日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2018年4月号

Profile

前田 直樹氏

テントゥーワン税理士法人
代表社員 税理士 中小企業診断士

前田 直樹(まえだ なおき)
1976年、和歌山県和歌山市生まれ。大阪市立大学経済学部卒業。卒業した2001年に税理士試験合格。2ヶ所の会計事務所を経て、26歳で独立開業。2003年、行政書士登録、同年中小企業診断士試験に合格。2009年、事務所を税理士法人化。テントゥーワン税理士法人、テントゥーワン中小企業診断士事務所、テントゥーワン社会保険労務士事務所、テントゥーワン行政書士事務所の4組織で構成するテントゥーワングループへと組織変更。現在に至る。

点と線ではなく、縦横無尽の「面」でとらえるサービスを。
クライアントニーズに応えるために、多角的×複層的アプローチを展開する専門家集団です。

 事業承継を業務の一環にしている士業にとっても、事業承継は決して簡単なものではない。後継者不足に悩むのは決して事業会社だけではないのだ。その一方で二代目のみならず、現在では三代目となる事務所も出てきている。今回ご登場いただく税理士・中小企業診断士の前田直樹氏は現在42歳。26歳で独立開業し、新大阪と和歌山に拠点を展開するテントゥーワン税理士法人の代表社員である。実は前田氏の父親も税理士であったが、事業を承継することはできなかった。そんな前田氏の考える将来に向けての戦略とは何か、多角的・複層的な専門家集団であるテントゥーワングループとは。前田氏の歩みと今後の展開を追ってみたい。

父親の事故死で税理士へ

 和歌山県和歌山市に生まれ、今も4歳と6歳の子どもと一家4人で和歌山市に暮らす前田直樹氏は、税理士になった経緯を次のように話している。
「父は税理士で会計事務所を経営していました。でも、恥ずかしながら学生時代の私は、父が何の仕事をしているのかさえ知りませんでした」
 税理士である父親が突然の交通事故で亡くなったのは、前田氏が大学生だった19歳の時。 「私は長男なので、父が亡くなったあと、家族が悲しんでいるのを見て何とかしなきゃという思いしかなかった」と、当時の様子を振り返る。父親の会計事務所はトップ不在となり、事業承継もできないまま、建屋だけを残し解散となってしまった。
「そこからです。私が簿記の勉強を始めたのは。それまでは事業承継など考えたこともなくて、大学を出たら何となく就職するつもりでした。日商簿記2級の勉強が終わると、税理士が何をするのかもわからないまま、とりあえず税理士の受験勉強を始めました。税理士試験は5科目の合格が必要であること、そして同時に5科目を受験することが困難なことさえ知らないままに始めたんです。とにかく死に物狂いで税理士試験に挑みました」
 大学在学中に一通りの試験勉強をすませ、簿記論・財務諸表論・法人税法に現役合格。卒業した年の夏まで勉強に専念し、所得税法、消費税法を受験。12月の合格発表で見事税理士試験5科目に合格した。
 とにかく一日も早く実務要件を満たして会計事務所を再興したい。そんな思いが強かったのだろう。本試験が終わるとすぐに会計事務所に勤務した。
「今だから言えますが、最初から独立を考えていなかったかというと、それはウソかもしれません。開業するためには小規模の事務所と組織立った事務所の両方を経験しておきたいと考え、ふたつの事務所に約1年ずつ勤務させてもらいました。ふたつの事務所はマネジメントから仕事の進め方、お客様に対する接し方まで、まったく違いましたので、得難い経験をさせていただけたと感謝しています」
 ひとつ目は小規模の会計事務所。入所すると「お前は何ができる」、「話すことは好きです」、「ではセミナーで仕事を取ってこい。自分で考えて行動してみろ」と、税理士業務ではなくセミナーを担当することになった。
「セミナーをやれと言われて、そこから必死に考えてセミナーを組み立てたことは、今思えば非常にいい経験でした。セミナーの告知・動員方法から始まり、何を話して、どう展開して、いかにクロージングに持っていくかまでの一連の流れを経験できたのです。その代わり税務申告書はほぼ書いていません。このまま独立するとまずいなと思ったので、次はオーソドックスな会計事務所に転職しました」
 2ヶ所目は大阪でも歴史ある組織立った事務所(現在は税理士法人)で、税務申告業務のノウハウや流れが確立されており、業務内容もきっちりと決まっていた。そこで税理士業務の基本を学ぶことができた。
「独立要件を満たしたらすぐに独立する」
 そう考えていた前田氏は、2年間の実務要件を満たすと父・前田武男氏の意思を継ぐべく、和歌山市で前田直樹税理士事務所を開設した。2002年、前田氏26歳。奇しくも父親が開業した時と同い年だった。

