日本のプロフェッショナル 日本の司法書士|2016年11月号

Profile

鴨宮 英世氏

司法書士法人鴨宮パートナーズ 代表司法書士 簡裁訴訟代理関係業務認定資格者

鴨宮 英世(かもみや ひでよ)
1961年9月生まれ、栃木県出身。専門商社での経理職を経て1987年から司法書士をめざし、1991年、司法書士試験合格。同年から目黒区自由が丘の司法書士事務所に補助者として勤務。1992年4月に目黒区自由が丘に鴨宮司法書士事務所を開設。2006年9月、業務拡大に伴い事務所を学芸大学駅へ移転。2010年11月、司法書士法人鴨宮パートナーズに組織変更。2012年10月、業務拡大に伴い渋谷コンサルティングオフィス開設。

司法書士の社会的使命を全うするために、地域社会の秩序維持に貢献し、お客様の依頼の趣旨実現に挺身し、スタッフの幸福と成長に寄与していきます。

 開業以来24年、不動産登記を中心に商業登記、成年後見、相続相談、簡裁訴訟代理案件における裁判所への申し立て手続きと、司法書士法人鴨宮パートナーズの業務領域は広がってきた。他士業との連携によって幅広いサービスを展開する窓口としてワンストップサービスを提供しているのも特筆すべき点だ。現在30名を超えるスタッフを擁し、目黒区の本社の他に渋谷駅直結の渋谷マークシティに「渋谷コンサルティングオフィス」を展開している。代表の鴨宮英世氏に、組織の特徴や組織化を進める理由、将来めざすところを伺った。

「街の身近な法律相談所」をめざして

 「お金を借りて家を建てたい」、「夢だった自分の会社を作りたい」、「円満に相続するにはどうしたらいいだろう」。誰もが一度はこうした悩みを誰かに相談したいと思ったことがあるだろう。そんな時、「まずは司法書士事務所へ」と勧めるのは司法書士法人鴨宮パートナーズの代表司法書士の鴨宮英世氏だ。
 めざすのは「司法書士は登記ばかりやっていると思っていたら、他の話も聞いてくれる。とりあえずそこにいけば何でも解決してくれるよ」と言ってもらえる司法書士法人。不動産登記、商業登記、成年後見、簡裁訴訟代理と、司法書士の守備範囲が広がる中で、「街の身近な法律相談所」として司法書士法人を利用してくれる人が増えれば、「司法書士はものすごく可能性のある楽しい仕事になる」と晴やかな笑顔で話す。
 開業25年目の鴨宮パートナーズは現在総員33名(司法書士有資格者15名含む)、不動産登記を中心に商業登記を手がけ、法人化後は成年後見、簡裁訴訟代理と総合的なサービス提供に挑んできた。
 鴨宮氏は専門商社に勤務していた24歳の時に、生涯やりがいのある仕事がしたいと司法書士を志した。
「本屋で調べたところ、資格の中でも法律系の難関資格でやりがいがありそうだったのが司法書士。一生の仕事としていいなと思った」と、めざした動機を話す。
 専門商社の経理部門勤務で日商簿記検定1級保持者とくれば、普通なら税理士をめざすところだが、「得意じゃなかったんです、経理が。というより会社勤めが苦手だった。上司と部下という人間関係も若さもあって素直に受け入れられなかったし、二十代の半ばになってもう一度難しいものに挑戦したいと考えた時、法律系資格が魅力的でした」と、屈託のない笑顔を見せる。
 何でもない自分から脱却して、評価される人間になりたい。社会貢献もしてみたい。いろいろな思いで、鴨宮氏は栃木県の実家から東京都内の受験指導校まで往復3時間半をかけて通った。通学電車では講義の録音テープを聴き、家に帰ってからも18時半から21時半までは勉強。それでも仕事に比べれば受験勉強は楽しかった。
 2年間受験勉強に打ち込んだところ模擬試験では1番を取るトップレベルの成績を収めるようになり、特待生として学費免除に。次の年、誰からも受かると太鼓判を押されて受けた本試験は、まさかの不合格だった。
「その年から不動産登記の出題形式が変わって、10部近い添付書類を読んで書式を書きなさいという実務に則した問題が出たのです。私はまったく実務経験がなかったので、出題された書類が何を意味するのかさえ分からなかった。仕方がないので一字一句読んでいたら時間がきて、落ちてしまったというわけです」
 それまでの申請書の穴埋め問題なら自信があった。しかし、がらっと変わってしまった試験内容に「これは実務をやらなければ合格できないな」と痛感した。
 鴨宮氏は目黒区自由が丘にある司法書士事務所を紹介してもらい、事務所の近くに引っ越し、4年目は仕事と受験勉強の二足のわらじを履くことにした。
「仕事を17時に終えて18時半から21時半までが勉強時間。事務所から一歩外に出ると、電車の中でも法務局でも勉強でした。そんな新人だったので書類を忘れそうになったり、申請法務局を間違えたり、事務所には迷惑をかけてしまいましたが、何とか1年後に合格できました」と、当時の様子を振り返る。
 仕事の現場では、補助者として書類を作成して押印をもらいに顧客先に行くと、「先生によろしく」と言われる。「全部自分でやっているのに…」。実務の中で、そんな補助者の悲哀を感じることもあった。早く合格して司法書士として仕事がしたいという思いが募った。
 合格した4年目は、試験が終わった瞬間に合格の手応えを感じ、試験会場から所長にすぐ電話を入れて「受かりました!」と伝えた。それほど手応えがあった。後にトップの成績で合格していたと聞いた。
 こうして1991年に鴨宮氏は司法書士試験に合格した。

