日本のプロフェッショナル 日本の会計人|2017年1月号

山本 智史さん
Profile

山本 智史氏

株式会社ストリーム 税理士法人ストリーム
代表取締役社長 公認会計士 税理士

山本 智史(やまもと さとし)
1977年生まれ、石川県出身。2000年、上智大学経済学部卒。同年、公認会計士2次試験合格。合格後、2年間のTAC公認会計士講座講師を経て、コンサルティング会社の株式会社エスネットワークスで税務を基礎から学ぶ。1年後、有限責任あずさ監査法人に入所。2年間、監査とIPOを経験。その後、PwCアドバイザリー株式会社(当時)で外資系企業、日本法人の大型案件に携わる。2007年9月より株式会社クリアコンサルティングに3年間勤務。2010年12月、独立開業し、株式会社ストリーム代表取締役社長となる。2011年3月、税理士登録を完了し税理士法人ストリームを設立。

社員の成長に責任を持つ。
それがトップの使命です。

 ユニークな行動指針を唱える税理士法人がある。東京・銀座にある株式会社ストリーム、税理士法人ストリームだ。「実力のない専門家の量産はしない」「社員は甘やかさない」「親孝行は義務化」「全員参加の環境整備」……と、一端を紹介するだけでも型破りな内容だ。総勢22名を率いる社長、公認会計士・税理士の山本智史氏は、創業以来「ストリームだからできること」にこだわってきた。「みんなに目が行き届く、困った人がいたら助け合える、サバゲー(サバイバルゲーム)ができる規模感(笑)。それって、ちょうどいいんです」と語る山本氏に、公認会計士をめざした動機から独立までの経緯、経営方針、様々な出会いまでをお聞きした。

自らを戒め2回目で合格

 人生にはいくつかの転機がある。それは人との出会いであったり、仕事との出会いであったりする。「いつ、どこで、誰と、何を」するか。それが運命を変えるキーになる。ストリームの山本智史氏にとって、それは両親やストリーム創設に至るまでに出会った先輩や師匠、共同経営者の公認会計士・税理士の寳角(ほうずみ)淳氏になるだろう。
 現在39歳の山本氏は、輪島塗りや和倉温泉で知られる石川県能登半島に生まれた。「田んぼだらけで想像を絶するくらいの田舎」な能登で、山本氏は公認会計士(以下、会計士)を知った。 「大学に進学するにあたり地元の歯科に治療に行きました。そこの歯科医師が司法試験の勉強をしている変わり種で、『法律系に行くなら弁護士、経済学部に行くなら会計士をめざせ』と言っていたのが会計士を知ったきっかけです」
 中学、高校とずっと体育部に所属してきた山本氏は大学1〜2年はスポーツから離れ、普通の大学生として過ごしていた。しかし2年も遊んで過ごすと物足りなさを感じるようになる。「何か打ち込むことはないか」。そんな時、歯医者の言葉をふと思い出し、「資格を取れば何かいいことありそうだし、カッコよさそう」とチャレンジを決めた。
 高校3年の夏まで漕艇部で活動してインターハイにも出場し、希望の大学にもストレート合格。それまでの学生生活で大きな挫折の経験がなかった。順風満帆のままTAC公認会計士講座の1.5年本科生となったが、受験1年目は同じくTACに通う受講生と交際することになり気持ちが流され、大学4年で受けた1回目の試験は敢えなく撃沈。
 「何度も合格発表の掲示板を確認した後、学生寮の3畳間で1日ぼーっと寝ころんでいました。周囲の友達がどんどん就職を決めていくし、寮も卒業したら出なければならない。実家は裕福ではなかったので学費と寮費だけでも大変。その上、妹も大学生になったので、もう1年、無職のまま寮を出て仕送りをもらって受験を続ける、そんな負担を両親にかけられる状況ではなかったのです」
 今でも、試験に落ちた後「とりあえず帰ってこい」と言われて実家に帰った時、父に言われた言葉を昨日のことのように覚えている。
 「金沢駅まで迎えに来てくれた父は、車で1時間半の移動中何もしゃべらない。『何を考えてるのかな。お金がないからダメなんだろうな。父さんが働いてる会社に就職しろって言うのかな』といろいろ考えていました。やっとの思いで『父さん、もう1回だけチャレンジさせてください』と言ったら、父は初めて口を開いて『おまえがやりたいと言ったらやらせよう、言わなかったらここで終わりだと思っていた。父さんももう1回チャレンジしてほしいと思っていたけど、本人から言うまで黙っていようと思っていた。あとのことは心配するな』と言ってくれたのです」
 これ以上ない感謝の気持ち。それはこの時の気持ちを言うのだろう。「2回目の試験は絶対に落ちるわけにはいかない!」と自分を戒め、山本氏は2回目に臨んだ。

