日本のプロフェッショナル 日本の社会保険労務士|2019年7月号

Profile

藤井 健介氏

社会保険労務士法人日本経営労務
代表 特定社会保険労務士

藤井 健介(ふじい けんすけ)
1971年、福井県生まれ。明治大学大学院経営学研究科修了。新卒で損害保険会社に入社し営業職に従事。1998年、社会保険労務士試験合格。1999年7月、藤井社会保険労務士事務所開業。2008年8月、同事務所を法人化、社会保険労務士法人日本経営労務を設立。同年9月、北海道北見市に北見支店を開業。2011年4月、東京本店を開設。

「働き方改革」は追い風。
今、社労士業界は千載一遇のチャンスが訪れています。

 企業の経営資源は「ヒト・モノ・カネ」、そして「情報」も加わってくるだろう。その中で経営者たちの頭を最も悩ますのが、おそらく「ヒト」の悩みではないだろうか。「自分自身が経営者だからこそ、経営者の抱えるヒトに関する悩みがよくわかる」と話すのが、社会保険労務士法人日本経営労務の代表・特定社会保険労務士の藤井健介氏だ。自身が社会保険労務士という「ヒトの問題の専門家」だが、一方で経営者として組織内の「ヒト」改革を推し進めている。藤井氏の歩み、そして一大決心して行った組織改革の軌跡を追った。

助成金申請をきっかけに社会保険労務士をめざす

 福井県に生まれた藤井健介氏は、ほどなく神奈川県の横浜に引っ越し、浜っ子として育った。だから横浜に対する郷土愛は人一倍強い。横浜といえば、Jリーグの横浜F・マリノスや横浜FCの本拠地でもある。
「小学校以来ずっとサッカーを続けていて、今もシニアサッカーをやっています。少年団チームの社会人OBチームも作りました。事務所のメンバーにもスポーツをやってほしくて、事務所内にトレーニングマシンを入れてしまいました(笑)」
 そう言って屈託なく笑う藤井氏のオフィスの一角には、トレーニングマシンが置いてある。根っからのスポーツ少年の藤井氏が資格取得をめざしたのには、福井で母方の祖父が包丁問屋を営んでいたことが影響している。
「祖父が個人事業主だったので、母は自分の子どもには国家資格を取らせたかったようで、自分でも小さい頃から、いつか国家資格を持ったほうがよいと思い込んでいました」
 そう思いながらも大学卒業後は損害保険会社に勤め、営業のかたわらに取り組んだのが助成金申請だった。1995〜1998年当時は空前の助成金ブーム。営業として法人開拓を進める中、助成金セミナーを開催すればたくさんの法人が集まった。その時初めて助成金を申請するのは社会保険労務士(以下、社労士)だと知ったのである。
「助成金申請を依頼するために開業社労士を回りました。当時はまだ助成金に着目している社労士は少なくて、その時に思ったんです。それなら自分でやったほうがいいのではと」
 こうして24歳の藤井氏は社労士受験を決意。それから2年、2度目の本試験に合格し、翌年、27歳という若さで「藤井社会保険労務士事務所」の看板を掲げた。

