特集 「資格」は未来へのパスポート
〜すべての経験をつなげてくれた中小企業診断士の資格〜

  
宮木 恵美子氏
Profile

宮木 恵美子氏

オフィスみやき代表
中小企業診断士・第一種衛生管理者
日本生産性本部認定
経営コンサルタント
JHMA認定 ホスピタリティ・コーディネーター

宮木 恵美子(みやき えみこ)氏
大学卒業後、銀行系信販会社の女性営業職第1号として勤務。その後、結婚退職したものの30代で社会復帰。国際NGОスタッフや、ベンチャー企業の経営企画に従事し、その後は助成金支援のコンサルティング会社で中小企業の経営支援を行う。診断士として独立後は、公的機関で東北や熊本など被災地の経営支援専門員や、企業研修・セミナー講師として組織の活性化支援に携わる。

 「今の仕事が自分に向いているのかわからない」、「本当にやりたいこととは違う気がする」……。いつの時代にも、自分の仕事に疑問を持ち、キャリアプランを描けない人は多いです。大学卒業後、信販会社で女性営業職第一号として働き、結婚退職後は病気や不妊治療をしながらも、自身のキャリアを積み重ねてきた宮木恵美子さん。40代になってから中小企業診断士の資格取得の勉強を始め、2016年に取得。独立後は、自分の強みは何であるかを模索しながら、精力的に活動。研修講師、業務改善のコンサルタントとして活躍しています。さまざまな経験を積み重ねることで、本当にやりたい仕事と巡りあい、確かなキャリアプランを描く宮木さんの生き様に迫りました。

波乱に満ちた経験が中小企業診断士への道へ導く

──宮木さんが中小企業診断士の資格を取ろうと思ったきっかけは何ですか。

宮木 大学卒業後、勤務していた会社を5年ほどで結婚退職。30代で社会復帰して、2つの公益財団と2つのベンチャー企業で仕事をし、組織の立ち上げや吸収合併時の組織の融合・再構築の現場を経験しました。こうした職場では、社長や理事長といった最高意思決定権者のすぐ下で働き、多くの“先生”、“コンサルタント”と呼ばれる専門家に出会う機会がありましたが、そのとき感じたのは、現場目線の専門家が意外に少ないということでした。
 みなさん「経常利益がこうなので」、「法令上の決まりでは」、「労働基準法に則ると」など難しい言葉で賢そうなことを言うのですが、正直、現場の人間には意味がわからないんですよね。社長や理事長は「専門家の言うことだから、間違いないんだろうな」と右へならえなのですが、改善すべきと指摘された内容が実情と合っていないことも多く、現場からは不平不満がいっぱい。現場をきちんと把握していない専門家が大変立派な施策を打っても、どれも「絵に描いた餅」。現場ではミスマッチとなるケースも多かったのです。そういうケースをたくさん目の当たりにし、私自身もフラストレーションを感じることが度々ありました。現場の「声」を、「意見」を、ちゃんと上司にも専門家にも伝えたい。現場の人と専門家の間に入って、パイプ役を果たしたい。専門家の人と対等に話をするにはどうしたらいいのか。そう考えたとき、経営コンサルタントの国家資格である中小企業診断士という資格に興味が湧きました。経営論、財務、運営管理、法務、情報、経済などをオールラウンドで学べるのが魅力で、40歳を超えてから資格取得に向けて勉強を始めました。

──最初の職場は5年で結婚退職とのことですが、何か退職の理由があったのですか。

宮木 大学卒業後に勤めた信販会社は、大手都市銀行の系列でした。当時、男女雇用機会均等法はありましたが、依然として女性は男性社員のアシスタント的な役割が一般的。結婚退職が「女の花道」とされていた時代でした。私自身も、実は仕事は結婚までの「腰かけ」と思っていて、キャリア志向はまったくありませんでした。ところがそんな時代に、なぜか私は、一方的な人事命令で女性営業職第一号になったのです。部署の男性の上司や先輩は、「営業職には男が欲しかった」、「男が人事異動してくるものだと期待していたのに女かよ」と。その会社では女性営業職のマニュアルもないし、どういうふうにやっていくか誰もがわからず手探りの状態でした。結局、最終的には営業の男性上司や同僚たちからは「営業職に男性も女性も関係ない」と、ビシビシとしごかれました。一方、女性社員からは「なんで宮木さんだけお茶汲みをしないの」と言われ、次第に距離をおかれるようになりました。そして、上司が保守的な思考の方になると、途端に営業職から外され、革新的な上司に変わると、また営業職になる…。あっちに行ったり、こっちに行ったり、まるで「物」でした。そんな日々がしばらく続き、心のバランスを取るのが難しかったですね。ストレスが原因で、婦人科系疾患にもなり、結婚を機に少し穏やかな日常を過ごしたくて「退職」という選択をしました。

