日本のプロフェッショナル 日本の社会保険労務士|2017年11月号

関根 光さん
Profile

関根 光氏

スポット社労士くん社会保険労務士法人
代表社員 社会保険労務士

関根 光(せきね ひかる)
1964年生まれ、埼玉県出身。1988年、早稲田大学政治経済学部卒業。日興証券(現:SMBC日興証券)、アリコジャパン(現:メットライフ生命)などを経て、2001年、社会保険労務士試験合格。2002年、社会保険労務士登録し、ユニバーサル社会保険労務士事務所開業。2013年、スポット社労士くん社会保険労務士法人設立、現在に至る。保険代理店100ten有限会社、金融教育セミナー機関100ten.school、代表取締役。

「スポット社労士くん」は、これまで社労士サービスを受けられなかった多くの事業主に、幅広くサービスを提供するためのプラットフォームです。

入退社手続き、給付金手続き、新規適用、年度更新、算定基礎届け、労働契約書、就業規則、助成金、36協定等労使協定…。列挙してみると、社会保険労務士(以下、社労士)の仕事はスポットのほうが多い。毎月あるのは、さしずめ給与計算と月次訪問による経営者の相談。こうした社労士業務の特性を考え、スポット業務に徹したサービスを展開しているのが「スポット社労士くん社会保険労務士法人」だ。代表の社会保険労務士・関根光氏は、「これまで社労士サービスを受けられなかった中小零細企業の受け皿となって、サポートしよう」という大きな社会的ミッションを掲げている。関根氏の考える社労士業務とはどのようなサービスなのか。「スポット社労士くん」という新しい社労士サービスに、スポットを当てる。

人から感謝される仕事

 「士業をめざすから資格を取る」ではなく「より良い仕事をするために資格取得をめざす」。そんなアプローチがあってもいい。資格はいろいろな活かし方がある。最近の若手専門家にはAI、IoTも視野に入れつつ、手続・申請業務のIT化で可能な限り効率化を図り、専門家にしかできない領域だけに仕事を集約する人が台頭してきた。独占業務だからといって手続・申請業務にこだわらない。徹底的な効率化で捻出した時間は、最大限、スペシャリストとしての能力を発揮する時間として活用する。
 「スポット社労士くん社会保険労務士法人」を展開する社会保険労務士の関根光氏もそのひとりだ。顧問料ゼロ円の社労士サービス「スポット社労士くん」をリリースし、「これまで社労士サービスを受けたくても受けられなかった多くの中小零細企業が、手軽に社労士サービスを受けられるプラットフォーム」を作り上げた。
 関根氏のビジネスは証券マンからスタートした。
「父は銀行マン、母親は不動産業から中華料理店と、職を変えながら商売を営んでいました。どちらかというと父より母の背中を見て育ってきた私は、自分も将来は商売をするんだろうという思いが漠然とあったんです。大学時代、『ウォール街』という映画を観て、マイケル・ダグラス演じる証券マンにメチャクチャ魅了され、商売するなら証券マンも悪くないと思ったのが金融業に入ったきっかけでした」
 1988年、バブル景気の真っただ中、売り手市場でどこでも就職できる空気感の中で、関根氏は日興証券(現:SMBC日興証券)に入社。証券会社には強烈なノルマがあり、顧客の資金をまるごと「お任せ」で運用し、手数料を稼いでいた時代である。
「上司からは『無茶はあかんが、無理はしろ』と言われるものだから、お客様とのトラブルもありました。それでも、いざと言う時は会社が助けてくれたので、会社へのロイヤリティはとても高かったんです。それが1990年代に入ってバブル崩壊が起きると、私の人生観は大きく変わりました」
 マーケットが暴落する中、多額の損を出した顧客は営業マンと証券会社を訴える手段に出た。証券会社はすでに社員を守る余裕もなく、営業マンが矢面に立たされることになった。ところが、本当に大変なこの時、関根氏を助けてくれたのが、損をさせてしまったお客様だった。
 「『わかった、あなたにも将来があるんだし、訴えるのはやめた』と言われた時、私は返す言葉もありませんでした」と言葉を詰まらせる。
「一体、自分は何のために一生懸命働いてきたんだろう」苦悩の日々が続いた。そこから出てきた答えは、「これからは人を不幸にしなくてよい仕事、人から感謝される仕事をしよう」だった。
 実は関根氏は大学2年の時に起業し、学習塾を経営している。同じ早稲田大学に通う学生を3人採用し、「現役早稲田生が教えます!」を売りに生徒を集め、開業当初で30名、一時は200名の生徒を集める塾にまで成長していた。早稲田の仲間に経営権ごと譲った現在も大勢の生徒が学んでいる。
 証券会社を辞めて、まず関根氏が考えたのはこの塾に戻ることだった。しかし、そこに戻ることはいつでもできる。
「もう少し何か掴みたい。一度大きな塾も見てみたい」
 関根氏は、あえて大阪に本社がある大手進学塾に転職を決めた。最初の2年間は東京営業所、その後2年間は群馬県・高崎の現場で小学生、中学生、高校生を指導しながら、社員として教材作成から講習会計画、父母面談、アルバイト講師の監督など、運営に努めた。この塾の仕事で学んだのは、仕事を通してお客様である生徒や父母から感謝されることだった。
「仕事とは、会社ではなくお客様のほうを向いて働くことだ」と心の底から思えた。同時に、「モチベーションの上げ方ややる気を高める方法」も学んだ。それが後の組織運営に大きく影響を与えることになる。
 こうして証券会社で傷ついた心が癒されたのは、27歳の時のことだった。

