特集 資格×球団経営、そこから生まれるシナジー効果

河西 智之氏
Profile

河西 智之(かわにし ともゆき)氏

福岡北九州フェニックス株式会社 球団代表
弁護士法人フラクタル法律事務所
弁護士

1991年生まれ、香川県丸亀市出身。2014年3月、中央大学法学部卒。2015年、中央大学法科大学院中退(司法試験合格により)。2016~2018年、西村あさひ法律事務所勤務。2019~2021年、ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所勤務。2021年6月~2022年3月、福岡北九州フェニックス株式会社 代表取締役就任。2021年6月~弁護士法人フラクタル法律事務所勤務、現在に至る。

九州のプロ野球独立リーグに「福岡北九州フェニックス」が誕生した。オーナーは、実業家・堀江貴文氏。世間から注目を集めるこの球団の代表取締役に就任したのが、30歳の弁護士、河西智之氏だ。河西氏はどのような経緯で代表取締役として経営のかじ取りを引き受けたのか。球団経営に弁護士資格はどのように活かされているのか。「弁護士×スポーツ」の二刀流に斬り込んでみたい。

「ホリエモン球団」誕生

──河西さんは弁護士として活動される中、プロ野球独立リーグ球団「福岡北九州フェニックス」の代表取締役に就任されました。球団経営に取り組まれた経緯をお聞かせください。

河西 「福岡北九州フェニックス」は、プロ野球独立リーグ「ヤマエ久野九州アジアリーグ」の加盟をめざして2021年4月に立ち上がりました。球団運営会社発足のきっかけは、私も参加している実業家・堀江貴文主催のオンラインサロン「堀江貴文イノベーション大学校」で、2021年2月頃に「プロ野球の独立リーグに新しく球団を作ってみようか?」という話が出たことです。このオンラインサロンは、ビジネスも遊びも、メンバーが主体となって自分のやりたいことを形にしていく場です。球団の創設メンバーは、オーナーの堀江を含め、全員がオンラインサロン出身のメンバーです。
 私は小学校から高校まで野球をやっていて、かねてから弁護士活動を通じて何かしらの形でスポーツに関わっていきたいと思っていたので、立ち上げから参加することにしました。

──どのような経緯で堀江氏のオンラインサロンに入られたのですか。

河西 弁護士業務を開始してから、仕事が生活のほぼすべてになり、なかなか外の世界が広がらない閉塞感に悩んでいたのです。そのタイミングでたまたま堀江のオンラインサロンの存在を知って興味を持ち、「自分もいろいろな業界の人と話をし、関わってみたい。うまくいけば新しい出会いや仕事にもつながるかもしれない」という軽い気持ちで参加しました。
 入ってみると、プロバスケットボールチームの運営をしたり、新しいアイデアを実際に様々な事業につなげたり、本当に具体的に何か形にしていく人たちを目の当たりにしました。一般的な勉強会は机上で終わるものが大多数だと思いますが、堀江はそれを一番嫌っていて、「そんなことよりとりあえず実行しよう。やらなければ意味ないよ」と言うのです。その考え方にすごく共感して、球団設立の話が出たとき、自分も「やってみたい」と挙手しました。

不安が99%の代表取締役就任

──球団の代表取締役にはどのような経緯で就任されたのですか。それまでに経営やマネジメントの経験があったのでしょうか。

河西 経営に携わるのはまったくの初めてです。当初は代表権のない一役員として、主に法務を中心とする裏方業務としてサポートをする予定でした。しかし、立ち上げ時に就任した元の代表取締役が退任することになってしまい、残りの役員で協議した結果、私が新たに代表取締役に就任することになりました。とはいえ元来トップに立って周りを引っ張っていくような性格でもないし、何よりあのホリエモンが設立した球団ですから、注目を浴びるのは必至。その代表の重責は計り知れないものがありました。ですからトップを引き受ける「楽しみ感」や「ワクワク感」など一切なくて、不安が99%でしたね(笑)。
 本音を言えば進んではやりたくない気持ちもあったのですが、関わったからには成功させるしかない。立ち上げてきちんと軌道に乗せなければならないという責任感から「やります」と答えました。