会計士実務を包括的に経験

 受験時代、山本氏には密かに憧れている職業があった。TACの講師である。本気で勉強している受講生にイキイキと教える姿はとても輝いて見えた。講師になる条件は全答練(現 全国公開模試)で50番以内に入ること。合格の目標と相まって、山本氏のモチベーションは上がった。そして2回目のチャレンジで無事会計士試験に合格を果たし、晴れてTACの経済学講師として教壇に立つことができたのである。
 「本気で勉強している大勢の生徒が集まっているんですから楽しいですよ。極めつけは合格祝賀会。お世辞でも『先生のおかげです』なんて言われると嬉しくなっちゃって。それで1年のつもりがついつい2年に。でも実務の世界に行きたいと思っていましたので、2年が限度と思い、就職することにしました」
 山本氏の初めての実務の現場はコンサルティング会社、株式会社エスネットワークスだった。そこで領収書を貼り、会計入力、税務業務からコピー、ファイリングまで、できることは何でも朝から晩までやり続けた。実務の現場では試験勉強で得た知識だけでは戦えない。今まで持っていたプライドは打ち砕かれ、「実務はプライドを捨ててがむしゃらにやらなければならない」ことを叩き込まれたのである。短期間だったが「エスネットワークスでの修行が最も肥やしになった」と言うほど、濃厚な時間を過ごした。
 会計士なら監査を経験しなければ一人前とは言えない。そう考えて、有限責任あずさ監査法人に転職。2年間、法定監査とIPO支援の現場で実務経験を積んだ。
 「監査の重要性は認識していましたが、よりクライアントに近いところで仕事をしたいという気持ちが大きくなっていきました。さらに別の仕事を経験したい、もっと成長したいという思いから、2年後に外資系コンサルティング会社のPwCアドバイザリー株式会社(当時。以下、PwC)に転職しました。そこで最初はバリュエーション(価値評価)チームでひたすら修行の日々。その後事業再生、M&A支援と経験します。会計士の肩書が通用しない、パフォーマンスを発揮しなければ生き残れない厳しい環境でした。そこでは元銀行員と不動産鑑定士の2名の師匠に出会い、かなり迷惑をかけながら鍛えてもらいました。PwCでの2年間は独立前、最も仕事に打ち込み成長した時期ですね」
 エスネットワークスで数字を作る基礎から学び、あずさ監査法人で監査とIPO支援、PwCではバリュエーション、事業再生、M&Aと、会計士として一通りの実務を経験し、山本氏は独立の地歩を着実に固めていった。
 山本氏はもともとコンサルタントをめざしていたが、PwC時代、コンサルタントとして20〜30人の大型プロジェクトに参画した際、自分が貢献している実感が持てなかったことから「自分は何がやりたいのか」と考えた。そして経営者の近くにいて「山本さんありがとう!」と言ってもらえることが、ものすごく嬉しいと気づいたのだ。
 経営者に近いところにいるためには、独立しかない。そんな機運が高まってきたある日、満員の終電で隣の男性がぐいぐいと押してきた。「なんだよ、この人」。押し返したが相手も折れない。顔を見ると、かつてエスネットワークスで一緒だった株式会社クリアコンサルティングの社長、森田修氏だった。
 「よう智史、ちょっと降りろよ」。言われるがままに、駅のベンチに座ってしばらく話をしているうちに、「今何やってるの?」と聞かれて経緯を話すことになった。森田氏は独立志望を知った上で「迷っているならうちにこいよ。一緒にやろう」と誘ってくれた。こうして山本氏はクリアコンサルティングに参画することになったのである。
 「組織を出たら、会計士の肩書だけでは食っていけない。『先生』では1円にもなりません。森田さんには、会計税務はサービス業でお客様のために仕事をするのだということから、営業のイロハまで、本当によく教えていただきました」と当時を振り返る。
 3年後の2010年12月、山本氏はクリアコンサルティングの近くにオフィスを構え独立を果たした。

