特集 「俳優」と「行政書士」のダブルワーク
~資格という背骨があるから、前を見て歩ける~

横山 祥二氏
Profile

横山 祥二(よこやま しょうじ)氏

行政書士 文学座俳優
横山祥二法律事務所

横山 祥二(よこやま しょうじ)
1965年静岡県生まれ。慶應義塾大学文学部在学中に「文学座研究所」へ入所し、大学中退。文学座俳優として数多くの舞台に立つかたわら、地元小学校での読み聞かせなど地域活動にも力を注ぐ。2009年から行政書士の受験をスタートし、3年目の受験で合格。合格後すぐ、修業期間ゼロで2012年に横山祥二法律事務所を開設、俳優と行政書士のダブルワークを実現する。近年は舞台の他、『過保護のカホコ』『同期のサクラ』などテレビドラマにも多数出演。私生活では妻と息子2人の4人家族。

「文学座の俳優」と「独立開業の行政書士」という、まったく毛色の異なる2つの職業を両立させている横山祥二さん。資格受験を考えたきっかけは、将来に対する危機感だったという。しかし、行政書士の資格を取得したことで、俳優業にも予想外なプラスの効果が生まれたと語る。
「複業の時代」と言われる現代にあっても異色のダブルワークをこなす横山さんに、行政書士という資格の魅力や、2つの仕事をどのように両立させているのかなどについてうかがった。

芝居の世界に魅了され、大学受験で文系へ転向

──俳優として、舞台やテレビドラマ、CMなどでご活躍中の横山さん。幼い頃から俳優をめざしておられたのでしょうか。

横山 いいえ、そういう世界とは無縁の家で育ちました。生まれは静岡県藤枝市で、父親は高校の物理の教師、母親は小学校の教師、そして祖母もやはり小学校の教師という、教育一家でした。

──そのような環境でしたら、横山さんも教職の道に進むことを考えたのではないですか。

横山 私は長男でしたので、ゆくゆくは教職に就いて家を継ぐことを期待されていました。物理教師の息子でしたので、理系の教師になるべく育てられ、高校は藤枝東高校という地元の進学校へ入りました。でも父親がその学校の教師だったので、反抗心のようなものもあって、高校時代はあまり勉強をしませんでした。それで大学受験にも失敗して、1年間浪人生活をしました。浪人中は名古屋に住んで予備校に通っていましたね。当時、小劇場で芝居をしている親戚のお姉さんがいたので、彼女の舞台を観に行ったのですが、その時に、凄い衝撃を受けました。
 それは劇作家の北村想さん作・演出のテント芝居でした。観客である私はただの浪人生なのに、舞台上のお姉さんは、本当にはじけるように輝いてお芝居をしていました。大きな感動をおぼえましたね。それを観て、それまで大学は理系志望だったのですが、文系に転向して大学受験をする決心をしたのです。

──慶應義塾大学文学部では仏文学を専攻されていますが、フランス文学を選んだのはなぜですか。

横山 私が大学に入ったのは1986年、80年代サブカルチャーブームの最中ですね。浅田彰さんが唱えた『逃走論』のような現代思想が若い層に支持されていた時代でした。映画界ではゴダールだとかリュック・ベッソンといったフランス映画が注目を集めていて、そういう世の中の潮流に感化されて仏文科を選択した感じです。
 大学へ入ると、北村想さんの作品を上演している演劇サークルがあったので、興味本位で入部しました。そこからは演劇が日々の中心になって、大学では留年を繰り返しました。私は仏文科の学生でありながら、フランス語ができなかったのです(苦笑)。「フランス語原典講読」という授業があったのですが、その単位がいつまでたっても取れなくて。また、在学中に文学座の研究所へ入ったので、大学時代の中盤くらいからは演劇しかしていない状況でした。それで留年を繰り返して、最終的に大学を辞めたのは7年生くらいです。

──在学中からすでに演劇人としてスタートしていたのですね。

横山 文学座の研究所では、まず1年間の本科で学んだあと、選考を経て2年間の研修科に進みます。その後、劇団に所属する準座員や座員になるための選考もあるのですが、私は在学中に、運良く研修科、準座員と選考を通って、そこに残ることができました。文学座は有名な劇団なので、文学座座員になれば絶対に役者で食っていけるようになると思っていましたね。