──球団の立ち上げ時はやることが山積みだったのではないですか。

河西 その通りです。今でこそスタッフが6名に増えましたが、立ち上げ時は経営面とスポンサー営業をほとんど私1人で担う状況でした。ただ、堀江以外のもう1人の役員は20年以上経営者として活躍されてきた経営のプロなので、共同代表として一緒に運営を行っていく中で、経営のイロハを教えてもらいました。そこは大変ありがたい経験でしたね。
 チーム設計を考え、監督やコーチを誰にするのか、選手のトライアウトをどうやって実施するのかなど、 立ち上げ時の企画は堀江を含めた役員3人で話し合って進めました。監督やコーチ候補者、チームを支えてくれるスポンサー企業、取引先など一つひとつ交渉を進め、内容を詰めていきましたが、弁護士は法務の専門家ですから、そういった契約交渉から契約締結に至る部分をすべて自分一人で完結できる強みを発揮できました。
 こうして2021年5月に球団を立ち上げ、リーグへの加盟申請が通ったのが9月、監督が決まったのが11月でした。その後、2022年2月18日に体制発表会を開き、同時にキャンプをスタートして、3月19日のリーグ開幕戦に至りました。

球団経営に比重を置いた1年

──財政財産基盤となるスポンサー集めはスムーズに進んでいますか。

河西 独立リーグにとっての運営費の柱はスポンサー収入ですから、約1億円の資金を集めるにはスポンサー集めに奔走しなければなりません。ですがコロナ禍という状況ではスポーツチームに出資する余裕のある企業が多いとは言えず、当初の想定ほど順調には進んでいない現状があります。シーズン1年目ですから観客動員数などもまだまだ見込めない状況ですが、収支計画を立てて、なんとか初年度から黒字になるように引き続きスポンサー営業などを行っていく必要があります。

──1年目の目標を教えてください。

河西 チームとしては、1年目からNPB(プロ野球)にドラフト指名を1人出そうということ、九州地区で優勝して全国独立リーグのチャンピオンシップで日本一になろうという目標を掲げています。長期的にはリーグが掲げる「アジアリーグ構想」がありますので、「九州アジアリーグ」だけでなく中国・台湾・韓国といった東アジアの他国とも連携したアジアリーグの実現に貢献したいと考えています。
 もう1つは、現在は北九州市内やその周辺地域の球場をお借りして試合を開催していますが、将来的に、自前のスタジアムを持って安定的・継続的な収益を上げられるしくみを模索することです。堀江がこの球団を作った背景には、「たまにしか野球を観に来ないようなライトなファンも楽しめる仕掛けづくりをしたい」という思いがあります。ですから、野球とエンタテインメント要素が盛り込まれたスタジアムを設計し、普段あまり野球を観ない人たちが気軽に足を運んでもらえるような、そんなボールパークを実現したいと思っています。1年目からその足がかりを作っていきたいです。

──今後も代表取締役として球団運営に注力されていくのですか。

河西 実は、元々立ち上げの1年間に限り、球団運営を支えるため、球団に注力する予定でした。そのため従前の予定通り、4月以降は球団運営会社の役員からは外れることになっています。しかし、アドバイザーや顧問弁護士として球団運営には関わり、球団運営を支えていくことに変わりはありません。
 0からの立ち上げとなるとやることが山積みで、この1年間、ほとんど弁護士活動ができませんでした。4月からは、バランスを取って少し弁護士活動の比重も増やしていきたいと思っています。

球団オーナーである実業家・堀江貴文氏とともに記者会見に臨む河西氏。

「キムタクみたいな検事になりたい」

──河西さんは小さい頃から野球に親しんでこられたのですか。

河西 小学生の頃から地元・香川県丸亀市の少年野球チームに入っていました。親に勧められて習い事もいくつかやったのですが、いろいろなことに興味が向いて長続きしないタイプでした。そんな中、野球だけは野球好きな父とのコミュニケーションの一環としてキャッチボールをしたり、小学校4年生のときに四国に初めて独立リーグができてプロ野球選手に間近で会えたりしたこともあり、どんどんハマっていったんです。高校まで野球を続けていましたが、試合中にケガをして椎間板ヘルニアを患ってしまったので、本格的な野球は高校で引退しました。ただ、その後も草野球などをしたりプロ野球の観戦に行ったりと、野球との接点は持ち続けていて、今でもたまにチームの練習を手伝いに行ったりしています。

