特集 トリプルライセンスを使いこなす

関根 ゆり氏
Profile

関根 ゆり(せきね ゆり)氏

関根ゆり総合会計事務所代表
公認会計士・税理士・中小企業診断士

慶應義塾大学法学部卒業後、1999年、公認会計士2次試験(当時)合格。中央監査法人及び大手監査法人で約10年、会計監査やIPO支援業務に従事。仕事の幅を広げるために独立系税理士法人に移り財務コンサルティングを行う。2011年税理士登録、2012年中小企業診断士登録と、トリプルライセンスを活かし2017年に独立開業。経営革新等支援機関に認定され、創業支援や事業継承支援、事業再生支援など幅広いサポート活動を展開する。現在は専ら、事業会社の社外取締役(常勤監査等委員)として活動中。中小企業基盤整備機構、日本商工会議所など講師実績多数。

 公認会計士、税理士、中小企業診断士はいずれも専門性・人気度の高い国家資格。現在、会計事務所の代表を務める関根ゆりさんは、この3資格を有している。大手監査法人に約10年勤務し会計監査やIPO支援に従事したのち、税理士登録、中小企業診断士資格取得とスキルアップを重ねた関根さん。2017年に独立開業してからは事業再生や経営改善で数多くの実績を上げ、現在はIT企業の社外取締役として尽力している。「今は本当に自由に仕事をしています」と語る関根さんに、それぞれの資格の強みと魅力、活かし方についてうかがった。

「難しい資格」ほど大事にできる

──3つの国家資格を手に活躍されている関根さんですが、学生時代はどのようなキャリアプランをお持ちでしたか。

関根 大学に入るときは、まだ将来どんな職業に就くかということは意識していませんでした。高校まで、公認会計士(以下、会計士)の仕事も知らなかったですね。ただ、実家が喫茶店を経営していて両親が働く姿を子どもの頃からずっと見ていましたから、女性も当然働くものという意識は持っていました。子どもが大好きなので保育士になるというのが最初の夢だったのですが、「子どもが生まれたら子育てはできるじゃない」と母に言われて、進学にあたっては、就職に有利な学部をめざすことにしました。大学受験のときは相当勉強しましたね。当時の勉強の仕方が、その後の資格試験の勉強にもつながっていると思います。

──法学部に進学されていますが、法律系の資格を取得することは考えなかったのでしょうか。

関根 周囲は司法試験をめざす人ばかりでしたが、私は内向的というか、人見知りで弁が立つほうでもありませんから、性格的に弁護士は向かないだろうと思いました。また自信のあるタイプでもないので、企業の総合職などに就いたとしても、自分のスキルでどの程度活躍できるのか不安でした。でも弁護士ではなくても、何か資格を取得すれば、専門的知識を身につけたぶん、自信を持って働けるのではないかと思ったのです。そんな風に自分の将来について考えていた私に会計士という職業のことを教えてくれたのは、会計事務所を営む叔父でした。「会計士試験は難関と言われる試験だけど、難関であればあるほどその資格を大事にできる」という叔父の言葉に、「大変かもしれないけどがんばってみよう」と、会計士をめざすことを決心しました。会計士となった今、本当にその通りだなと実感していますね。
 受験勉強を始めたのは大学3年になってからで、TAC横浜校に通い、4年生のときに初めて本試験にチャレンジしました。このときと卒業して最初の試験のときは、短答式試験までは突破できたものの、実力が足りず論文式試験で不合格となり、3年目の受験で2次試験(当時)に合格することができました。

「TACに住んでいた」受験専念時代

──試験勉強はどのように行っていましたか。

関根 会計士試験にかけた勉強期間は3年間でしたが、大学を卒業して受験勉強に集中するようになってからは、まるで住んでいるかのように、1日中ずっとTAC横浜校の校舎の中で過ごしていましたね(笑)。
 朝7時から答練(答案練習)があるのですが、7時前にTACの校舎に入ってスタンバイし、答練を1時間~1時間半ほど受けて、終わったら自習タイム。講義の時間になったら教室へ行って講義を受け、終わればまた自習をするということを繰り返して、毎日夜の9時まで校舎にいました。受講生用のロッカーがあるので勉強道具などは全部そこに置いていました。当時、受験生の大半は受験勉強に専念している人で、学生や社会人は少ないという状況でしたから、私と同じような生活をしていた受験生が多かったですね。