俳優業のかたわら子育てと地域活動に力を注ぐ

──横山さんが正式に文学座座員になったのは1995年。そのすぐ翌年にご結婚なさっていますね。

横山 妻は高校時代の同級生です。座員になってすぐと言っても、研究所に入ったときから数えると5年かかっています。かなり長いつき合いになっていましたので、座員になったのを機に結婚することにしました。

──座員になってからはどのように生活されていましたか。

横山 劇団の俳優というのは、芝居の役がつかないと収入も仕事も何もないのです。研究生や準座員のようにレッスン料がかかることはありませんが、週何回かのレッスンも一切ない。かなりの倍率を経ての文学座座員昇格でしたが、私は小さな役で全国を廻る演出部(裏方)要員が長かったですね。その頃、学生時代の小劇場で芝居をするおもしろさを思い出しては、当時の仲間と小劇場の芝居に多数出演していましたね。

──経済的な部分はどうされていたのでしょうか。

横山 アルバイトをしていました。芝居をやっている以上、何より芝居の稽古を最優先しなくてはいけませんから、舞台の予定が入ったらアルバイトは辞めて稽古に集中することになります。ですから短期間でやれるアルバイトをいくつもやりましたね。舞台やバレエ公演の裏方仕事とか、宅配便の配送スタッフなどもやりました。また役者がよくやるアルバイトとして、レストランの給仕役の仕事があるのですが、私もクルーズレストランで配膳の仕事をしました。それぞれ1~3年の期間でしょうか。稽古との兼ね合いで続けられなくて辞めた仕事も数多くあります。

──いろいろな仕事を経験されたのですね。

横山 ええ。若い頃はさまざまなアルバイトをしていましたが、結婚してからは継続できる仕事として、地元のデパートの地下にある精肉店で9年間働いていました。社員ではありませんでしたが、資材の発注なども任されていましたし、新しく入って来たスタッフに仕事を教えたりしていました。
 他にも、舞台を観て私のファンになってくださった方が渋谷のカウンセラー養成学校の学院長をしていて、その方に誘われてガイダンスカウンセラーの仕事をしていた時期もあります。

──奥様は小学校の先生なのですね。

横山 はい。自分は教育者という仕事から逃げたのに、また教育者の家庭になりました(笑)。私が35歳のときに長男が生まれて、3つ違いで次男が生まれました。妻が小学校の教員で忙しかったため、2人の子どもの保育園や学童保育への送り迎えはもっぱら私がやっていました。

──子育てを引き受ける夫、今で言う「育メン」ですね。

横山 「育メン」という言葉もまだなかった時代ですけどね。保育園や学童保育だけでなく、ピアノ、サッカー、野球などを始めとした習いごとの送り迎えも私がやっていました。私自身のスポーツ経験はサッカーしかなかったのですが、2人の息子の少年野球コーチもやりました。息子達の子ども時代には、ずっと付き添ってきたという充実感がありますね。その中で「PTAをやりませんか?」という話が出て、PTA活動もやりました。

──小学校での読み聞かせのボランティアもなさっていますね。

横山 地域活動に積極的にかかわる中で「読み聞かせがあるよ」という話が出たので、参加しました。第2・第4水曜日の朝8時半~9時とか、30分程度の時間を設けて小学校で子ども達に本の読み聞かせをするのです。やり始めたら結構夢中になって、毎回参加していました。時には落語をやってみたり、怖い話をしてみたり…。

──芝居のプロですから、きっと迫力満点でしょうね。

横山 大学時代は「世間に反抗するために」というような感じで芝居をやっていた面もあって、まったく生産性がなかったのですが、子ども達に読み聞かせをするというのは、社会貢献になっているような感覚がありましたね。
 そんなボランティア活動を続けた結果、地域の青少年健全育成委員会の仕事をすることになって、地区委員会の会長を6年間務めました。

危機感と焦燥、そのとき見つけた「資格」という目標

──役者をしながら子育てと地域活動に邁進していた横山さんが、資格の取得を考えたきっかけは何だったのでしょうか。

横山 息子達が小学校4年生と1年生の頃でしょうか。子どももだんだん大きくなってきて、少しずつ手が離れてきたなという頃、「父親の自分がアルバイトばかりしている今の状況はまずい」と、結構な危機感をおぼえたのです。そのとき、この先も役者は続けていきたい、役者を続けるためには、何か資格を持って働くのがよいのではないかと考えました。あるいは私だって、何者かになりたいという想いもあったと思います。浪人時代まで話が遡りますが、芝居に感銘を受けて理系から文系へ転向した頃、私の英語の偏差値は37だったのです。それでも本気で勉強をやり通したら、1年で偏差値75くらいまで上げることができました。そのときの成功体験が自分の中にあったので、「資格の取得も、本気で取り組めばきっとできるはずだ」と思ったのです。

