LET'S GO TO THE NEXT STAGE 資格で開いた「未来」への扉 #23

Profile

稲田 紘一(いなだ こういち)氏

司法書士フォワード総合事務所
代表司法書士

1983年7月生まれ。茨城県出身。茨城県立竹園高等学校卒業。2007年、関西大学法学部法律学科卒業後、大手不動産仲介販売会社に就職。その後、医療系公益法人に転職。2016年、司法書士試験に合格。2017年、都内司法書士事務所に入所。同年、司法書士登録。2018年、司法書士フォワード総合事務所開設。好景気不景気の波をのりこえ、その時代のニーズに応えるべき異業種への転職を繰り返しながらも、その経歴、人脈、資格を大いに活用し独立開業。不動産業界・医療業界出身の司法書士として日々クライアントの様々な依頼に応えている。

【稲田氏の経歴】

2003年 19歳 弁護士をめざし、関西大学法学部法律学科に入学。
2007年 23歳 不動産業を営んでいた祖父の影響をうけ、大手不動産仲介販売株式会社に入社。
2010年 27歳 医療法人に転職。訓練施設を立ち上げるなど、新しい仕事にチャンレンジしながら経験を積む。
2016年 33歳 仕事と勉強を両立しながら司法書士試験に合格。
2017年 33歳 3月からアルバイトとして大手司法書士事務所に入所。1ヵ月後には正社員となる。同年中に司法書士登録。
2018年 35歳 11月、司法書士フォワード総合事務所を開設。

過去の経験が資格によってひとつにつながり、
大きく活きるようになった。
不器用でもいい、人生の荒波をひたすら倒れることなく乗りこなせ。

 大学の法学部を卒業後、大手不動産仲介販売会社に就職。その後、医療系公益法人へ転職し、最終的には司法書士の資格を取得して自らの事務所を開設した稲田紘一氏。一見、大きく回り道をして生きてきたような印象を持つかもしれない。しかし、すべては次第に明らかになっていく映画の伏線のように、資格取得によって人生の成功へとつながっていった。そんな稲田氏に、資格取得の動機や資格の活かし方、仕事への想いについてうかがった。

規則に疑問を感じた中高生時代
規則を知ることで自由になれると思った

 一生を通じて人生が順風満帆だったという人はあまりいないだろう。どこかで必ず、大なり小なりの波があるものだ。そんな人生の波の数々を不器用ながらも乗りこなし、その度に蓄えた知識と経験そして人脈を、資格によって昇華し人生をダイナミックに渡り歩いている人物がいる。それが稲田紘一氏だ。

 中学生の頃から「規則」というものに疑問を持ち、馴染めなかった。高校進学では、生徒たちのモラルや常識に判断をゆだね、自由な選択をしてもいい代わりに責任感をもって行動することが求められる、自由な校風の高校を選んだ。奇抜なファッションの生徒もいたが、頭ごなしに否定されることはなく、個性として尊重された。何事も、生徒たちがポリシーをもってやっている限り、許された。

「そんな高校に通いながらも、規則というものが自分にとってさらに興味深いものになっていきました。刑法の本を手に取って、何をしたら罪になるのか、傷害と暴行の違いは何なのか、無期懲役や死刑などの重い罪が課されるのはどんな場合なのか、そんなことを調べたりしていました。学校の規則の枠を超えてもっと法律というものを知りたいと思うようになったのです。社会に出たら、法律を知っていることで自分の身を守ることができるのではないか。また、武器になるのではないか。自分のやりたいことがもっとできるようになるのではないかと考えたことが、大学で法律を学ぼうと思った理由です」

 進学先は関西大学法学部法律学科。茨城県出身の稲田氏が関西の大学を選んだのは、関西独自の「アイデンティティを大切にする姿勢」を学びたいと思ったからだという。

「関西は私にとって、まったく違う国のようでした。関東の人は関西へ行くと現地の人たちに受け入れられようと関西弁を真似たりしますが、関西の人はどこに行っても関西弁を直そうとはしません。それは、関西人としてのアイデンティティを持っているからなんだと思います。また、本音と建前みたいなところがなくてあけっぴろげなんです。『自分はこうやで』とまず自分の意見があり、そこから話がスタートします。関東の人とは根本的な考え方が違うなと思いました。自分も同じようなスタンスでないと周囲と融和していけない。だから、自分もそうする努力をしたのです。この経験が自分の現在のキャラクターを形成し、仕事にも大きな影響を与えました。今では人とオープンに接することができる性格を気に入られ、『あなたに仕事を頼みたい』と言われることもあります。私にとって、関西で過ごした4年間は大きかったですね」