スポットから顧問契約獲得へ

 「小さい頃から、人に雇われて命令されるのは向いていないとわかっていたので、自分が社長になるという夢だけは漠然とありました」と、合格してすぐに開業した藤井氏は経緯をそう語る。とはいえ実務経験が一切ないので、社労士の独占業務である社会保険手続き書類の作成や申請などはまったくできなかった。
「やったことがあるのは助成金申請だけ。だから助成金申請をやる。他はやらない」と決めた藤井氏は、助成金ブームの波に乗って助成金申請だけで大きな売上を上げ、幸先のよいスタートを切った。依頼は引きも切らず、営業に回る日々が続いた。ただ開業した1999年頃から徐々に助成金ブームは下火になっていった。
 そこで助成金以外はやらないと決めた藤井氏だったが、助成金を申請するには就業規則の改定が伴うことが多いため、就業規則もやらざるを得なくなった。「ならば、経営者側を守るという定義に基づいた就業規則を作るようにしよう」と新たな一手を打った。  そこから就業規則の改定と助成金申請をセットにしたスポット契約を大きく増やし、開業して5年間はこの業務だけで突っ走ったのである。
 売上が倍々ゲームで増え、スタッフも増えていく一方で「スポットは安定しない。人件費などの固定費は毎月必ず出ていく。売上がないときの人件費を考えると停滞感がある」と、藤井氏は悩んでいた。
「当時30代前半ですからね。どれだけ自分ができるのかばかりが頭にあって、安定など考えませんでした。それまでは顧問契約を取る暇もないほど、就業規則と助成金だけで忙しかったんです。でもスタッフが増えて、毎月の人件費をきちんと賄うためにも、顧問契約という安定した売上が必要だと考え始めました」
 2007年、それまで断り続けてきた顧問契約を受ける方針に変更した。それまでやったことのなかった手続き業務を、勤務していた女性社労士が一手に担当してくれた。その女性社労士は手続き業務の要となって、今でも事務所を支えてくれている。
 「顧問契約やります」と完全に舵を切ってからは、毎週毎週、新規顧問契約を取っていった。そこから「顧問契約7割、就業規則・助成金スポット3割」という業務比率が定着していった。事務所の「安定した売上」は実現したのである。

アナログからデジタルへ

 顧問契約と、就業規則・助成金のスポット業務。2本の柱で走り始めた事務所は、そこから大きな転換期を迎える。今度はスポットで始まったのに「スポットはやらない」という方針に切り替えたのである。
「助成金ブームが下火になったり、不正受給が問題になったりした頃でした。そこから顧問契約者しか助成金申請はしないと切り替えました。理由は、スタッフが辛くて辞めていくからなんです。スポットのお客様は、割り切って言ってしまえば、お金だけの関係です。時にはグレーかもしれない、不正受給ではないかと思いながらスタッフは申請書を作っていたこともありました。助成金で走ってきたけれど、助成金で嫌な思いもしたんです。それも私だけでなく、担当者まで矢面に立たされてしまう。お客様からの電話に声を震わせながら対応するのを見たとき、『助成金はやめよう』と決めました。
 もうひとつ、給与計算もやめました。給与計算は、とにかく時間に追われる業務でした。タイムカードの締め日と給与支払日が近すぎると、担当者は休めません。さらに給与計算は完璧にできて当たり前の業務で、給与支払日に間に合わないなんてあり得ないんです。実際にあったケースですが、宅配便で送られてきた100枚以上のタイムカードを1枚1枚チェックして、ひたすら表計算ソフトに打刻時間を入力し、タイムカードに不備があればお客様に電話で確認して集計、これを1日でしなければならないこともありました。アナログ時代の給与計算は本当に大変でした。スタッフは、こんな苦しい仕事は嫌だって、辞めていくんです。助成金も給与計算も、スタッフが定着しない要因になりました」
 紆余曲折あって、何年か前までは助成金も給与計算も積極的には受けない時期があった。そして3年前、救世主が現れる。デジタル化、システム化の波である。
「勤怠データを送ってもらえれば、給与計算は集計するだけで済むようになりました。そこでデジタル化したデータを送ってくれる顧問先に限って、給与計算を受ける方向に転換しました。以前は3日かかっていた給与計算が、わずか3時間でできる。顧問料に加えて給与計算も受ければ、売上は2倍になります。業務量は2倍にならずに1.2倍程度で済むので、生産性が高いんです。
 こうして、3年前からは積極的に給与計算を受ける方向に転換しました。お客様にとっては経費が2倍になることもあるのですが、それなら助成金申請してまかないましょうとご提案すると、ご納得いただけました」
 アナログからデジタルへ。この流れで藤井氏は給与計算という弱みを強みに変えた。こうして、顧問契約から給与計算へ、さらに助成金申請へという新たな流れができていった。
「我々のこだわりは迅速対応にあります。以前、依頼している社労士事務所に不満があるという会社から『入社手続き完了の連絡を受けたけれど、保険証がいつまでたっても来ない。1ヵ月たっても来ないんです』と相談を受けました。調べたところ、なんと社労士事務所の担当者の手元にありました。『なんで?』って言いたくなりますよね。逆に言えば、うちにも同じようなクレームがあるんじゃないかと、そんな心配があったので、『緊急度・重要度マトリックス』を作りました」
 まず、今すぐやらなければならない喫緊の重要事項を洗い出す。その中で最も緊急度・重要度が高いのが労災の書類、次が社会保険の被保険者資格取得、といったように優先順位を決める。そして、保険証や各証明書など緊急度・重要度が高い書類は、午前中に連絡をもらったら午後には発行するようにした。
「お客様とその従業員に『万が一、今日病気になって病院にかかっても、健康保険は適用されるので大丈夫ですよ』という安心を提供しようということなんです。結局、苦手な業務は後回しにしがち。それによって遅滞が起きるので、そうならないために何が緊急度や重要度が高いか、そこから決めて取り掛かかろう。そう方針を固めたんです」
 ちょうどこの頃から、組織内のスキーム作りにもメスを入れ始める。いわゆる組織化、チーム化である。そこから組織は新たなフェーズに入っていった。