──「何か資格を」というひらめきから、目標を具体的に「行政書士」に定めた理由は何ですか。

横山 最初からこれと決めた資格があったわけではありませんでした。ひとくちに資格といっても、税理士や中小企業診断士など、いろいろな種類があります。そこでまずは資格の本を読んでみたのですが、そのときにおもしろそうだと感じたのが行政書士だったのです。法律の勉強には漠然とした興味がありましたし、仕事の幅も広そうだという点に興味を持ちましたね。
 とはいえ自分は文学部中退です。法律については何も知らなくて、本当にゼロベースのところから勉強を始めました。ですが少しずつ内容を知っていくうちに「楽しいなぁ」と思いましたね。全然知らない世界だったので、法律を新鮮に感じました。

──初めて学ぶ分野の勉強で、つまずいたりモチベーションが下がったりすることはありませんでしたか。

横山 例えば暗記テクニックについては、舞台のセリフを覚えるときと同じ方法が活かせましたね。覚えたい内容を自分で音読して録音しておき、それを移動中などに聞くのです。口を動かして読むことで記憶に残りやすくなりますし、音声を聞くだけなら満員電車の中でも周りの邪魔になりません。また、私の場合はとにかく勉強する範囲を「これだけ」と限定して、そこに集中して真剣に取り組むようにしていました。RPG(ロールプレイングゲーム)ってありますよね、あれみたいに「絶対ここをクリアしたい!」と思うと夢中になれるのです。「今日はこの項目を覚える!」とか「今週中に絶対この問題を解けるようにしてやる!」とか、期限と範囲を決めることで、夢中になれました。

──横山さんにとって、資格試験の勉強はRPGと同じだったのですね。

横山 そうですね。つらつらと毎日時間を過ごしているのっておもしろくないですよね。本当に真剣に勉強し始めると、一つひとつのことをクリアするのが楽しくなってきます。ゴールに到達したあとのことを思えば、受験勉強そのものは至ってシンプルです。例えば行政書士として独立開業することを考えると、資格を取ってからどうやって開業するかとか、クライアントをどう確保するかとか、絶対に人間関係が入ってきますよね。周囲の人への忖度だとか駆け引きだとか、自分ひとりの事情だけではない、いろいろなファクターもあります。だけど資格試験の勉強は、真剣に自分に投資すれば、そのぶん必ず自分に結果が返ってきます。

──片手間ではない真剣な関わり方をすれば、必ず結果は出せると。

横山 そう思います。また真剣にやっていると、同じ受験生同士の横のつながりもできてきます。今はSNSがあるので、つながりやすいですよね。実は私は受験2年目に、あと1点足りずに合格を逃してしまった経験があります。
もう1点あれば合格できるのですから、そうしたらもう、絶対3年目も受験するしかないじゃないですか。そういう悔しさを、SNSで似たような境遇の人と共有できた。あれはすごくよかったです。

──そうして試験勉強を始めて3年目で、行政書士資格を取得したのですね。

横山 私はゼロベースから法律の勉強を始めましたが、勉強を続ければ続けるほど、どんどん法律のおもしろさにはまっていきましたね。法律の勉強というのは、法律を「おもしろい」と感じられる人が伸びるのではないかと思います。私は行政書士試験の勉強を続ける中で、司法書士試験や司法試験にも興味がわいて、実際に受験もしていました。そんな中で行政書士試験に合格できたのです。
 そして実際に資格を手にしてみて、行政書士はやはり大変魅力のある資格だと思いました。今でもこの資格の強みだと感じていることですが、行政書士の仕事というのは、とても間口が広いのです。入管もあれば、相続もあり、著作権も扱う。そういった点が魅力ですね。こうした行政書士の強みを最大限活かせている人が活躍できているのだと思います。

