特集 複業時代のロールモデルを地でいくママコンサルタント

横山 加代子氏
Profile

横山 加代子氏

IT企業勤務 中小企業診断士 biz+u(ビズユー) 代表

横山 加代子(よこやま かよこ)
1979年東京生まれ。東京理科大学理学部卒。一部上場のシステムインテグレーターでITコンサルタントとして働きながら、中小企業診断士の資格を取得。受験期間中にパソコンや書類など荷物の多さに苦労した経験から、働く女性のためのバッグブランド「biz+u(ビズユー)」を立ち上げる。「biz+u」は、クラウドファンディングで677%の達成率を記録した。私生活では一児の母、近々二児の母になる予定。
保有資格▶︎中小企業診断士、ITコーディネータ、情報処理技術者(情報セキュリティアドミニストレータ)

 一部上場企業でITコンサルタントとして活躍するかたわら、中小企業診断士資格を取得。さらに女性ビジネスキャリア向けのバッグを自ら企画し、驚異的達成率でクラウドファンディングを成功させて事業化――。輝かしい実績にもかかわらず、横山加代子さんは自らを「根性なし」で「言い訳するのが得意」だと表現する。
 会社員として働き、私生活では子育てをしながら事業を展開。マルチにキャリアを積み上げる横山さんにとって、中小企業診断士という資格とは何かうかがった。

技術系キャリアをめざし、手に職をつけられる企業へ

──横山さんは、東京理科大学理学部を卒業後、一部上場IT企業へ就職。現在はITコンサルタントとして活躍されています。学生時代からキャリアプランとしてIT系を考えていたのでしょうか。

横山 大学では化学を専攻し、教師になりたいと思っていましたが、4年間学ぶうちに、教師よりも研究者に興味を持つようになりました。いわゆる技術系キャリア、スペシャリスト職に就きたいというイメージを持っていたのです。でもいざ就職となると、研究職として採用されるには大学院まで行っていないと難しい。それで別の業種を考えることにしました。
 当時はまだ企業がSEを大量採用している時代で、理系のSE職志望者には門戸が広かったのです。オフィスでも、ようやくコンピューターが1人に1台とそろい始めた時代でした。これからの時代、プログラミングやパソコンの知識は身につけておくとよいスキルだと思い、IT系へ志望を変えて就職しました。

──入社して5年間SEとして勤め、その後はITコンサルタント(顧客企業へ情報システムを企画・導入する職種)に。忙しい仕事のかたわら資格をめざした理由は何だったのでしょう。

横山 社内公募があって部署を変わったことがきっかけです。それまでは銀行や保険会社といった社会インフラ系の大きなシステムを担当する部署にいたのですが、新しく中堅中小企業向けにシステム開発をする部署が立ち上がることになったので、希望して異動しました。
 担当する顧客が中堅中小企業になると、お話しする相手も、より経営に近い立場の方に変わります。そうすると、話が噛み合わないというか、相手にしてもらえないと感じることがよくあったのです。
 言葉で何か言われたりするわけではないのですが、お客様の様子から信頼されていないことが伝わってきたように思います。当時は会計の勉強をしてはいましたが経営全般の話になると未知の領域です。営業担当者が「うちの技術スタッフで、業務の分かる者を連れて来ます!」と前評判を上げたために、「なんか20代のお姉ちゃんが来たぞ」みたいな雰囲気になったこともあります。
 こちらが一所懸命に話しても、言葉に重みがなくて先方に信用されない。自分が企業経営者の気持ちに寄り添えていない感覚がありました。何か体系的に知識を身につけないと話もできないと思いました。そんな時に中小企業診断士(以下、診断士)という資格を知り、「あ!私にはこの資格が必要だ」と思いました。

