特集 人生のターニングポイントは資格取得

たくさんの別れを乗り越えられた今、
社労士として恩返しをしたいと思います。

徳永 康子さん
Profile

徳永 康子氏

社会保険労務士法人ハーモニー
代表社員 特定社会保険労務士

徳永 康子(とくなが やすこ)
千葉県生まれ。短期大学卒業後、21歳で大手食品メーカー勤務の夫と結婚。1994年、社会保険労務士試験合格。1997年9月、社会保険労務士登録。同年11月、徳永社会保険労務士事務所開業。2006年、第一回特定社会保険労務士試験合格。2013年11月、法人化して社会保険労務士法人ハーモニーに組織変更。2015年3月、東京オフィス開設。公職:厚生労働省 千葉地方労働審議会委員
著書:『いちばんわかりやすい「雇用ルール改革」のポイント』、『新しい労働契約法・パート労働法・労働基準法の実務』、『〔新〕改正労働基準法・労働契約法・パート労働法の実務』(すべて中経出版)

 結婚したら退職。1980年代頃までは特別なスキルや資格のない女性はそれが当たり前だった。当時、既婚女性の就労率は低く、ライフステージに合わせてキャリアプランをイメージするのはとても難しかった。そんな時代に徳永康子さんは、転勤族の夫に従って金沢・大阪・福岡・東京・松山など全国10ヵ所以上に引越しながら、常に前向きに資格に挑戦してきた。子育てを始めてから保母(現:保育士)の資格を取得し、子どもが大学生になると「もう一度勉強したい」と41歳で宅地建物取引主任者(現:宅地建物取引士)に続いて社会保険労務士(以下、社労士)を受験。合格した翌年に夫が突然死するという波乱万丈の人生を乗り越えた社労士の徳永さんの半生に迫った。

クラウドで顧客対応力アップ

──社会保険労務士法人ハーモニーについてご紹介ください。

徳永 社会保険労務士法人ハーモニー(以下、ハーモニー)は、2013年11月、徳永社会保険労務士事務所の法人化によって誕生しました。設立時には総勢12名だったメンバーも、5期目の現在は24名となり、今後さらに新メンバーを採用していく予定です。
 法人化の理由のひとつに、AI化やマイナンバー活用などによって社労士のメインであった手続業務の減少が見込まれることがありました。一方で、働く人が不足して「自社はどういう働き方が良いのか」と真剣に考える経営者が増えたため、コンサルティングができる社労士のニーズが高まっているという現状があります。社労士は、自宅などで個人事務所を運営する社労士と、オフィスを借りて人を雇い組織的に展開する社労士法人との二極化が進んでいます。その中で、私は様々なニーズを解決するために法人化して組織的に顧問先をフォローできる社労士法人にしたいと考えたのです。
 ハーモニーという名前には、一人ひとりの個性を活かしつつ、美しく感動を与える音色が響く事務所にしようという思いを込めました。このネーミングやロゴ、経営理念と行動指針は、皆で話し合って決めたものです。

──組織化にはどのようなシフトチェンジが必要でしたか。

徳永 個人事務所時代に社員の数が増えだすと、明確な経営理念が必要だと痛切に感じました。そこで2004年に1年かけて中小企業家同友会の勉強会で「経営理念」を完成させ、毎日の朝礼時に皆で唱和するようにしました。経営理念ができてからは、常に経営理念に沿っているかを確認しています。ハーモニー設立時には、経営理念を一部手直しし、行動指針を作成し、次の6期には「経営計画」を発表できるように準備しています。
 組織化し、皆の知恵と力を結集することによって新しいかたちでの情報提供などでさらにレベルアップし、数十年後も社会や企業に必要とされる社労士法人をめざしています。そのためにはさらなる勉強、教育、業務改善、効率化が必要だと考えています。