資格を取得し開業へ、俳優と士業の「複業」を生きる

──横山さんは、法律事務所などで実務経験を積むことなしに独立開業していますね。

横山 資格を取ってから1年は他の事務所で修業するとか、準備期間を経て開業する方もいますよね。でも行政書士の開業自体にはほとんど資本が要らず、登録したらすぐ行政書士になれます。私はその辺が少し甘かったかもしれませんが、あまり考えずに事務所を開設しました。役者と兼業できることが大前提ですから、舞台が決まれば40日間とか、がっちり稽古に入ります。これではどこかの事務所へ勤めるということもできません。それなら開業してしまおう、という感じでしたね。

──開業された時、クライアントは当然ゼロだったかと思いますが、顧客開拓はどうされたのですか。

横山 始めにホームページを立ち上げたのですが、これは今振り返ると方針を間違えたかなと思っています。先ほど「行政書士の業務は間口が広い」と言いましたが、まさに「何でもやります」というホームページを作ってしまったのです。一方、一緒に勉強していた行政書士の知人は、「介護系だけでいく」と決めて介護に特化したホームページを作りました。1年後には、彼のほうが多く仕事をしていましたね。「何でもやります」と言ってしまったことで、逆に私に何ができるのか、お客様に得意分野が伝わりにくくなってしまったのかなと思います。

──最初のお客様はどのようにして依頼があったのでしょう。

横山 最初は知り合いの相続だったと思います。遺産分割協議書を書いたり、登記するための戸籍を集めたりといった仕事でした。そのうち、「芝居をやっている仲間の中に法律の仕事をしているヤツがいる」ということで珍しがられて、演劇関係者からの相談が来るようになりました。舞台を降板した女優さんが賠償金を請求されて困っているとか、脚本を書いている人が無断で脚本を使用されたとか、自分はこういうNPO法人を作りたいのだけれどどうすればいいかとか、そんな案件が、開業時にはぽつぽつありました。

──演劇関係よろず法律相談ですね。

横山 演劇関係者からの相談にはカッコが付いていて「でもごめんね、お金は無いんだけど…」と入るわけですが(笑)。でもそういうことを続けているうちに、つながりが増えて、だんだんと仕事になってきたと感じています。このように、私の場合は結果的にホームページで営業するパターンではなかったですし、ホームページの維持には経費もかかるしということで、ホームページは1年で止めてしまいました。

──現在は主にどういったお仕事をしているのでしょう。

横山 行政書士としてはイレギュラーかもしれませんが、補助金のアドバイザー業務が一番多い仕事です。その他、相続の仕事がスポットで入りますし、任意後見人もやっています。行政書士ですから、相続とかNPO法人の立ち上げ、一般社団法人や株式会社の立ち上げももちろん行います。役者の仕事と両立しながらですので、案件が来れば対応するというペースでやっていますね。

「俳優であり、行政書士である」ことが生むシナジー効果

──文学座の俳優と行政書士という、2つの職業を持ってみていかがですか。

横山 行政書士の資格を持っているアドバンテージとしては、「役者をしながら行政書士をやっている珍しい奴がいるぞ」ということから、企業向けワークショップなどの引き合いが結構入ります。
 役者のほうは本当にライバルの多い世界ですが、「この人、行政書士やっているよ」ということで認められることがあります。「法律用語は得意分野だよね?」と官僚や士業の役を振られることも。行政書士になってからのほうが、役者としての仕事も増えています。

──テレビドラマにも多々出ておられますね。

横山 テレビなど映像の仕事は、40代後半から入るようになりました。それまでは基本的に舞台の仕事しかしていませんでしたね。きっかけは友人です。大学1年のときの同級生が、日本テレビのプロデューサーになったからです。そのプロデューサー・大平太と、脚本家・遊川和彦さんのドラマチームがあって、そこへ呼ばれるようになりました。私は『偽装の夫婦(2015年)』から参加して最近の『同期のサクラ(2019年)』まで、毎ドラマ、何かしらの役で出演しています。映画のほうでは、2020年3月に公開される、若松節朗監督の映画『Fukushima50』に出演しています。この映画は、福島第一原発事故を題材にした大作です。

──ご活躍されていますね。俳優と士業はどのような割合で両立しているのでしょう。

横山 それが、完全に50:50です。不思議なくらいに2足のわらじが履けている状況です。行政書士として独立開業しているので、自分でスケジュールを組めるのです。お客様との打合せも、スケジュールに合わせて調整することができます。ですから本当に半々。1週間の予定も、月曜日から金曜日まで日替わりで「行政書士→行政書士→舞台本番→行政書士→ドラマ撮影」なんていう、冗談みたいなスケジュールです(笑)。ただ、行政書士の仕事には繁忙期がありますね。12月頃は、行政書士の仕事をしている割合が多いです。
 年間を通して言えば、役者の仕事のほうが少し多いかもしれませんが、実は行政書士の仕事の中でも、地元の町田市の行政書士仲間5人位で劇団をやっているのです(笑)。

──行政書士の先生達でお芝居をするのですか?