受験勉強を通じ、企業経営の知識を身につける

──診断士試験には、2009年の初受験から4年かけて合格されましたね。

横山 はい。私は「言い訳」が得意なので、つい勉強しない理由やできない理由を考えてしまうんです。今は案件が忙しいからとか、家庭も大切にしなくちゃとか。そんな言い訳をしながら受験生を4年続けたのですが、合格できなくても、勉強を続けている限り企業経営の知識はついてきますし、知識は仕事に役立つから学習成果はゼロじゃないと思っていました。受験という意味では、最終的に合格しなければ意味がないのですが、「あきらめなければいいじゃないか」と考えていた気がします。
最初の3年間は、市販されているTACの『スピードテキスト』(TAC出版)だけを頼りに、ひとりで勉強していました。いわゆる独学受験です。計画を立てても得意の言い訳でろくに勉強せず、試験直前にあわてて詰め込むようなことをしていました。合格できずに次の年に受験するときも、新しいテキストに買い替えることもせず、同じテキストを使うような感じで。
当然結果が伴うはずもなく、1つ2つの科目合格しか取れないので1次試験に通りません。そして4年目、せっかく手にした科目合格も、このままでは免除の期限が来てしまうという状況になりました。

──1次試験は7科目。そして科目合格の有効期間は3年でしたね。

横山 3年以内に7科目のすべてに合格しないといけないのに、科目合格が消えてしまってはもったいないと思いました。必死でがんばっていたわけではないにしても、せっかく手にした権利が消滅してしまうのはもったいないなと。
試験に取り組む姿勢を見直そうと思っていたちょうどそのタイミングで、夫が転勤で単身赴任することになったのです。独り暮らしをすることになったので、「これは受験指導校に通うチャンスだ!」と思いました。

──横山さんは、初受験の前年にあたる2008年にご結婚されています。受験に関してご主人の理解はありましたか。

横山 受験に関しては応援してくれました。夫とは会社の同期入社なので、私の業務や忙しさにも理解があります。勉強の必要性も分かってくれていたからか、連休を受験勉強に使っても不満を口に出されたことはありません。でもやはり、ふたりで生活する以上は、分担して家事をやらなければいけませんし夫に気も使いますよね。たまの連休が勉強でつぶれるのはよくても、毎日が勉強中心の生活になるのは気が引けました。それが独り暮らしとなれば、家のことをほったらかしにしても申し訳なく思う相手はいません。さらにライフプラン的にそろそろ子どもを持ちたい気持ちもあったので、いつまでも資格受験で足踏みしていられないと、受験指導校への入学を決めたのです。
夫を転勤先へ送り出すと同時に、TAC八重洲校で中小企業診断士講座に申し込みました。すでに開講しているコースに途中から入学したので、それからは仕事終わりに校舎へ行って、ビデオブースで講義を受け、少しでも早く本来のカリキュラムに追いつこうと勉強を進める日々になりました。

──フルタイムで働きながらの受験勉強は大変でしたか。

横山 その頃はたまたま仕事が忙しさのピークを越えた時期で、通学する時間は比較的取りやすかったです。普段は遅くまで残業していましたが「TACへ行く」と決めた日は18時くらいに退社して、ビデオブースで講義を視聴しました。その後は近所のカフェで23時くらいまで勉強して、家へは寝に帰るような生活です。
教室で行われる講義は週末のみだったので、土日は朝からTACへ行って講義を受けました。午後も丸々カフェで勉強して、夕方頃に帰宅。私は自習室の雰囲気が苦手で、カフェで勉強することが多かったですね。

──がんばっている人たちの刺激を受けるので、自習室のほうが勉強が進むという話もよく聞きます。

横山 普通はそうですよね。でも私は根性なしなので、雰囲気に圧倒されてしまい苦手でした。皆さんのすごく真剣で必死な感じに気圧されてしまって。だから近所のカフェで、周囲がまったりしている中、「私だけがんばっている!」と思える環境が居心地よかったです(笑)。

──診断士の受験生は、自主的に仲間を募って勉強会をしたりするそうですが、そうした勉強会には参加しなかったのですか。

横山 2次試験の直前3週間ほどの間に2~3回、参加した程度です。
私が申し込んだのは試験前年の10月頃に開講するコースでしたので、1月から途中入学したときにはすでに講義も進んで、クラス内の勉強グループも出来上がっていました。教室の一番後ろの席でポツンと講義を受けてそそくさと帰る感じでしたので、あとからそこへ入っていく勇気もなく、クラスの中に勉強仲間は作れなかったですね。

