特集 理系出身の公認会計士が歩む道

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Profile

中込 一摩(なかごみ かずま)氏

EY新日本有限責任監査法人
EYフィリピン(SGV&Co.)
シニアマネージャー シニアダイレクター
公認会計士

1976年生まれ。早稲田大学理工学部機械工学科卒。1999年新卒で凸版印刷株式会社入社。2005年同社退社。2006年みすず監査法人を経て、2007年EY新日本有限責任監査法人入所。2010年公認会計士登録。2016年EYフィリピン(現地名 SGV&Co.)に出向、現在に至る。
E-mail:kazuma.nakagomi@ph.ey.com

始まりは「IT知識を駆使する公認会計士」という目標。
IT、会計、英語という武器を身につけた今、
日系企業との掛け橋として海外で活躍する。

 早稲田大学理工学部出身の中込一摩氏は、新卒で凸版印刷株式会社に入社。生産技術SEとして新規事業立ち上げに携わった。「学生時代はまったく資格に興味はなかった」と笑うが、社会人になってからは業務上の必要性に応じて数々の資格を取得、そして次第に会計知識の必要性とおもしろさを感じるようになり、凸版印刷を退社、公認会計士を志すことに。  常に挑戦を続け、IT、会計、そして英語とスキルを次々に身につけてきた中込氏の活躍を追う。

SEから公認会計士へ

────中込さんのキャリアを教えてください。

中込 学生時代は理工学部機械工学科の塑性(そせい)加工研究室に所属し、データベース構築などに関わっていたので、将来はシステム関係の仕事に就こうと考えていました。就職先を凸版印刷に決めたのは、印刷業だけでなく、広告宣伝領域や、IT、エレクトロニクス、金融など、幅広い事業を展開している点に興味を持ったからです。自分が何をしたいのかまだ絞り込めていなかったので、様々な分野に接点のある会社を選びました。

──凸版印刷での仕事内容はどのようなものでしたか。

中込 入社してすぐに新規事業の立ち上げを行っている部署に配属されました。そこではシステム設計やプログラム開発、設備導入、生産ラインの運用支援など生産技術SEとしての業務だけでなく、新規事業の販促やクライアントへの企画立案など、非常に幅広い業務を経験することができました。月に2日しか家に帰れないようなときもあったほどの激務で、上司も非常に厳しい方でしたが、私の社会人としての根幹を形成する非常に貴重な経験でした。
 大学時代は恥ずかしながらあまり勉強をしなかったのですが、社会人になってから、自分のやってきた勉強が仕事にどのように役立つのか、実感としてすごくわかるようになったことは大きな収穫でした。「勉強して身につけた知識は、仕事に活かすことができるんだ」と実感できるようになって、勉強する意欲が湧いてきました。
 いろいろな資格を取得し始めたのはその頃からです。学生時代には資格なんてまったく考えていなかっただけに、もっと一生懸命勉強しておけばよかったと後悔もしました。

──どのような資格を取られたのですか。

中込 2000年から2004年にかけては、機械保全技能士2級、初級システムアドミニストレーター(シスアド)、基本情報技術者、DTPエキスパート、日商簿記2級、AFPを取得しました。
 シスアドや基本情報技術者といったIT系資格は技術者として必須で、DTPエキスパートは印刷業のシステム開発をする上での実務知識を得るために取得しました。その他も、取得したのは当時担当していた業務に関連する資格ばかりです。工場の新しい生産ラインの全社的プロジェクトでは、製造から販売まで一貫したシステムを作りました。それまでになかった商品の販路をどう広げるかがプロジェクトの目的だったので、単なるSEとしてだけでなく、そもそもどのような設備やシステムを入れ、それによって将来的にどのような効果が生み出されるのかまでを視野に入れることになりました。ITスキルだけでなく管理会計の知識も必要になってきたので、日商簿記2級を取得しました。その頃は、自分が社会のしくみをまったくわかっていないという自覚があったので、仕事は忙しかったのですが、がむしゃらに勉強していましたね。

──忙しい仕事の中で、どのようにして勉強時間を捻出されたのですか。

中込 とにかく隙間時間を使って、少しでも時間ができるとここぞとばかりに勉強していましたね。平日は仕事を終えて帰宅してから寝る直前まで、休日もよく勉強していました。