──野球に打ち込む中で、司法試験をめざしたのはいつ頃ですか。

河西 高校生のときに法曹の道に進みたいと考えて、中央大学法学部に指定校推薦で入学しました。法曹をめざした一番の動機は、木村拓哉さん主演の映画『HERO』の影響を受けたからです。木村拓哉さん演じる検察官に憧れを抱き、それまで漠然と興味があった法曹界に本格的に興味を抱くようになりました。大学進学後は、検察官をめざして大学3年の夏から受験指導校に通い、まずは法科大学院入試をめざしました。
 中央大学法科大学院に進んだあと、1年目で予備試験に合格し、2年目に司法試験に合格しました。司法試験に合格したので、法科大学院は2年目で中退し、同期よりも1年早く司法修習に行っています。

──司法試験に合格したら法科大学院を中退すると、予め決めていたのですか。

河西 はい。弟が大学進学を控えていたので、家庭の経済的な事情もあり、一刻も早く実務家になったほうがいいだろうと思っていたので、司法試験に受かったら中退することは当初から決めていました。

──検察官でも裁判官でもなく、最終的に弁護士を選んだ決定打は何でしたか。

河西 検察官への憧れはあったものの、最終的には修習に行ってから決めればいいだろうと思っていました。最終的に、西村あさひ法律事務所への入所を決めたのは、私に声をかけてくれた企業不祥事調査を扱っているチームの先生とお話しした際、「この人の下で働いてみたい」とその先生の人間的魅力と業務内容に魅かれたところが大きかったです。また、当時はビジネスにも興味が湧いてきていて、「弁護士活動だけでなく、将来的に弁護士プラスアルファの事業をやってみたい」「ビジネスに精通した弁護士になって、将来的には何かビジネスで社会に還元できるような存在になりたい」という思いもあったので、企業法務を取り扱う事務所に入所したほうがいいだろうという考えもありました。

球団経営が弁護士活動につながった

──勤務弁護士として、その後どのようなキャリアを歩まれましたか。

河西 西村あさひ法律事務所に2年勤務した後、ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所で2年半勤務し、2021年6月から現在のフラクタル法律事務所に転職しています。
 一貫して企業法務中心で、西村あさひ法律事務所では不祥事対応と企業の危機管理対応チームに所属していました。弁護士としての基礎をたたき込まれた貴重な2年でした。
 2つ目の事務所に転職した理由は、一分野だけではなく、さらに発展的な企業法務をもっと幅広く扱えるようになりたいと考えるようになったからです。ゾンデルホフ&アインゼル法律特許事務所では自分のやりたい業務を幅広く経験させてもらえただけでなく、将来的には海外のロースクール留学支援もしていただける予定だったので、何もなければずっとお世話になろうと思っていました。ところがコロナ禍で弁護士業界も働き方が一気に変わり、私自身も将来設計を考え直し始めた矢先に、球団立ち上げの話が出たのです。「留学してアメリカの有資格者になるより、球団を経営した実績のほうが絶対大きい」と考えて、球団への参加を決めました。
 ただ、15人程度の少数精鋭事務所ですので、自分だけ弁護士活動をせずに球団経営に携わらせてもらえる余裕はありません。そこで大学時代にアルバイトしていた現在の事務所の代表に相談したところ、事務所に籍を置きながら球団経営に携わることを快く了承してくれたのです。現在は、球団経営に軸足を置きつつ、自分のタイミングで弁護士活動を行わせてもらっています。

──現在取り組まれている企業法務案件は、ご自身で開拓されたのですか。

河西 球団のスポンサー営業でつながりができた北九州市の企業やスポーツチームの顧問など、球団経営を通じて知り合ったクライアントが多いです。スポンサーになっていただける企業は中小企業が中心なので、法務で困っているところが結構あります。球団経営を軸に据えてきましたので案件数は絞ることになりますが、できる範囲でお受けしています。

──球団運営が弁護士活動につながったのですね。

河西 その通りです。球団経営に携わったことが弁護士としての専門分野の確立につながったと感じています。球団経営で培った知見をそのままアドバイスとして活かせるので、スポーツ法務についてはかなり精通できているのではないかと自負しています。