──30代で社会復帰されたとのことですが、復帰したきっかけは何だったのですか。

宮木 30歳で社会人として大学院に進学したことが、再び仕事を始めるきっかけになりました。一旦、家庭に入ったのですが、病気のことがあって子どももすぐにできない。自分のアイデンティティ探しじゃないけれど、ずっと、どうすればいいの、どうすればいいの、と考えていたのが20代後半の私でした。ですが、病気は悪化するのみ。とうとう20代の最後の年に手術をするのですが、ある日、入院していた病室に夫が一通の手紙を持ってきてくれました。それは、私の母校に大学院ができるという「お知らせ」でした。
 当時、私はシンガポールのことがとても好きで、シンガポールの本を見たりシンガポールのお料理を食べたりすることが、唯一心から笑顔になれる時間でした。そんな私を見ていた夫が、私に何かの転機になればと思い「大学院でシンガポールを研究してみたら」とすすめてくれたのです。私は環境を変えたい一心で、30歳でまた学生に戻ることにしました。  大学院では、シンガポールの「NGО論」を研究しました。多民族国家のシンガポールで、言語も文化背景も異なるけれど、「女性」ということで結ばれた人々が、ドメスティック・バイオレンス法案を作りあげていく事例を基軸にした研究でしたが、修士論文を書き上げるまでに、日本とシンガポールの沢山の女性たちにサポートをしていただきました。同時に、研究を通して多様な女性の生き方の生サンプルを沢山見ることができ、「色々な人生があってよいのだなぁ……」と妙に納得をしたんです。ですから、大学院修了後は仕事をしよう、社会復帰しようと自然に思うようになっていました。

──社会復帰後は、どのようなお仕事をされたのですか。

宮木 大学院でシンガポールの女性たちを研究したので、今度は自国(日本)の女性たちの存在をもっともっと知りたくて、日本の国際女性NGО組織に再就職しました。担当した業務は、経理、給料計算、ファンドレイジングとお金に関わる業務の全てで、この職場で管理本部系業務の「いろは」を学びました。大学院で研究した経験がつながっている職場で、大変やりがいを感じており、日々、本当に楽しかったです。そしてこの職場では、貴重な意識改革の経験をしました。今は時短勤務や育児休業など、子育てに関する制度やサポートは色々ありますが、このNGО組織には、そういう制度がない時代から頑張ってきた諸先輩方がたくさんいらっしゃいました。ある一人の女性が「女性の自立支援は制度を整えるだけでなく、“働くことに覚悟を持たせる”ことも自立支援だ」と、おっしゃって。目から鱗が落ちた瞬間でした。この時、初めて「仕事は覚悟をもってやるものだ!」と意識し、その後の私のキャリア形成・仕事に対する姿勢が変わったような気がします。

