特集 日本と世界をつなぐ行政書士の軌跡

やりたいことのために資格取得をめざすなら、
受験の成功率は飛躍的に上がります。

小島 健太郎さん
Profile

小島 健太郎氏

さむらい行政書士法人
代表社員 行政書士

小島 健太郎(こじまけんたろう)
大学2年から社労士受験を始め、新卒で社労士事務所に勤務。1年で退職し海外放浪の後、人材派遣会社に勤務。退職後、上海に渡り日本語教師を務める。2005年に帰国し、韓国語と中国語スクールを立ち上げる。2009年1月、行政書士試験合格。同年4月に行政書士事務所を開業。2012年に法人化し現在に至る。
著書に『必ず取れる就労ビザ!外国人雇用ガイド』『必ず取れる日本人の配偶者ビザ!国際結婚手続ガイド』『必ず取れる日本国籍!帰化申請ガイド』(すべてセルバ出版)などがある。

士業の世界で活躍する先輩の中には、経験豊富な人が多い。彼らはそれまでの経験とスキルを投入することで、独創的な専門分野を築いている。行政書士・小島健太郎氏もそのひとりだ。学生時代に社会保険労務士をめざし、社会保険労務士事務所勤務を経て海外放浪。人材派遣会社に勤務したあと、日本語教師として1年間上海で教鞭をとり、韓流ブームに乗って韓国語スクールを設立。そして行政書士事務所を開業と、小島氏は独自の世界観で他の追随を許さないビジネスワールドを展開する。その軌跡を追うことで、士業の広がる可能性を探ってみよう。

ハンデ戦より起業しよう

──小島先生の学生時代のエピソードをお聞かせください。

小島 私は福島県会津若松市の出身です。褒められたことではないのですが、高校時代は「大学はどこでもいいから、東京に行って遊びたい」と考えていました。田舎から上京して都会の生活を楽しみたかったのです。当然、こだわりがないので、経済やら英文やらドイツ語やら、いろいろな学部を受験し、高校時代に英語が得意だったので、英語英米文学科に進学しました。
 入学して1年間は遊んでばかりいたのですが、大学2年になって、そろそろ将来についても考えないといけないなと思い始めました。すると、それまで気づきもしなかったのですが、大学のランクや就職に有利な学部があるとわかったのです。ランクの高い大学で、英文科よりも経済学部や経営学部のほうが就職に有利。となると、私は就職活動には不利な学歴で、これはハンデ戦だとわかりました。
 その時点で「どこか大手企業に就職してサラリーマンとしてキャリアを積み上げていく道」を捨てました。わかっていて、わざわざ不利な選択をする必要はないと思い、「将来は独立開業しよう。そうすれば学歴は関係ない」と考えるようになりました。
 こうして、最終的には起業することに自分のキャリアプランを設定しました。それが、大学2年の中盤でした。

──それまでは、大学を卒業したら大手企業に入ってサラリーマンの道を考えていたのですね。そこから資格取得へと方向転換していったのですか。

小島 そもそもそこまでも考えていませんでした。そういう目的を持っていたら、大学選びも違っていたと思います。
 たまたまそのタイミングで大学生協に行ったら、各種資格試験のパンフレットが置いてあって、起業には資格取得が一番の近道だと知りました。それを見ると、税理士は学部的に受験要件を満たせていないので日商簿記1級に合格しなければならない。中小企業診断士は独占業務がないので、起業にはちょっと厳しそう。行政書士は「資格の登竜門」と書かれてはいるけど、具体的に何をするのかわからない。社会保険労務士(以下、社労士)は、大学に行っていれば受験資格がある。結果、社労士しかないと思い、大学2年の冬からTAC町田校の社労士講座に通い始めたのです。

──社労士の受験勉強はいかがでしたか。

小島 いざ始めてみたらかなり科目が多くて驚きました。労働基準法から始まり、興味が持てたので講師に質問もして、楽しくやっていました。ところがそこから国民年金、健康保険、労災、雇用保険と進むと、まったく興味が湧かず、「国民年金の仕組みを勉強して、何が起業のために役に立つのか。経営者には役に立たないな」と思いながら勉強していました。起業するのに労働基準法は労務管理の観点から役に立つのでしょうけど、素人感覚では「健康保険とか、保険関係を知ってどうするんだ」と、当時はそんな思いだったのです。こうして迎えた初めての試験は不合格。それが大学3年の夏だったので、その時点で就職活動はあきらめました。とりあえず社労士の勉強を続けようと思い、卒業した年の8月の本試験まで勉強して、試験が終わったタイミングで社労士事務所に入りました。そして、11月の発表で、またも落ちていたことがわかりました。