──最終的に公認会計士(以下、会計士)の受験につながった経緯を教えてください。

中込 今お話ししたように、新規事業の販促活動やシステム開発、設備導入などに携わる中で、事業の採算計算や投資意思決定のための管理会計などの会計の知識がどうしても必要になったことをきっかけに日商簿記2級の勉強を始めましたが、やってみると、簿記や会計はとてもおもしろいと感じたのです。ちょうどその頃は新規事業も軌道に乗りはじめて人員が増え、私が担当していた業務を他の方に引き継ぐこともできてきたので、これからどうしようかと将来を考えた結果、このタイミングで会社を辞めて、会計系資格の最高峰とも言われる会計士試験に挑戦してみようと決心しました。シスアド、情報処理技術者の受験のときに利用したのがTACで、その後の日商簿記もAFPも会計士も、すべてTACで勉強しました。TACでは、会計監査の領域は将来間違いなく「ITシステムに強い会計士」が強くなると言われていたので、IT知識を駆使できる会計士になれれば、より広い領域で活躍できると思いました。

──6年間築いたキャリアを一旦仕切り直して会計士をめざすというのは大きな決断でしたね。

中込 もちろんすごく悩みました。事業部賞、部門賞など多数の賞をいただいたり、社長賞にも何度かノミネートされたりと、大変評価していただいていたと思います。会社に残ってもやりがいのある業務はたくさんあったと思います。会社が嫌になってやめたわけではなくて、自分がステップアップするために退社という選択をしました。社会人になってからはすごく勉強するようになったし、仕事がひと段落して勉強する時間が増えたこと、『TACNEWS』を読んだりする中で「IT系スキルのある会計士になれたら本当におもしろい仕事ができるだろうな」と思ったことが決定的な理由でした。

得意技は「隙間時間の集中学習」

──会社を辞めて、会計士受験に専念されたのですか。

中込  はい。日商簿記1級を取得できれば会計士試験が見えてくると言われていたので、会社を辞める前から勉強を始め、その後すぐ1級を取りました。幸い一発合格できたので、会計士試験へのチャンレジを始めました。
 理系出身なので、日商簿記とAFPの試験勉強で学んだ知識以外の、会社法や経営学、監査論はほとんど触れたことがない世界でしたが、逆に知らないことを勉強できて、すごく楽しかったですね。ただ、受験に専念して初めて気づいたことがありました。仕事をしながらの勉強は、大変ではありましたが「勉強したいから仕事を終わらせよう」「できる限り勉強時間を捻出しよう」というものすごく高いモチベーションがあって、勉強方法も非常に効率的でした。会社を辞めて会計士受験に専念している時期は、当然仕事はありませんから、1日中ただただ勉強しなければいけないのは辛かったですね。そこで、モチベーションを維持するために、毎日規則正しい生活を送ってリズムを作るようにしていました。自分には、時間を区切り集中して学習するほうが合っていたと思います。

──会計士試験の結果はいかがでしたか。

中込 幸い短答式試験に1回で合格することができ、論文式試験も1回目で科目合格を果たすことができました。全科目合格に向けて翌年も受験に専念するという選択肢もありましたが、「働きたい」という思い、「働きながらでも勉強はできる」という実績、何より、ずっと支えていてくれた彼女(現在の妻)を安心させたいという思いがあって、「次の年は必ず全科目合格する」と決めて、みすず監査法人に入所しました。
 入所後も、隙間時間はもちろん、土日もずっと勉強していました。監査法人では、自分が学んでいる知識が仕事の中でどのように使われるのかを実感できるようになったことが大きかったです。おかげで翌年の試験で無事全科目合格を果たすことができました。

──就職先として、なぜみすず監査法人を選ばれたのですか。

中込 4大監査法人の一角であったみすず監査法人の前身は、中央青山監査法人です。中央青山監査法人はカネボウの粉飾決算事件で2006年に監査業務停止命令処分を受けました。その後、みすず監査法人に改称しましたが信用回復には至らず、2007年に解散しています。
 私が監査法人への就職活動をしたのは、まさにその渦中の2006年。一度ひどい状況になっているので、逆に改革が一番進む監査法人で将来性があるのではないか、そういう環境に身を置くほうがおもしろいのではないかと考えたのです。その当時、最も監査のIT化が進んでいたのがみすず監査法人だったというのも大きな理由でした。