コンサル&税務の「ストリーム」

 30代で「誰と」何をやるのか。独立しようと決めた時、山本氏はその「誰と」が鍵だと考えていた。ある日、会計事務所に勤めていた妻から「上司が会いたいと言っている」と言われ、飲むことになった。その時の衝撃を、山本氏は「会った瞬間、ああ『誰と』の誰はこの人だったんだ」と表現している。
 数週間後、彼から連絡があった時、山本氏の方から「一緒にやりましょう、という話なら僕の回答はYesです。」と自ら進言した。
 30代で「誰とやるか」。森田氏がその一人、そしてもう一人が一緒に開業することになった人物。それがストリームの共同経営者、寳角淳氏である。
 寳角氏のことを森田氏に相談すると、「今が一番いいタイミングだよ」と背中を押してくれた。しかもクリアコンサルティングで採用した自分のチームメンバーと共に独立することを応援してくれたのである。
 「本当に森田さんには迷惑をかけてしまいました。それでも了承してくれて、支援してくださった森田さんに、今でも頭が上がりません」と、山本氏は感謝の気持ちを隠せない。
 寳角氏もスタッフを引き連れて合流し、新規採用した1名を加えて、ストリームは総勢7名での船出となった。「周囲の人に支えられて、良いスタートがきれた」と山本氏は痛感している。