──一緒に勉強していた仲間はいましたか。

関根 いましたね。当時の仲間たちとはいまだにつき合いがあります。2次試験合格まで3年かかりましたが、3年目にはメンバーがガラリと変わりました。最初にできた勉強仲間は2年目までで全員諦めてしまったからです。3年目は新しい仲間と4人で勉強グループを作って、答練の点数を競い合っていました。朝の答練では毎回順位が出るのですが、ロッカーの中に点数表を貼って各自の点数を書き込み、点数が一番低かった人が最も点数の高かった人にジュースをごちそうするというルールです。メンバー4人の中に、TAC横浜校全体でいつもトップを取っている常勝男子がいて、私は彼に勝ちたくて本当にがんばりました。そうして最後の全国公開模試で、全国成績で6位になったのです。もちろん4人の中のトップになることができ、ジュースをごちそうになりました(笑)。最終的に、私たちのグループは4人全員が合格しました。資格受験のモチベーションを維持するためにも、お互いに切磋琢磨し合える、上をめざす意思の高い仲間を見つけることは大事だと思います。

監査法人で経験を積む

──合格後は中央監査法人へ就職されましたね。

関根 はい。当時は会計士試験の合格者が年間700人位しかいない時代ですから、会計業界は超売り手市場で会計士2次試験に合格した会計士補は引く手あまたでした。監査法人では、上場企業や大会社といったお客様の会計監査を1年通じて行います。会計監査はチームで行うので、最初はスタッフレベルから仕事を覚えます。監査実務経験3年以上と実務補習2年が当時の会計士3次試験を受験するための条件ですから、順調に行けば3年すると試験を受けることができて、それに通れば晴れて会計士登録。そこからはスタッフとしてだけではなく主査という現場の主任になって企業を何社か担当します。監査業務の一部分から担当企業全体へと視点が変わり、責任も大きくなってとてもやりがいを感じました。私は会計監査のほかに、IPO(新規株式公開)支援なども手掛けました。

──中央監査法人で8年勤めたあと、新日本監査法人へ移籍されました。

関根 当時大きなニュースになりましたが、中央監査法人が自主廃業的な形で清算することになり解散したためです。当時のこの事実を、私はまずニュースで初めて知りました。招集がかかって事務所へ行ったら、「実は…」という話でした。でも周りのメンバーも、あまり悲愴感はなかったですね。私に限らず、会計士というのは、どこに行ってもやっていける資格ですから、きっとみんな、自分の身の振り方は心配していなかったと思います。しかも当時はまだ会計士は売り手市場の状況でしたから、部署ごとにどの監査法人へ移るかを調整して、私の所属部署は、クライアントも上司も、まるごと全部新日本監査法人へ移った形です。

──移籍後、1年ほどで監査法人をやめておられます。

関根 そうですね。悲愴感がなかったとはいえ、「監査法人がなくなる」という出来事は、やはりショッキングではあったのです。これを機に、ずっと監査法人でキャリアを続けていくことに対して、「このままでいいのか」と改めて考えるようになりました。監査法人は大企業の会計監査をすることが主な仕事です。公正な社会のために必要な仕事ですし、市場の機能の一端を担っていますから広い意味で人の役に立っているのですが、一方で、目の前にいるお客様には直接的にはあまり喜ばれないのです。人に喜んでいただける仕事ができたらなという気持ちは漠然とありましたし、中央監査法人がなくなったときに、監査以外の仕事をしたことがないということに不安も感じました。もっといろいろな仕事ができるほうがいいのではないかと思ったのです。実家が喫茶店を経営していたのでもともと商売には興味がありましたし、経営寄りの仕事もおもしろそうだなと考えましたね。諸々の理由から一度監査法人を出てみようと思い、勤めながら就職活動を始めました。就職活動らしいことをしたのはこのときが初めてです。

──どのように就職活動をしましたか。

関根 人材紹介会社などに登録して就職先を探しました。考えていたのは、上場会社の経理部をはじめIPOをめざしているフェーズの企業、それに銀行などです。会社の中に入って経理を見る立場、当事者として上場準備に関わる立場、銀行でM&Aなどを行う立場、というように、会計士が関わる業務の様々なフェーズをイメージして就職先を探してみました。結果的に税理士法人に入りましたが、税理士として働きたかったということではなく、その法人には財務系のコンサルティング事業部があって興味を惹かれたのです。具体的に言うと、M&Aを行うときの財務調査やバリュエーション(株式の価値算定)をする事業部を拡充するということで、会計士を募集していました。事務所にうかがうと、先輩の会計士の方々がバリバリ仕事をしていて、その姿がとても格好よかったですね。事業会社の中に入って自社の経理だけを見るよりも、いろいろな会社を見るほうがやはりおもしろそうだという結論に至り、この税理士法人に入ることを決めました。