──スポーツ選手の代理人として弁護士が関わるケースはよく聞きますが、「スポーツ法務」とはどのような内容でしょうか。

河西 チーム運営側としては、選手やスポンサー企業との取引などの契約関係がメインになりますが、それ以外にもガバナンスやコンプライアンス整備が重要になってくるので、内部規則の策定や不祥事対応、商標などチームのブランド価値をどう守っていくかといったところにも重きが置かれます。そこは勤務弁護士として携わった法務の経験とノウハウがかなり活かされていますね。
 自分で経営に関わった経験から、スポーツ界全体では法務整備がまだまだ遅れていると感じます。明確に契約書を取り交わさなかったり、紳士協定で物事を進めてしまったりした結果、あとでトラブルになったというケースをよく耳にします。そこは事前にリスクを洗い出して把握し、きちんと書面で合意しておく必要があると、運営側に立つとより強く感じます。

──法務面以外に、球団経営をする際に弁護士としてのキャリアが活きていると感じた部分はありましたか。

河西 すべての取引において交渉が発生しますが、どういう落とし所を見つけるかといった交渉面には、かなり弁護士の経験が活きています。また、わかりやすく正確な言い回しで文章を作成する能力はかなり評価されます。自分では認識していませんでしたが、プレスリリースを出す際やSNSで発信する際などの言葉の正確性が、きちんとしている組織だという印象を与えているようです。そこは弁護士としてのキャリアが大きく活きている部分ですね。
 また、私は過去に営業の経験は一切ありませんでしたが、球団経営に関する営業やプレゼンテーションに必要なスキルは、比較的スムーズに会得できたかなと思います。まだまだ改善の余地はありますが、基礎となる部分は弁護士としてクライアントと打ち合わせしたり、説明したり、相手に交渉するときのプレゼンテーションで培われたスキルが役立っているのだと感じます。

目標は「スポーツ事業の新興」

──今後、弁護士としてどのようなアプローチでスポーツ界に関わっていこうと考えていますか。

河西 スポーツ分野に精通しているという強みを活かして、東京と福岡の2拠点で「スポーツ法務に精通した弁護士」のスタンスで活動していきたいと考えています。
 また、スポーツ法務絡みの弁護士活動にとらわれずに、スポーツチームのマネジメント部分にも注力していきたいです。チーム経営の中心として、今後どのような戦略でチームを、そしてリーグ全体を拡大していくかを考えたいと思っています。
 スポーツチームの運営経験がある弁護士はほぼいないので、スポーツ法務だけでなく経営全般についてアドバイスできる私の強みがそこで活かせると考えています。この球団運営の経験を活かして、日本全体のスポーツ事業の振興に協力できたらと考えています。

──河西さんご自身も、色々なスポーツをやってらっしゃいますね。

河西 体を動かすのが好きなので、ゴルフ、スノーボード、サーフィン、HADOなど休日は野球以外にも色々なスポーツに取り組んでいます。
 HADOは日本発のARスポーツで、頭にヘッドマウントディスプレイ、腕にアームセンサーを装着し、自分の手でエナジーボールやシールドを発動させて戦うeスポーツです。リアルで仲間と連携し、3対3のチーム制で行うドッジボールのようなイメージですね。このゲームを作った開発者は、マンガ『ドラゴンボール』の大ファンで、自分の手から「かめはめ波」を出せるようになりたいという着想からプロダクト設計し、きちんと競技に落とし込んで、今はヨーロッパでも大会が開催されるほどの規模になっています。身体能力の差があまり出ないので、性別や年齢など関係なく楽しめるところも魅力のひとつです。友人たちと組んで作った私たちのチームは、現在日本ランキング11位です。