「3分割の法則」

 「会計税務は法令、判例、IFRS等のグローバル化の影響、スマホのような新しいサービスの台頭で、すべてが日進月歩の勢いで変わっていきます。そのような中で会計事務所が古いままでは時代に取り残されてしまう、クライアントニーズを満たせなくなってしまうのです。そこで、環境が激変しても時流に乗り、環境に適応し、クライアントに必要な付加価値あるサービスを提供し続ける専門家集団となる、という思いを込めて、社名はストリームにしました」と、山本氏は社名の由来を紹介する。
 ストリームではクラウドサービスを駆使したロケーションフリーの環境で、ノートパソコンさえあればどこでも作業できる。2つあるオフィスフロアの片方はカフェラウンジ風のフリーアドレス制。これも「時流に乗る」ストリームらしさを表している。
 スタートから山本氏と寳角氏は合議制にこだわった。何か決める時は常に合議、一方が勇み足なら一方が牽制したりと切磋琢磨する。トップダウンになりがちな個人事務所の経営とは違い、2人のバランスと「やりきる行動力」が強みの2トップ体制だ。2人でやろうと決めた時、組織で、チームで達成感を共有することが何よりも楽しいという点で一致した。めざすところは強い信頼関係で結ばれた専門家集団。あくまで「チームストリーム」にこだわる。
 IPOブーム、ベンチャー投資ブーム、ITバブル、内部統制、そして今度はIFRS(国際会計基準)。コンサルティングブームの波に乗って多くの専門家が独立開業してきた。M&A、IPOのコンサルを手がけてきた山本氏と同様に、寳角氏も大手監査法人でコンサルティング畑を歩んできた猛者。となればストリームもコンサルティング業務に一点集中で打って出るのかと思えば、そこは綿密に戦略を練る。
 「私と寳角が開業した時は何のブームもありませんでした。あったとしても、コンサルティング1点集中だと1つのブームが去れば売上が激減し、存続できなくなってしまう。そこで考えたのが業務比率3分割の法則でした。会社の安定のために3種類の業務を3分の1ずつの売上シェアになるように意識しています」
 3分の1はM&A、IPOのようなハイリスク・ハイリターンで関与期間が1〜2ヵ月前後のコンサルティング業務、次の3分の1がミドルリスク・ミドルリターンで決算早期化・業務効率化支援のようなクライアントにより近いところまで入り込んでやっていく、関与期間が半年〜1年前後の経営支援業務。残りの3分の1がローリスク・ローリターンの関与期間が3〜5年以上は継続する税務会計業務という棲み分けだ。
 「最初はコンサルティングばかりでした。それではハイリターンかもしれないが半年後には会社の売上がゼロになるかもしれない。そこで意図的にミドル(経営支援業務)とロー(税務会計業務)を増やしていくために、M&A、IPO支援で関わったクライアントから税務や決算早期化といった業務のニーズを引き出し、案件を獲得していくようにしました。すると今度は逆に、税務クライアントからコンサルティングのニーズが出てきたのです。この循環ができて、今はほぼ3分の1ずつとバランスが良くなっています。これなら3つの分類の1つが崩れても他の2つの領域でカバーできる。開業してからずっとこのように会社としての持続性を考えているんです」
 循環ができれば、長いお付き合いのクライアントが多くなる。基本的にストリームは「リピーターと紹介ばかり」が特徴だ。スポットからランニングへ、ランニングからスポットへ。ストリームのクライアントはこの循環の中で広がっているのである。

社員の成長を最優先

 山本氏と寳角氏にはもう一つめざしている大事な目標がある。それは社員を成長させることだ。ストリームには先ほどの「3分割の法則」があるので、例えば新人は申告書からスタートして税務のノウハウを持って決算早期化を経験し、その後、M&AやIPOあるいは税務に戻ることもできる。すると、それぞれがリンクして立体的に見えてくるメリットがあるという。
 「ハイ・ミドル・ローの3つのリンクが社員教育としてものすごく重要。この3つをしっかり経験することでサービスの幅が広がり、より広範囲のクライアントニーズに応えることができるようになるんです」と山本氏は分析する。
 一方、山本、寳角の2トップが獲得してくるM&A、IPOのコンサル案件には他にはない、珍しく興味深いトピックが盛り込まれるケースがある。先日は関与したM&A案件の最終局面で「企業と企業の結婚式」を本当にチャペルで行った。
 「世界初だと思いますよ。買収側の経営者がとても理解があって、相手企業が悲しい気分にならないようにと配慮したのです。実際やってみると悲しいどころか、どちらの社員もみんな笑顔笑顔(笑)。M&Aはお互いの良いところ悪いところをすべてひっくるめての結婚です。心の通じ合う結婚をして、絶対に買った買われたなんて思ってはだめです。私たちもこんなに素晴らしい企業同士の結婚に関与できて、とても幸せです。
 私と寳角が先頭を切ってやりがいのある仕事を自分たち自身で楽しくこなす。『トップがあんなに楽しそうに仕事をやっている』という姿勢を見せることが一番大事だと思っているんです。よく組織が大きくなると社長は現場から離れ、管理業務等のいわゆる社長業に専念しますが、私や寳角にはあり得ない。私たちが先頭に立って、一番の成果を上げ、背中を見せる。ストリームの役員はおそらく社員の誰よりも仕事をしています。私は現場が好きなので、社長業の社内管理業務は本当は放棄したいんですよ(笑)」と、残念そうな表情だ。2トップが社内の誰よりも働き、誰よりも率先して現場に出ていく。その姿勢を見て社員は育っていくのである。
 現在総勢22名のメンバーは半数以上が有資格者だ。また、異業種からの転職者も少なくない。「資格があってもなくても、経験があってもなくても、いろいろな仕事に触れさせて鍛える」という。それなのに、これまで2年以上勤続するメンバーの退職者はゼロ。その高い定着率に、社員の満足度が表れている。
 「ストリームは最初の1年でいろいろな業務を経験し、専門家としての裁量の幅が広がるので、面白くなってきて辞めなくなるんです」と山本氏は言う。その背景には「やりたいことがすべて学べて実践できる風土」があるようだ。となれば、集まってくるのも成長意欲の高い人間だ。会計事務所の固定観念もないロケーションフリーな環境で多くを学べるので、異業種からの転職者でも、素直に真面目に取り組めば、1年でそれなりの実力がつくと山本氏は自信のほどを見せる。それが高い定着率につながっているのだろう。
 「少数精鋭が理想。会社の規模拡大は優先しません。さまざまな依頼業務に対応できるよう、人員を増やしていったら今の22名になったんです。みんなに目が行き届く、困った人がいたら助け合える、サバゲーができる規模感。だからちょうどいいんです」山本氏は笑顔でそう語る。