生保コミッションセールスへの転職

 時間が経過し、仕事に慣れてくると、次第に学習塾の仕事に物足りなさを感じるようになってきた。のど元過ぎて、欲が出てきたのである。そんな矢先、勤務していた学習塾で人事部配属になった同期が1年で退職し、ソニー生命に転職。コミッションセールスを始めたという話を聞いた。
「彼が『ソニー生命は本当に良い会社だよ』と言っていたのが記憶に残りました。その後、塾でアルバイトしていた学生の内定先3社のうち、ひとつがたまたまソニー生命だったのです。『関根さん、3社のうちどこがいいと思いますか』と聞かれて、同期の言葉を思い出し、『ソニー生命がいいんじゃないか』と返しました。その言葉を信じて彼はソニー生命に入社したのです。のちに会うと、その彼も『関根さんのおかげで本当に良い会社に入れました』と言っていました。
 『本当にいい会社なのか』。自分でも真剣に転職を考えるようになりました。塾は土日も夜も仕事があります。証券会社は土日休みだけれど、平日は昼も夜もなく働かされていました。普通に昼間働けて土日に休みがあることへの憧れも生まれてきました。
 そんな矢先に、日本経済新聞の日曜版にアリコジャパン(現:メットライフ生命)の営業教育部とエージェンシーマーケティング本部で「教育経験者尚可」という求人広告が掲載されたのです。『これって、俺のためにある求人じゃないか』と応募したら、とんとん拍子で採用となったのです」
 30歳の転職である。気になるのは、なぜあれだけ良い会社と聞いていたソニー生命ではなく、アリコジャパンに入社を決めたのかだ。
「ソニー生命の募集はコミッションセールスだったんです。当時、子どもがふたりいる私はその職種への転職はまったく考えておらず、安定した内勤社員がよかった。その点でアリコジャパンが私の思惑とぴったり一致していたのです」
 アリコジャパンに入社した関根氏は、エージェンシーマーケティング本部に配属され、希望の内勤社員として1年間穏やかに過ごした。ある時、上司から「関根君、暇そうだからやってもらいたいことがある。新入社員に現場の営業研修をさせることになったので、そのお供をしてきなさい」と言われた。そこで新入社員4名、2年目社員3名、合計7名のお守り役として現場で研修を受けることになった。
 行った先は当時アリコジャパンの中でも最も優秀だった最大店舗。後輩社員の引率をする程度の軽い気持ちで3ヵ月間の短期配属となった関根氏に、マネージャーは「関根君、君たちは何しに来たんだ。ここは保険を売る場所だよ。内勤も何も関係ない。君たちも保険を売ってこい」と、営業に出されたのである。
 ところが、やってみるとおもしろいように結果が出て、保険を売ったコミッション、つまり報償金までもらえた。関根氏は「なんていい仕事なんだろう」と感じ始めていた。
「証券会社を辞めて、安月給になって、俺の人生はこんなものなのかな、年収1,000万円なんて一生ないのかなと思っていたところに、この報償金はそこそこの金額でした。『うわ〜、こんなにもらえるんだ』と思いました。内勤でこれだけもらえるなら、営業職としてコミッションセールスをやったら1,000万円稼ぐことなんて楽勝なのではないかと、考えるようになったんです」
 3ヵ月間の営業研修で信じられないほどの成果をあげた関根氏が、本当の意味での販売の面白さを知った瞬間だった。まさにこの時の体験が大きな転機となったのである。
 「証券会社時代は株という変動商品を扱っているため、購入時にどれだけ説明を尽くしても結果は保証されませんでした。上がるか下がるかは、運任せ。それに比べて、保険は購入時にしっかり説明しさえすれば、あとはメンテナンスフリー。おまけに『保険の仕組みがよく理解できた』と、お客様から感謝されるんです」と、関根氏はコミッションセールスで感じた手応えを表現する。
 お客様がわからないことをわかるように教え、その結果、わかると感謝される。それはまるで学習塾で子どもに教えている時と同じだった。3ヵ月の研修後、保険営業に魅了された関根氏は、特別にもう3ヵ月の研修延長を役員に頼み込み、最終的には店舗のマネージャーの口添えも得て、コミッションセールスへと転向させてもらうことになった。

