特集 「人生をもっと自由に」資格を持つという選択

成木  浩太郎氏
Profile

成木 浩太郎氏

司法書士リーガルキューブ
代表司法書士

成木 浩太郎(なりき こうたろう)
福岡県出身。中央大学法学部在籍中に司法書士資格を取得。司法書士事務所で約2年半勤務したあと、アメリカへ留学。バックパックで単身世界一周をする。帰国後は大手司法書士事務所へ入り、外国法人が関わる大量物件移転やマンション一括分譲のための登記など、不動産登記・商業登記の案件を担当。2018年5月独立、司法書士リーガルキューブを開設。TOEIC® L&R TESTのスコアは925点、英語での対応も行っている。

 大学在籍中に司法書士の資格を取得した成木さん。卒業後は司法書士事務所へ入ったものの、社会経験とコミュニケ―ション能力の不足を痛感します。そこで思い立ったのが、実務を2年経験したあとの「アメリカ留学」、そして「バックパックでの世界一周」。思い切った決断に思われますが、帰国後は大手司法書士事務所に再就職し、司法書士としての経験を積みました。2018年5月に独立開業した成木さんは、「今は自分のスキルを錬成する時期」と言いつつ、将来は司法書士の枠を超えた仕事をする可能性を模索しているといいます。自由なスタンスで生きる成木さんに、司法書士という資格はどのような存在なのかをうかがいました。

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社会で生き抜く力を得るために選んだ「資格」という武器

──成木さんは中央大学法学部在籍中に司法書士資格を取得されていますが、どのようなキャリアプランをお持ちだったのでしょうか。

成木 在学中合格というと、しっかりとした目標を定めていたように見えるかもしれませんが、キャリアプランは結構あいまいでした。私は福岡の出身ですが、田舎者で、高校の進学先を選ぶ時も「近場の学校でいいや」という感じでしたね。中央大学法学部にも、自ら望んで入ったというより、親が「ちゃんと大学へ行って」と言うので、とりあえず結果を出しておこうということで進学しました。資格の取得も同じで、司法書士になって何か具体的にやりたい仕事があったわけではなく、漠然とした目標の中で勉強していたと思います。

──中央大学法学部には司法試験をめざす人もいたと思いますが、その中で司法書士をめざした理由は何だったのでしょう。

成木 司法試験をめざす人は早目に勉強を始めます。中央大学でも、そういう人たちは入学して1、2年で進路を決めて勉強会に入りますが、私の場合は慣れない東京で右も左もわからず、その時点では進路が定まっていなかったので勉強会に所属しませんでした。ただ大学には「法職講座」という法職者としての基礎を学ぶ講座があり、それは受けていましたね。最初から司法試験をめざす道もありますが、弁護士になるまでに何年も時間をかけるよりも、まずは司法書士の資格を取り、社会へ出て世の中を知ることが優先だと考えました。社会人としてのスキルを身につけてから司法試験をめざしてもいいと思ったのです。

 大学3年生の頃はリーマン・ショックの影響もあって、毎日のように「就職が厳しい」というニュースがテレビや新聞を賑わしていました。その時に考えたのは、厳しい就職活動を突破して会社に入っても、将来どうなるかはまったく分からないのだということ。どんな大企業でも倒産してしまう可能性はある。会社が買収されて事業効率化のためにリストラされる可能性や、病気になってしまう可能性だって考えられます。この経済状況で、何のスキルも持たず自らの能力を高めることを怠り、企業におんぶにだっこでは失敗するリスクが高いし、危機が自分に降りかかってきた時にどうすることもできないと思いました。

 自分の力で生きていくための力を何か持ちたかった。また、仕事を通してさまざまなクライアントに出会えそうだと思ったのも、司法書士をめざしたきっかけのひとつです。

──どのように試験勉強を進めましたか。

成木 Wセミナーの「1年総合コース(当時)」に通いました。最初の頃は復習ばかりやって1日の学習時間も2時間程度、講義にも身が入っていない状態が続いていました。本気になって勉強をしたのは、試験の6ヵ月前位からです。直前期は本当に寝ても覚めても、という感じで食事と寝る時間以外はずっと勉強していました。ベッドの周りに本を積み上げて、寝る時も目をつぶって情報を整理し「ここがよく分からないな」と思ったらすぐ本を取って確認するような状態です。ベッドの上でずっと勉強していたこともありました。

