特集 不動産鑑定業界にニューウェーブ
鑑定評価だけではない不動産鑑定士の世界。
新たなフィールドがあなたを待っています!

太良木 礼紀さん
Profile

太良木 礼紀さん

一般財団法人日本不動産研究所
金融ソリューション部 市況モニタリング室 専門役
不動産鑑定士

太良木 礼紀(たらきあやの)
1985年生まれ、大阪府出身。奈良女子大学生活環境学部卒。大学院1年在学中に不動産鑑定士試験合格。2010年、一般財団法人日本不動産研究所入所。2014年、不動産鑑定士登録。近畿支社、東京事業部(現:本社事業部)で一般鑑定評価に従事した後、2015年から1年間、国内機関投資家に出向した後、デベロッパーや金融機関向けに予兆管理業務を手がける金融ソリューション部市況モニタリング室に所属。
公益社団法人東京都不動産鑑定士協会 広報委員会委員

大規模なニュータウン建設や都市再開発計画のようなビッグプロジェクトに欠かせないのが、不動産にかかわるスペシャリスト・不動産鑑定士だ。不動産の鑑定評価業務はもちろん、不動産コンサルタントとして、あるいは証券化という金融手法との融合で融資担保の要となる大役を担いながら、意外にも世間に名前が知られていないのが不動産鑑定士と言われている。今業界を挙げて知名度アップに励んでいる中で、業界最大手の一般財団法人日本不動産研究所に勤務しながら公益社団法人東京都不動産鑑定士協会(以下、鑑定士協会)の広報委員会委員も務める太良木礼紀さんに、不動産鑑定業界の最前線での仕事とやりがいについて伺い、不動産鑑定士の魅力をアピールしていただいた。

夢破れて、不動産鑑定士あり

──太良木さんは奈良女子大学大学院在学中に不動産鑑定士資格を取得されました。女子大から不動産鑑定士(以下、鑑定士)をめざすのは珍しいケースではありませんか。

太良木 これには紆余曲折がありました。実は小さい頃から歯医者さんになりたくて、それ以外にやりたいことは何もなかったんです。大学進学時はもちろん歯学部を受験し、浪人もしましたがそれでもだめで、夢敗れて…。「女子大なら世間体がいいかな」というくらいの理由で奈良女子大学に入りました。
 大学に入って1年、2年と過ごしてからもやりたいことが見つからず、よく大阪ミナミの繁華街に飲みに行っていました。そんなある日、居酒屋で飲んでいると、隣に座ったおじさんが声をかけてきました。「わし鑑定士やねん。おまえ向いてそうやわ。鑑定士やってみいへんか。学校もあるんや。TACが一番おすすめや」と。今思えば2007年のことで不動産バブルのピークですよね。翌2008年にリーマン・ショックですから、翌年からまさに波が砕けていくその寸前だったんです。
 そのおじさんのことは信用していなかったんですが、心惹かれたことが一つありました。おじさんの「鑑定士は年間3,000万円儲けられるぞ」という一言です。歯医者さんにもなれなかったし、3,000万円儲かるなら「これはやるべき」と思って、翌日TACへ行って講座説明会で話を聞いて、そのまま入学手続きをしちゃいました。現実は3,000万円ではありませんでしたが(笑)。

──鑑定士の勉強と大学の専攻では畑違いではありませんでしたか。

太良木 まったくと言っていいほど違いました。大学の友だちも誰一人鑑定士を知らなかったですし、教授すら知りませんでした。当初、母親は「この子、何を言い出すんや。ちゃんと就職しなきゃあかん」と言って、知り合いの議員さんに「この子、鑑定士とかいう資格をめざそうって言うんだけど、よく分からない資格やから、先生の知り合いできちんとやっている鑑定士を紹介してくれませんか」とまで頼んだんです。そこで紹介してもらった方が現在、ある不動産鑑定士協会の副会長をされている方で、20歳そこそこの金髪で目つきも悪かった当時の私に、鑑定士の世界のことをいろいろと話してくださいました。それを聞いて、「鑑定士の仕事はしっかりしているし、フィールドワークもあるから楽しそうだな」と意思を固めたのです。
 ただ、今思えば、実家には伏線があったような気がします。実は母は結婚する前は銀行に勤めていて、「そういえば賢そうなエリート銀行員の○○くんが分厚い本を何冊も持って資格の勉強をしていた、あれね」と鑑定士をちょっとだけ思い出したようでした。
 加えて、親戚には不動産を持っている人が多くいました。両親から直接そのような話を聞いたことはなかったんですが、それでも小さい頃から親族が集まると、「今年の固定資産税、上がったな。修繕費がかかるなあ」といった話をよく聞いていたので、私が小学校3年生の時に意味もわからず好きだった言葉は「こていしさんぜい」でした(笑)。今思えば、不動産は幼い頃から身近な存在で、将来不動産に関わる仕事を選ぶようになったのも運命だったのかもしれませんね。