──激動の中で学んだのはどのようなことだったのでしょう。

中込 システム化を進めていく部分に自分が活躍できる領域があると思ったので、本業の監査業務をする傍ら、入所してすぐ公認情報システム監査人の資格を取りました。まだスタッフ1年目なので、新人として通常の法定監査をやりつつ、前職のSEとしての知識を活かし、IT関連のアドバイザリー業務にも従事するようになりました。困難なクライアントを多く割り当てられるなど周囲から頼っていただき、会計士として非常に鍛えられた時期でした。

EY新日本有限責任監査法人で生まれた海外への夢

──みすず監査法人の解散後の経緯を教えてください。

中込 解散後はEY新日本有限責任監査法人に移りました。EY新日本ではスタッフから始まってシニア、マネージャーと、とんとん拍子で昇格させていただきました。主査や統括主査として複数の上場会社、非上場会社、上場準備クライアントを担当する傍ら、事業再生支援、基幹システム更新支援、内部統制構築支援といったアドバイザリー業務も経験しました。加えて、会計関連の書籍執筆や雑誌への寄稿、セミナー講師など、幅広い経験ができました。自分には前職での経験やITスキル、みすず監査法人での経験というアドバンテージがあったので、幅広く声をかけてもらえました。
 それまでのがんばりが認められてか、マネージャー昇格と同時に、法人内にある「次世代リーダー育成プログラム」のメンバーに抜擢されました。ビジネススクールへの通学や多くの海外研修などに参加して、グローバルリーダーシップを学ぶことができる選抜プログラムです。当時、マネージャー昇格者は100人以上いたのですが、選抜に選ばれたのはわずか10人ほど。3次選考までありましたが、幸いなことに選考を通ることができました。ただ、グローバル人材を育成するプログラムということで、3ヵ月以内にTOEIC® L&R TEST のスコアを700点以上にしなければならないという条件付きの合格でした。私は過去に英語を勉強する機会がまったくなかったので、その時点でのスコアはなんと500点。これを3ヵ月以内に700点にしなければ、選抜から漏れてしまいます。そこで、得意の隙間時間を使って猛勉強をし、なんとか期限内に750点に到達することができました。

──そこから英語力に磨きをかけるようになったのですね。

中込 そうなんです。他の選抜メンバーもいろいろな経験をしている優秀な人材ばかりで、この研修プログラムを通じて、海外を強く意識するようになりました。この研修プログラムの中からさらに選抜でアジア諸国のメンバーが集まってシンガポールで大学の講座を受けてディスカッションするという海外研修があったのですが、選考基準はTOEIC® L&R TEST のスコアが900点以上。簡単ではないハードルでしたが、そういうチャレンジが私は好きなので、絶対に超えてやろうと思いました。その頃はまだ750点でしたから、4~5ヵ月で900点まで持っていかなければなりません。そこでも猛勉強しました。電車移動の時間もひたすら英語を聞いて、とにかく隙間時間や睡眠時間を削ってずっと英語の勉強です。その甲斐あって、選考基準900点のところ、ぎりぎり905点で基準を超えることができたんです。

──短期間で900点超えを果たし、シンガポールでの研修メンバーに選ばれたわけですね。

中込 シンガポールでの研修は、各国から参加している非常に意識の高い人たちと多くのつながりができて、とても貴重な経験になりました。
 それまでの仕事の仕方は監査がメインで、その他に多少のアドバイザリー業務を行う程度でしたが、基本的には受け身で仕事をしていた感じがありました。しかし、この次世代リーダー育成プログラムを経て、自分ができること、自分に求められていることに対して、自分がこうすべきだと思うことをどんどんやれるようになりました。この経験が、2016年7月のEYフィリピン(現地名 SGV&Co.)駐在につながりました。
 この次世代リーダー育成プログラムの経験から「一度は海外駐在をしてみたい」と思うようになりましたが、海外駐在は毎年監査法人内でも大勢が希望します。応募するにはまず事業部内で推薦をもらう必要があって、その後海外企画部署との面接を通ると、各国の役員クラスとの面接を受けます。幸いなことに私はこの選抜にも通って、念願の海外駐在が決まったのです。