──ハーモニーのサービスラインを教えてください。

徳永 社労士が行う社会保険手続や助成金申請、就業規則作成や賃金制度、年金相談は当然のこととして、人事・労務について幅広いサービスを提供しています。
 まず、企業の労務の健康診断としての「労務監査」を自社で商品化した「ロウムドック」があります。こちらは「働き方改革」でお悩みの企業に向けて3つのコースを用意しています。また新しいかたちのセミナー「ロウムカフェ」も開催しています。どうしても堅苦しくなりがちな人事労務セミナーとは趣向を変えて、「カフェで過ごすように」くつろいだ雰囲気で、ロウムについて話し合いましょう、というコンセプトで3ヵ月に一度開催しているものです。
 社会保険手続などについては、10年ほど前からクラウドサービスを導入しています。手続を組織として複数名で効率的に進め共有・管理するために導入し、現在はほとんどの手続を電子申請で行っています。そして数年かけて安価で使いやすく設定できるクラウドを顧問先が使いこなせるように、そのノウハウを構築しました。現在、クラウドサービスの活用はさらに発展しており、給与計算や勤怠管理についても多くのお客様に導入いただいています。

──ハーモニーの特徴について教えてください。

徳永 相談業務についても、法令に従って親切丁寧にご説明し、お客様が満足してくれるレベルまできていると思います。法改正についても積極的に情報を取り入れていますので、各方面からの講演依頼も増えています。
 また、千葉市「男女共同参画推進事業者(ハーモニー推進事業者)」、千葉県「社員いきいき!元気な会社」として認定されるなど、労務面で高い評価を得ています。2016年には子育てサポート企業として、国から「プラチナくるみんマーク」の認定をいただきました。「くるみん」認定は、男性社員の育児休業、短時間正社員制度導入、休暇制度の見直しによる社員全体の有給消化日数で取得していて、「プラチナくるみん」認定企業としては千葉県では2社目で、規模的には一番小さい組織だそうです。
 2年前から「グッドキャリア企業アワード」にも応募し、今年こそ受賞を狙っています。

──法人化で可能になる拠点展開はいかがですか。

徳永 2015年3月、港区汐留に東京事務所を設置しました。大手税理士事務所などからご紹介いただく案件が、東京が中心であるため東京に拠点を設けました。東京は首都なのでさすがに仕事のペースが速く、東京事務所を開設したことで機動的に対応できるようになって良かったと思っています。
 その他に全国展開している医療機関等、全国に300社の顧問先がありますが、顧客サポートはすべて電子申請と出張ベース、電話、メールで対応しています。

転勤生活の中で資格取得

──徳永先生が社労士をめざしたプロセスを教えてください。

徳永 実家は千葉市内で、地元の小学校、中学校に通い千葉県立船橋高校に入学しました。テストばかりで常に勉強していないとついていけない厳しい学校でした。高校3年の時、たったひとりの弟がひき逃げによる交通事故で亡くなってしまいました。この事故がショックで、机に向かっても勉強が手につかなくなって、私は大学をあきらめて短期大学に進みました。本当は、高校2年までは薬剤師か税理士になりたいと心密かに思っていたのですが…。短大時代は喫茶店で遊んでばかりでしたが、一流企業に入社予定の夫と知り合いました。卒業後、就職しましたが、男女格差にショックを受けて、また自分の能力のなさに嫌気も差して、遠距離恋愛の末、幸せを求めて21歳で夫と結婚しました。

──新婚生活はいかがでしたか。

徳永 夫は転勤族で、新婚生活は金沢からスタートしました。11月は朝から晩まで雷が鳴り、雪の降る裏日本。知り合いもいないアパートで、電話もカラーテレビもない生活。自分でご飯を作らないと誰も作ってくれない、と初めてわかったような若くて何も知らない主婦でした。半年後に大阪に転勤になった時、卵巣嚢のうしゅ腫が発覚し、同時に妊娠していることがわかりました。出産を優先したため卵巣嚢腫の手術では両方の卵巣を摘出しなければなりませんでした。長男も1歳で手術をしました。

──すごい激動の年でしたね。

徳永 そうですね。23歳で長男を出産した私は、母となる勉強が必要だと感じて、保母の資格を取るために通信教育で勉強を始めました。特に25歳で初めて習ったピアノは指が動かず、クリアするのに3年もかかってしまいました。なんとか保母の資格が取れて「これで仕事ができる」と喜んで仕事を探しましたが、結局どこにも就職できませんでした。今でこそ保育士不足で年齢が高くても採用してくれますが、当時は新卒しか採用してくれなかったのです。
 息子が幼稚園の年長になると福岡転勤になり、同じ頃新潟にある夫の実家の材木店が倒産しました。多額の負債を返済するように言われ断り切れず、結局私も事務のパートに出たのですが、仕事がろくにできないためクビになってしまいました。そんな私に、生保レディが生命保険の営業の仕事を勧めてくれました。その方は、女性でもあこがれるくらい仕事ができるすてきな女性でした。私はまだ30歳前でしたが、成果によっては高い収入を得られると聞いたので、借金を返したい一心で、夫に許可を得て保険営業の仕事を始めました。