「合格」は、3度目の正直

──受験時代に通っていたのは、どこの校舎でしたか。当時は大学院に通いながら受験されていたのですか。

太良木 TACの梅田校となんば校に通って、3回目で合格しました。大学院へは鑑定士の勉強を続けるために進学しました。「鑑定士に受からないので大学院に行かせてください」と言ったら、周囲の先生から「学問をなめるんじゃない」と非難轟々でした。それでもゼミの女性の教授だけは「あなたを応援するわ」と言ってくださって、何とか大学院1年の時に合格できました。
受かったのを機に、今在籍している日本不動産研究所に入社したというのが経緯なのですが、今思えば当時24歳。あと1年在学して25歳で大学院を修了してからでも遅くはなかったなあと、少しだけ悔んでいます。

──受験時代のエピソードを聞かせてください。

太良木 1年目は勉強もしないでよく飲みに行っていましたね。特になんば校は、近くに道頓堀などの遊ぶスポットがたくさんある、最高に魅力的な立地だったんです(笑)。TACに足は向くけれどミナミの飲み屋街に行ってしまったわけです。
 2年目は同じ講座で彼氏ができました。彼はとても真面目で勉強熱心だったので、彼に引っ張られて私もぐんぐん成績が伸びました。答練(答案練習)の成績は大体10位以内をキープしていましたし、得意な演習は1位を取っていました。ところがそんな2年目、2人とも不合格という結果になってしまったんです。さすがに父に「人生懸けてんのに男と一緒に受けて受かるわけないやろ!」と怒られまして(笑)。そこで一時お付き合いは中断して、3年目は別々に勉強に集中して、2人とも晴れて合格できたというわけです。

──合格した3年目の受験は何が違ったのでしょう。

太良木 3年目はほとんど1人で勉強していました。ただ、家では寝てしまうので、TACに通って勉強していました。
 TACに行けば周囲に公認会計士講座や税理士講座で合格をめざしている受験生の空気感を感じられるので、やはり自習室で勉強するのが一番モチベーションがあがります。これは受験生におすすめですね。
 3年目の受験では、鑑定士講座の先生が「鑑定評価は演習(実際に電卓をたたいて、簡易版の鑑定評価書を作る科目)が肝だ。鑑定評価は体力勝負!」というので、腱鞘炎になるまで演習をやりました。先生は、3日に1回は演習をやるべきで、1日でもそのサイクルを空けてしまうとアスリートと一緒でスピードが落ちると言うんですね。演習は時間との勝負なので。そこで当時の私は、グリップ付きのボールペンに、さらに柔らかいグリップを自分でつけて改造したボールペンを使っていました。演習は絶対に最後までやるんだと意気込んでいて、私は右利きなんですけど、電卓を右手でたたいてから右手で書くのは時間のロスになるので、左手で電卓をたたけるように肉体改造(笑)までしたのです。
 このように追い込んでいたので、試験当日は余裕でした。腱鞘炎だし、変なボールペンでやってるし、左手の電卓もマスターしちゃったし、演習も3日に1回のインターバルでやってるし。そんな私が落ちるわけないと思っていました(笑)。
 ずっと鑑定理論や演習の鑑定の根幹になるような部分をきっちり伸ばす方向でやっていたので、試験が終わった時は「できた」という感触でした。それでも小心者ですし、2回も落ちているので緊張してしまい、発表の日はインターネットで合格者が発表される時間を過ぎても布団にくるまって寝たままで。私は極度に緊張すると待ち時間に耐えられず、寝てしまう癖があって…。知り合いの鑑定士さんが電話で「名前あったで」と教えてくれたので、ドキドキしながらインターネットを立ち上げ「名前があった!」とようやく見られました。自信はあったものの実は怖くて、直接は見られなかったのです。

──ちなみに、彼とはどうなりましたか。

太良木 合格後、私は日本不動産研究所に就職が決まりました。ところが彼のほうはなかなか決まらず、最後は「すぐに就職が決まって前に進んでいる君を見ているのは辛いから別れよう」と言われて、フラれました(笑)。