30歳で独立。
ゼロからのスタート

 晴れて司法書士となって「ようし。これで所長と同じ司法書士という立場で仕事ができるぞ」と意気揚々と出勤すると、所長から「鴨宮さん、悪いんだけどもう独立しない?」と突然の宣告を受ける。晴天の霹靂である。
「所長は弁護士事務所に所属することになったそうで、もう是も非もない。『はい、わかりました』と言うしかありませんでした(笑)」
 鴨宮氏は、図らずも1992年4月の登録と同時に30歳で独立開業することになったのである。1992年といえばバブル経済が崩壊した直後。世間の景気は後退気味だったが、まだバブルの余韻は残っていた。
「自分が補助者をしていた1991年頃、事務所は渋谷のノンバンクとお付き合いがあり、そこに行くと司法書士が常に4〜5人並んでいました。その場にテーブルが何個も置かれていて融資が実行されると現金がポンと積まれる。それを待って次々に司法書士は法務局に登記の書類を提出しに行くのです。それが毎日繰り返されている状態で、不動産の活況は続いていました。ところが私が開業する1992年には、潮が引くようにまったくなくなった。鴨宮司法書士事務所としてゼロからスタートする私にとって、これは痛手でした。
 ただ、都市銀行はまだバブル経済のなごりで引き続き多店舗展開に積極的でした。おかげで私の開業1年目に自由が丘には都市銀行の新店舗が2店開業したのです。幸運にもこの金融機関2店舗と取引ができたので、それなりに売上を上げることができました」
 当時の司法書士の一番の顧客は金融機関で、土地の売買があると抵当権設定や不動産売買の立ち合いを金融機関が司法書士に依頼する流れになっていた。と言っても30歳で独立したての若者に、信用第一の金融機関はなかなか仕事を任せたりしない。当時、金融機関のルートを切り開いたコツを、鴨宮氏は次のように話す。
「自分で言うのも何ですが、営業力はありましたね。ニコニコしながら足しげく通うのは得意でした(笑)。頭も使いました。ただ行くのではなく相手の利益も考えました。親に借りた開業資金300万円を持っていって『もらうと贈与税がかかるから親の名義で預金させてください。その預金を担保に私にお金を貸してください』と頼んだのです。新店舗ですから新規の300万円の預金と融資はそれほど悪い話ではありません」
 こうしてスタートから継続的に仕事の依頼を受け、順調なすべりだしをした鴨宮氏は不動産登記を中心に金融機関を顧客として業務を行ってきた。この構図が変わったのは1997年のこと。その頃から金融機関は住宅ローンを専門に手がけるようになり、住宅ローン案件を金融機関に持ち込んでくる不動産仲介業者が司法書士の顧客に取って代わったのである。当時、鴨宮氏の顧客は金融機関のみだったので、この年一時的に仕事がパッとなくなった時期があったという。
「売上が落ち込んだのはわずか1、2ヵ月ですぐに持ち直しました。運が良かったんですね。というのは、仲良くなった不動産業者の方が、不動産会社社長20名ほどで構成する勉強会に入会しないかと私を誘ってくれたのです。この勉強会に入って、私は不動産業界の方たちの特徴や考え方を知る機会に恵まれ、すんなりと不動産業界に入ることができたのです」
 不動産は景気の波を被りやすい。例えば2008年のリーマン・ショック後から、不動産登記は一気に減少傾向を辿ることになる。こうした傾向を懸念する声も多いが、鴨宮氏はまったく異なった考えを持っている。
「おもしろいことに、司法書士の独占業務である不動産登記というのは、景気が良くなる時は当然ですが、下がる時にも財産の処分と言う形で出てくるんです。
 ですから司法書士の業務は実はあまり景気に左右されません。むしろ今のように高値で安定してしまうと物件の動きは鈍くなります。でもそんな今のような時でさえ、マイナス金利で金利が安くなると、今度は借り換えをする人が増えて、借り換え需要が起きるんです。すると抵当権抹消、設定、抹消、設定、抹消、設定…となる。ただし、安定して仕事を得るには、ある特定の業界だけでなく、それぞれ異なる経済活動をしているお客様と幅広くお付き合いする事が肝心です」
 20数年間、その間景気の波は幾度も訪れたが、うまく先を見ながら進んできた結果、鴨宮パートナーズは売上が前年より落込んだことは開業以来一度もない。