職場での不条理を資格取得へのエネルギーに変換

──その後、中小企業診断士の資格を取得するまでに、どのようなキャリアを積み重ねてこられたのですか。

宮木 このNGО組織では、経理をしていたこともあり、公認会計士の先生方に会う機会が多くありました。ある会計士の先生が「お金を扱うんだったら、民間事業会社で会社法や企業会計をしっかり学んだほうがいいよ」とアドバイスしてくださいました。私はそれを機会に、今後のキャリアを考えました。
 当時はJ-SOX(企業における内部統制報告書を正確に作成し、監査を受けて提出する制度)が出てきた時代。そうした業務をふまえ、オールラウンドに経験させてくれる仕事をしたいと思い、民間の保険会社の立ち上げの仕事につきました。ここでは会社に必要な規定にはどのようなものがあるか、どのように規定を策定していくのか、取締役会・株式総会はどのような手順で開催されるのか、人事採用や育成はどのようにするか、プレスリリースはどうするかなど、会社運営の様々なことを学びました。仕事はやりがいがあり“覚悟を持って”臨んでいたのですが、プライベートでは流産という悲しい経験をしました。やはり、失って初めて気づく「心の本音」みたいなものがありまして、40歳を目前に、仕事を一旦休止して、もう一度、婦人科系疾患と向き合うことを選択する私がいました。
 結局、神様は何も与えてはくれませんでした。夫とふたりだけの人生を歩み出しましたが、正直、心には隙間風がビュービュー吹いていましたね。そんな時、例の会計士の先生がまた声をかけてくれました。「公益法人制度改革が行われて、どの財団法人・社団法人も“公益法人”として認定を受けるべく、会計をしっかり見直し、法令を遵守しなくてはいけなくなった。公益会計や会社法、内部統制の規程策定に知識と経験がある人が求められている」とのことで、私は再びある国際NGО組織の財団法人で仕事を再開し始めました。私の担当業務は、公益認定をとるために組織を見直し、再構築していくもので、その過程においては組織の吸収合併もあり多くの“先生”と呼ばれる専門家に出会う機会がありました。3年間のプロジェクトが終了するころには、先にもお話ししたように現場と専門家、専門家と上司のパイプ役を担うため、中小企業診断士の資格を取ろうと思っていたのです。

──資格をとるために、具体的にどのように勉強をしたのですか。

宮木 TACの八重洲校に通いました。当時は、仕事で天下りしてきた上司との軋轢などがあり、フラストレーションを抱えていました。「なにくそ、いつか見返してやる」と思いながら、診断士の勉強をしていたことが記憶にあります。ですが一方で、資格取得後の未来予想図や目標はぼんやりとしていて、自分がどこに向かっているのか不安になることも多く、苦しい時期でしたね。
 ただ、そんな中でも鮮明に覚えている場面があります。雪の降る日のことでした。上司と喧嘩してイライラ。ふざけるな!という思いで雪の中を歩いていました。本来なら家に帰ってやけ酒でも飲みたいところですが、その日はTACに行く日。雪の中を用心して歩くと、必然的に自分の靴先が視界に入る。その時、「このつま先には私の未来がある!絶対に負けるもんか!資格をとるぞ!」と、歩きながら小声で呟き、自分を叱咤激励しながらTACに向かう私がいたんです。財団法人でのプロジェクト終了後は、中小企業支援の経験を積むため、中小企業向けに助成金支援を行っているコンサルティング会社で働きました。知識と経験をコツコツと築くときでした。ですが、仕事がいつも午前様となるほど忙しく、勉強時間を作るのには苦労しました。夜はご飯を食べると眠くなるので、朝早く起きて勉強しました。それでも家だとだらけてしまうこともあり、午前6時から開いている会社の近くのカフェに行き、出社直前までの1~2時間で集中して勉強しました。
 結果、一次試験は2回目に合格。二次試験は1度失敗してしまったので、その後は二次試験が免除になる養成課程に進みました。2016年に中小企業診断士の資格を取得し、すぐに独立しました。

独立後は焦らずロングスパンで将来に向けての計画を実行中

──中小企業診断士として独立した後は、どのように仕事に取り組まれてきましたか。

宮木 私には今までの社会人経験に加え、女性として悲しい人生選択をした経験があるため、“人生は思い通りにいかない”という前提が常にあります。だから中小企業診断士として仕事をしていく上では、のんびりと「焦らず、地道にコツコツと!」を教訓に、3年・5年・7年・10年と長いスパンで計画を立て、業務をスタートしました。
 中小企業診断士の仕事には、「人事・組織」、「販売戦略」、「運営管理」、「財務」など、多面的なアプローチが必須で、診断士になる人は何かしら得意分野や「強み」があります。私はまず3年間で、自分の「強み」になるものは何かをしっかりと見つけ、それを土俵に乗せるようにしたいと考えました。最初の1年間は財務の分野について力をつけようと、独立行政法人 中小企業基盤整備機構の経営支援専門員として、東北や熊本など、被災地の中小企業の復興支援に携わりました。そこではたくさんの財務諸表を見たのですが、この業務を通してわかったことは、銀行出身者や会計士のダブル資格保有者など、財務を強みとする層は厚すぎて、勝ち戦は難しいなということでした。2年目には次のフェーズとして人事・組織を法令からしっかりと学びたいと思い、社会保険労務士事務所に修業に行きました。そこで気づいたのは、今話題の「働き方改革」は社労士の先生方が頑張っている領域と思われがちなのですが、「働き方改革」のメインである業務改善や生産性向上については、中小企業診断士こそが得意とする仕事の領域ではないか、ということでした。そして組織・人事の分野でなら、今までの経験も十分に活かせる。この分野をこれからの「強み」にしていければと考えました。
 中小企業診断士になって3年目を迎える現在は、より多くの中小企業の人材育成に携わりたく、企業研修・セミナー講師をしたり、中小企業を対象にした、ホスピタリティ向上のための覆面調査をしたり、金融機関様からのご紹介案件で、業務改善指導を行ったりしています。