──就職先として、日本不動産研究所を選んだのはなぜですか。

太良木 鑑定業界で最大手だったからです。就職する際、鑑定業者の情報収集を充分にできなかったので、一番の会社だけでも応募しようと思っていました。というのは、当社のように500人規模が最大手の業界では会社分析をしても、なかなか本当の所は見えてこないのではないか、と思いました。だとしたらどこで判断するか、それなら人となりや評判をみるのが大事かなと考えたのです。「最大手だったら難しいことを考えずに選んで間違いないだろうし、潰しが利く」と考えて、当社しか受けませんでした。

──入社後はどこに配属されましたか。

太良木 私が就職した年は、まず出身地に半年間勤務して、その後転勤するスタイルでした。ですから地元の大阪に半年間いて、半年後に東京に転勤になりました。

鑑定評価は魔法の杖では出てこない

──鑑定士がどのような仕事をするのか、わかりやすくご紹介ください。

太良木 私が入社後最初に経験した例でご紹介します。山を切り開いてニュータウンを作る計画があるので、造成後の土地の値段を出して欲しいという依頼がありました。まず、役所調査に行き、行政上の規制などを調べます。次に、依頼者と一緒に現地実査に行きました。その時はまだ鑑定士資格がないので、上司と2人1組で現地を見に行きました。上司というよりはアドバイスをもらう人、といった感じで、当社では「主査」と呼んでいます。鑑定士の資格がない見習いの間は、基本的には主査と2人で行動します。実査に行くと、すでに山は切り崩されて造成が進んでおり、2メートル以上もの高さまで土が積まれていました。その後、コンクリートで擁壁を作り、その上に家が建つ計画でした。
 実査が終わり、事務所に帰って抜け漏れがないかもう一回調査した上で、上司に相談しながら、査定作業に入ります。その後「円卓会議」と言って、主査と私が判断した価格を、概ね2人以上の管理職が審査し、指摘を受けたり、意見交換する会議があります。当社のチェック体制は私が鑑定評価書を作成して主査が見て、かつ中堅クラスの管理職がチェックして、最後は支社長クラスの管理職がチェックするという3段階を経て鑑定書が出来上がります。

──実査の際は何を見るのがポイントになりますか。

太良木 先ほどの例ですと、周囲の住宅環境や前面道路の幅員(ふくいん)、駅からの距離等です。実際に実査時に駅から歩いてみたり、近くのスーパーに寄ったりして、利便性、住環境を判断します。また、建物が建つ状態にするまでに、どのような造成が必要かなど、造成の難易をチェックします。さらに、造成後の土地にどのような住宅が建築可能かを想定することも、重要なチェックポイントとなってきます。これは、建売の需要が旺盛な地域なのか、宅地分譲の需要が旺盛な地域なのか等、周囲の状況を見たり、不動産業者さんにヒアリングをしに行くなどして、十分に情報を得た上で判断します。

──実際に鑑定評価をやってみてどのように感じましたか。

太良木 その後も鑑定士として登録できるまでに3年かかりましたが、ひとつわかったことがありました。私は鑑定士という職業を知った時、テレビで見る『何でも鑑定団』や宝石鑑定士のように、鑑定士も「はい、いくらです」と簡単に値段が出るものだと思っていたんです。でも鑑定士の評価する価格は魔法の杖では出てこない。依頼者はどのような属性の方か、需要者はどのような層かなど、いろいろなバックグラウンドをきちんと見て値付けする必要があって、魔法の杖のように「えいっ!」とひとふりで評価ができるものではないのだ、とわかったのです。不動産価格にはある程度幅があり、買い手、売り手など立場の違いによって想いは様々です。しかし、幅があるからこそ、その中で鑑定士は第三者の意見として、適正な不動産の価格を出すことが重要だということがわかりました。また、不動産の価格は一つではなく、前提となる条件によって変わることがあります。市場に参加する方の考えを把握しながら、依頼者はどのような立場で、どの前提条件の、どのステージにある不動産の価格を求めて欲しいのか、案件を受ける段階で把握する必要があると感じました。

──大型案件でも、新人が担当できるのですね。

太良木 そうですね。案件はある程度適性を見て、誰を担当にするかを決め配分されます。ただ、大丈夫だと判断された若手にはしっかりとした主査を付けた上で、大型案件を任せていきます。良く言えば誰にでもチャンスを与えてくれる風土があるということ。そこが当社の良い所でもありますね。