病気を転機に、法人化を図る

 鴨宮司法書士事務所は、不動産登記をメインに商業登記も当初から3割と安定したボリュームを維持していた。専門部門を配置すれば、登記以外にも対応は広がる。これを見据えて2010年には法人化を果たし、司法書士法人鴨宮パートナーズとなった。現在は33名のスタッフが不動産登記部門、法人登記部門、訴訟業務部門とチーム体制を組み、組織ならではの多様で専門性の高いサービスの提供をめざしている。
 実は法人化にはもうひとつ理由があった。開業数年目以降の鴨宮氏は夜中の12時まで仕事をし、それから不動産業者と飲みに行き、深夜2時まで飲んだ後で2〜3時間仕事をするというハードワーカーだった。これを続けていたら40歳の時に脳内出血で倒れ、3週間の入院となってしまったのである。
「文字通り酒と過労で倒れたわけです。なぜそうなったかというと、司法書士の仕事はミスが許されないからです。ミスするとすぐ登記簿に出てしまうので、人に任せるくらいなら自分でやったほうがいいと判断する司法書士も多い。登記を間違えると、訂正のためにはお客様に再度印鑑証明書などの書類を用意していただかなければなりません。もし、応じてくれなかったら権利の保全に支障がでてしまい、そうすると損害賠償に直結してしまいます。だからすべて自分でやるという司法書士も多いんです」
 他の士業と比べ司法書士にいまだ個人事務所が多いのはこうした理由もあるようだ。
「かく言う私も補助者任せにしないで無理して自分でやっていたから入院という結果になりました。当時は自由が丘でスタッフ8人の時代でしたけれど、3週間も自分がいなくてどうなるかと思っていたら、意外とスタッフはちゃんと責任感を持ってやってくれました。そこで『組織化して自分のノウハウをスタッフに伝えよう』と決心したのです」
 この時を節目に、段階的に人を増やし、任せるところは任せ、専門性をより深めながら組織化を図り、徐々に鴨宮氏はプレイヤーとしての役割分担を減らしてマネージャーにシフトしていった。3週間の入院は事務所にとって、そして鴨宮氏の人生にとって大きな転機となったのである。
 組織化に際して、鴨宮氏は「人に任せても間違えないためのノウハウ」を徹底している。リスクの高い司法書士事務所の組織化。しかも大きくするにはそこが大きなハードルとなる。
「もちろん組織化を進める上でマニュアルは大事です。でももう一つ大事なことがあります。それは司法書士の理念です。『申請書の住所・氏名を間違えないように』と言ったところで、スタッフのミスは無くなりません。でも『君たちは司法書士だろう。社会のために役に立ちたい、自分らしく生きたいんだろう。申請書くらいは100%できて当たり前だよ、プロなんだから』と言ってあげると間違えない。こうした大所高所から見る。やはり士業ですから志が大事です」
 士業としての理念を考え始めたのは、ちょうど組織化を進めて学芸大学駅に事務所を移転した頃だ。
「これまで司法書士は代書屋でしたが、私がめざすのは法律家。その法律家を意識し始めたのは簡裁訴訟代理権が付与されて、簡裁訴訟代理等関係業務の認定資格をとるために勉強していた45歳の時でした。法律要件を主張し、次はそれを立証し、証明、事実認定とやっていく中で、『司法書士は代書屋ではいけない。法律家にならなければ』と感じるようになったのです」 