──すごい集中力ですね、そして見事試験に一発合格。

成木 でも、その間は勉強ばかりに集中できていたわけでもないんです。例えば、模擬試験の直前に10年以上飼っていた愛犬が亡くなり、そのことで頭がいっぱいで結果が散々だったこともあったんですよ。ただ、今思うと、試験に合格できたのは運が良かったこともあるかもしれませんが、やはり試験勉強の対策ができていたからだと思います。過去問を解いてどこが重要かを自分なりに整理して、試験前に何をやるべきかはっきり分かるようにしておくことが大事だと思います。「試験の場で、いかに知識を思い出せるか」を念頭に置いて勉強するのがポイントではないでしょうか。もちろんこれは私個人の勉強法ですから、その通りにやって合格できるとは限りませんが、自分なりの勉強方法を早期に確立することが合格につながると思います。

司法書士事務所へ就職し、社会的スキルのなさを痛感

──大学卒業後に就職した司法書士事務所は、どのような職場でしたか。

成木 銀座にある10人位の事務所です。不動産関係を中心に、銀行から業務を請け負っていました。不動産コンサルティング会社の新・中間省略登記や、信託受益権の売買、また、最近司法書士の新たな活躍分野として注目を集めている民事信託のはしりの頃に信託契約書を作成するなど、難解な登記業務もしていました。商業登記に関してはスペシャリストの先輩がいたので、自分はその手伝いをするような形で仕事をしていました。

──最初の事務所には2年ほど在籍していますが、その間は先輩について仕事をしていたのでしょうか。

成木 いえ、一般的な司法書士事務所は大体そうだと思いますが、司法書士の資格を持っているのだから業務はもうできるだろうと、最初から「この案件をやって」という形でクライアントを担当しました。

 大学を卒業してすぐの話ですから、社会人としてのマナーも何も分からない時期です。自分でマナーの本を買って、基本的なビジネスマナーを勉強しました。自分のバックグラウンドも浅いですし、クライアントの業界のことも分からない。打ち合わせに行っても大した話ができなくて、自分でももう本当につまらない奴だったと思いましたね。書類を受け取ってチェックして、「はい大丈夫です」みたいな…。そんな仕事の場面では劣等感を感じましたね。事業会社の経験もない、相手の業界に対する知識もないという中で、相手ときちんとコミュニケーションをとりたいと思うようになりました。

──その後、事務所を辞めてアメリカへ留学されましたね。少し唐突に思えますが、なぜ留学という選択をしたのでしょうか。

成木 留学を考えたのは、どこに行っても通用するコミュニケーション能力を身につけたかったからです。「外国の人とコミュニケーションがとれるようになれば、日本人とでも大丈夫だろう」と考えました。大胆な発想に思われるかもしれませんが、昔から時々、突拍子もないことを思いつくタイプなのです。中央大学在学中には福岡の実家からヒッチハイクで東京まで戻ったり、東京から名古屋まで1週間くらいかけてママチャリで旅をしたりもしましたね。だから留学も「またやってしまった」という感じで(笑)。親にも迷惑をかけてしまいました。

コミュニケーション能力を身につけるための留学、そして世界一周

──事務所を辞め、25歳でアメリカのボストンとシカゴへ語学留学されていますが、2つの都市へ行ったのはなぜですか。

成木 選んだ語学スクールが各都市に分校を持っていて、通う場所を選べたのです。最初は、アカデミックな雰囲気で勉強ができるだろうと考えてボストン校を選択したのですが、ボストン校は若い学生が大半でした。それに比べてシカゴ校は社会人が多かったので、きっと学ぶ意欲の高い人たちが集まっているだろうと思いました。社会経験を積みたい自分にはシカゴ校のほうが合っていると考えて、途中で移ることにしたのです。

 通った学校はインターナショナルで、南米、アジア、ヨーロッパとさまざまな国の人がいました。今でも付き合いのある人もいます。ここでトータル7~8ヵ月ほど語学を学びました。学校では誰彼かまわず話しかけて、常にコミュニケーションをとっていました。そのおかげで、ずいぶん性格がオープンになったと思います。