独立開業から社労士資格取得へ

 コミッションセールスは、結果を出せば出した分だけ報酬として評価されるプロフェッショナルの世界。仕事ができれば収入も得られるようになる。するともっと良い結果を出したいと、次の欲が出てくるし、当然、扱う商品の幅も広げてみたいと考えるようになる。
 当時アリコジャパンには、資産計上する保険には良い商品がそろっていたが、経費として損金になる節税系の商品がなかった。法人とのやりとりの中で「関根さん、経費になる保険はないの?」と言われると「残念ながら、うちでは扱っていません」と言わざるを得なかった。おかげで資産タイプの保険なら手法・話法、あらゆるものを用いて売るテクニックが磨かれ鍛えられたが、一方で歴然として経費にしたい、節税したいというニーズも根強かった。
 「こういう保険も扱いたい。より保険を扱える人間になりたい」という思いが募る。経験を重ねるうちに、思いは「1社の保険商品を扱うだけではなく、複数の保険会社の商品も扱う、本当の意味での保険コンサルタントになりたい。保険だけでなく総合的な金融相談に乗れるような存在になりたい」にまで凝縮されるようになった。
 「もう独立しかないな」。関根氏が資格と独立開業を意識したのはこの時だ。FP(ファイナンシャル・プランナー)の黎明期で、CFP®試験を受けて合格し、その資格をどう使おうか模索していた時期でもあった。懇意にしていた会計事務所の先生にそうした思いや独立の計画を相談すると、背中を押してくれた。
 こうして2000年、独立系FP会社「フェイシス株式会社」を設立。関根氏は35歳になっていた。FPを活用した保険の乗合代理店で、その後2003年、金融教育を目的としたセミナー会社を設立、毎年500名以上の受講者が参加するセミナー「100ten.school」を開催している。証券仲介業にも登録した関根氏が、「生保の乗合代理店として差別化を図る武器になるかもしれない」と当時考えていたのが、社労士資格だった。
「FPと言っても、皆知らない状況だったので、何も武器がありませんでした。外からみたら私は単なる保険代理店。しかも民間保険はわかっているけれど、公的な保険はわかっていない。それでは専門家として片手落ちだなと思ったのです。
 民間の保険商品を扱う際に、公的な年金・保険の知識をベースにトータルな提案ができれば、より競争力が高まります。つまり、CFP®資格や年金アドバイザー2級をめざしたのと同様で、社労士取得は社労士をめざしたというより、より良い保険代理店になるため、より良い職業人になるために、必要とした資格だったのです」
 自分の本業に社労士というツールを使うために。関根氏の社労士へのチャレンジが始まった。