──ひとりだとやる気を保つのが大変ではありませんでしたか。

横山 ひたすらカリキュラムのペースを守ることを心の支えにして勉強しました。
5月には2次試験の模擬試験があるのですが、たまたまこの時、成績上位者ランキングに名前が載りました。このまぐれがのちの気のゆるみにつながるのですが、2次試験が大丈夫そうだとすれば、私の課題はとにかく1次試験に合格することだと考えて、ひたすら1次試験対策に集中しました。1次試験はマークシート式ですので、知識をしっかりと頭に入れるために、自分でノートを作ってひたすら反復学習をする方法で合格しました。独学で勉強していると重要項目がわかりにくいのですが、受験指導校の講義を受けたことでポイントがわかるようになり、勉強の効率が格段にアップしたように思います。

──科目合格を消滅させずに1次試験に合格できたのですね。

横山 はい、無事に。一方でそれで気が抜けてしまって、2次試験の対策が全く進みませんでした。相変わらず講座には通っていたのですが、毎回の答案練習の結果はひどい状況でした。全然点数も取れないし、何が駄目なのかも分からない。5月の模試で高得点を取れた私はどこへ行ってしまったのだろうと、この時期はかなり投げやりになっていましたね。何となく答案を書いては点が取れないという、駄目なパターンを繰り返していました。

──どのようにモチベーションを上げたのですか。

横山 ある日先生が、「1次試験前に比べるとだいぶ答案内容が悪くなって心配しているんだけど、大丈夫?」と、声を掛けてくださったのです。私は何十人もいる教室の後ろのほうにポツンと座っているだけで、先生と話したこともなかったのに。
「見てくれているんだ」と感激したことを鮮明に覚えています。ちゃんと勉強を見守ってくれている人がいると思えたことで、「もう一度がんばろう」と気持ちを立て直すことができました。

──絶妙の声掛けでしたね。

横山 ええ。それから講義のあとに先生に質問をしに行くようになりました。それでも理解が足りないせいで質問も浅くなりがちで、試験対策としては不十分でした。実は、1次試験から2次試験までの2ヵ月半のうち、前半は答案練習や模擬試験の復習ばかりやっていて、本来やるべき過去の試験問題(過去問)には手を付けていなかったのです。試験まで1ヵ月を切った頃、会社の中の先輩診断士の集いへ参加したとき、「過去問はどれ位やっている?」と聞かれたので、「まだやっていません」と悪びれることなく答えたら…。

──それじゃだめだと?

横山 もう総攻撃です(笑)。「そのままじゃ今年は絶対に受からない」と全員から言われて、そこで初めてやらないとまずいのだと理解しました。でも2次試験の正答は公表されていないので、対策しようにもひとりぼっちではどうしようもない。するとその場にいた先輩のひとりが受験勉強仲間を紹介してくれ、藁にもすがる思いで勉強会に参加しました。
勉強会では、お互いの答案を見せ合いながら、どの部分が出題の趣旨に当てはまっているかなどについてコメントをもらうことができましたし、他の人の良い答案や悪い答案も見ることができました。解答をブラッシュアップするうちに、求められる解答がおぼろげに分かってきましたね。その会では合格者がディスカッションに参加してくれる形式だったので、アドバイスもとても的確で短時間に多くのことを学べました。結局、試験前1ヵ月で過去3年分の試験問題をさらい、2次試験も合格できました。

高い視座でのコンサルティングが可能に

──中小企業診断士の資格を取って、周囲の変化はありましたか。

横山 名刺に「中小企業診断士」と肩書がつくことで、お客様へのアピールは大きくなりました。以前からのお客様も、資格を取ったことを伝えると「それじゃ相談する内容を変えようかな」と言ってくれたり、それまで話を聞いてもらえなかったお客様から相談に呼ばれたりもするようになりました。
 同時に、自分の発言に重みと責任を感じるようになりました。めったなことを軽々しく言えない。ある程度の知識を期待して話を聞かれることが多いので、例えば会計の問題などは、自分は専門家ではないので「必ず税理士や公認会計士の方に内容を確認してください」と前置きを入れるとか、そういう点は気をつけるようになりました。

──仕事の仕方も変わりましたか。

横山 そうですね。提案書を書く時に、以前よりも高い視座のコメントを入れられるようになったと思います。依頼を受ける時は、お客様から「こういう経営課題があるので、解決できるシステムを」という形でご要望をいただくのですが、経営知識の理解が深まった今は、お客様の気持ちに寄り添えるというか、きちんと内容を理解した上でのプレゼンテーションができるようになりました。
 一例を挙げると、お客様のIT導入のお手伝いをしている途中で、分社化という話が上がってきたことがありました。「分社化することになったけど、どうしたらいい?」と聞かれた時、「分社化するとなると人事的、業務的にこういうことが起こってきますね。それを踏まえると、システムはこのように…」と総合的なアドバイスができたので、診断士としての仕事ができたかな、と思います。

女性ビジネスキャリアのためのリュックがほしい!