和歌山から発進、大阪へと展開

 地の利を生かす。これは独立開業にたいへん大きなはずみをつける。前田氏が開業したのは地元、和歌山。しかし、それまで大阪で勤務していた前田氏は地元にクライアントはなかった。
「そんなスタートだったので、事務所は和歌山市という名刺を持って県外を回ったのが最初です」と、当時を振り返る。26歳という若さで、実務経験はたった2年。前田氏の唯一の武器ともいえる、最初の事務所でたたき込まれた「セミナーによる集客」に取り組んだ。
 実は父・武男氏は社会保険労務士(以下、社労士)と行政書士資格も併せ持ち、ふたつの事務所を税理士事務所と併設していた。前田氏はセミナーで経営について話すなら必要な資格は中小企業診断士(以下、診断士)、そこに行政書士もあればいいと考え、開業後に行政書士に登録するとともに診断士資格を取得。行政書士事務所、中小企業診断士事務所を併設したのは、父へのオマージュでもあったのだろう。
 前田氏は、まず生命保険のライフプランナーに向けて「無料セミナーをやらせてください」と営業して回った。
「そうやって少しずつ取っていった仕事の中で、よくセミナーを依頼してくれるライフプランナーが神戸の方だったので、和歌山で開業しながら神戸で活動するかたちで、県外のクライアントが増えていったんです」
 セミナーは、「ライフプランナーが法人向けの保険を売るためにどういった知識が必要か」、「企業は保険をどう活かすべきか」等々、多種多様な内容にわたり、節税が主なテーマだった。そこから紹介で広がっていったので、今でも特化している業種はなく、建設業、製造業、医療と、あらゆる業種にわたるクライアントがある。
 和歌山で開業し、神戸で広がった仕事は大阪へと広がりを見せ、セミナーと診断士のコンサルティングで県外のクライアントが増えていった。そして6年後の2009年、税理士法人化を果たし、和歌山市に加え新大阪にも拠点を持ち、2拠点体制となった。
 当初はクライアントが少なかった和歌山事務所も、時間が経つにつれて増えはじめた。神戸、大阪と広がって、最後に和歌山に火がつきだし、現在のクライアント数は新大阪事務所と和歌山事務所ではほぼ同じ件数で分布している。
「税理士業だけの関与、さらに診断士、行政書士だけの関与がある一方で、当然グループ対応をする案件が増えてきました。するとグループでどう対応できるかを考えるようになりました。
 開業当時から税理士一本だけでは絶対にまずいなと感じていましたから、自ら診断士資格を取得し、行政書士登録もしました。とはいえ最初の頃は、事務所内に専門家を抱えるにはまだ体力がありませんでした。それでも社労士とは最初から外部連携してもらっていました。当初からワンストップでやりたいと考えていましたから、徐々に外部ではなくてグループに参画してもらうかたちになったんです」
 こうして税理士事務所を機軸に、診断士事務所、社労士事務所、行政書士事務所をまとめてグループ化し、2009年の税理士法人化にあわせて、現在の「テントゥーワングループ」となった。
「クライアントから寄せられる様々なニーズは決して自分たちにとっての『one of them』ではありません。私たちは常にあらゆる可能性や方法論の検証を重ねて最良の打ち手でそれに応えなければなりません。その最良の一手の提案を誓い、それまでの組織を統合してテントゥーワングループとなりました。『10to1』の10はたくさんを、1は真に重要なものを意味します。グループのロゴにも誓いを込めて、9個の小さな斑点と1個の大きな斑点を持つ『テントウムシ』にしました」
 個人事務所から専門家集団テントゥーワングループへ。組織は変化を遂げながら、未来に向けてさらなるサービスの進化=真価をめざしていくことになったのである。