──今後は東京と九州の2拠点体制で弁護士活動を展開していくということですが、さらに長期的な展望はいかがですか。

河西 10年後やさらにその先については、理想的には弁護士として専門性を持ちつつ、専門分野と近いところで自ら事業をやっていきたいと考えています。また地元・香川県にスポーツで寄与したいという思いもあるので、野球に限らず何らかのスポーツを通じた地域創成や地域貢献ができればいいなと思っています。地方の課題解決とスポーツは非常に相性がいいので、単にスポンサー企業からお金をもらってチームを支えてもらうだけではなく、その企業の悩み解決や雇用問題解決、賑わいづくりで貢献することもやっていきたいですね。
 あとは自分自身が高校時代に野球でケガをして引退を余儀なくされた経験があるので、現役選手の復帰後の支援活動も考えています。セカンドライフとして新たな道につなげるという話ではなくて、もっと現役で野球をやっていきたい、野球で食べていきたいと思っている選手の底上げをしたいと思っています。球団代表として選手と関わっていて思うのは、自分の第二の人生を探したり模索したりする余裕がない、あるいはそんなことは考えたこともない選手がかなりいるということです。日本でプレーしたくても、プロ野球は12球団しかありません。それなら台湾や韓国のプロ野球、アメリカのマイナーリーグ、または日本の独立リーグだったらいけるんじゃないか。そういった選択肢は視野を狭めなければたくさんあるので、私がその橋渡しをすることでさらに長く現役生活を続行できます。そこは弁護士の法律のノウハウや知識が大いに活かせる部分だと思います。

「スポーツ×資格」で希少価値人材に

──弁護士資格が自分にとってプラスになっていると感じるのは、どのような部分ですか。

河西 弁護士資格があることで、スポンサー営業の際、門前払いされることなく話を聞いてもらえる点はすごく大きいですし、弁護士の社会的信用力は地方に行けば行くほど高いと感じます。不確定要素の大きいスポーツチーム運営ですが、弁護士が代表として運営に関わっていることを説明すると、ちょっと話を聞いてみようかと思ってくださる経営者が多いと感じます。
 あとはスポンサー営業をしていく中でのちょっとした雑談で、相手が少し悩んでいる法的な問題についてアドバイスをすると、非常に感謝されます。そうした意味では資格をフル活用できているのではないかなと思っています。

──河西さんが情報発信する際に意識していることを教えてください。

河西 弁護士として発信する際は、誰が読んでも同じ意味に伝わるよう一義的な表現になるように気をつけ、曖昧な解釈の余地をできるだけ残さないよう注意しています。ただ、特にスポーツチームはエンタテイメント要素も大事なので、あえて突っ込まれるような発信をするほうが、反応がいい場合もあります。最初は私ひとりで広報全般を担当していましたが、あまり反応が得られないときがありました。ところが別のスタッフの発信は、どこか抜けているところがおもしろく、たくさんの反応が返ってきたりするのです。私は職務上どうしてもコンプライアンスを最優先にしようとしてしまいますが、その視点だけではダメなのだと感じました。突っ込まないとおもしろくない、けれどもやり過ぎると炎上する。そこをうまくリスクヘッジしながら発信を行うことが、私にとっては難しい課題です。

──今後も弁護士として、球団代表として、情報発信を続けていかれるのですか。

河西 「個の時代」なので、発信は重要だと捉えています。堀江にも常々「選手自身が個々人で発信し、自分でブランディングしていくことも大事だけど、これからは運営スタッフもキャラを出して、裏方も含めチーム一丸となって発信していかないと、なかなかファンは掴めないよ」と言われています。そこは私が苦手とする領域なので、「君が最初に発信しろよ」とよく注意されます(笑)。チームだけではなく、私個人としての発信ももっと増やしていきたいと思っています。

──最後に、司法試験を始め、資格取得をめざしている方や、キャリアを模索中の方に向けてメッセージをお願いします。

河西 スポーツには夢があるので、ありがたいことに当チームでも、求人を出すと多くの応募があります。ただ何の後ろ盾もなし・資格もなし・経験もなしでは、就職後も思い描いていたキャリアアップをしていくのは、特にスポーツ業界ではかなり難しいように感じます。私が「スポーツ×法律」での希少価値人材になれているように、何かしらの資格や専門分野を持って入ってくると、それは強い武器になります。例えば「スポーツ×会計」などもプロスポーツ事業には絶対欠かせない要素になるので、そういった資格を持ち、きちんとスキルを磨いた上でスポーツ業界に入れば、かなりの希少価値人材として様々なシーンで活躍できるはずです。ぜひがんばってください。
 そして最後に、皆さん、「福岡北九州フェニックス」の応援をよろしくお願いします!

[『TACNEWS』 2022年5月号|特集]