社員の成長に責任を持つ

 ここでとても斬新なストリームの会社方針をいくつか紹介しよう。まず「ストリームがやらないこと」という方針の筆頭は「規模拡大を優先しない」。続いて、「不相応な贅沢はしない」、「フェアでない仕組みはどんどん直す」、「利益度外視の受注をしない」、「長時間労働を高く評価することはしない」などのラインナップだ。
 次に「ストリームがやること」の筆頭は、「社員の成長に責任を持つ(社員の3〜5年後に責任を持った対応を意識する)」、「社員の成長の機会を与える」、「継続的な学習を促進する」などの方針が目白押しだ。
 中でも山本氏がとりわけ心を砕いているのが「社員の成長に責任を持つ」である。
 「社員を今、この瞬間だけ喜ばせるのは簡単なんです。何でも手取り足取りやってあげて、苦労から遠ざければいい。でも、もし何でもやってあげて5年後、10年後に実力のない人材になってしまったら一番つらい思いをするのはその本人です。だからこそ、その人の5年後、10年後のために困難な仕事も振るようにする。そこは意識しています。だから非常に厳しく接することもありますよ。入ってきた初日から一人の専門家として接します。楽をさせてもらった経験というのは、いろいろな勝負に出た時にはほぼ役に立たない。真剣に必死に取り組んだ経験こそ自分の武器となる。私もそれを独立した時、嫌というほど実感しました」
 2〜3年きっちりやったら、少なくとも自分が活躍できるようになった時にやりたいことができるようになっている。それだけの実力を身につける。そこがストリームのめざすところと言える。
 ストリームでは社員がまるで家族のような関係でもある。と言っても飲み会が頻繁にあるわけではない。バーベキューやボーリング大会のような何か楽しめるイベントで盛り上がる。時にはプライベートで悩みを抱えているメンバーにもメンバー相互間で助け合う。これも「ストリームらしさ」だろう。
 「家族とは何か。頑張っている人を見捨てない、困った時に助け合う共同体です。チームだから、うまくいった時の喜びが何倍にもなる。1日で一番長い時間を費やす仕事、1日8時間、週7日のうち5日を引退まで費やす仕事です。それがつまらなかったら人生つまらない。だったらそこに達成感だったり、みんなであの時よかったねというエピソードを残したいじゃないですか。家族的だからこそ楽しいことも苦しいことも分かち合えるんです」