 大学時代は、法律を学ぶことはすなわち弁護士になることだと考えていた。弁護士になれば法律を使って人を助けられる。だが司法試験の合格をめざすとなれば、青春のすべてを勉強に費やさなくてはいけなくなる。稲田氏は、学生時代を勉強一色にはしたくなかった。親からの仕送りやアルバイト収入のおかげで金銭的には余裕があったし、さまざまな誘惑も多く、飲みに行ったり遊びに出かけたりの日々で勉強は次第におろそかになっていった。

 それでも法律に対する意識は変わらなかったが、卒業を間近に控えて迷いが生じた。弁護士になるにはロースクールに行かなければならない。多くの費用が掛かる上、絶対に弁護士になれるという保証もない。経済的にも、もう自分のことは自分で負担をしなければならないだろう。そう考えたとき、人生の別の選択肢を意識した。

「当時は人生の転機と言えるような時期で、お金を稼がなくてはという目先のことに追われていました。では何をしたらいいのかと考えたときに、祖父のことを思い出したのです。祖父は不動産業を営んでいて、苦労が多い中で努力を重ね、家族を養い、孫の代まで家系をつないできた。これはとても偉大なことだと思っていたのです。だから自分も不動産業をやってみようと思い立ち、やるならトップを狙いたいと、大手不動産会社への転職にチャンレンジしたのです」

人生は「やるかやらないか」で決まる
他人より努力しないとダメだと気づいた

 こうして大手不動産仲介販売会社に入社を決め、不動産仲介販売の営業職に就いた稲田氏。チラシ配布から反響を取り、お客様の案内、契約書作成、価格交渉、条件交渉、物件の引き渡しまで、一連の業務をひとりで担当する。入社1年後には必要に迫られて宅地建物取引主任者(現宅地建物取引士。以下、宅建士)の資格も取得した。仕事は忙しかったが、隙間時間を見つけてはカフェなどで勉強をしていたという。

「その頃はもう、人生はやるかやらないかだけだと考えていました。やれば合格する。忙しいからとやらなければ合格しない。自分ならサボってもまぐれのヒットを打てるんじゃないか、試験の日だけ勘が冴えるんじゃないかと思うこともありましたが、それじゃダメなんですよね。結局、自分は人より努力しないとダメなんだと、この頃気づきました」

 そして2008年。ふたたび稲田氏の人生に転機が訪れる。ニューヨークに本社を置く大手投資銀行グループであるリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻。負債額64兆円という巨額の損失によって連鎖的に世界規模の金融危機を招き、日本の不動産業界にも大きな影響を与えた。稲田氏の取り扱う不動産物件は市場でほとんど動かなくなってしまった。入社した当初、不動産業界の業績はプチバブルと呼ばれるほど好調で、収入も同期の仲間よりも多く、安定していた。しかし、このリーマン・ショックで業績が後退すると不動産業界の将来に不安を覚えるようになった。

 そんな中、不動産の引き渡し時に登記などで付き合いがある司法書士のことを思い出した。法律の知識を持って専門性の高い仕事をする彼らがまぶしく見えた。そしてもう一度法律に向き合い、司法書士の資格取得をめざしてみようと考えた。それには勉強をする時間を確保しなければならない。しかし、今の仕事を続けていては難しい。そう判断した稲田氏は、そのまま進めばマネージャー職に昇格していたかもしれない不動産業界でのチャンスを捨て、医療業界への転職を考える。

「不動産業界から転職する人は同業他社へいく人が多く、異業種へいく人はあまりいなかったと思います。でも不景気の折、安定していて、かつ勉強時間も確保できそうな業種は何かと考えたら、それは医療業界ではないかと思ったのです」

 不動産営業の業務フローをすべて身につけたところで、まったく異なる業種へ転職する。未経験の医療業界への転職活動は決して楽ではなかった。不動産業の経験は自己PRにはまったく使えない。収入も激減する。医療系公益法人の採用面接を受けた際は、この会社で地域医療のために尽くしたい、挑戦したいという思いのたけをぶつけ採用を勝ち取った。そして入社後、それまでまったく経験してこなかった仕事をすることになる。

「公設民営と呼ばれる形、つまり、国や自治体などの『公』が設置した病院を『民』である法人が預かって黒字化をめざして運営するという事業を主力とする、医療系の公益法人でした。最初に担当した仕事は、医師をめざす医学部生、研修医、看護師や医師のサポートで、公益的側面を有する事業部でした。具体的には、医学部生に看護師や医師の医療技術・手技などを訓練する講習会の実施などを行いました。その後、ここでの働きが評価されて、アメリカのハーバード大学医学部で指導していた医師とタッグを組んで、シミュレーション・センターと呼ばれる医療従事者の訓練施設の立ち上げに参加させてもらいました。これは、アメリカにある同様の施設を日本に持ち込んだもので、初期の研修医からベテランまでを対象として、各ニーズに合わせたコースを用意した施設でした。そこでマネージャーとして働き、組織運営やしくみを作るプロセスを学びました」