専門家グループのシナジー

 テントゥーワングループは、法人・個人を問わず、税理士、診断士、社労士、行政書士業務を通じて、「過去×未来」「個人×法人」の視点で捉え、点や線ではなく縦横無尽の面となるサービスを提供する。多彩な有資格者を内部に抱えているだけでなく、弁護士、司法書士、不動産鑑定士、土地家屋調査士、弁理士などのプロフェッショナルとの外部ネットワークによって幅広い有資格者が全方位的に、クライアントニーズに対応できることを最大の強みとしている。
「守りの税務(税理士業務)、攻めの経営(診断士業務)といったように、資格の幅は時には相互補完、時にはシナジー効果を生みながらクライアントの満足を創造していきます。私たちが『多角的・複層的』にクライアントニーズに応えうる専門家集団と名乗るのはこうした理由からです」
 グループの中核をなす税理士法人は、月次から申告業務までを始めとするあらゆる税務会計のフィールドに対応している。
「特徴的なのは事業承継・事業再編案件が多いこと。ただ、事業承継を税務面のみからアプローチして、労務・法務をまったくマークしていないサービスでは弊害になります。そこで、社労士と税理士がタッグを組み、許認可が必要なら行政書士も入る。専門家チームを組成して対応するのです」
 補完関係は社労士業務でもシナジー効果を生んでいる。
「私たちの社労士業務には、大きく分けてふたつの特徴があります。まずひとつは就業規則。企業は就業規則を作っていても、労使問題に発展してしまうこともあります。私たちなら、労使紛争に強い弁護士を入れることで、それを水際で防ぎます。労使係争に発展しそうな案件について、あるいは就業規則として甘すぎるのではと疑問を感じるようなものについては、社労士の範囲だけでなく、すべてリーガルチェックを入れてからクライアントに提出しているんです。
 こうした士業の補完関係は今、助成金でも動いています。よく聞くのが、『助成金をいただきました。税金かかってしまいました』という話。そうならないように社労士・税理士の両輪でキャッチアップしていく。そこは当グループの社労士業務の大きな強みになっています」
 診断士としては、2005年から経済産業省が作成を始めた知的資産経営ガイドラインを前田氏が担当することで大きな効果が生まれている。
「知的資産経営とは、人材、技術力、組織力、ネットワーク、ブランドといった目に見えない資産で企業競争力の源泉となるもの。これらを組み合わせ、活用し、収益につなげる経営を知的資産経営と呼びます。いわゆる経営の見える化を図るのです。その中で税務は定性情報になるわけですが、では数字にならない情報はどうまとめるのか。それが知的資産経営です。結果、私たちはクライアントに対してふたつの入口を持つことができました。ひとつは新規営業で税務の声がかかること、もうひとつは経営の整理のお手伝い、つまり知的資産経営をサポートしてほしいという依頼の入口です」
 前田氏は「数字の話だけをして、クライアントに『売上が落ちていますね。がんばってください』の無責任な一言で終わるのは嫌だ」という思いもあって診断士資格を取得したという。それは知的資産経営に通じるものだったのだ。
「税理士に加えて、きちんと数字を理論立てて追いかけていける診断士が必要だと考えました。一方、診断士資格があるおかげで、税理士法人も『数字だけで終わらない』というひとつの大きな特徴を打ち出せたのです」
 もちろん、売上を上げるのは経営者とその企業。最終的にはクライアントにがんばってもらうしかない。しかし会話の中には絶対に売上を上げるヒントが隠されている。「そこに気がついて、行動していただく。そういうお手伝いはできる」と、前田氏は目を輝かせる。
 行政書士事務所は、和歌山という立地のおかげで建設業に強くなった。「建設業のクライアントが多いおかげで、かなり複雑な建設業の許認可までできるようになりました。例えば、会社分割をすると公共工事の評点が下がります。評点を下げずにバランスを取れる許認可関係が得意です。かなり複雑で大変な案件ですが、和歌山でいくつもの案件を経験させてもらったおかげで強くなりました」
 現在グループ全体で総勢31名、そのうち税理士は3名、5科目合格者2名(ほか一部科目合格者6名)、診断士1名、社労士2名、行政書士1名(現在、前田氏は登録していない)が在籍する。その中には有資格者として入ってくるスタッフもいれば、入ってから資格を取得するスタッフもいる。
「公認会計士の女性スタッフが入って税理士登録をしようとしていたり、ゼロからがんばっているスタッフもいたり。いろいろな分野の有資格者とスタッフがいる『動物園』なんです(笑)」