メインは保険業務

 2000年2月に保険乗合代理店として独立開業した関根氏は、その年の11月から一発合格をめざし、Wセミナー(※)高田馬場校に通学し始めた。夜の講義にはなかなか行けず、日中に講義のビデオを見に行くことがほとんどで、模擬試験では最後まで合格圏外、本試験のある8月に入ってから猛勉強した。
「明らかに勉強不足、理解力不足だったので、試験に合格することだけを考えました。過去問をもとに大学受験時代に学んだ現代文の受験テクニックを思い出しながら、主に択一式問題を解く訓練をして、丸暗記は得意なので選択式は短期集中で暗記しました」
 追い込みが功を奏し、見事に一発合格。翌年登録をすませ、社労士として名乗りを上げた。
 と言っても、関根氏の業務は相変わらず保険業務。社労士業務は一切やらなかった。ただし、保険販売の切り口を考えた時、社労士はどうしても必要な資格だったのである。その切り口とは、在職老齢年金だった。
「当時60代の経営者は、一定額の報酬をもらっていると本来もらえるはずの厚生年金の支給が停止されていました。私は、これを使って保険販売につなげようと思ったのです。さっそくDMを作成して中小企業に配布し、反応があれば訪問して、『社長、もらえないのではなくて、もらっていないだけなんです』と逐一説明しました。報酬があるからもらえない。だから報酬を下げなさい。100万円の給与を30万円にしなさい。下げれば年間もらえるべき約300万円の厚生年金がもらえますよ。減った分はあとで退職金で取り返せばいい。こうして給与を減らした分で保険に入っていただき、保険解約して退職金をもらうと、トータルで1,000万〜2,000万円の収入増加になりました。このプランがとても好評で、おかげで保険を売りまくることができたのです」
 この保険販売は現在でも年商1億円に上る事業となっている。その際の社労士手続きは社労士のパートナーである亀田一弘氏が担当する。関根氏はあくまで保険のセールスという立ち位置で、細かくプランニングをする。亀田氏が在職老齢年金の詳細を説明して、関根氏が売るというスタイルだった。つまり関根氏自身はまったく社労士業務を行っていなかったのである。ちなみに亀田氏はアリコジャパン時代の同僚であり、先に社労士となっていたが、関根氏の開業にあたり合流し、現在は社労士法人の副代表を務めている。
 潮目が変わってきたのは、社労士資格を取得してしばらくしてからのこと。勤務時代から保険の販売経路が会計事務所中心だった関根氏が社労士になったと話すと、「じゃあ社労士業務を紹介するから」と言われるようになった。紹介された業務は通常の顧問契約だったが、同時に、会計事務所から聞く声は、一般的な社労士に対する不満の声だった。顧問先から社会保険や労務相談を受けても、「毎月の顧問料と言われると紹介しにくい」、「スポットで対応してくれるなら、いくらでも紹介できるのに」、「社労士の顧問契約は何をしてくれるのかよくわからない」といった課題だった。そこで関根氏が思いついたのが「スポット社労士くん」だ。
「日本の社会は社労士に顧問料を支払える会社ばかりではありません。顧問契約する余裕のない会社がいっぱいある。彼らは放置されている状態です。その方たちは税理士しかアクセス先がないので、困ったら税理士に相談する。新規適用から入退社手続き、年度更新の緑の封筒の『これなんだろう』問題。そんな相談すべてが税理士にいくのです。そこで税理士が困って社労士に紹介すると、『スポットでは受けられない、顧問契約なら…』と言われて、税理士はとても困っていたんです。
 スポットならそんなにたくさんの業務がある。それなら、これまで社労士サービスを受けられなかった中小零細企業の受け皿となって、自分がサポートしよう」
 「スポット社労士くん」はここから誕生した。

※WセミナーはTACのブランドです。

顧問料0円!の「スポット社労士くん」

 「スポット社労士くん」は、社会保険・労働保険の手続きを「顧問料〇円、1手続き3,000円〜」と低価格で提供する。事業主は毎月の顧問料の負担なく、必要な手続きを必要な時にだけ購入できるコスパの良い便利なサービスだ。
 サービスメニューは、新規適用、入退社の資格取得・喪失といったスタンダードな手続きから、よりよく従業員に働いてもらうための就業規則作成やその説明会、問題社員や解雇の相談、労働基準監督署調査やユニオン対応、人材育成の助成金まで、顧問契約なしで案件ごとに依頼できる。
「スポット社労士くんの第一のお客様は、顧問先の対応に苦労されている会計事務所の先生方、ご紹介いただいた顧問先の事業主が第二のお客様です。私たちのサービスは通常の社労士事務所と変わりませんが、第一のお客様のニーズを満たすために、サービス形態を顧問契約ではなくスポット契約としている点が大きな違いです」
 「スポット社労士くん」をビジネスとして本格的にスタートするにあたり、関根氏は3つの柱を立てた。
「後発の社労士なので、皆と同じことをしても勝負にならない。そこで『人の行く裏に道あり花の山』という相場格言のように、人と違うことを実行してみようと考えました。
 次に、企業が社労士に依頼する業務には何があるのか。マトリックスを作って検討してみました。すると、毎月の業務として依頼するものは給与計算くらいしかなかったのです。顧問契約をしているからこそ、適宜必要な相談も受けられるとも言えますが、そうした相談はスポットでも充分に対応可能だと考えました。となると毎月あるのは形式的な月次訪問と冊子配布。…それだけで月3万円はないですよね(笑)。毎月入退社があるわけでもないし、給与計算がなければ、どうしてもやらなければならないことなんて思いつきません。労務トラブルや労務相談もスポットで充分対応可能です。もちろん労務トラブルは起きます。ですけど社労士が顧問として入っていても労務トラブルは起きるし、入っていれば未然に防げるかといったらそうはいかないケースも多い。というわけで労働基準監督署調査、年金調査、就業規則、36協定、すべてスポットだと捉えています。
 次に考えたのが、一つひとつの業務の価格です。少なくとも会計事務所が紹介しやすい価格、事業主がそれなら依頼してもいいという価格であるように値付けしました。それもすべて必要な手続き、手続き内容、料金と表組みにして、何をしてくれるのか、それがいくらでできるのか、サービス内容が明確であること、価格の透明性が高いこと、つまりフェアであることを社会に約束しようと決めて、スポット社労士くんのサービスが出来上がりました」
 最近は労働者側の知識レベルが非常に高くなっている。逆に社長が知らずに労働者とのトラブルに巻き込まれるケースも多々あるそうだ。
「そんな姿を見ているととてもかわいそうです。そういう経営者に漏れなく社労士を行き届かせるべきなんです。一般の顧問契約では絶対届かない大半の中小零細企業のためにあるのがスポット社労士くんです」
 必要なところに必要なサービスを適正なフィーで。なんとも腹落ち感のあるこのサービスに、会計事務所も依頼主も大いに納得し、1度頼むと2度、3度とリピートしてくれるようになった。結果、顧問契約ではないが顧問契約のように業務の依頼が継続する。現在は品質管理、納期管理に特に力を入れ、改善、見直しを徹底する段階にある。