──社労士の実務に就いてみて、社労士資格に対する考え方は変わりましたか。

小島 実務に就いてみると、私が一番興味を持てなかった社会保険や健康保険の加入などの手続き業務が中心でした。結果、受験時代から何か違うと思いながらやり続けて、実務もしっくりこない。そこで「これは俺の仕事じゃないな」と1年で辞めました。

海外に憧れて語学スクール教師へ

──社労士事務所を辞めて、再びスタートラインに立ちました。次はどのようなことを始めたのですか。

小島 社労士事務所を辞めた直後に、バックパッカーになって海外を回りたいという思いが湧いてきて、3~4ヵ月の間に、タイ、オーストラリア、ハワイを回りました。タイでは1ヵ月半あちこちを回り、オーストラリアではサーフィンがやりたくてゴールドコーストに2週間滞在してスクールに通い、その後はシドニーやケアンズに行ってスキューバダイビングのライセンスを取得しました。そしてハワイに2週間滞在して帰国しました。
 ハワイ滞在で感じたのは、「お金がないと全然楽しくない」ということです。貧乏旅行をしていると、周りとの比較において自分が貧乏であることをよく感じました。そんな時、「人間たるもの働いてお金を稼いでないとダメだな」と実感して、「日本に帰って、ちゃんと仕事をしよう」と就業意欲を高めて帰ってきたのです。
 帰国後は大手企業に勤めようと思い、社労士事務所にいたキャリアから人材派遣会社で本社営業職に就きました。給与もわりと良かったのですが、朝から晩までルート営業の日々。最初はやる気に満ちあふれていたのですが、そのうち全然見知らぬ人のところに行って「ピンポーン」とやるのがダメになってしまいました。何が辛かったかというと、仕事内容が合わなかったのです。もちろん、嫌なことを言われたり、断られることばかりです。仕事なのですから、それをいちいち真に受ける必要はないのですが、真に受けてしまい、3ヵ月目に完全に飛んでしまいました。つまり行けなくなってしまったのです。逃げたい。ただその一心でした。

──次を考えずに辞めてしまったのですか。

小島 実は、逃げ出す前に次はどうしようかと考え始めていて、海外を回った時に貧乏なりに楽しかったのでまた海外に行きたいと思っていました。でも、ハワイでの経験から、お金がない状態で海外に行くよりも、今度は仕事で行きたいと思いました。仕事で行くとなると、その当時自分ができそうな仕事は日本語教師だったのです。求人情報を見ていたら、中国、東南アジアで募集が多いことが分かりましたので、私は日本語教師をめざすことにしました。
 日本語教師になるためには半年間養成学校に通い、必要となるカリキュラムを修めると、コース修了と同時に採用条件を満たすことができます。私も半年間勉強したあと、上海の日本語学校に採用となり、上海で中国人に日本語を教えることになりました。

──その時教えた生徒は、どのような層の中国人でしたか。

小島 当時はまだ日本経済が強くて、日系企業がどんどん中国へ進出していました。生徒は、中国に進出した日系企業に勤めたいから日本語を勉強する、高校を卒業したての18~19歳の若者が中心でした。彼らは専門学校や大学に進学するのではなく、日本語を身につけて就職しようと日本語学校に通います。ですから、日本の英会話学校のように社会人が週2日、退社したあと1~2時間勉強するのではなくて、1週間、朝の8時半から夕方4~5時までフルタイムで通うものでした。私はそこで1年間働き、帰国しました。