 鴨宮氏は法律家であることの定義を自らの言葉で、「新しい知識・智恵・経験則を得ることに励み、自己の持てる知識を個々の案件に対して最適な形で引き出せるように努める」としている。また、組織化に際して、事務所の理念を明文化した。
 1.地域社会の秩序維持に貢献する。
 2.お客様の依頼の趣旨の実現に挺身する。
 3.社員の幸福、成長に寄与する。
 シンプルではあるが、鴨宮氏が10数年間コツコツと日々の仕事を積み重ねた結果、生まれた心からの理念である。

社会的使命は「人材育成」

 鴨宮パートナーズの業務比率を見ると、不動産登記5割、会社・法人登記3割、成年後見1割、訴訟業務1割という配分になっている。
 成年後見制度がスタートするまで、仕事はほぼ登記業務が占めていた。実務も必要な法律知識と先例の知識のみでやっていけた時代だった。
「成年後見は代書的な仕事から相手方の気持ちになって物事を考えることが必要になった節目。そこから司法書士に人を惹きつける魅力が必要になった」と鴨宮氏は指摘する。
 訴訟関係の仕事は主に鴨宮氏を中心として対応しているが、実務に役立てるために読んだ田中豊弁護士の著書『事実認定の考え方と実務』(民事法研究会)によって、経験則という考え方の重要性を知り、仕事に対する考え方が変わったという。それ以降、疑問、仮説、証明という考え方がすべてのベースとなっている。
 守備範囲が広がってくると、司法書士としての役割も大きく広がり、そこに使命感が生まれてきた。そして鴨宮氏が「司法書士の社会的使命を果たす」ことを考える時、ある「究極の使命」が浮かぶようになった。
「開業から24年、以前なら当事者間の協議で済んでいた些細なもめごとも相談として多く寄せられるようになりました。しかも訴訟に至ることも珍しくありません。
 でもこういう時代だからこそ、司法書士の社会的役割がますます重要になってきていると言えます。ただし司法書士の仕事の範囲が広がり、お客様のニーズも多様化しているので、今までのように個人の能力だけでは司法書士の社会的使命を果すことが難しくなってきています。
 こうした環境変化につれ、私の考える事務所にとって『もっとも大事なもの』は『人材』だという考えに至りました。それまで司法書士は個人に与えられた資格という呪縛にとらわれていた私は、ここに到達するのに時間がかかってしまいました。けれども、これに気が付いてからは、どのような組織を作り上げるか、そのためにスタッフをどのように指導していくか、そういったことを落とし込んだ自分なりの目的が見つかったのです。
 私が考える組織としての目的は、『スタッフが司法書士事務所の仕事を通して自分らしく生きる方法をみつける』。これに尽きると考えています。
 この目的を実現するために、具体的な目標をスタッフと共有して、組織としてのサービスインフラを構築することで、個人では実現することが難しい、多様で、専門性の高いお客様が満足するサービスを提供する。これによってスタッフに人として成長してほしい。私はそう願っています」
 代書屋ではなく法律家として司法書士になる。知識と経験則そしてコミュニケーション能力を磨くことで依頼者の目的を実現できる司法書士になる。事務所として人材を育てられる代表になる。そして「鴨宮パートナーズは日本一の事務所だね」とお客様に言っていただけるようになる。鴨宮氏のめざす世界は広がり続けている。