──資格を取り、ITコンサルタントとしてスキルアップする一方で、「biz+u(ビズユー)」という商品ブランドを立ち上げています。立ち上げのきっかけを教えてください。

横山 起業の動機は「ほしいものがないなら作ってしまおう」という単純なものでした。とにかく持ちやすいビジネスバッグがほしかったのです。仕事柄、パソコンを持って客先を飛び回るのですが、私のお客様は製造業が多く、電車で1~2時間移動することが日常的です。特に受験勉強をしていた頃は、常に分厚いテキストも持ち歩いていましたから、荷物の重さは切実な問題でした。移動距離が長いのに、パソコンを持って、書類を持って、受験の参考書を持って。頻繁に腰痛に悩むようになり、これでは体が壊れてしまうと毎日思っていました。
 当時のビジネスマナーでは、まだリュックはNGという時代です。ところがある日、後輩が突然リュックに変えたのです。2011年頃かな、某メンズブランドがビジネスリュックを発売したのです。後輩は「腰痛が消えた!」と喜んでいましたが、それがもう羨ましくて。
 でもメンズのビジネスリュックは、サイズも大きすぎるし、女性が持つには武骨すぎます。どこかのブランドが女性向けのビジネスリュックを作ってくれないかなと、他力本願で悶々としていました。そこから何年もかけて探してみたけれど、自分のほしいようなリュックがない。その頃から、「どこにもないなら自分で作ろう」という気持ちが湧いてきました。とはいえ受験もありましたし、資格取得後には子どもができたので、なかなか行動に移せずにいました。

──何が行動を起こすきっかけになったのですか。

横山 兄の言葉です。兄は中目黒でブリティッシュパブを経営しているのですが、私が兄の店のカウンターで繰り言のように「ビジネスリュック作りたいんだよね~」と言っていたら、軽い調子で言われたのです、「おまえさ、なんだかんだできない言い訳ばっか言ってるよな。たぶん一生やらないよ」って。「なにそれ!」と思いましたね(笑)。

──なかなかの言われ方ですね(笑)。

横山 実際難しいのに!経験もないし、育児も仕事もあるし、本当にできない理由がいっぱいあるのに!と腹を立てたのですが、冷静になって考えてみると、確かに言われた通りだと思いました。兄はもともと努力家というタイプではなく、どちらかというと勢いで人生を切り開いていくようなタイプだと思っていました。妹から見ると危なっかしいアニキと思っていたのに、いつのまにかしっかりした経営者。そんな兄から見たら私は言い訳だらけで行動を起こさない頭でっかちな理想家に見えたのだと思います。
 言われっぱなしでは悔しいですから、自分に何ができるのか、ともかく行動することにしたのです。

──それからリュックの製造元を見つけて、クラウドファンディングで賛同者を募集。「biz+u」は2017年6月、なんと目標の677%という達成率で女性向けビジネスリュックを世に送り出したのですね。

横山 はい。兄に背中を押してもらい感謝しています。

10対0でものを考えず、複業時代を柔軟に生きる

──クラウドファンディングを成功させたあとも、事業として「biz+u」を続けていますね。

横山 自分と同じ立場の女性の悩みを解決するためにリュックを製作しましたが、私はリュックがゴールだとは思っていません。「biz+u」では、働く女性のために「新しい価値観」をつくっていきたいと思っているのです。女性キャリア向けビジネスリュックも、その「価値観」を具現化した、ひとつのアイテムにすぎません。

──事業を続けるとなると、お勤めの会社的にはどうなのでしょうか。

横山 会社には特に許可を取ったりせずにやっています。就業規則も確認しましたが、「他で雇用されたり、就業してはだめ」というような表現でした。それならば、自分で事業的なことをやるのは構わないのではと解釈しています。実際社内には、株に投資している人や、不動産経営をして家賃収入のある人がいますし、「biz+u」もそれと変わらないだろうと考えています。
 クラウドファンディングを始める時も、成功するかどうか、事業を続けるかも分からなかったので、会社の人にはほとんど話さずに始めました。でもある日、上司との何気ない会話で「バッグの調子どう?クラウドファンディングは集まっている?」と言われました。