社労士法人化、そして3拠点展開へ

 藤井社労士事務所は、2008年8月に社労士法人化を果たし、現在の社会保険労務士法人日本経営労務となった。法人化した翌月、すぐに北海道北見市に支店を展開した。いきなり北海道に支店を出すのは突飛に見えるが、藤井氏の前職の同期が北海道で独立し、北見で保険代理店をやっていたのがきっかけだった。
「彼は、公益社団法人日本青年会議所の北海道ブロック協議会会長をやっていて、北見地区の中小企業のネットワークを持っていました。彼は助成金申請を北見で展開すれば、喜んでくれる企業がたくさんあると考えました。ところが彼の会社には社労士がいないので、私たちに頼んできたのです。そこで出張で行くより、どうせなら北見に事務所を構えたほうがおもしろいんじゃないかという話になって、北海道に拠点を出すために法人化を進めました」
 そして、2011年4月には東京本店を開設。IT系企業の本社は約9割が東京にある。そこをターゲットにエリアを拡大した。東京にあると千葉県や埼玉県のお客様の集客もできる。しかも東京の士業と提携したり、千葉県や埼玉県から応募してくるスタッフが出てきたりと、人脈面や人材面でもエリアが広がった。現在、3拠点併せて総勢21名、うち社労士11名(特定社労士5名含む)の陣容にまで成長している。
「だけど私はやはり横浜が好き。だから私は本社を横浜にしたままです。夜、東京から車で帰るとき、みなとみらいの夜景が見えるとホッとするんですね。最終的に自分の居心地がいいのは横浜なんだなあと思います」
 2019年、横浜のオフィスは倍のスペースに広げ、これから社長室とトレーニングルームを整備する計画だ。「自分のワーク・ライフ・バランスも、横浜なら叶えられる」と、藤井氏はうれしそうに笑顔を見せる。横浜への郷土愛は、ずっと変わらないのである。

