知識の部分では、それまでの実務で得た知識を活かすことができました。」
 司法書士、行政書士、土地家屋調査士。3資格をすべて自分自身で取得することで、オールフォーワングループのサービスは大きく深く広がることになったことは間違いない。

地域のコミュニティを作っていきたい

 「一人はみんなのために、みんなは一人のために」。「OneForAll,AllForOne」という英文は、しばしばこのように解釈される。それについて國松氏は、「前半部分については異論ありません。ただ、後半部分に関しては、実は『みんなは勝利のために』という解釈もあるのです。この解釈が私の心に刺さったので、グループ名は『オールフォーワングループ』にしたという経緯があります」と、國松氏はグループ名の由来を話す。
 「一人のお客さま(One)の課題解決のためにみんな(All)で力をつくし、一人の職員(One)のためにみんな(All)で助け合い、グループの目標達成=勝利(One)のためにみんな(All)で難関を突破していく(Breakthrough)組織」というのが、オールフォーワングループの定義だ。この定義に基づいて、お客様の幅広いニーズに応えられるように、司法書士・行政書士国松偉公子事務所、オールフォーワン土地家屋調査士事務所がグループ内で連携し、業務を総合的に推進していく。
 今後の法人化を見越せば、支店展開の中で自然に組織の人数規模も大きくなっていくと考えられる。ただし、國松氏が考えているのは大阪・名古屋・福岡と全国展開していくのではなく、国分寺市周辺、多摩地域で固めていくドミナント戦略だ。
「あくまでも地域に根ざした専門家でありたい。ですので、多摩地域で固めていって、それができたら今度は都心に展開。それができたら、さらに別の場所で展開していこうと考えています。
 なぜなら、お客様はきっと、相続案件を頼みたいというときには、近くの司法書士に頼みたいと思いますよね。そこで今、毎日気軽に司法書士に相続の相談ができたり、成年後見人になってほしいと思えたりする地域のコミュニティの場を作りたいと考えているのです」
 いきなり落下傘的にポンと支店を展開するようなやり方はしない。あくまで地域のコミュニティを大切にしたい。そこには國松氏がこだわるポリシーがある。
「私には譲れない経営理念があります。その第一義が『お客さまに永遠に頼っていただける道標となり、お客さまの肉体的、精神的、経済的、社会的健康に貢献します』というものです。私は『健康第一』だと思っています。ただ、今やっているのは経済的健康の部分だけなんです。経済的に『不動産の権利を守りましょう』とか『明確にしましょう』とか、それぐらいのことしかまだできていません。そこをさらに推し進めて、肉体的にも精神的にも健康について追求していきたい。高齢化が進んで一人暮らしの高齢者が増えて、社会と疎遠になっている方が多い中で、私たちが作るコミュニティに参画してもらうことで、話を聞いてもらえる、自分を認めてもらえる、人の役に立てるといった人間本来の生きがいを持ってほしいんですね。これは社会的健康の部分です。そこがオールフォーワングループのめざすところです。
 肉体的健康に関しては、例えば、月会費制で毎日通えて健康になれる女性専用の30分体操教室のように、毎日通いたくなるような場を作りたい。精神的健康についてはすべてに絡んできますが、一人暮らしで家に引きこもってしまわないで楽しい人生を歩んでいただくことをめざしています。特に女性は年齢と共に元気になっていく方が多いんですが、男性はあまり人と接触がないケースが多いんです。そういう方に、肉体的かつ精神的にも健康になっていただきたい。今私たちが取り組んでいる経済的健康を発展させていって、人に貢献できたり、コミュニティの人と仲良くなってハッピーになっていただけるようにしたい。そこに社会的健康があります。まずは地域のコミュニティでセミナーを開催して、遺言を書かないといけないなと思ってもらったり、後見人をつけないといけないなと切実に感じてもらいたい。そんな小さなところから取り組んで、徐々にサービスを創り、推し進めていきたいと考えています」
 一人暮らしや家族と疎遠な高齢者は、将来のことを誰に相談していいのかわからないことが多い。そんな高齢者が外部の人間とコミュニケーションをとれるようにしたい。それができる社会にしたい。その一翼を担うのが國松氏の考えるオールフォーワングループの目標だ。
 グループのイメージとしては、常に完成形にならずに進化し続けるテーマパークだと言う。絶えず改善し続ける自分たちでありたい。そんな決意表明をするために、経営理念には「グループそのものが観光地となれるよう、改善、刷新、創造を繰り返します」と書かれている。常に改善して新しい分野にチャレンジしていく精神を忘れないという思いを込めて、まだ取得して日が浅い土地家屋調査士の領域を今後は深堀していきたいと、國松氏は意欲を見せる。

資格取得だけでなく人間力を高める

 「今考えているのは人間力を高めること。社会人になってから、趣味の部分にまったく触れてきませんでした。ほぼ仕事と資格試験の勉強だけしかしてこなかった30年間だったので、きちんとした趣味を持って人間力を高めていきたいんです。そこで今、大学時代にサークルでやっていたバンド活動のドラム演奏を再開しました。大学時代以来30年ぶりにまたドラムを叩き始めたらとっても楽しくて(笑)。大学受験のときも受験が終わって、無性にドラムが叩きたくなってサークルに入ってバンド活動を始めたのですが、今回も土地家屋調査士試験が終わって、なんだかドラムを叩きたいなと思って始めました。
 もうひとつは社交ダンスです。まだ始めたばかりで1年も経っていないんですが、資格だけの頭でっかちにならないように、これからは趣味も大切にしていきたいですね」
 AIの発達による影響のひとつとして、司法書士の定型業務はAIに代替されるとも言われている。こうした流れについて國松氏はどう考えているのだろうか。
「そうなったら、むしろ定型業務はAIを活用して、それ以外の業務に注力すればいいんです。実際に不動産登記などの相談内容がいまは以前とまったく違うものになりました。自分で法務省のWebサイトにアクセスして登記申請書をダウンロードしてきて、『ここだけちょっとわからないんですけど教えてください』といった相談なんです。そういう相談が増えてきたら『じゃあ、司法書士はどのような手助けができるのか』と、考えなければいけません。その意味では不動産売買の立ち合いは司法書士にしかできませんし、成年後見人もAIではできない、人間にしかできない業務です。
 つまり、これからはAIができない部分を人間がやっていかないといけない。そのためには何が必要かと考えたら、やはり人間力、人間としての魅力が必要なのではないかと思い至りました。だから趣味も楽しんで、人間としての幅を広げていきたい。AIをうまく活用しながら、自分たちが人間としてどうお客様に向き合えるかということを、資格取得をめざしている方にも今後考えていただきたいですね」
 振り返って、しみじみ資格を取得してよかったと國松氏は話す。
「何より気持ちの上での支えになります。その部分は大きいですね。資格はひとつの道具でしかありません。その道具を使って、自分はお客様とどういう向き合い方をするか、お客様にとってどれだけ魅力的であるか、お客様とどうつながっていくかなんです。結局は人と人のやりとりなので、そこには感情があります。AIには今のところ感情はありません。だからこそ、人間としてどうあるべきかを大切にしてほしい。ただ『資格を持っています。ずっと勉強してきました。何でも知っていますから何でも聞いてください』ではダメなんです。いま資格取得をめざしている方たちは、人間力を高め、人間としての幅を持ちたいという意識を持った有資格者になっていただきたいですね」


[TACNEWS|日本の司法書士|2019年11月号]

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