──存知でしたか(笑)。

横山 おっかなびっくり「おかげさまで、いい感じです」と答えたら、「いいじゃん、いいじゃん!」と言ってもらえて。社内には応援してくれる人もいることが分かったので、会社に迷惑をかけることがないように気を付けながらやっていこうと思いました。

──「biz+u」は法人ではないのですね。

横山 開業届は出しましたが、法人化はせず今は個人事業主です。基本的にはインターネット販売の形をとっていて、在庫を家に置いて平日の受注分を週末に発送するというサイクルで無理せずやっています。

──会社ではどのようにお仕事をしているのでしょうか。

横山 現在はプレイングマネジャーのような形で、ITコンサルタントとして案件を担当しつつ、管理職の仕事もしています。会社にはスペシャリストかマネジメントか、キャリアを選択する制度があります。もともとはスペシャリストを希望していましたが、上司からマネジメント職種のオファーを受けて迷ったあと、一度は経験してみようと引き受けたところです。
 マネジメントの立場に立つということは、予算や人繰りなど、以前は自分の案件の範囲で達成すればよかったことがチーム単位での思考になります。これまでもマネジメントの大変さは知ってはいましたが、今はその苦労を体感しているところです。
 とはいえ子どもが小さいので、現在も時短勤務で働いています。保育園のお迎えがあるので、家へ帰ったら子育ての時間です。もう4歳なので乳児期のように手はかかりませんが、しっかり接しないと発育に影響が出る時期なので、ちゃんと子どもと向き合うようにしています。
 「biz+u」のほうはその合間に、無理のないペースで進めています。幸いリュックを製造してくれた会社の方が、「思うものを、思うように作らせてあげよう」という見守りタイプでしたので、急かされることなくやれたと感謝しています。

──後の方向性を教えてください。

横山 実は今、第2子を妊娠しています。2020年に出産を控えているので、産休後は1年、育児休暇を取る予定です。

──おめでとうございます!またライフステージに変化がありますね。

横山 今年で40歳になりましたが、40歳というのはキャリアを見直す時期とも言われています。他の企業内診断士の方も、このくらいの年齢で、独立するか企業内に残るか、決断をすることが多いようです。自分にもその悩みはずっとあったのですが、第2子の出産で、強制的に会社の業務を離れることになります。この期間にもう少し自分の方向性を考えられたらと思っています。
 今は「複業(複数の仕事を持つこと)の時代」と言われていますよね。社会的な雇用の概念もだんだん変化しています。だから本業と副業、どちらか10対0と決めずに、両方をバランスよく極めていくのもいいのではないかと思います。そういう意味では、自分が次世代に対するロールモデルになれたらいいと考えています。

──会社員として働きつつ事業の芽を育てて、定年になったらセカンドステージに備えるとか、将来的に中小企業診断士として独立するといったこともお考えですか。

横山 どの可能性もゼロではありません。2019年8月には武蔵小山創業支援センターでアドバイザー登録をさせてもらいました。経営のアドバイザーやコンサルタントとして事業者様のお役に立つためには資格や知識があるだけでは駄目で、経験を積むことも重要だと考えているので。
 今のところ私の強みは、クラウドファンディングの成功実績があることと、ゼロから事業を立ち上げた経験があることなので、創業希望者に経験を話させていただいています。

──またひとつやることが増えていますね。

横山 私の人生ビジョンは「生涯現役で働く」です。自営業で65歳を過ぎても働く両親を見てそう思うようになりました。引退して悠々自適に暮らすことへの憧れもゼロではありませんが、何歳になっても現役を続ける人は生活にハリがあるように見えて憧れます。自分もドタバタしながら、ずっと働いていたい。そのために複数のキャリアを地道に積み上げたいと思います。資格は仕事の質を上げてくれるスペックであり、働き方の選択肢を広げてくれる強いツールです。これから資格の取得にチャレンジする方も、どうかあきらめずにがんばってください。

[TACNEWS 2019年12月号|特集]