──留学中のお住まいはどうされていましたか。留学からの世界一周、資金的にはかなりかかったと思いますが。

成木 留学中はホームステイをしていました。最初はホストファーザーが話していることも全然分からないような状態でしたね。また、語学留学を終えて世界一周を始める前には、1ヵ月ほどアイオワ州で過ごしました。父の旧友がアイオワ州の畑の真ん中に大きなゲストハウスを持っていたので、そこへ滞在させてもらい、宿泊料代わりに庭木の剪定をしたりして過ごしました。ゴルフができそうなほどの広い庭に、とにかく圧倒されましたね。

 世界一周については、当初から語学を習得したら世界を回ろうと考えていたので、バックパックは日本で用意し持っていきました。貯めたお金を全部使い切るまで、世界を見て歩こうという計画でした。学費は日本にいる時に払い込みを済ませておきましたが、留学中の滞在費と世界一周の旅費はトータルで約300万円使いました。そのうち世界一周にあてた費用は80万円ほどでしたが、ちょうど円高の頃でレート差があったので、ドルで引き出して100万円位になりました。それを全部ポーチに入れて、ずっと抱えて歩いていましたね(笑)。

──世界一周では20ヵ国を訪れたそうですね。

成木 アメリカから始まって東回りに、カナダ、ポルトガル、スペイン、モロッコ…、またスペインへ戻ってフランス、ドイツ、スイス、イタリア、ギリシャ、トルコと。中東は当時かなり危険だったのでトルコでインドのビザを取ってインド北部を1ヵ月半位、お腹が痛くなりながら放浪していました(笑)。インドからシンガポールへ飛んでタイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナム、中国、ここはずっと陸路で国境を超えました。それから中国の青島からフェリーで韓国へ渡りました。

──どのような旅だったのでしょうか。

成木 観光地にはあまり行こうとは思わなかったですね。どこの国でもそうですが、宿泊している安宿で情報を得たり、一緒に旅をする人を見つけたりしていました。

 アメリカで勉強した英語を活用できましたし、自分ひとりでがんばるのではなく、人に頼るという貴重な経験もできました。いかんせん資金の乏しい旅だったので、野宿もしたし、物価の高いヨーロッパではいつもハムとチーズとパンをスーパーで買ってサンドイッチにして食べていましたが、マヨネーズのありがたさに気づかされたりもしました(笑)。

 最も価値観に影響を受けたのはトルコ以降でしょうか。日本と生活環境や経済環境が違うのが当たり前なんです。違いすぎて、自分の心の世界の狭さに落胆した時もありました。また、社会に一度出た経験があったからこそ分かることが多かったです。宗教・経済・政治など、日本に住んでいれば知らなくてもいいことかもしれませんが、そういった経験知識は今後必ず役に立つと信じていますし、今の行動の源にもなっていると思います。

 世界を旅してうらやましいとよく言われるのですが、いつも「誰にでもできますよ」とお答えしています。世界を旅しないといけないと言っているわけではなく、何か夢や目標があるのなら、まずは一歩踏み出すことが重要だよという意味です。人それぞれ自分なりの一歩の踏み出し方があるとは思いますが、踏み出すこと自体は誰にでもできるし、もしかしたら自分にしかできない踏み出し方もあるのかもしれない。ただ、日本に住んでいると、自分の生活レベルを急には変えられないといった事情もあるでしょう。だからこそ、得たい結果を得るためには、先を見据えて少しでも早く行動に移すことが大事なのではないでしょうか。

──帰国後の就職活動はどのように進めたのでしょうか。

成木 帰国した時は、司法書士以外の仕事に就くことも考えていました。今もそうですが、「世界一周ができたのだから、何をやっても生きていける」という気持ちでいたのです。再就職までの間にTOEIC® L&R TESTを受けたり、1ヵ月ですが、WWOOF(ウーフ)という、主に外国人が参加する農業ボランティアのようなものも経験したりしました。兵庫県に本格的な有機農業をしながらボランティアを受け入れている方がいて、そこでアメリカ人やフランス人の方々と一つ屋根の下で寝起きし、英語でコミュニケーションをとりながら農作業の手伝いをしましたね。休みの日には、プレハブでお酒を飲み交わしたり、語学講師をやっていたアメリカ人から、以前日本で滞在していた物件の賃貸借契約書について相談を受けたりしたこともありました。