──結婚後、初めて就いた本格的な職業、保険営業はいかがでしたか。

徳永 当初は自らのプライドも捨てて涙ながらのチャレンジでしたが、やっているうちに段々とお客様と会うのが楽しくなり仕事が面白くなりました。その後東京に転勤になってからは、両親と同居し母に家事を頼んで働きました。保険営業は研修がかなり充実していたので、その時学んだことが今の事務所経営にも役立っていると感じます。「人生には無駄がない。苦労はあとで実になる」と、今ではわかりますね。そして厳しい営業の世界でもうひとつ学んだのは、同じ営業の仕事をしている夫への尊敬でした。5年間で夫の収入を抜かしそうなほどになりましたが、夫が大阪転勤となった時、私は過労で肺炎を患って、保険会社を退職しました。その後、ワープロスクールに通い、その時習ったワープロスキルで、今Wordが使えています。
 夫と共に金沢、大阪、福岡、東京、松山と10回以上転居しました。保険会社を退職したあとは、家庭料理を教える料理教室の指導者に応募して合格しました。料理も上手になれるし家族にも喜ばれる。しかも料理教室は全国に何ヵ所もあったので、転勤しても続けられる仕事に出会えたと思ったのです。
 ところが、次の赴任地・松山にはその料理教室がなく、息子が東京の大学に進学したので夫と二人暮らしになって、何もすることがなくなってしまいました。どうしようかなと悩みましたが、「今さら大学の勉強をするより資格のほうが有益だ」と思い、まずは以前チャレンジして落ちた「宅地建物取引主任者」に挑戦しました。受験しようと思ったのは、父から「貸地の一部を簡単に使用できる印を押した」という話を聞き、なぜなのかと思ったことがきっかけでした。
 理解に時間がかかり泣きながら勉強した宅地建物取引主任者が思いのほか良い点数だったので、続けて「社労士にもチャレンジしよう」と思いました。これが私が社労士をめざしたきっかけで、実際に勉強を進めると身近で知りたい法律ばかりで女性でも活躍しやすい資格だと実感しました。学ぶということの良さは、生きる上で不利益になることがないように知識を増やすことですね。そして何より女性でも男性でも資格は人生を助けると思いますよ。

──社労士試験の結果はいかがでしたか。

徳永 わずか9ヵ月間の勉強で、合格率6.8%の試験に一発合格できました。一日8時間。この時人生で一番勉強しましたね。

夫が行政書士、息子が税理士、私が社労士で共同事務所を

──社労士試験合格後は、どのようにされたのですか。

徳永 勉強ばかりしていた松山で、私は高齢になった父母のことや千葉の実家から大学に通う息子のことを思って、人生初の「うつ」になってしまいました。毎日泣いてばかりいたので、そばにいて欲しそうな夫を残して千葉に帰り、船橋にある社労士事務所に勤め始めます。夫を一人暮らしにしたことがその後の夫の死につながったのかと、後々自分を責めることになります。

──社労士として実務の第一歩を踏み出されたのですね。

徳永 そうですね。息子は公認会計士をめざして勉強していたのですが、大学と受験指導校とのダブルスクールで苦しみ、税理士に方向転換することにしました。
 夫が行政書士資格を取って、息子が税理士、私が社労士。「3人で有資格者になったら、一緒に共同事務所を開こう」と家族で約束しました。そうなれば転勤もないし、住むところも選べて、両親とも一緒に暮らせます。
 そんな夢を語って約束した直後の1995年10月、夫が突然死しました。今でも原因はわかりませんが、わずか47歳で突然心臓が止まってしまいました。阪神・淡路大震災が起こり、地下鉄にサリンがまかれた暗い年のことです。
 夫の勤め先は「病気で死んだ」と言い冷たい対応で、私は納得がいかずに過労死専門の弁護士に相談して過労死申請しましたが、所轄労基署、審査請求、再審査請求を経て、8年後に却下されました。2017年11月に「過労死等防止対策推進法」が施行されましたが、20年前にこの法律があったら、どれだけの人が死なずにすんだか…。とてもつらいことでしたが自分自身が遺族の立場になって、社労士として良い勉強にもなったと思っています。そして1997年11月1日、夫の死後2年経過してから、「徳永社会保険労務士事務所」を開業しました。