横山 ええ。本職の役者は私ひとりで他は素人の先生方なのですが、行政書士は話すことも仕事ですから、人前で喋るのが得意な方が多いのです。何をやっているかというと、相続の話とか後見人契約の話とか、文書で読むと難しいことを芝居仕立てでわかりやすく演じています。
 例えば『シズ婆ちゃんの花吹雪』みたいな題名で、旦那さんに先立たれたお婆ちゃんが相続をどうしようかと悩むとか、自分の判断能力がだんだん衰えていくのが不安で行政書士に相談するといったストーリーです。私が脚本を書いて、5人で稽古して、遺言がない場合とある場合でどんな違いがあるか、バッドエンドとハッピーエンドの違いを芝居にしたり。30分仕立ての芝居をやったあとに30~45分の法律セミナーをします。そうすると法律のことが理解しやすいと結構好評です。

──楽しみながら理解できそうですね。

横山 劇団名は「MSK」といいます、町田(M)シニアライフ(S)研究会(K)(笑)。もう5~6年継続していますね。生涯学習センターなどから、老後を考える講座の一環として引き合いがあります。老人ホーム内で上演することもありますね。

──行政書士としても役者をなさっている(笑)。軸足はやはり俳優業でしょうか。

横山 役者の仕事を支えるベースとして行政書士をめざそう、というのが、もともと資格を取る時のモチベーションだったのですが、今となっては役者としても行政書士としても、「もうひとつの顔」がアピールポイントになっているので、どちらの仕事にも良い効果がありますし、どちらが主だとは言えない部分がありますね。もし今後、役者として大きく売れることがあったとしても、役者の仕事の割合は増えるとは思いますが、俳優業一本にはしないと思いますね。

ゴールはまだ先。資格があるから前へ進める

──横山さんにとって、資格とは何でしょうか。

横山 自分を支える「ベース」でしょうか。私は今54歳ですが、正直に言って以前のまま、ただの役者というポジションでいたとしたら不安でしょうがなかったと思います。行政書士という資格が背骨のようになっているから、役者を続けていられるという気がします。経済的なことだけでなく、もっと他の面の支えですね。「自分が何者であるか」という問いへの答えを、行政書士資格で得た気がしています。

──これからの目標や将来の展望を聞かせてください。

横山 今の状況を、私はゴールではないと思っています。もう少し何かしないと残念な人生だと感じています。俳優と行政書士のダブルワークは確かに稀有なことですが、周りを見ると、高校の同級生には別所哲也がいて、文学座の2つ後輩には内野聖陽がいます。俳優として大成功している彼らをずっと見ているので、どうすればああなれるのかなといつも思います。俳優として、自分がやりたい演劇をもっと見極めたいとも思います。
 また行政書士の世界でも、大きく専門的に仕事をしている方がたくさんいて、そういう方を見ると自分にももっとできることがあるのではと思います。行政書士が携われる幅広い業務の中で、手を出せずにいる仕事はまだまだたくさんあるからです。  「文学座俳優」、そして「行政書士」というカードを手に入れながら、十分には活かせていないのが現状なので、子どもが大きくなって自分のことができるようになった今、それぞれのカードを組み合わせて結果が出せたらいいと思っています。役者としても、行政書士としても、少しでも前へ進みたいと思っています。

──これから資格をめざす方々へアドバイスをお願いします。

横山 行政書士の資格を取得するのには、学歴も性別も年齢も関係ありません。人生を切り開きたいと思ったら、本気になって挑戦する価値はあると思います。そして資格は、取ってからが重要です。本当に突破力を持って稼げる人と、そうでない人との差は、資格を取ってからどれだけ考えて、それを行動に移せるかだと思います。また、自分のやりたい事をやらせてくれている奥さん、子どもたち、親に感謝の気持ちを行動で表現していかないと、上手く回っていかないと実感します。皆さんもどうかがんばってください。

[TACNEWS2020年4月号|特集]