多くの人に会えるチャンスを活かせ

 司法書士業界の将来について、鴨宮氏はかなり明るい展望を持っている。
「司法書士は会社の設立から始まり、不動産では抵当権設定・変更・抹消、売買と、非常にたくさんの人に会う機会があります。つまりエンドユーザーに会うことが多い士業なんです。一方で、これからは士業間の業務の垣根がどんどん低くなっていくと思います。そんな中で、不動産売買、会社設立などのスポット的な仕事が多い司法書士は、エンドユーザーと継続的なお付き合いをする方法を見つけられれば業務の範囲がますます広がっていくと思うのです。
 そうなればワンストップサービスの入口に立てる。そういうチャンスがあると考えています。ですから司法書士は今の登記業務に固定されずに、将来的にさらに周辺業務を取り込みながら、あるいは他の士業と協力しながら伸びることができる、おもしろい職業なのです」
 金融機関から不動産仲介業者へ。対象となるクライアントをシフトしながらこれまでは企業を中心に顧客開拓をしてきた。それでは同じパイの奪い合いになってしまう。そのことに一部の司法書士は気が付き始めていると、鴨宮氏は言う。
「エンドユーザーは新しいニーズの宝庫です。今後はエンドユーザーとの接点を線としてつないでいく。そして『司法書士は何でも話を聞いてくれるね』と言ってもらえるように、自分たちの専門だった登記や供託・訴訟だけでなく、その周辺の知識も身につけそして発信していくのです。何しろ司法書士は他の士業と比べて一番人と接する機会が多い士業なのですから」
 目黒区自由が丘でスタートした事務所はスタッフが増えるのに伴って学芸大学駅近くに移転。さらに「お客様が相続や企業法務コンサルティングに来やすいように」と、渋谷駅直結の渋谷マークシティウエスト22階に「渋谷コンサルティングオフィス」を開設した。さらに近い将来、千代田区丸の内にも支店を構える構想がある。
 スタッフ増員に伴って拠点も増えるが、「自分の見えないところで働いてもらいたくない」という基本的スタンスは変わらない。
 「僕と同じ考えを持っている司法書士を育てるのが私の仕事。一方で彼らは彼らで自分の考えがある。それにも応えないといけませんね」と、スタッフの夢や目標の実現をも視野に入れている。
 求める人材については「一つ目は、将来パートナーになってもらえる人。ずっとうちにいて、この事務所の理念を引き継いで、いずれは経営者になってくれる人材を求めています。ですから長くいられるような給与制を導入したり、自分の裁量で働ける担当制を導入しています。
 二つ目は、人と会う仕事なのでまず第一印象が大事です。スポット的な仕事が多いので、その場の会話や雰囲気で次につなげていく力が必要ですが、第一印象が悪かったらまず次はあり得ません。やはり見た目が良くて感じが良い、また会ってみようかなと思わせられるような好感度、好印象の要素がある人を採用して、さらに育てていきます。
 そして従来の司法書士のイメージをガラッと変えるような、爽やかで颯爽とした新しい司法書士像を作っていきたいですね」