──「強み」の種を見つけたとのことですが、具体的にはどんなことをする予定ですか。

宮木 建設会社の現場では、外国人労働者がケガをしないようにするために、どのように指導するかということに一番困っているそうです。その話を聞いたときに、私は東北の某製造業者を思い出しました。その企業では女性や高齢者が多く働いており、台車で重い荷物を運ぶ際、腰をいためたり、ケガをしたりする方が多いとのことでした。これから日本はますます人材不足となり、「外国人」、「女性」、「シニア層」といった新たな人材力を必要とするダイバーシティの時代となります。これまで以上に労働者への安全の配慮は必要となり、そのための体制の強化や人事制度を整備したい企業も増えてきています。ですが法律面では、労働者の安全と衛生を確保するための法律である「労働安全衛生法」について、企業にちゃんと伝えられる人が少ない実態があることに気がついたのです。中小企業診断士は、これまで製造業やサービス業などで、職場環境の維持・改善の指導をする際、誰でもまずは「5S(ゴエス)」活動をします。5つのSとは、整理(いらないものを捨てる)、整頓(決められたものを決められた場所に置き、すぐに取り出せるようにする)、清掃(常にきれいにする)、清潔(整理・整頓・清掃を維持し、職場の衛生を保つ)、躾(決められたルール・手順を習慣化する)です。この5Sは、労働安全衛生法の中で、入社時に行う「安全教育」のひとつに挙げられているのですが、労働安全衛生法という法律と5Sをひも付けて教えられる人は少ないのです。女性であれ、シニア層であれ、外国人であれ、日本の企業の現場で働く方々が、「安心」と「安全」を感じることができる職場づくりを多面的にサポートしたいなと思うようになり、今は知識と経験をブラッシュアップしています。

コンサルタント会社を立ち上げ海外に事業所を持つのが将来の夢

──中小企業診断士として将来的にどうなりたいか、夢はありますか。

宮木 夢は大きく海外進出です。実は、労働安全衛生法を調べていくと、従業員の労働安全や労働衛生を守る法律は、日本だけでなく各国にあることがわかりました。グローバル化が進み、診断士業界でも中小企業の海外進出支援を得意とする方々が増えています。ですがその多くは、海外での販路開拓に関心のある方がほとんどです。例えば日本企業が海外進出したとき、その国の労働安全衛生法をしっかり把握し、その国の法令に沿った安全教育を5Sとともに行うと、コミュニケーション不足によるリスク対応ができるのではないかと思います。また、その逆で、日本進出を考えている諸外国の企業に、日本の法令に沿った安全体制を伝えることも今後は益々重要になってくると考えています。
 IR法案(カジノを含む統合型リゾート実施法案)の可決や、来年2019年4月から施行予定の就労が可能な在留資格の拡大、東京五輪を契機に打ち出される観光先進国をめざす様々な施策――。いずれにしても、これから未来の日本には、中短期の滞在型の外国人の数は増え続けます。その際、彼らの安全と衛生を確保する教育や、進出企業が事件・事故を発生させない組織の体制づくりを、日本入国前からお手伝いできるコンサルティング会社を作りたいですね。7年目には海外に事務所を持つぞ!と夢は大きく持って働いています。活躍している友人の診断士が教えてくれたのですが、目標が高いと謙虚な姿勢を忘れないそうです。目標を低く設定すると、達成もしやすいので、直ぐに天狗になるとのこと。私は、常に謙虚に、現場目線の診断士でありたいので、そのためにも目標を高く持って将来に向かっていきたいと思います。