社労士として独立開業

──なぜ勤務ではなく、開業を選んだのですか。

徳永 夫と息子と3人の共同で事務所を開こうと約束したので、夫が亡くなってもその約束を守りたかったからです。亡き夫も天国で私に「ゴメンね」と言っていると思うので、絶対に成功するんだ!と思ったのです。自分の住みたいところに住めず、大切な人のそばにいられない生活も嫌でした。以前泣く泣く始めた保険営業で結果的に成功して自分が営業に向いていると感じていたので、「何とかやっていけるのでは」という漠然とした自信もありました。そして守ってくれる夫がいなくなって頼る人がいない中で、自分で自分の人生を切り開きたかったのです。
 開業した時は47歳。遺族年金も夫の会社からの年金基金もあって、おそらく普通の主婦より収入はありました。持ち家だし、息子も大学が終わったからこそ開業資金があったんですね。

──独立準備はどのように進めましたか。

徳永 開業する前日までの3年間、社労士事務所に勤めていたのである程度のノウハウは得ることができていました。社労士の仕事には、労働保険や社会保険手続きの代行、労務相談、就業規則作成、助成金申請、給与計算などがあります。今ではお客様へのサービス満載の事務所になりましたが、開業当初は仕事がないので長野オリンピックをラジオで聴きながら、たったひとりで開業案内を作り、書類整理をしていたのを覚えています。
 自宅での開業は両親に反対されたので、近くに家賃6万円の事務所を借り、諸費用が1ヵ月20万円ほどかかりました。早く売上を上げなければ、と必死に情報を集め、時には飛び込み営業もしました。もしも開業3年経っても利益が上がらないようだったら、「自宅でひっそりと机一つでやればいいや」という気持ちでしたね。
 開業に際しては、何よりも経営者の気持ちを勉強したいと思ったので、すぐに中小企業家同友会に入りました。例会に出席しているうちに、いろいろな中小企業経営者と知り合いになって、千葉県内でも様々なところで知り合いのネットワークが広がりました。開業当初から「事務所ニュース」を作成してメール配信し、早くからWebサイトを立ち上げたことも成長を後押ししたと思っています。

──お客様と会い、話をするのは、保険営業時代に培ったスキルですか。

徳永 そうなんです。社労士資格を取る人の中には、よく「社労士は喋らなくていいから資格を取る」と勘違いしている方がいますね。実際はまったく逆で、接客能力やコミュニケーション能力がないと、事務所は発展しません。資格さえあれば仕事ができると思われがちですが、資格と実務はまったく別物です。法律に基づいた労務管理の方法や、助成金の要件など、お客様に理解しやすいように分かりやすくお伝えするのが、私たちの仕事だからです。

──ゼロスタートでの開業を支えたのは、どのような思いだったのですか。

徳永 夫を亡くした悲しみの中で、社労士の仕事を通して「何とか生きていこう」と夢中でがんばったことですね。火事場の馬鹿力を発揮できたからではないかと思います。夫が生きていたら、今の私はなかったでしょう。

評価制度を導入し、社員育成の柱に

──独立開業されてからの歩みを教えてください。

徳永 開業半年後、利益はほとんど出ていませんでしたが人手が足りず、初めてパートをひとり雇いました。その人が1年で退職したので、次にふたりパートを雇い、労働保険にも入りました。そのふたりもわずか1年で辞めたので、責任を持って仕事をしてくれる社員を採用しようと思うようになりました。女性2名を採用すると、このふたりはとても仕事熱心で。そのうちひとりは私の右腕として事務所を支えてくれて、現在もコンサルタントとして働き今の事務所の土台を作ってくれた功労者です。
 ふたりの女性社員のために社会保険にも加入し、少しずつ福利厚生を良くしたいと考えるようになって、数年は女性社員とパート数名で仕事も効率よく回っていました。
 その後は女性を採用しようとしてもなかなかうまくできない時期が続き、男性の応募者が増えてきたので、税理士事務所に勤めていた税理士試験残り2科目の息子を採用して、同時にもうひとり男性社員を採用しました。現在、息子は独立して税理士事務所を開業しています。