労使平等な就業規則で自社を経営

 笑顔で組織を語る裏には、ここまできたという安堵の気持ちが込められている。前田氏が一番苦労したのは、人に関する問題だったからだ。
「過去15年間に何度か大量にスタッフが退職したことがありました。退職はスタッフ間に連鎖します。ひとりが退職を表明すると、そのスタッフの担当先が他のスタッフに流れます。仕事としては耐えられても、受験との両立ができない。後任スタッフが受験勉強と仕事を抱えていたら、もうもたないとなって、ふたり目が辞めてしまう。ふたり辞めてしまうと、3人目が連鎖して辞めてしまう。結局、残ったスタッフたちが大変になる。それを繰り返してしまうと、人が採れなくなってしまう。人が採れなくなり、焦って採用すると、始まるのは負のスパイラルです。
 ひとり辞めて、もうひとり辞めそうだと聞けば、私が吸い上げないといけません。同時に、スタッフ一人ひとりと話をする時間も必要でした。実質的なオペレーションを含め、いろいろなことが積み重なり過ぎて、まったく私の業務が進みません。じゃあ、いつやろうか。深夜、早朝、休日です。そんなとんでもない、どん底の時期が何度かありました。  どん底からどうやって立て直しを図っていくのか。想像しただけでも途方もないプロセスだ。二度とこんな苦労をスタッフにさせたくないし、自分もしたくない。そのために前田氏は、社内の社労士に、とにかく労使平等な就業規則を作ってもらうという大胆な行動に出た。
「労使ともに平等であることが会社を予防する。就業規則とはそういうものである。だから会社の環境を整備するにはこれしかないんだろうなと。そこで、あえて私が口を挟まずに社内の社労士に就業規則を作ってもらいました。その後、スタッフ全員からパブリックコメントを募って、『おかしいと思うところは言ってくれ。全部直すから』と宣言しました。その全員の声を盛り込んだ就業規則で、今、事務所を運営しています」
 ちなみに、後に入社した社労士は就業規則を見るなり「ここまでやって、会社、大丈夫ですか?」と心配したという。前田氏は「大丈夫だ。何とかするから」と自信を持って答えた。
 なぜ心配されたのか。その就業規則にはすべてが詳細に規定されていたからだ。例えば、税理士試験などの合格支援制度がある会計事務所は少なくないが、就業規則に盛り込んである事務所はほとんどない。テントゥーワンではすべて就業規則に明文化されており、受験すると宣言したスタッフに限り、試験直前2週間はまるまる休暇を支給。宣言した以上しっかり試験に向き合ってもらうことにした。
 勤務時間は最大で新大阪20時30分、和歌山20時まで。それ以降の残業は原則禁止。6月以降は受験すると宣言したスタッフに限り残業なし。これらもすべて就業規則に盛り込んである内容だ。もし、これに抵触すると制裁規定が発動し、リーダーに制裁規定が適用される。「スタッフが不当に残業している、管理監督ができていない」というわけだ。制度はすべて明文化され、それに対する賞罰まできちんとある。そしてもちろん、前田氏も制裁の対象外ではない。
「就業規則を整備してから、次第に合格者が出始めています。彼らは自分が助けてもらったから次は自分が助ける番だとサポートに回る、良い循環が生まれつつあります。
 確かに、社内社労士が見て大丈夫かと言いたくなるレベルの就業規則です。でも、これを外部の社労士に作ってもらったら、まず現場が見えなかったでしょう。当社は社内社労士が作ったことで、現場からの声を吸い上げている点に意味があります。経営する側の私の意見もちゃんと入れてあるし、現場スタッフの声も聞いて、きちんとしたルールがあるので不平不満が出ない。そこがいいんです」
  事務所の見える化を図り、あらゆる議論をし尽くしたという就業規則。働く人を拘束するのではなく、働く人たちを統制する側に問題があれば、管理監督責任を就業規則で問う内容となっているのだ。 「普通はそこまでやらないでしょうね。でも、私は二度とあの思いを味わいたくないんです」
 前田氏は、そういって唇を結んだ。