 この間、仕事と並行して司法書士試験の勉強を始めていた。医療系公益法人に転職したそもそもの目的は、資格取得のための勉強をする時間を確保することでもあった。しかし、現実は簡単ではなかった。仕事の合間を縫って勉強する日々。地方に出張したときでも、仕事が終わってからホテルで勉強した。その原動力は「変わりたい」という思いだった。

 医療系公益法人では事務員という裏方の仕事。シミュレーション・センターではマネージャーとして活躍するも、ほかの業務ではどうしても小間使いになってしまう面もあった。一生懸命に取り組んでいても評価はそれほど高くない。顔には出さないが正直悔しかった。その悔しさを噛みしめて「臥薪嘗胆」と紙に書いて、それを睨みつけながら「変わる」ために勉強を続けた。元来の負けず嫌いな性格もそれを後押しした。

 「弁護士の資格を取る」といいながら大学へ進み、まったく勉強してこなかった自分。興味を持っていたはずの法律に対して、何も結果を残してこなかった自分を悔いた。その思いも背中を押した。そして2016年冬、不安と葛藤する日々を乗り越え、見事に司法書士試験に合格した。合格から年が明けて2017年3月には都内司法書士事務所にアルバイトとして入り、4月から正社員となった。

 この事務所では、合併や分割などの高度な商業登記を中心に登記業務全般の仕事をこなし、半年後の2017年11月に司法書士会への名簿登録を済ませた。それから1年後、自分でルールを作って会社運営をしたいと考え、独立を決心した。
医療関係のシミュレーション・センターでマネージャーとして活躍し、組織を作り、ルールを定めて運営してきた経験を活かそうと考えて独立をしようと思いました」

自らの事務所を開設
過去の経験がつながり始める

 2018年11月、司法書士フォワード総合事務所を開設。当初は、独立して仕事があるのか、どうやって仕事を取っていけばいいのかなど不安はいっぱいだった。そんな中役に立ったのは、これまでの知識と経験、そして人脈だった。その頃、不動産仲介販売会社時代の同期が昇進して力をつけていた。独立して社長になった者もいる。そうした昔の仲間たちが仕事を回してくれたのだ。そして、医療関係のつながりからは「法人組織を立ち上げたい」「困っている子どもたちのために基金を作りたい」などの相談が舞い込んだ。一見、つながりのないように見えた不動産や医療といった過去の経験が、資格を通してすべてつながり始めたのだった。

「司法書士の仕事は100点を取って当たり前の世界です。登記ならきっちり登記できて当たり前。そんな中で自分を選んでもらうには、アドバイザーとしてクライアントに寄り添う、コンサルティング的な業務も付加価値とした独自のメニューが必要です。他の司法書士の先生が事務的にやっていることを、弊所では『ねっとりと』寄り添ってやっています」

 稲田氏は、司法書士試験の勉強をしている間にも、万一不動産業界へ復帰をした場合に備えて管理業務主任者の資格も取得していた。さらに司法書士として独立後も、業務範囲を広げたいと思い、行政書士の資格を取得。守備範囲の拡大に余念がない。

 今後さらに守備範囲を拡大していくと、業務のAI(人工知能)化という問題が出てくると思われる。AIの登場で司法書士の仕事の多くがなくなるのではないかとも言われているが、これに対して稲田氏はこう語る。

「必要な情報さえ入力すれば、AIが一瞬で書類を作成してしまう時代は来ると思います。実際にシステム会社と組んで、そうしたしくみを作ろうとしている動きも司法書士業界にはあります。でも、私はかえっていいことだと思っています。なぜなら、AIに書類作成を代行してもらうことで、今まで手いっぱいでできなかった付加価値の部分に専念し、よりよいサービスが提供できるからです。そしてそのぶん、受託できる件数も増やすことができるはずですから」

 AIは司法書士の仕事のベスト・パートナーになる、そう稲田氏は語る。時代の変化の波も、稲田氏ならしっかりと乗りこなすのだろう。

 今後は、NPOのアドバイザリー業務や監事といった分野にも進出して新しい分野を切り開きたい、と意欲も見せる。

「あなただからこそこの仕事を頼みたい、と言ってもらえるよう、常により付加価値の高いところをめざして取り組んでいます」

 そんな稲田氏に、司法書士や他の資格の取得をめざしている人たちへのメッセージを聞いてみた。

「人生において積み重ねてきたものは、必ずどこかで自分を支えてくれると思います。私の場合は不動産や医療で培った経験や人脈、そして一番大きかったのは、司法書士という資格でした。資格を取れば人生が変わります。資格は、いわば道なき道を切り開く『刀』。たとえ小さな刀でも、自分の使い方次第で高い報酬につながることもあります。次世代のみなさんにはぜひとも、資格という刀を手にして、それによって何ができるのかを考えて未来を切り開いていってほしいと思います」

[『TACNEWS』 2020年8月号|連載|資格で開いた「未来への扉」]