活躍の場の広がりが期待できる女性の中小企業診断士

──女性の診断士がとても少ない現状をどう思われますか。

宮木 現代は女性の活躍を後押しする法律や制度が整備され、女性がキャリアアップしやすい環境になりつつあります。だからこそ、女性の中小企業診断士が活躍できる場も広がっているのではないでしょうか。美容室やエステなど、これまで女性が活躍していた業種の経営支援はもちろん、ホテルや飲食業では女性が好む商品開発やサービスの支援が大変喜ばれます。また、少子高齢化に伴う人材不足に悩む業種においては、女性の活用を考えている企業も多く、このような企業は女性の従業員を迎えるにあたり組織体制や人事制度の構築支援を求めています。さらに、ダイバーシティの時代に突入した昨今、ハラスメント対策は企業にとって最大の重要課題であり、女性の経営支援の専門家から直接「女性の本音」を聴きたい、対策を教授してほしいという男性管理職も多く、セミナーや講演等のニーズが高まっています。きっと、女性だからこそ気づいていること、気づいたことはたくさんあり、男性には出せないアイディアもあります。これからの社会環境の下では、中小企業診断士の仕事は、むしろ女性に向いている仕事といえるかもしれません。

──これから中小企業診断士をめざす方に、アドバイスをいただけますか。

宮木私の場合、1年目の試験は3科目しか通りませんでした。もともと熱しやすく冷めやすい気質で、何かを継続してやるのは得意なほうではないのですが、もう1回がんばろうと思って勉強を続けました。そうした時に、とても助けられたのがTACで出会った仲間との勉強会でした。ひとりで勉強していると、時々不安になったり、あきらめモードが強くなったりするのですが、色々な人の協力を得たり、わからないことを教えてもらったり、試験で失敗して落ち込んだときも、勉強会の仲間に励まされて立ち直ることができ、ありがたかったですね。これから勉強する人には、まず、仲間を作ることをおすすめします。
 資格を取る年齢についても、ゆったり考えればいいと思います。中小企業診断士の資格は30~40代で取る人が多く、年齢層が高いです。私の場合も勉強をはじめたのが40歳を過ぎてからでした。診断士の仕事をする上では、年齢が高く、経験豊富なほうが有利に働く時もあります。実際のところ、私がクライアント企業に行った時も、「働き方改革が」、「法律が」と机上論を語るより、「いろんな会社で紆余曲折ありまして」、「資金調達で失敗したことがありまして」なんて、リアルな事例を話したほうが、中小企業の経営者や管理職の方々は身を乗り出して話を聴きますから。
 大学を卒業して信販会社で働いたこと、大学院でシンガポールについて研究したこと、30代で社会復帰したこと、悲しい出来事で仕事を中断せねばならなかったこと……。現在の仕事とは関係ないと思われる事柄も、実はすべて役に立っています。点と点が結ばれて、「線」となって、今の仕事に続いているのだと思っています。

──最後に資格をとってよかったな、と思うことを教えていただけますか。

宮木  中小企業診断士の資格は、これから先の未来の国へのパスポートのようなものだと思っています。結婚前にキャリア志向が全くなかった私が、思い通りにいかない人生の中で、沢山の人との出会いを肥やしにし、20代前半の時には想像もしなかった資格取得・独立をした。そして、経験や経歴がない業種の経営陣の方々と出会う仕事をしている。この瞬間は、初めて訪れる国を旅行している感覚に似ています。ワクワク・ドキドキ、不安もあるけど、どこかエキサイトしている。このような感覚を味わうときに、診断士の資格を取得してよかったな、と思います。
 ただ、パスポートは新しく訪れる国(業種)に到着するまでは有効ですが、その後そのエリアでどのように楽しむかは自分の創意工夫次第。ですから、今もまた病気と闘っている状況ではありますが、この先の見えない未来に期待をもてるよう、地味にコツコツを心掛けて、自分のペースで働いています。女性なら、結婚・出産・育児・介護など、さまざまな場面で、仕事とプライベートのバランスを取りにくくなる時期が誰にだって一度は必ずあります。そんなときも資格は、自分のペースを守りながら、未来に行けるパスポートになると、私は思っています。

[TACNEWS 2018年12月号|特集]