 その後、日本の会社の採用試験を受けてみましたが、ちょっと感覚にずれがあるというか、旅をしていた時の感覚とは違うなと思いました。就職活動をするうちに少しずつ日本的なマインドを取り戻した感じですね。できれば海外と関わる仕事をしてみたいという視点で、一般の事業会社やコンサルティング会社なども受けました。そんな時に、以前勤めていた司法書士事務所の所長から「ミャンマーの仕事があるよ」と声がかかりました。「自分はミャンマーには1ヵ月半位いたので、ミャンマーならばっちりです!」とアピールし、TOEIC® L&R TESTのスコアも925点取っていたので、そのまま採用になりました。

大手司法書士事務所に就職し、司法書士として再スタート

──再就職先ではどのような仕事をされましたか。

成木 不動産登記部門や商業登記部門もあったのですが、入所して最初に配属されたのは少し特殊な部署でした。不動産の権利関係などに関する調査や提言をするような、コンサルティング的なことを行う部署です。

 そこでは最初、ミャンマーの案件を担当しました。現地で会社を設立するには法的にどうしたらいいとか、お金の移動はどうするかとか。国内でお金を稼いだとしてもそれを海外へ持ち出すのは難しいので、ビジネスになるかどうかを調べていました。所長がミャンマーの政治家にパイプがある方とやり取りをしていたのですが、その頃ミャンマーの政権が変わり、その影響で計画が頓挫してしまったのです。担当していた案件が急に消えてしまって、「自分はこれから何をやったらいいのだろう」という気持ちになりましたね。

──突然のことでしたね。

成木 さらにその後、直属の上司が突然会社に来なくなったのです。本当に突然、一切の連絡が取れなくなりました。その上司とは一緒に大きな案件を担当していました。あるホテルを買収しようという企業があって、建物が区分所有になっているのをまとめて一括移転するという仕事です。管理組合の方と折衝していたのですが、その状態で主導者がいなくなってしまった訳ですから、サブ担当者として関わっていた自分が中心となってやらざるを得ない状態になりました。慌てて書類関係を端から端まで丁寧に読み直して状況を把握し、自分なりに考えて、ともかく今後の方向性をどうしていくのか、クライアントへ方針を説明しました。その後、他のスタッフも加わって何とか仕事を納めることができました。強制的に経験させられたようなものですが、ひとつのよい経験になりましたね。このような経験をしたので、私は消えた上司みたいに業務を投げ出すようなことは絶対にないでしょう。

──司法書士としての知識があったからこそ、非常事態も乗り越えられたわけですね。

成木 その後はいろいろな案件をこなしましたが、特徴的なのはアメリカの宗教法人の案件ですね。宗教法人が日本の不動産を持っていたのですが、行政上の問題で法人が解散しなければならないことになったんです。持っていた日本の不動産をどうするかということで、スキームを考えることになりました。会社と不動産の横断的な知識が問われましたし、英語も活用できて刺激的でした。この案件を終えたあと、不動産部門へ異動しました。ここで扱った案件は、大規模マンションの一棟まるごとの登記です。分譲で100戸位あったでしょうか。それをまとめて登記する仕事です。この案件は最初2人で担当していましたが、途中から自分がひとりでやることになり、休日含め、始発から終電まで仕事をするような状態になりました。現場が北海道だったので、何度も出張して、雪の降る中での仕事でした(笑)。士業の仕事はひとりで完結することがほとんどなので、人員配置を考えたり、リーダーシップをとったりするような案件はあまりないのですが、それでも何とかするしかないと、先陣を切って仕事を進めました。

 そんな中、私が独立を決めたのも、事務所の経営方針が自分には合っていないと感じたからです。

 私は読書が好きで、経営に関する書籍を読むことも多々ありますし、留学中は、全世界の大学の授業を無料で見ることができるWEBサイトがあるのですが、マサチューセッツ工科大学の初級経営講座などもよく見ていました。理論と実務が違うのは十分理解していますが、事務所のやり方を「違うんじゃないか」と考えるようになっていたのは事実です。士業の事務所の中には経営の知識が十分でないまま運営しているところも少なくないと思いますね。