──なぜ1年で帰国されたのですか。

小島 仕事としては楽しくて、やりがいもありましたし、教えた生徒たちはきちんと就職できていました。学校は1年コースなので1年で一区切りですし、私の契約も1年でした。更新という選択肢もありましたが、大気汚染が酷いため病気になりそうだったことと、同じ日本語教師をやるなら国を変えたいと思い、辞めて帰国しました。
 その時点での次の方向性としては、タイで日本語教師をやるか、それとも起業するか。二択でしたが、結局タイには行かないで、起業を選びました。なぜならタイはバンコクでの求人はほとんどなくて、行くとしたら地方都市だったからです。
 もうひとつは、それまで教えていた中国人の生徒の中に、25歳でホームページ制作会社を起業して、日本企業との取引を増やしたいと考えて日本語を勉強している人がいました。
 自分と同じ25歳で起業している人がいる。しかも、私が先生で彼は生徒です。違いはどこにあるのかを考えてみると、行動しているかしていないかだけでした。そこにしっくりと腹落ち感があったのです。
 さらに、起業すればホームページ(HP)を作らなければならないのですが、それは彼が協力してくれると言ってくれました。当時はインターネットでどのように集客すればいいのか全然わからなかったので、彼にHP制作を頼めればあとは行動するだけでした。
 ちょうど2004年は韓流ブームのど真ん中だったので、自分が教えていた言語とは違うけれど、語学スクールをやろうと思いつきました。語学の教え方はわかっているので、あとは「箱」を用意するだけです。講師もHPで集めればいいと考え、まずは「韓国語スクール」を始めました。
 これは最初からうまく当たりました。今から思えばHPもみすぼらしいし、いきなり韓流ブームが来たので他に語学スクールもそんなになかったという、完全に好環境の波に乗っただけでした。それでも語学スクールは中国語スクールにまで広げて、今も運営しています。
 こうしてブームの波には乗れたのですが、参入が容易だったこともあって、あっという間に競合他社が出てきました。韓国語スクールが乱立して、売上が伸びなくなり成長が止まったのです。その止まり方が、HPをリニューアルしてものすごく綺麗にしたり、社員教育に力を入れてより良い教室にしようとがんばった上での現状維持でした。何もしないでの現状維持ではないだけに、これはきついなと思いました。それが起業から1年半~2年目の頃で、その時はまだがんばれば売上が上がると思っていても、結果が出なかった時期でした。

第二の柱、行政書士へ

──そこから次の方向へと向かい始めたのですね。

小島 他のビジネスを立ち上げようと考えている時、通っているマッサージ店の中国人オーナーが中国人のビザ取得のサポートをしていることを知りました。聞いてみれば、行政書士の資格があればビザの仕事ができる。その方は中国人を集客して、日本人行政書士を紹介していたのです。その行政書士はビザ取得のサポートだけで、スタッフを雇うほどだという。「ビザの仕事はたくさんあるんだ」と直感しました。
 私は外国が好きだし、外国人との交流が好きです。語学スクールも経営しているし、資格なら過去に社労士の勉強をしたことがある。士業事務所勤務も経験している。そうした要素が複合的に組み合わさり、行政書士業務を、語学スクールに続く第二の柱として育てようと考えたのです。
 また、語学スクールの運営をしていると、自分が以前のように第一線で教えるのではなく、バックオフィスに回っていることで物足りなさを感じていたこともありました。お客様と直接やりとりすることもなくなっていたので、行政書士はまさに自分が再びプレイヤーに戻れるきっかけになると感じたのです。

──行政書士試験の勉強は、語学スクールの運営をするかたわら始めたのですか。

小島 そうですね。語学スクールでの私の仕事は集客と運営だけだったので、昼間の仕事の空き時間に事務所で勉強していました。
 学生時代に、初めて行政書士の仕事内容を聞いた時は何をするのかわからなかったのですが、ビザの仕事と聞いて「ピン」ときたのです。ですから、行政書士をめざしたのではなくて、ビザの仕事をするために資格を取ったイメージですね。

──行政書士の受験勉強はどのようなやり方でしたか。

小島 行政書士試験の受験勉強は独学で、模擬試験だけ受験指導校で受けました。独学でも特に辛くはなかったですね。1回目の試験は一発で受かると思って高をくくっていたら落ちてしまい、2回目は勉強時間を増やして合格を手にしました。
 合格発表が2009年1月だったので、合格後すぐに登録し、4月には開業しました。手続き等の実務は20~30万円する実務講座を洗いざらい受講し、実務書をインターネットで端から端まで購入して読みました。それが私の行政書士としての開業準備でした。