めざすは「利用者数ナンバー1の社労士法人」

 「制度面では国から、生活面では国民から、経済面では事業主や労働者から頼りにされていると思えることが社労士として一番のやりがい」と、関根氏は話す。多くの中小企業に社労士をくまなくお届けしたいという使命感を持つようになってから、毎月、就業規則10件、新規適用は労働保険15件、社会保険20件前後、2017年の年度更新は235件、算定基礎届260件と、依頼は昨年の2倍に増えた。
 しかし、これだけのボリュームをこなすには社労士4名を含む全スタッフ13名ではマンパワーが足りない。
 「今は社労士である主力メンバーが手続きに忙殺されて、本来の活動ができていない。私もマネジメントに時間が割けない状態。そこが今の課題です」と悩ましい一面を語る。
 それでも2020年までに、いずれの手続きも1,000件まで増やす計画がある。2018年4月までに手続きチームを増員し、主力メンバーがもっと営業面で活躍できるように人員シフトを図り、規程作成や採用・人事評価等、より付加価値の高い業務を提案してもらえるようになることをめざしている。
 社労士法人、保険販売代理店、金融教育セミナー。その中で関根氏が今一番注力しているのが「スポット社労士くん」だという。「今一番売れると思うから。その時に一番力を入れなければいけないところをバーッと動かしてます」
 考えてみれば、資格を取得してから今が最も社労士らしい仕事をしていることになりそうだ。
「まさか自分が就業規則を作ったりするとは思ってもいませんでした。今はまだ社労士で電子申請しているところは少ないですが、私たちはすでにすべて電子申請にしています。なぜならお客様は全国にいるからです。手続きで直接会う必要はないので、九州から北海道・東北地方までメールでのやりとりをして、役所にも行かずに、すべて電子申請です。在宅勤務も実験的にやってみています。パソコンがあればどこからでも電子申請できますから。
 手続きをいかに合理化するか。給付金絡みもあるし、最近増えている女性の産休・育休制度の拡充もある。社労士にはもっと他にやるべきことがいっぱいあるんです。だから私たちは、手続きの工場を提供するから使ってください的なことをやっている訳ですね(笑)」
 今後更に規模拡大していかないと人員不足は解消できないと話す関根氏。社労士法人として「労使の共存共栄を追及し、経営の安定成長と生活の安定向上に貢献する」という経営理念を掲げる。そのミッションは「事業主の手の届くところに、広く社労士サービスを供給する」。
 めざすは「利用者数ナンバー1の社労士グループになること」。関根氏の挑戦はまだまだ続く。
 「資格取得をめざしている皆さん、そもそも自分が何をしたいのか。やりたい仕事を明確にしてください。自分がその仕事をしている姿をイメージしてください。お客様から感謝される自分、経済的にも恵まれた自分を強く思い描いてください。そのために社労士という資格が必要なら、必ず合格します」と、読者にも力強いエールを贈ってくれた。

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