資格はステップアップのために「活かすもの」

──そこで2018年に独立、リーガルキューブを立ち上げたのですね。

成木 独立した直接のきっかけは、現在ビジネスパートナーになっている髙橋から「一緒にやろう」と誘われたからです。彼は司法書士業界に40年以上いる、知識・経験共にベテランです。話が上手で、営業をかけてクライアントを取ってくることができるし、人脈も広く、人から相談されることも多いのです。髙橋と一緒にやれば自分の勉強になると思いました。実際、一緒に道を歩いていても、この辺りは昔どうだったとか、ここのお茶菓子がおすすめだとか、自分にとってはとても重要だと思うことを日々学べています。髙橋とはかなり年齢差があるのですが、若輩の自分でも、「代表」という立場が人を作るというか、代表として責任を持てばきちんと代表の役割を果たすようになるだろうとも考えています。

──独立後はどのように仕事を進めてきましたか。

成木 開業から少しあとの6、7月がちょうど会社役員の改選期で、髙橋が持ってきたクライアントの仕事がありました。その後、ストックオプションなどの関係の仕事が入ってきて、2ヵ月ほど忙しくなりました。その後は、同期の司法書士が開業時によくビジネス交流会などに行っていたと聞き、自分も営業へ行こうと思い、まずは士業の交流会に出席してみました。

──今は英語の仕事もされているとのことですが、具体的にどのような案件があるのでしょう。

成木 外国から来た方が、日本で会社を設立したいけれど日本語がよく分からないという時などに対応しています。最近では、富裕層の外国人が日本に不動産を持っているというケースもありますね。以前扱った案件では、アメリカ国籍の方が不動産を持っていて、相続が発生したけれど奥さんがフィリピンの方でまったく日本語が喋れないということがありました。

──今後、日本で就労する外国人が増えれば、不動産登記や商業登記などの仕事も多くなりそうですね。

成木 そうですね。事務所を続けていくためには、いろいろな軸を持っていないとだめだと思います。不動産登記だけでは不動産業界が厳しくなったときに困りますし、商業登記も、おすすめはしませんが、会社が自前で登記を行うとなれば司法書士は不要です。どこにでもリスクはあるので、柱となる業務を複数持つことが大事だと思います。自分としては英語の案件、不動産登記、商業登記をメインでやっていこうと思っています。簡裁訴訟代理等関係業務の認定も取りましたが、係争関係はその方面に強い司法書士や弁護士の方を紹介する形でやっていくつもりです。自分ひとりですべての分野の案件に対応しようというのは無理がありますし、クライアントにも失礼になると思うからです。

 開業した方の中には、他の方とコミュニケーションをとることなく、本などで読んだ情報だけを頼りに対応して、よくない結果になっている方もいますね。余裕がないと「何でもやります」ということになってしまうのかもしれない。それを避けるためにも、私は開業にあたって営業力のあるビジネスパートナーと一緒に始めたのです。今は、じっくり自分の経験と知識を拡充するような仕事をしていきたいと思います。もっと勉強して司法書士の周辺業務についてなど、何を聞かれてもアドバイスできるようになりたいですね。最近は表題登記関係の勉強をしていて、会社法も何度も読み返しています。会社法を使いこなせるようになってくると、クライアントに明解な説明ができる。クライアントの期待を超えられること、役立てることには満足感を感じますし、司法書士としてのやりがいを感じます。クライアントや紹介者などの関係者に失礼のない仕事をしながら、スキルアップしていきたいです。

 とはいっても、中間目標としては堅実にやっていきますが、将来的には司法書士の枠を超えた仕事をしたいと思っています。司法書士の仕事は、本人確認業務を除けばどこにいても仕事ができますから、海外と日本を行ったり来たりして仕事をする可能性だって考えられます。そういう身軽さは常に持っていたいと思います。

──10年後20年後、思いもよらない働き方をしているかもしれませんね。最後に、これから資格の取得をめざす方へのメッセージをお願いします。

成木 自分としては、資格がなくても生きていけるという自負はありますし、資格を取ったからといってそれだけですばらしい未来が待っていると思っている訳でもありません。でも、キャリアを中断して留学や世界一周をしても再就職が簡単だったのは、間違いなく資格があったからです。人生の「保険」として資格を使ってきた部分はありますね。資格を持つことで生き方の選択肢が増えますから、自分がステップアップするための「踏み台」として資格を使うのがいいと思います。司法書士の現場では資格プラスアルファが求められますから、いろいろな経験をしたほうがいいです。いったん社会に出てから、自己実現するための方法として、資格を取るのはいい方法だと思います。ぜひ、挑戦してみてください。

[TACNEWS 2019年4月号|特集]