──半年後、東京に転勤になりましたが、東京でも一般の鑑定評価に携わったのですか。

太良木 はい。東京はスケールが大きくて、再開発物件であったり、国家戦略特区に指定された案件であったり、複雑な案件が多い上に、都市開発の流れも速く、見なければいけない条例も多いので、難しい評価がたくさんあると感じました。
 その後2015年から1年間、機関投資家に出向していました。鑑定士になって1年しか経っておらず鑑定評価もおぼつかないまま出向だと言われ、不安を抱えながら出向しました。

──出向先での具体的な仕事内容について教えてください。

太良木 出向先は、不動産投資も手がける機関投資家です。投資を実行するか否か検討する中で、ファンドマネージャーの方が提示する、不動産のキャッシュフローのプロジェクションは再現可能か、価格は適切か、あるいは鑑定会社が出してくる鑑定評価書は適切かをチェックしたりしました。投資を行う際には、利益を得ることが最重要となります。リターン水準が十分なものであるか、リスクはどの程度かなど。その時は完全に投資家サイドの目線でやっていました。
 これまでの鑑定業務とは180度違ったスタンスです。当社はそのほか金融機関や不動産会社、官公庁にも出向しているメンバーがいます。
 このように、鑑定会社は鑑定評価書だけを書いているわけではありません。例えば投資家の利益を保護するためのアドバイスであったり、デベロッパーの方が再開発プロジェクトを行う上でのコンサルティングであったり。鑑定評価書以外のものを必要とする人はたくさんいらっしゃいます。そういう意味では、やっている仕事が多様な方面にわたり、色々なところに波及していく、やりがいのある仕事だと感じます。

市況モニタリング室で新しい仕事

──出向から戻られての配属が市況モニタリング室ですね。あまり馴染みのない名称ですが、ここは何をしている部署ですか。

太良木 5年ほど前に立ち上がった新しい部署で、鑑定評価はやりません。ここでは金融機関、デベロッパー、不動産業界のAM(アセットマネジメント)の方たち向けに、現在の不動産市況がどうなっているのか、将来どうなっていくのか、といった不動産市況の予兆管理を行う仕事をしています。投融資の意志決定を行うために、足元や将来の不動産市況を掴みたいという機関投資家や金融機関の皆様に、年2回ほどプレゼンテーションに出向き、当社の市況モニタリングを活用していただくサービスです。
 不動産市況を見極める上では、金融市場と不動産売買の取引市場、そして賃貸市場、この3つの市場をきちんと段階を踏んで分析し、やっと不動産市場全体がどのような状況かを判断することができます。このように、3つの観点から市場を見ていく構成でレポーティングしています。
 また、将来予測も行っています。当社には短期予測と中長期予測の2つがありまして、短期はマクロ経済指標等を使って1~2年ほど先を、一方の中長期は「計量経済モデル」というモデルを組んで10年程度先を予測します。現状の取引量などを見て将来を予測し、不動産市況は良いのか、後退しているのか、そろそろ危ないのか、このアセットは市況反転のシグナルが鳴っているなといったことを、データを用いてお客様にご提示していきます。このように、どちらかと言うとシンクタンクが行っている市況の調査を鑑定会社がやっている部署です。

鑑定会社がここまでできるのか

──最初の4年間は鑑定評価、1年間の機関投資家への出向、そして現在は市況の調査による予兆管理業務と経験されましたが、鑑定士のやりがいとは何だと思いますか。

太良木 鑑定士は鑑定評価書だけを書いていると思われがちですが、私が経験したように多様な経験ができるのは、新しいことを学ぶことも多く、ものすごく大きなやりがいに通じますね。それに、当社の強みである膨大なデータを処理して、投資家や金融機関の方に分析 結果をご提示し、これによって市況を判断する一助としていただけることにもやりがいを感じます。鑑定士は毎日毎日いろいろな物件を見て、つぶさに市況のプレイヤーの皆様と意見交換をしているので、不動産市場に対する体感温度を持っています。私たち鑑定士には、泥臭いけれど実直に足で稼いだ情報がある。数字とその情報を融合して、また新しい形で市況モニタリング業務を提供できていると思っています。
 ですから、やりがいは「鑑定会社がここまでできるのか」と言ってもらえること。そして「生の情報を素直に出してもらえるから信頼ができる」と言っていただけた時は、ものすごく嬉しいです。
 市況モニタリング室のメンバーは私を含めて比較的年齢が若いのですが、そんな若造が経営層の皆様にプレゼンするのはものすごく緊張します。でも、クライアントの方に「今日は新しい情報が得られたよ。ありがとう」と言っていただけた時は、本当に嬉しくなりますね。