キャリアチェンジを支えた「資格」という強み

──その税理士法人での業務はいかがでしたか。

関根 ひと言でいえば、非常にエキサイティングでした。主に、M&Aを実行する会社(バイサイド)からの依頼により、M&Aの対象会社または対象事業に対する財務調査(デューデリジェンス、DD)や価値評価の業務をひたすら行っていました。監査法人での会計監査は年間を通して行っていきますが、M&Aは時間との闘いであり、突然動き出す案件に短納期で対応する必要があります。また調査及び評価の結果は、買収金額に直結もします。クリティカルな見落としなく、短期間で財務面の実態を調べ上げる経験をここで数多く積むことができました。このときの濃い経験がその後の仕事の基礎になっていると思います。
 ただやはりそのぶん忙しい職場で、働く環境はあまり良くありませんでした。夜遅くまでの残業がずっと続くような状態でしたね。監査法人も繁忙期は徹夜仕事になりますが、この税理士法人では繁閑の差というものが皆無でした。それに代表がワンマンで、そのときどきの意向に振り回されるようなところもありました。ちょうど入所したあとにリーマンショックが起きたのですが、受注が突然激減すると所長が「お前らがちゃんと仕事しないから受注がないんだ」と言い始めたので、これはもう駄目だと思ってやめることにしました。仕事面では尊敬できる部分もありましたが、働く環境としては私には合わないと思ったのです。

──多忙な中での転職活動は大変ではありませんでしたか。

関根 そこは会計士の強みなのですが、同期たちがあちこちの監査法人に入って活躍していますから、「今、こういう状況で転職を考えている」と伝えると「うちの監査法人へ来ないか?」などと引き入れてくれるのです。そうして200名規模の中堅の監査法人に入って一度態勢を整えることにしました。

──横のつながりで次のキャリアが開けるというのは会計士の強みですね。

関根 そうですね。ところがプライベートな話になりますが、この監査法人の在籍中に離婚を経験しました。中央監査法人で働いていた20代の頃、会社員の人と結婚したのですが、結婚後相手の転職にともなって一緒に宇都宮へ移住したため、私は7年ほど宇都宮から新幹線通勤をしていました。遠距離通勤ですからどうしても帰宅は遅くなります。そして監査法人には繁忙期がありますから、帰宅できずに家を空けることもありましたし、その後税理士法人に転職してもっと忙しい職場になると状況はさらに酷くなって、残業続きで家へ帰れず、横浜の実家に泊まることを繰り返していました。そうこうしている間に、元夫に恋人ができまして。いわゆる修羅場というやつをしっかり経験し(笑)、繁忙期の激務もそこに重なってメンタル面に不調をきたしました。でも、メンタルの落ち込みは原因を取り除くことができれば回復しますから、離婚して、少しゆっくりして次のステップへ行くことにしました。そんなときに叔父から「うちの会計事務所を手伝ってくれないか」と声が掛かったのです。もともと私は独立志向がなく組織外に出る気はなかったのですが、このとき初めて、組織を離れて個人事務所でやってみようかという考えが浮かびました。これが大きなキャリアチェンジだったかもしれません。

──思い立ってすぐにそのようなキャリアチェンジができるのも、資格があればこそですね。

関根 そうですね。会計士登録をした人は税理士試験を受けなくても税理士登録ができるので、私も叔父の会計事務所へ入所したタイミングで税理士登録をしました。監査法人にいたときは大企業の経理部がクライアントでしたが、今度は本当に個人の、中小企業の経営者などがお客様です。そして監査法人は他人が作った財務諸表を外から見て適正かチェックするのが仕事ですが、会計事務所ではよりお客様に寄り添った形でゼロから会社の帳簿や財務諸表を作ります。仕事の質はまったく様変わりしましたね。そもそも監査法人を出た理由のひとつが「目の前のお客様に喜んでもらえる、役に立てているという実感が持てる仕事がしたい」ということでしたから、その希望に沿っていますし、とてもやりがいのある仕事だと思いました。