将来性豊かな
司法書士の世界

 7〜10年と長く勤めているスタッフが多く、しかも生え抜きで育ててきたスタッフが中心なので、若くてもベテラン。それも鴨宮パートナーズの大きな特徴だ。仕事柄、経営者や著名人と会う機会が多い彼らは、目上の人に対しても落ち着いた対応ができるだけでなく、自分の立場を意識して服装を始めフォーマルな作法をこなすことができる。「そうしたことが教えなくてもわかっている。私はそういうのが好きなんです」と、鴨宮氏は嬉しそうに目を細める。
「一番大切なのは、いろいろな事象や言動に対して自分はどうしなければいけないのかを考えられること。私たちは法律家なのです。法律家は、物事の背景や打ち合わせの中の言動から何故この人はこういうことを言うのか、疑問に思い、質問をして、本質を見抜きます。私自身、そんな法律家として通用する司法書士になっていきたいと考えています」
 というより、そういう仕事をしなければ司法書士法に書いてある使命は果たせない。その使命とは「国民の権利の保全」だと鴨宮氏は言う。
「権利の保全と言っても単純な手続から高度な判断を要するものまでいろいろあります。その中で、司法書士しかできないものは何かと言うと、それは不正な登記の防止です。近年、第三者が売り主本人になりすまして、売買代金を搾取するという詐欺事件が横行しています。なりすましを見抜くには、事前の打ち合わせの中での気付きが重要です。たとえば、『更地・無担保なのに価格が相場よりかなり安い土地』などという話は通常はあり得ません。このような案件が来たら『なぜ、売り主は安く売り急ぐ必要があるのか』を仲介や代理人との打ち合わせの中で紐解いていき、『安く売るための特別な事情があるか無いか』を見極めるのです。もし、安く売る事情が無ければ臆することなく、買い主らにこれは詐欺の可能性が高いから、手を出さないようにと助言する。これまでこうした予防司法まで至らなかったのが現実だと思いますが、昨今、精巧に偽造された印鑑証明書や免許証は本物と見分けることが不可能になってきていますので、今後はこのような素養が司法書士には要求されるのです」
 といっても予防司法の高度なスキルは一朝一夕には育たない。そこで今、予防司法のできる司法書士を育てるために、研修にも取り組んでいる。
 鴨宮氏の将来の展望は、この予防司法を始めとして、鴨宮パートナーズをすべての相談の窓口となるワンストップサービスを提供する法人に育て、さらなる組織化を進めていくことにある。 
 受験生やこれから司法書士をめざそうとしている人だけでなく、司法書士受験に二の足を踏んでいる人にも、将来性豊かな司法書士の活躍できるフィールドが待っていることを伝えたいという。
「人の役に立ちたい。自分の知らなかった知識や智恵を身につけたい。その上で自分らしい人生を歩んでそれなりの収入も得たいし社会的評価も得たい。そのようなちょっと欲張りな気持ちで司法書士をめざすなら、司法書士はそれをかなえてくれる可能性の高い職業だと思います。
 なぜなら士業としての司法書士のやりがいは『常に新しい知識の吸収ができること、社会的役割を果せること、人の役に立つこと、サービス業としての魅力があること、人として成長できて自己実現を図れる仕事であること』だからです」
「時にお客様の夢の実現に尽力し、時にお客様の悩みを解決するために智恵を出し、そしてお客様と共に成長する」。そして、「どうすればお客様の最良のパートナーになれるのか」を希求し続ける。
 鴨宮氏が開業当時からずっと拠り所にしてきたこの思いは、若いスタッフへと脈々と受け継がれている。

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