鑑定士協会の広報活動にも参加

──今後やっていきたいと思うのはどのようなことでしょう。

太良木 市況モニタリング室に異動してまだ半年しか経っていないので、まずは今の業務を覚えるという目の前の課題があります。市況モニタリング室全体で言えば、まだまだ鑑定会社がマクロ的な視点で市況分析しているというのは認知度が低いので、そこが課題だと思います。ただし、先ほどお話ししたように、当社の証券化部や本社事業部にいる鑑定士は日々、様々な不動産プレイヤーと接しています。そうした市況の肌感覚を持っている部隊と一緒に分析ができるので、他社のシンクタンクとは違った分析ができていると自信を持って言えますね。
 ですからまだまだ認知度は低いけれど、「市況モニタリングを任せるなら、日本不動産研究所にお願いしたい」と言われるように、どんどん知名度がアップして、当社の独自性、さらに広く鑑定士の業務の一環として根づいたら、おもしろいのではないかと考えています。そのためにはまず「鑑定士は市況モニタリングもできるよ」ということを広めて、業務範囲を広げて、知名度を上げていくひとつのきっかけにできたらと思っています。
 それから学生さんなど若い世代の方に対し、鑑定士の広報活動をしていきたいですね。現場にいる人間がきちんと話をしてあげないと、なかなか学生のうちに鑑定士の仕事について知るのは難しいと思うのです。フィールドワークもあり、楽しい仕事であることやそこそこ儲けられる仕事であること、またお金以上にやりがいがあったり、いろいろな活躍フィールドがあるということを、学生さんにも知ってもらいたいな、と思います。
 今は、鑑定士協会の広報活動にも参加しています。一般の皆様に鑑定士の業務を知っていただくことに加え、鑑定士になりたいと思ってくださる皆さんに、どのような仕事なのかを紹介するだけでなく、鑑定士になった後に活躍できるフィールドを広げていく必要があると思っています。
 実は鑑定士協会では、広報委員会と相談事業委員会でプロジェクトチームを立ち上げて、鑑定士の認知度や理解度アップのために、「アプレイざる」&「コンさる」くんという公式キャラクターを作り、ゆるキャラや公式キャラクターソングとダンスユニットAyumi&Monkeysまで作ったんです(笑)。

多様な働き方ができる鑑定士の魅力

──社内の女性鑑定士の割合はどのぐらいですか。

太良木 5~10%程度です。割合的には少ないですが、今、女性を積極的に採用しようという機運が高まっています。

──日本不動産研究所では、結婚して出産後、育児休暇を経て復帰する女性もいらっしゃいますか。

太良木 もちろんいます。そのあたりは女性が働きやすい職場環境作りをしていて、いろいろ配慮してもらえるところがありますね。私が思うに、鑑定士の仕事自体、一人ひとりで意見を決めて自分の名前で鑑定評価を出すので、ある種個人プレーの部分があります。一度出したらそれで完結する面もあるので、自分のペースで仕事をすることができる要素も強い業務です。当社を辞めた方の中には開業女性鑑定士として活躍している先輩もいます。
 サラリーマンは9時に出社して17時まで拘束されるので大変ではないですか。私も鑑定士に魅力を感じたポイントとして、いろいろな働き方ができる点がありました。勤務鑑定士であったり、開業したり、個人事務所のパートタイマーであったりと多様な働き方ができるのは、ライフステージが変化する女性にとって理想的だと思います。

──鑑定士をめざして勉強中の受験生や資格取得をめざしている『TACNEWS』の読者に向けて、メッセージをお願いします。

太良木 本当にがむしゃらに一生懸命勉強したら、絶対に結果は嘘をつきません。本当に真剣にめざすなら誰にも負けないぐらい、すきま時間もすべて使う気持ちでやれば、必ず結果がついてきます。ただ、自分1人で机に向かってずっと勉強していると、特に結果が出ない時は「自分だけ何でだろう」とくじけそうになる時がありますね。
 でも、それを乗り越えられたら、確実に結果が出てきます。悩んでいる方はここが踏ん張りどころだと考えてください。乗り越えた瞬間、絶対に結果が待っていると信じて、頑張ってください。

 鑑定業界は鑑定評価だけでなく、いろいろなフィールドが広がっています。今私がやっている市況モニタリングもそうですが、鑑定評価だけではない、活躍できるいろいろなフィールドが広がっているということを知っていただきたいのです。鑑定士の世界のどこかに、あなたのやりたい世界が広がっています。鑑定士業界は、そんな未来ある業界だと信じて、モチベーションにしてがんばっていただきたいと思います。

[TACNEWS 2016年12月号|特集]