日系企業との橋渡し役として

──現在の駐在先であるフィリピンでの業務内容を教えてください。

中込 EYフィリピン(以下、SGV)への出向者は、EY新日本から私1人です。他には2人の日本人と、残りの6,300人以上は全員ローカルのフィリピン人です。
 その中で、私はいわゆるジャパンデスクとして、会計監査だけでなく、税務やM&A、アドバイザリーなど、さまざまな領域で日系企業のサポートを行っています。日本での私の業務は、監査人あるいはコンサルタントとして、基本的に自分で手を動かしていました。あるいは、部下を動かして管理する立場でした。一方フィリピンでの仕事は、日本とフィリピンの会計や税務の状況を両方把握し、アレンジャーとして、お客様からのご要望をアレンジして、SGVのローカルの人たちとのつなぎ役をすることです。日本側からの問い合わせや指示をローカルスタッフに伝えたり、価格交渉や大きなクレーム処理、ローカルスタッフが疑問に思った部分の解決や、日本人同士でなければ伝えきれない部分の交渉などを主に行っています。日本での監査業務とは大きく異なり、会計監査だけではない、非常に幅広い知識が求められるようになりました。
 また、日本にいたときは、メインのクライアントは5~6社程度と限られた社数でしたが、今はフィリピンに進出している日系企業800社以上がクライアントです。業種業態も様々ある中で、あらゆるリソースを活用して、日系企業クライアントからのさまざまなご質問やご相談に応えていきます。多くの日系企業クライアントの方からご相談いただいたり頼っていただいたりすることで、何百人もの方々と知り合うことができ、非常に人脈が広がりました。EY新日本からの1人駐在員として、とても大きな責任感とやりがいを感じています。

──お客様から受けるご相談の案件は会計関連がメインですか。

中込 日本での私の業務は監査と監査に関連するアドバイザリー業務がメインでしたが、フィリピンでの業務は監査だけではありません。特に新興国では、税制自体が発展途上なため、頻繁に税制が変わったり、税務当局の対応が不透明で理不尽であったりするので、税制に対する問い合わせが非常に多いという特徴があります。他にはトランザクションアドバイザリーの問い合わせも多く、フィリピンに新規進出したい、現地でジョイントベンチャーを作りたい、フィリピンの会社を買収したいなど、さまざまなご相談に対応しています。こうしたアレンジャーとしての業務のほか、執筆活動やセミナー講演などの活動もしていて、会計監査以外の領域についても非常に知識を広めることができました。

──フィリピン駐在でよかったと感じていることを教えてください。

中込 駐在候補先としては、欧米やシンガポール、香港といった先進国もあったのですが、私は新興国、特に日本から近いASEAN諸国を希望しました。そして、ASEAN諸国の中でもフィリピン駐在でよかったと思うことは、IFRS(国際会計基準)環境であることです。その国独自の会計基準を勉強するのではなく、世界で通じるIFRSの最新の状況を経験することができるのは、会計士として大きなメリットです。また、フィリピンは英語が堪能な国で、ビジネスはもちろん、生活面でも英語を不自由なく使うことができ、勉強してきた英語を活かすことができています。

──他に海外で駐在してみたい国はどこですか。

中込 先進国よりも、フィリピンのように、これからの成長が見込まれる新興国がいいですね。新興国は理不尽なことや想定外の苦労をすることも多いですが、経済も政治も短期間にダイナミックに変化しており、国全体が得体のしれない活気に満ちあふれていて、ワクワクします。それぞれの国固有の課題はもちろんあるでしょうけれど、新興国であればフィリピンと似ている部分も多くあると思いますし、この駐在期間中に他国の駐在員との太いパイプもできたので、お互い協力し合えることもあると思います。

過去のキャリアはプラスになる

──一般事業会社で働くことと、監査法人で資格を持って働くことの違いを感じるのは、どのような部分 でしょうか。

中込 組織に属して働いて報酬を得るという意味では一緒だと思いますが、組織の中身がまったく違います。まず一般事業会社では特定の上司や先輩、同僚、後輩がいて、固定された部署で働きます。自分がやりたいことよりもその部署や会社の経営方針、会社としての使命が最優先されるので、やらなければいけないことが基本的にはトップダウンで下りてきます。
 一方、監査法人ではその都度クライアントやプロジェクトごとにチームを組み、現場の責任者の指示を仰ぎます。特定の上司や先輩がいないので、あまり管理されないですし、事業会社のような系統だった教育もありません。プロフェッショナルとして、自分の意志でスキルや経験をどう高めるかが求められていると感じます。そこは自分にとってはよかったと思う部分です。