──その後中小企業診断士(以下、診断士)の資格も取得されていますが、元々興味があったのですか。

関根 税理士登録して1年ほど経った頃、友人が診断士に興味を持っているというので、私は誘われてTACの講座説明会について行ったのです。そういう資格があるんだな、という程度の認識だったのですが、パンフレットをいただいて説明を聞くうちに、「この資格の勉強をしたら今の仕事に役立つかもしれない」と思いました。受験科目の内容が、会計事務所のお客様である中小企業の経営に役立つ知識ばかりだったのです。私は会計士出身なので、初めから税理士として経験を積んできた方々に比べると税務が得意でない部分がありましたが、診断士試験の学習内容を知ったことで、税務を突き詰めるよりも経営の相談に乗りたいという気持ちが強まり、「これは自分にピッタリな資格かもしれない」と感じたのです。せっかくキャリアチェンジしてお客様も中小企業に変わったのですから、中小企業に関わる資格を取ってみようと思いました。

──診断士試験の勉強は、受験に専念できた会計士試験のときとは異なり、働きながらの受験だったと思います。どのように勉強しましたか。

関根 働いていたのが叔父の会計事務所でしたから、日々の勉強については仕事が終わったあとそのまま教科書を出して、夕方から深夜まで勉強していました。講義については、会計士受験のときと同じくTAC横浜校に通いました。会計士受験のときは、勉強仲間がいたとはいえ基本的にはそれぞれがひとりで黙々と勉強し、成績を競い合うというスタイルでしたが、診断士の勉強仲間というのは関係性がもっと密でしたね。私のクラスでは何回目かの講義のあとに先生から「今日、飲みに行きましょう!」と声が掛かり、それに参加して受講生同士知り合うことができました。皆さん社会人で様々な職業の方が勉強に来ているので、クラス自体が異業種交流会状態。その中で学習グループを作るのですが、10人くらいの大きなグループで勉強会をやるのです。1次試験はマークシート式の試験なので、選択肢一つひとつの正誤について「こういう理由で違うと思う」といった形で議論し合います。そして2次試験対策では、論文の内容やコンサルティング上の問題を議論するのです。診断士の仕事は、知識だけがすべてではなくて、クライアントの話を聞いて現場でどのようなアドバイスをするかが重要ですから、試験問題への解答も無数にあると思います。模範解答を丸暗記すれば通るという試験ではないので、正解のない中でディスカッションをして、仲間の考えを聞きながら、自分の考えとのすり合わせをします。1次試験が全部で7科目もあることからもわかるように、分野が多岐に渡る試験なので、私にアドバンテージがある会計分野は専ら皆に教えていましたが、逆に運営管理や情報系の分野は、初めて知ることばかりなので詳しい人に教えてもらうなど、お互い助け合っていました。特に2次試験対策は記述式なので、ディスカッション形式で自分の考えの言語化が求められる勉強会は有用だったと思います。

──その効果もあって、短期で診断士資格を取得できたのですね。

関根 2月からTAC横浜校で勉強をスタートして、1次試験が8月、2次試験が10月ですから、約8ヵ月での合格です。会計士試験とは科目が重複している部分もあるので、会計士資格を持っている方には比較的取りやすい資格ではないかと思います。

診断士資格が仕事の幅を広げた

──診断士資格を取ったことで、仕事にはどのような変化がありましたか。

関根 会計士と違って、診断士の場合は資格を取ってからも交流会が多いです。各地に診断士の集まる研究会があって、様々な分野の研究をしていますから、そういう研究会に参加すると知り合いがどんどん増えますね。そして診断士はそれぞれ得意とする専門分野を持っていますので、そうしたネットワークの中で自分とは異なる専門分野の診断士の方から「会計が専門の関根さんと一緒に案件をやりたいのですが」とお誘いが来ることもあります。事業再生の仕事も、そうやって始まりました。
 事業再生や経営改善計画を策定するにあたっては、まずはじめに、厳しい経営状況となっている会社さんの事業面や財務面の実態をしっかり把握する必要があります。そこで、診断士が事業調査(事業DD)、会計士が財務調査(財務DD)を担当して実態把握を行った上で、協力して計画を策定するのです。気づいたら事業再生や経営改善のお仕事が増えていきましたね。診断士の資格を取らないまま会計事務所での仕事を続けていたら、事業再生の仕事などにはほぼご縁がなかったと思います。診断士の資格を取ったことで、仕事の幅が大きく広がりました。