プロフェッショナルなら志を高く

 家族的であるだけに、社員を選ぶ採用はストリームにとって重要なはずだ。かといって採用で「時間をかけてじっくり選ぶ」わけではない。大切な人材は「最初の挨拶の時にはほとんど決まっている」そうだ。
「私たちが一番大事にしている採用基準は『この人と一緒に働きたいか』、この一点だけだからです。それさえあれば何とかなります。すごい知識や経験があっても一緒に仕事をしたくない人は採用しません。
 そしてもう一つ選ぶ基準があるとしたら、偉そうな人も採用しません。お客様が誰かに相談したいと思った時、一番に顔が浮かぶ人間。そこに私たちはいたい。『謙虚で素直。ちゃんと笑顔ができること』。それができれば、それまでどのような仕事をしていたのであってもストリームなら一人前にする自信があります」
 そんな社員の成長を感じた時が何よりも嬉しいと山本氏は話す。将来の士業をめざして勉強している受験生にも、ぜひ志を高く持ってほしいとアドバイスする。
「経営者が会社の重要な局面で、誰かに相談したいと迷った時に真っ先に顔が浮かぶ存在をめざしてください。そうなれば、代えがたい存在になれるんです」
 そのためには「仕事を選ぶな、どんな仕事もやれ」と、口を酸っぱくして言い続ける。
「ただし、低価格のみを武器にサービスを提供することはしません。専門家として、付加価値をプラスしたサービスを提供し、それに見合った報酬をいただきます。『それでもいいからストリームにお願いしたい』と言われる仕事をしたいからです」
 山本氏は、未来の仲間となる受験生にも「プライドをかけて仕事をするプロフェッショナル」に成長してほしいと願っている。

「過剰なほど親孝行しろ」

 山本氏が会計士試験に落ちた時、背中を押してくれたのは父だった。普段は何も言わないそんな父が、独立すると話すと珍しく電話をしてきた。
「私の祖父も経営者。祖父は糸を布にする織布工場を経営していて、父はその製品を収める会社に就職が決まっていて選択肢がなかったそうです。『経営者は誰も彼もがやれる仕事じゃない。自分も経営者をやってみたかった。おまえは縁あって経営者になれるのだから、できることに感謝してやりなさい。経営者としてチャレンジできるのは人生で1回だけ。』と言ってくれたんです。『これはやらなきゃいけないな』と思いました」
 普段は黙って見守り、人生のターニングポイントで強く背中を押してくれる。山本氏は父に言葉に尽くせないほどの感謝の気持ちを感じている。そしてまた母にも強い思いがある。
「母にもとても感謝しています。高校入学時、上位だった成績が、部活に打ち込んだため大学受験を控えた高3の夏時点で下位に落ち込んでいました。ある日、母は担任に呼ばれました。『志望校はどこもE判定。志望校を変更するよう息子さんを説得してください』と言われたそうです。その時母は『私は受験のことはよくわかりませんが、息子がやりたいと言っているうちはどうかやらせてあげてください』と言い続けたそうです。結果、志望校に合格。その時担任から『お母さんに感謝してこい。お母さんはおまえを信じ続けていたんだよ』と言われました。この時だけでなく、母はどんな時でも私の意思を尊重してくれています」
 家族とは、頑張っている人を見捨てない、困った時に助け合う共同体。そのポリシーを貫き通してストリームは運営される。
「年末年始に立てる目標の一つに親孝行宣言があります。例えば私だったら年2回は実家に帰るといった、具体的に数字を入れた目標を立てるんです。また、母の日は有無を言わさず会社負担で全社員のご家族に花を贈ります。大事なんですよ。だから親孝行できない人間は仕事できても自分が一緒に仕事したい人ではありません。それはストリームのポリシーじゃないので」
 「過剰なほど親孝行しろ」と言い続けるのは、家族に支えられたルーツが今も山本氏を支え続けているからに他ならない。それは、「社員の成長に責任をもつ」につながり、ストリームの経営に反映されている。

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