チーム制で組織改革

 3拠点となった日本経営労務は、新しいフェーズに突入することになった。なにより大きな課題は、組織としての体制を整えること。そこで藤井氏が決めたのは「属人化をやめる」ことだった。 「顧問契約している社労士事務所の担当者がAさんだとします。聞きたいことがあって事務所に電話しても、『Aが外出中でわかりません』と答えられたらどうでしょう。サービスが悪い印象になりますよね。創業当時からそれが嫌で、ペア担当制度にしてきましたが、それでも属人化はあるんです。3拠点となったら、もっと属人化が進む。だから拠点ごとに属人化するのはやめようと決めたんです」
 一念発起した2018年4月、事務所の3ヵ年計画を作った。内容は、2020年を目標に「完全なるチーム制を作ろう」というものだ。
「とにかく属人化しないこと。地域にこだわらず、すべての業務をITチーム、スポットチーム、休職者サポートチーム、給与計算チーム、事務手続きチームの5チーム制にしました。
 例えば、ITチームは今、東京に2名、北海道に1名いて、毎日Web会議をしています。休職者サポートチームは北海道と横浜にいて、障害年金申請代行業務をメインに、休職者の手当金や給付金にも対応します。スポットチームは就業規則作成や助成金申請書、業務改善などを担っています。各チームとも、テレワークのスタッフともすべてWeb会議でつながっています」
 中でも今一番盛り上がっているのがITチームだという。有資格者は2名。うち1名は、ほぼIT専門で動く社労士で、アナログの行政手続きをいかにデジタル化して生産性を高めるか、日々検討している。現在、事務所内ではRPA(Robotic Process Automation)化を推進し、6台ものソフトウェア型のロボットが電子申請公文書を印刷したり、顧問先に返却するようになった。
「ITチームの選択肢は2つ。人間がやるのか、ロボットにやらせるのか。まずロボットができることはロボットにやらせるのがベストです。それをどう割り振るのかを考えていくのも大事な役割だし、今問題になっている業務を可能な限りRPA化するのも大きな使命です。そこでRPA化できないことだけを人間がやる。このように、所内では非常にデジタル化が進んでいます」
 まだ2年目ではあるが、目標の3年間でどのようなことを成し遂げようと考えているのだろう。
「チーム制を進めていきます。仮に苦手で後手後手になりがちな業務があっても役割分担で他のチームがやってくれるのがチーム制のメリットのひとつです。それに加えて業務の仕訳も行っています。単純作業を『1年生業務』と呼んで、その仕事は1年生がやり、3年生は3年生業務をやる。中学生になっても小学校1年生の業務が好きな人は手放さないしやりたがるけれど、それはダメと言っています。十年選手ならマネジメントもやってほしいのに、単純作業ばかりやっていては、生産性も売上も上がりません。過去にそうした経緯があって、そこから属人化が進んでしまいました。
 結論を言えば、1から10まですべてひとりでやるのは非効率的だということ。作業的な部分はパートさんに頼めばいいし、セミナーができるスタッフならセミナーをやればいい。自分の果たすべき役割を周囲に理解してもらい、その役割を効率よく果たしていけば給与も上がる。そこをスタッフには強く言っています。こうした改革は、1年間での達成は難しいけれど、3年計画にして段階的に具体的な目標を決めて取り組んでいけば実現できるはずです。まさに今、その真っ最中なんです」
 デジタル化の流れの中で改革を進め、RPAに任せられることは任せ、役割分担することで、苦手なことに時間をかけずに得意分野を伸ばす。新しく入ってきたスタッフにもわかるように業務改善して「見える化」する。改革は一歩ずつ進んでいく。
「3年後にみんながハッピーになれるように。今は改革の途中で一時的には忙しいこともあるけれど、このままいくより改革後、3年後の体制が望ましいと、満場一致で3年の経営計画を発表しました。そして、今1年が経ち、2年後が楽しみな状況になりつつあります。そこはやるしかない。失敗したらまた属人化に戻ってしまうので、自分にはもうあとがないんです」と藤井氏は強い意気込みを語った。