──複数の資格を持っていたからこそのメリットですね。

関根 そうですね。診断士として事業再生に携わる際に、会計士や税理士といった会計のプロフェッショナルとしての強みを活かせるというメリットは大きいですね。苦しい状況下にある中小企業の経営改善に向け支援していくとなれば、まず何よりも現状把握が大事です。実際、支援先企業の決算書が実態と違うこともままあって、純資産の部がプラスに見えても、よくよく調べてみると在庫が滞留していたり、回収の見込みがない売掛金があったりで、実際は債務超過というケースも多い。「実態はどうなのか」という部分を、外部の第三者として会計士が正しく調査し把握した上で、改善を行ったときにどれだけ回復するか考えることが大事なのです。改善案の策定にしても、策を打ったときにどれ位の利益が出ていつ債務超過の解消を見込めるかという数値面での判断は、会計士の得意とするところです。金融機関の目線もとても大事です。現状をきちんと把握しないまま作った計画を金融機関は必ずしも信用しませんから。逆に最初にしっかり財務DDや事業DDをした上での改善策、財務計画及び返済計画であれば、返済猶予など、金融機関からの金融支援を得られる可能性がぐっと上がります。この意味で、会計士、税理士、診断士という3つの資格が相互に活かせていると感じています。

──そうして事業再生や経営改善を数多く手掛け2017年に独立開業、経営革新等支援機関の認定を受けています。独立にあたって、埼玉に事務所を構えたのはなぜですか。

関根 これもプライベートな話になりますが2016年に再婚したのです。埼玉は夫の地元で、夫の実家が所有している土地の一角に、事務所と兼ねた家を建てました。賃貸できるように作ったのですが、私の両親も高齢になって横浜日吉の喫茶店を閉めたので、こちらへ移ってきて隣に住んでいます。夫は自分の仕事を持っていますが、自営業ですし、以前は専門学校で簿記を教えていたこともあるので、今後、忙しい時期は仕事を手伝ってもらえることになっています。

企業のひとつの完成形「株式上場」を支援

──現在は事業会社の社外取締役として、IPO準備に関わっているとのこと。どのような会社でしょうか。

関根 ここも監査法人時代の同期から紹介されたのですが、メイン事業はテレビCMの効果測定です。事業歴は長く、20年以上続いている会社で、テレビ番組やCMのデータベース化を進め、情報プラットフォームを構築することで広報や広告、マーケティングなどに関わる業務をデジタル化して社会に貢献しています。テレビCMはこれまで、効果測定が見えにくい分野でした。でもインターネット広告は効果測定までセットで考えるのが当たり前。今、この不透明だったテレビCM業界に風穴が開こうとしているのです。私は監査等委員としての社外取締役という監査の役割を担う立場なので事業のちょっと外側にいるわけですが、それだけに社内を垣根なく自由に動くことができます。監査法人にいた頃も上場準備に関わっていましたが、当事者として内側から上場に関われるのは新鮮な経験ですね。独立開業後は小さな会社の経営を見ることが多く、もう少しフェーズの進んだ企業の仕事もしたいと考えていた所だったので、今また、とてもやりがいを感じています。上場というのは会社の理想形というか、ひとつの完成形なわけですよね。会社はどうあるべきか、どうやって中身を変えていくか、それを監査役としてしっかり支援したいと考えています。今回の経験から得た知識は、この先また中小企業に寄り添って仕事をするときに、きっと役立つに違いないと思います。

今がとても自由、資格がそれを支えてくれる

──3つの資格を自在に使いこなし活躍する関根さんにとって、それぞれの資格はどのような意味合いを持っていますか。

関根 かつて叔父に言われた通り、会計士は自分のコアになる大切な資格だと思っています。また、監査法人を出てお客様に寄り添った仕事がしたいと思ったときには税理士の資格が役立ちました。さらに中小診断士の資格を得たことで仕事の幅が大きく広がり、様々な仕事を選択できるようになりました。大切な資格、役立つ資格、自由になれる資格と違いはありますが、自分の中では興味のある方向へ進んでいるという連続性があります。資格を取ると、その先のフェーズが見渡せるようになりますね。

──キャリアに迷っている方やスキルアップに関心のある方々へメッセージをお願いします。

関根 キャリアを自分で選択する上で、資格は必ず役に立つツールだと思います。今キャリアに悩まれている方は、あまり迷わず、まずは何かしら興味を惹かれる分野の資格にチャレンジするといいと思います。ぼんやりとでもいいのでその資格を活かしている姿を描ければ、資格を手にしたあとには違う世界が広がるはずです。そのとき見える景色の中から、さらに自分の行きたい方向に進めばいいのですから、先のことを心配しすぎず、まずは一歩進んでほしいと思います。

[『TACNEWS』2021年6月号|特集]