税理士プラス診断士は非常に有効

 就業規則のこだわりだけでなく、前田氏は人材の採用にも心を砕いている。
「人物像としては、自ら行動できる人。そして頭の回転が早い人です。面接で意地悪な質問をぶつけてみて、パッとそれに答えられる機転が利く方を選びます。かなり厳しい採用です。機転が利かない、コミュニケーションがとれない方は基本的に採用しません。実務とは違う部分で、そこは重視しています」
 2年前からはインターン制度も導入。そのインターンから新卒入社したスタッフもいる。種を蒔いたところから、やっと芽が出始めたかたちだ。
 今後も、「10の全力の中の最良の一手」の提案をめざして努力を惜しまないと前田氏は強調する。
「当社の月額顧問料平均は6万5,486円。月額顧問料5万円以下が60%の業界にあって、ちょっと高いと思われるでしょう。でもそれは、私たちの創造価値のレベルを『見える化』する大切な基準。10の力をかけるのにかかる金額なんです」
 今後もセミナー・講演会、税制改正とともに脚光を浴びる相続案件、事業承継絡みのM&Aをはじめとする組織再編案件が目白押しだと、前田氏は予想する。さらに今後避けて通れないと考えているのが国際税務案件だ。
「今後は受験生の方たちも絶対に英語を勉強しておいたほうがいいですよ。中小企業も海外に出ていく時代。弊社を選んでくださるクライアントも、まず『英語対応できますか』と開口一番に聞いてきます、それも必ずと言っていいほどです。もう中小企業と英語は無関係という時代ではなくて、少なくとも現地に行って話ができる程度の英語力は持っていてほしいですね」と、受験生にもアドバイスする。
 2027年には「50歳で50人規模」。一層強固な組織をめざす。
「この目標を達成する頃には、価値観を同じくする社員税理士をはじめ多くの個性豊かな有資格者が、組織として今よりもずっと広くなったフィールドで縦横無尽に活躍し、ともに脳みそに汗を流して笑っていたい」と、前田氏らしい表現をする。
 個々が徹底したこだわりを持って、それを強みに仲間との協調を重んじ、組織として真剣にクライアントに向き合える。そんな仲間と共に、組織として最良の一手を打ち続けることができたら理想の未来が描けるだろう。
「現在31名なので、50名には残り19名。そう考えれば簡単です。でも単純に人数だけ増やしても意味はない。案件のクオリティを上げていきたいんです。今考えているのは、セミナーを私以外のスタッフにも伝搬していくこと。2017年暮れに1回目が発進しました。セミナーで、スタッフが話をしてクライアントにどう響くかを体感してもらいました。そこで案件が生まれれば、私を通さず仕事を増やすことができる。セミナーから発動する、ある種の原点回帰ですね。もう一回原点に返ってみようと、スタッフと一緒に積極的に取り組んでいます」
 そして今後、事業承継を強くしていく方向でも動いていくという。
「事業承継のシナリオを作って、数字まで一緒にやりましょうというアプローチを展開します。ここは診断士のいる私たちに分がある。今年は税制改正をきっかけに、今まで以上に事業承継を強めていく元年ですね。
 税理士をめざしている方に伝えたいのは、税理士プラス診断士は非常に有効であるということ。私自身、税理士単体では、まずここまで成長できなかったでしょう。自社を客観的に振り返ることもできなかっただろうし、特徴を出すこともできなかった。どう振り返ってみても税理士と診断士がないとできなかったと思うんです。
 税理士は大勢いて、力の差もあります。でもクライアントにとっては依頼してみなければ力の差はわからないんです。しかもAIの時代が到来します。活躍の場を問わず、旧来業務がなくなったときに、税理士である自分に何が残るのかを見据えて、将来を考えてほしい。絶対にプラスアルファで何かを持っていたほうがいいんです。
 世間でいろいろ言われているように、本当にAIによって税理士の基本業務はなくなると私は思っています。弊社ではすでに社内にSEを2名入れて、今後なくなっていく業務をどんどん駆逐してもらっています。資料を作る作業も、シナリオをマイクロフィルターにかけるとチェックや修正が自動でできてしまう。やっていくと、これまで人間がやっていた仕事がどんどんなくなっていくんですね。
 その分、何が人間にできるのか。どんな特徴を持っていけるのかを私もずっと考えていますし、皆さんにも考えてほしいですね」
 一番手っ取り早いのは、税理士プラス例えば診断士などの資格、あるいは税理士の中でもさらに専門分野を持つことだと前田氏は主張する。
 変化の激しい時代だからこそ活躍できる術を、未来の会計人である受験生は考えなければならない。

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