──人材採用ではいろいろと苦労されたのですね。

徳永 一番困るのは入って数ヵ月で辞めてしまう人です。顧問先の担当を任せると辞めてしまう。コロコロと担当が変わるのは顧問先に対して大変申し訳ないし、安心していただけません。「士業って格好が良いけど、やってみると難しいし、自分にはできないな」と思うようです。時には、私から見てどうしても社労士に向いていないと思う社員を説得し、辞めてもらうこともありました。
 開業して10年以上そのような状態が続いていました。「どうしたら育ってくれるのか。能力のある人は一人前になると独立したがる。そこを定着させるにはどうしたらいいのか」と悩み、その時、良い人材が定着するには「魅力ある事務所にならなければいけない」と気づいたのです。先輩社労士に相談すると、「良い会社はお金と時間をかけて慎重に採用し、適切な教育をしています。入口で良い人材を選別しているからトラブルもない、採用ミスもない、良いサイクルが回ります」とアドバイスを受けました。
 そこから慎重に時間もお金もかける採用を心がけるようになりました。

──制度面ではどのような対応をされたのですか。

徳永 長年培ってきたノウハウを活かし、法人設立後に評価制度を導入し、社員育成の柱として運用しています。評価制度は、実力主義(能力主義・成果主義のジョイント)で、7等級に分れています。職位は、コンサル(6~7等級)・サブコンサル(4~5等級)・アシスタント(1~3等級)に分かれ、等級ごとに業務内容が決められています。社員がレベルアップし、等級が上がると、お客様から直接様々な悩みを伺い、提案する喜びを感じることができる機会が増える仕組みになっていますので、それぞれに努力を続けているようです。もちろん、目標を立てるだけでなく、どこをどう学べば等級が上がるかを上司と相談し、社労士に必要な能力の向上に向けて学び続けています。
 その他、業務改善委員会やコンサル勉強会などの定期的な勉強会、外部の様々な勉強会への参加も適宜行っており、社員のレベルアップはハーモニーのレベルアップという位置づけで取り組んでいます。

──ハーモニーが採用したい人物像を教えてください。

徳永 今後一緒に仕事する上で、能力はもちろん大切ですが、真剣に社労士になることをめざしている人で、つらいことも一緒に乗り越えることができる人、人と話すことが好きな人、仕事を楽しむことができる人が理想です。

社労士として恩返しをすることとは

──女性がライフステージに合わせたキャリアアップをしていくために、徳永さんご自身はどのような難しさを経験しましたか。

徳永 今の女性はキャリアを積んで30歳過ぎてから結婚する方が多いようですが、昔の女性は結婚して一度家庭に入ると再就職したくてもできませんでした。それは私自身が体験したことです。結婚して子どもを産み育て、仕事をしたいと思う頃には、特殊技能や資格がないとパートや保険営業など限られた仕事しかありませんでした。  私が保母の資格に続いて宅建、社労士と国家資格を取りたいと思ったのは、生きる支えが欲しかったからです。同様に、能力があっても仕事がなくて困っている女性と共に働きたいという思いが芽生えました。

──人生経験の中で、徳永先生が得たものとは何だったのでしょう。

徳永 人生の中でつらい別れがありましたが、そのつらい体験をしたからこそ、周りの人の気持ちが他の人より少しわかると思います。今、たくさんの社員が私の周りにいます。時には厳しいことを言いますが、一人ひとりがイキイキと働くことができる事務所にしたいです。夫の過労死を申請した妻・社労士として、私には良い職場環境を作る社会的使命があります。お客様に対しては本当に必要なサービスを提供できる事務所にすること、お客様の会社が良い労務管理ができるよう誠意を込めてアドバイスができるよう社員を育成すること、それが今の私の仕事です。

──資格取得をめざしている受験生にアドバイスをお願いします。

徳永高校を卒業した時に恩師が送ってくれたメッセージに「人はなりたいと思う人になれる」という言葉がありました。人は「こうなりたい」とアンテナを張っていればその情報が入り、それに向かって努力し続ければ少しずつなりたい自分に近づき、さらに新たな希望が生まれます。自分の描けないビジョンは絶対に実現しません。まずはビジョンを描いてみてください。
 社労士は、様々な悩みを持っている経営者や担当者に寄り添い、心から頼りにしてもらえる、真の「働き方改革」をサポートできる唯一の国家資格です。ぜひ資格を取って社会貢献できる社労士になってください。


[TACNEWS 2018年6月号|特集]