「働き方改革」は千載一遇のチャンス

 藤井氏は3年計画を策定する際、チーム全員が有資格者である必要はないということに気がついたという。
「例えて言うと、特定社労士が外科医、普通の社労士がその他の専門医、資格受験生は看護師。この3つの構成を考えました。もちろん外科医が一番稼ぐし、外科医が有名になればなるほど紹介による顧問先が増える。専門医が多ければ多いほどうちの強みになる。業務を効率的に、きれいな形に整える形成外科医がITチームであったり、専門医をサポートするのが看護師だったりという構成です。
 募集する人物像も、今完全にチームに特化した人材にフォーカスできるようになりました。給与計算ができる人、助成金が好きな人、就業規則が好きな人、障害年金手続きがやりたい人などと、業務で切り分けて募集できるようになったんです。
 以前は『社労士だけの事務所』を売りに社労士のみを採用していましたが、今は有資格者でなくても採用しています。ただし、資格取得をめざしていることが条件です。有資格者が顧問先から相談や案件を受けてきて、実作業は資格受験生がサポートする。それで充分なので、社労士をめざしている方であれば、今資格を持っていなくてもいいんです。中でも今一番ほしいのは、ITスキルの高い人材ですね」
 3年計画がうまくいった暁には、新たな拠点を海外で出したいという夢もある。1年に1週間は海外で仕事ができる環境にしたいという遠大な計画だ。
「仕事をするには事務所に来なければならないという発想が世界を狭くしてしまいます。今でもテレワークチームが4名いて、1名は完全に在宅勤務のみです。そんなスタッフたちを外に出してあげたいんです。2年後には、海外拠点とのWeb会議ができるようになって、日本にいなくても仕事ができる環境を作る予定です。そんな話にワクワクして、みんなも海外に行きたがっています。だからこそデジタル化が大切なんですね」
 場所にとらわれない働き方。テレワークに舵を切ったのも、「女性に優しく。優秀な人材に来てほしい」と、社労士業界は女性が活躍しやすいという藤井氏の考えもあるようだ。
 3年計画のさらに先にある自身の将来像はどのようなものだろう。
「もともとサラリーマンになりたくなかった自分が、今こうして社長になって、トレーニングルームまで作りました。社労士になってとても楽しくやれていると思います。
 そして士業には、企業の会長職にあたる『大先生』と呼ばれる職位があります。頼りになる大先生の存在。そこをめざしたいという思いが自分の中にはあるんです」
 「働き方改革」が、世の中で大きく取り上げられるようになった今、社労士業界にとって、大きなチャンスが訪れていると藤井氏は指摘する。
「『働き方改革』は本当に千載一遇のチャンス。このタイミングを逃したくない。まさしく3年計画は最強の法律に後押ししてもらっています。自分にとってはすごい追い風だと思っています。2019年からの年次有給休暇5日以上取得の義務化に伴って、今まで私たちが勤怠システム導入を奨めても乗り気でなかったお客様も、導入せざるを得ない状況です。『勤怠管理と有給休暇の管理はどうやるんですか?』と相談が殺到しています。そこで助成金でカバーできる勤怠管理システムと労務管理システムの導入をお奨めしています。お客様から望まれて提案ができる、こんなチャンスはなかなかないですね」

トライしていける信念の強さが大事

 社労士をめざしている受験生には、「今、社労士は過去最高に開業登録者が増えている」ことを強調する。
「伸びている事務所には2つあります。ひとつは助成金専門で伸びている事務所、もうひとつは障害年金専門で伸びている事務所です。両方とも短期的には伸びるでしょう。ただ、我々社労士は、国の政策でガラッと状況が変わってしまう職業なのです。ですから時代の傾向や流れを捉えるのがすごく大事になってきます。もっと言えば、国が方向性を変えてしまったら、士業自体がいらなくなってしまうこともあり得ます。国策で変わってしまうのが、一番不安が大きい部分です。ただし社労士の業務は幅広いので、専門性さえ備えていれば、いろいろな場面で業務領域を拡大することができると思っています。
 実は、私が北見支店を出した2ヵ月後にリーマン・ショックが起きました。『なんでこのタイミングなのか』と思いましたよ。もう終わったと思ったんですが、でも、あの時期に一番求人を出していたのは社労士業界だったんです。国が雇用調整助成金を出して、企業の『リーマン・ショックで休業』から『雇用調整』となり、『調整助成金を申請』という流れになって、その時一番儲かっているのが社労士と言われていました。うちももうダメだと思っていたのに、フタを開けてみたら業績がよかった。社労士は不況に強いのです。ちなみに、リーマン・ショック当時、転職した人が資格を取って、今この事務所で活躍しています。
 また今後は、外国人労働者の雇用案件も増えてくるでしょう。行政書士と協業すれば、ビザ申請業務と外国人の雇用契約書手続きが目玉になってくると思います。受験生の方も、今後減ってくる日本人よりも、増えてくる外国人労働者に大きなビジネスチャンスが待っていると思ってください。
 チャンスを捉えられるか否かは、まずは自分がどうなりたいか目標を持つこと、そして負けずにトライしていける信念の強さが大事です。諦めたらそれまで。何のために自分が社労士になるのか。理由をしっかりと胸に刻んで、そこに向かっていけば道は拓けます。やはり最後は『気持ち』ですから」
 ヒトで悩むからこそ、ヒトの問題に強くなれる。藤井氏の社労士となってからの軌跡は、まさにヒトの問題への取り組みだった。辛く苦しい経験の中からしか、その答えは出てこない。


[TACNEWS|日本の社会保険労務士|2019年7月号]

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