理論上の実務知識と実践上の実務知識の違い

──事務所の運営については、どのように進めていったのでしょう。

小島 すでに4~5年、語学スクール経営で集客や経営、マーケティングは実践を伴いながらやってきました。それを行政書士に転換させるだけだったので、不安はありませんでした。集客も最初はHPによる集客で、開業後に帰化専門のHPを立ち上げたのですが、反応はあっても成約率が著しく低い状況にありました。
 自分としてはたくさん勉強したつもりだったのですが、相談者からの質問は例外的な内容についてのものがほとんどだったためです。それで言葉に詰まってしまうことがあって、「表面的な理論上の実務知識と実践上の実務知識は、やっぱり違うんだな」と感じました。そこで、理論が実務上の知識に変わるまで実務の量を増やし経験を積んでいって、やっと成約率が上がっていった感じですね。

──軌道に乗って成約率が上がるまでには時間がかかったのですね。

小島 理論上から実践の知識に変わって、ある程度できるようになったなと思えるまでには、2年ほどかかりましたね。HPもひとつだけでなく別のサイトを立ち上げたり、紙面広告も打ってみたり、顧客にリーチするアプローチを増やしていくために、一つひとつ手を打っていくのに時間はかかりましたが、手を打つごとに徐々にですが成約率は上がっていったのです。

──事務所をスタートしてから、それまでの社労士受験や事務所勤務のキャリアは役立ちましたか。

小島 ただビザ申請をするだけでなく、お客様からは年金や税金、会社経営についていろいろと聞かれるので、社労士試験で勉強したことや社労士事務所勤務の経験、そして語学スクール経営で培った経営やマーケティングの知識は非常に役立ちました。勤務経験だけでなく、経営者としての実務経験があることが大きかったと思います。

──現在に至るまでの業務内容は、ビザ申請・帰化申請ということですか。

小島 そうですね。国際結婚や外国人の雇用手続など、ビザ申請業務を幅広く行っています。永住権や日本国籍取得、外国人の日本法人設立、経営管理ビザ、許認可など、外国人に関わる全般を専門に行っています。

多店展開で商圏拡大

──現在、総勢何名の組織になりましたか。

小島 16名です。そのうち有資格者は6名で、試験合格者が3名います。

──事務所の特徴についてご紹介ください。

小島 さむらい行政書士法人は、多店展開が大きな特徴です。2012年に法人化して、上野から始め池袋・渋谷・新宿と都内4店舗の他、名古屋にも開設しました。こうした小規模の多店展開をしたのは、調べてみると上野には池袋や新宿・渋谷にいるお客様が来ないことがわかったからです。ひとつの拠点を大きくするより、小型店舗を拡げる。不動産会社と同じ考え方ですね。

──建設業許認可など、その他の行政書士業務に業容を広げようとは思わなかったのですか。

小島 確かに建設業許認可、相続など、行政書士資格があればできる業務は他にもあります。正直、きちんとマーケティングをすれば純粋に売上に加算できるのではないかと思い、ビジネスの多角化を考えた時期もありました。しかし、やってみるとまったく客層が違いました。その客層に合わせた受注導線を新たに作り込まなければなりませんし、そこにはやはり競合がいます。自分の労力と会社の資金は限られているので、力が分散してしまって、戦いきれない。その分野で勝ってきている競合他社に完全には勝てないことがわかりました。そこでひとつの分野に集中していくことで他社が追随できないレベルをめざそうと、ビザ・帰化分野だけに絞り込むことにしました。ですから現在は、ビザを中心にその関連業務のみに絞っています。