──働きながらの会計士受験は大変だったと思いますが、前職で事業会社での社会人経験があることは、会計士としてプラスになっていますか。

中込 確かに働きながらの受験勉強は大変でした。本当に合格できるのかわからない中で「ずっと勉強していてもダメなら、どこかで諦めたほうがいいのかな」と考えることもあり、不安との戦いでした。前職の事業会社での社会人経験は、会計士になってからも間違いなくプラスになっています。今、多種多様なフィリピンの日系企業とお付き合いする中でも、その経験はとても大きなプラスになっています。

──今後の方向性はどうのようにお考えですか。

中込 フィリピンでの仕事は2019年6月までの任期だったのですが、SGVのトップマネジメントの方々からぜひ延長してほしいと言われて、1年間延長することにしました。こちらでの業務には非常にやりがいを感じていますし、駐在して1年後にシニアマネージャーに昇格させていただくなど非常に恩も感じており、ぜひ期待に応えたいと思いました。家族を日本に置いてきているのでとても悩みましたが、家族にも理解してもらって、延長を決めました。家族、特に妻には本当に感謝しています。
 フィリピンでの業務の魅力は、すべて自分の裁量で自由にできることにあります。直属の上司もいないので、私ひとりでやるしかありません。自分がやったことはすべて自分に返ってきます。プレッシャーも大きく非常に大変ですが、そうした環境は自分には合っているし、やっていてすごくやりがいを感じています。それなりの実績を出すことができていますし、非常に多くの人脈を作ることもできました。駐在後はこの海外での経験を日本で活かしていければいいですね。

資格取得という目標がモチベーションアップに

────SGVでは日本人のインターンも受け入れているそうですね。

中込 SGVは、圧倒的な規模とシェアを誇るフィリピン最大の会計事務所で、かなりの人数のインターンシップを受け入れています。基本的にはローカルの大学生が中心ですが、日本から数ヵ月間の語学留学に来る学生も今は多くなっていますので、そういう方なら英語環境での仕事を経験してみたいという希望をお持ちかもしれません。また、TACで会計士をめざしている方の中には将来海外で働くことを視野に入れている方もいることでしょう。そういった方々をインターンシップで受け入れることも可能ですので、もしご興味がある方がいらっしゃったら、ぜひ私にご連絡いただければと思います(プロフィール欄参照)。

──最後に、スキルアップをめざす方々にメッセージをお願いします。

中込 私はラッキーなことに、学んできたことをすべて資格取得につなげることができました。学んだことを形として残したいという思いもありましたし、その資格が現在の仕事や自分の将来にどう結び付くのかも意識してきたようにも思います。仕事をしながらの目標のない勉強はモチベーションの維持がしにくく、どこまでがんばればいいのかと悩んでしまうときもあるかもしれませんが、そんな時に資格取得は大きな目標になります。私の場合は、TOEIC® L&RTESTでは700点、900点という具体的な数値目標があってがんばることができました。そして目標をクリアしたら、さらに新しい世界が開けてきます。1つの分野を極めることも当然大事ですが、それにとどまらず様々な分野に挑戦したり経験したりすることで、軸足が増え、視野が広がり、視座も変えていくことができるようになりました。それぞれの場面で勉強したこと、経験したことが、とてもよい相乗効果を生んでいると思います。そうして積み上げてきたものがあるからこそ、新しく何かをやろうと思ったときに迷うことがありませんし、「失敗したらどうしよう」などと考えることもありません。「今までだって、挑戦してきたことはすべて次のステージにつながってきたのだから」と思えるんです。
 私の場合、資格を取得したことで、本当に仕事の幅が広がりました。会計士試験の勉強を始めた当時、自分がまさか本を出したり、雑誌に寄稿したり、セミナー講師をしたり、海外に駐在したりするなんて、想像もしていませんでした。
 資格を持っているからこそ、今があります。会計士は簡単には取得できない資格です。でも、その分チャレンジする価値があります。挑戦をおそれずに、ぜひ最後までやり通してください。

[TACNEWS 2019年8月号|特集]