──人材の採用と教育は、どのように行っているのですか。

小島 私が行政書士を始めてから、友人の後輩が憧れて勉強を始めて合格したので、パートナーとして採用し、最初の拠点である池袋を任せました。ただし、彼にはビザ・帰化以外の専門分野を作ってそれを高めてほしいと頼みました。自身の専門業務を持つことによる、社内独立採算制にしたのです。拠点をふたつにするとそれに伴い商圏が拡大して、純粋にビザ・帰化の売上は2倍になりました。そこで渋谷、新宿と都内に拠点を増やしました。
 エリアを拡げることで受注力が上がったので、人を採用し、私の下で育てて拠点に配置することにも取り組み始めました。一定程度受注ができるようになってきたら、今度は生産性の問題が出てきます。つまり、新入社員をいかに早く戦力化するかです。
 早く実務を覚えてもらうためには、教育をしっかりとしていかなければなりません。しかし教育にはものすごくコストがかかるので、塾を開くことにしました。現在では「国際行政書士養成講座」という同業者向けの実務塾を主宰しています。
 参考にしたのはマッサージ業界でした。マッサージ業は熟練が必要なので、採用していきなりマッサージはできません。どのようにしているかというと、会社内にスクールがあるのです。そのスクールで20~30万円の受講料でマッサージの技術やテクニックはもちろん、店舗経営のノウハウまでを教えます。習得した生徒は「独立したければしてください。どこかに就職したいのなら就職してください。当社に採用される道もありますよ」という選択肢が与えられます。
 つまり、お金を払ってもらって教育を受けた上で、採用できるわけです。私はこれを真似しようと思い、入管業務を専門に教える同業者向けの実務塾を立ち上げたのです。実務塾の立ち上げにより、教育部門はコストではなく収益を生む構造に変わりました。これがかなりうまくいっています。実務塾は名古屋でも開催し、そこから名古屋支店の人材もピックアップしています。また、新卒の新入社員の場合、新入社員研修として無料でこの実務塾に参加してもらいます。

──実務塾では小島先生自身が教えるのですか。

小島 私が直接教えています。それが差別化になって真似のできないビジネスになっていますね。特徴として、ネットビジネスの要素をかなり取り入れています。あとは出版実績がないと同業者向けにアピールできないので、積極的に執筆にも取り組み複数の著書も出してきました。もちろん事務所がうまくいっている要素がなければ同業者は信用しませんから、事務所の成長は維持しています。このように実務塾の開催にはかなりの労力が必要なので、同業者もなかなか真似できないと思っています。

自分の専門分野のトップをめざす

──今後はさらに各地域で拠点展開をしていかれる予定ですか。

小島 今後は大阪ヘの出店を予定していますが、そこで全国6拠点となった段階で、とりあえず終わりにする予定です。これからはこれまでにできた拠点をいかに自立型に移行していくかを考えていきます。いつまでも私がコントロールしなくてもいいような体制を作り、各拠点が自ら売上を立て、自営していくようになれば、そこで働く人たちのモチベーションも上がります。語学スクールのほうはすでに自立型組織になっているので、行政書士法人も同じような方向性で考えています。

──個人的には、今後どのような目標を持たれていますか。

小島 将来的には海外で生活をしてみるのが目標ですね。海外で人生経験を増やして、また新しいビジネスを展開することになるかもしれません。ただビザ・帰化の業務においては圧倒的ナンバーワンにはまだなっていないので、そこに登り詰めるまでは現在のビジネスをやっていきます。

──行政書士を始めとする資格取得をめざしている読者に向けて、アドバイスをお願いします。

小島 世の中にはいろいろな専門分野があります。まず、自分の専門分野で業界のトップをめざしてください。私は資格はやりたいことをやるために必要な免許だと考えています。その先で何がしたいのかがないのに勉強を始めても、私が社労士に興味を持てなかったように、結局は挫折につながってしまいます。知識の獲得に根本的なおもしろさを感じられなかったら、あるいは続けても興味が湧いてこなかったら、潔く撤退する道も用意しておきましょう。
 結局、大切なのは何がやりたいかです。何をやるのかもわからずに興味が持てなくなって失敗する人はたくさんいます。行政書士は「資格の登竜門」と言われていますが、登竜門だから手始めに勉強するのではなくて、例えば司法書士になりたいのなら回り道をせずに最初から司法書士をめざすべきなのです。やりたい何かがあって、それをやるために必要な資格を取る。やりたいことのために資格取得をめざせば、成功率は飛躍的に高まるはずです。だからこそ、常に成功する確率の高いところに自分の行動指針を持っていってください。タバコを吸ってもガンにならないと言う人もいますが、タバコを吸わないほうがガンにはなりにくい。これと同じ確率論です。すべてのことに例外はありますが、先が見えていないのにただ資格の勉強をするのでは成功する確率は高まりません。何をやりたいかがあって、そこから資格が必要なら取得するほうが成功する確率が高いのです。
 やりたいことが見つかったら、できる限り早くスタートすることをお勧めします。40代で始めるより、20代で始めたほうがチャンスが広がりますよ。がんばってください。